最近「かげろふの日記」「ほととぎす」それから「姨捨」と續けて平安朝の女たちの日記に主題を求めて短篇を書いてばかりゐますせゐか、屡


この間も「文學界」の折口信夫さんを中心とした座談會にひつぱり出されました。ほかならぬ折口さんの事ですので、そのお話が聞きたくて、僕も少し熱のある身體を押して出かけました。が、僕はなんにも喋舌るほどのことがありませんでしたので、殆ど默つて折口さん達のお話しするのを聞いてゐただけの事でした。||源氏物語の事などが大ぶ座談の中心になりましたが、同席せられてゐた青野季吉さんなんぞは毎日六時間づつも讀まれて、それで八ヶ月かかつて全部お讀み上げになつたさうです。まあ平安朝の文學を云々するのには源氏物語が一番大事なものでせうし、それを精讀してゐないと話になりませんのに、僕はまだそれすらところどころ走り讀み位しかしてゐませんので、結局默つてもゐたわけですが、||そんな話を聞いてゐるうちに、その源氏が猛烈と讀みたくなつて來て困つてしまひました。しかし、僕はいま他の仕事を控へてゐて、そんな八ヶ月はおろか、その三分の一ほどの閑暇さへちよつと得られさうもないので、家へ歸つて來てからも二三日そんな心を外へそらせるのに手古摺つた位でした。||が、それもやうやつと、この夏の間に「若菜」二卷だけでもゆつくり讀み返すことにして置かうと、そんな情熱を抑へつけてゐるところへもつてきて、こんな文章を書かなければならない羽目になりました。

まあ、いま他にはちよつと思ひついた事がありませんので、その座談會で折口さんなどのお話をききながら、いろいろと考へさせられてゐた事でも少し書いて見ませう。
源氏物語五十四帖、||あの大きな物語では、僕なんぞのやうな初心者には光源氏を中心にした卷々よりも、薫の宇治の十帖の方がどうも入り易いし、親しみやすいやうに思はれるものです。(青野さんなんぞもさう仰つてゐられた。)それで僕もこつちは少々讀んでをりますが、||事實、折口さんのお話では、文章もずつとやさしくなつてゐるさうです、||それは一つは薫とか、
それは折口さんの御持説のやうで、源氏物語の一番
私はそんな事を考へる一方、それらのプルウストやマンの取り扱つたどちらかといふと頽廢的な近代人とは對蹠的に、光源氏といふものを、或意味で日本古代の最後のトラヂックな人物のやうに考へなければいけないのではないかと考へるのです。トラヂディといふ語を悲劇と譯したのではこの場合どうもまづい、鴎外流に悲壯劇とでも譯したらまあ感じが出ませうが、||本來のトラヂディといふものは、本當に崇高な人物が、運命の抵抗に遭つて、さまざまな苦しみをしつつ、その生涯の何處かに人知れぬ涙の痕をにじませながらも、しかもその生得の崇高さを少しも失はずに、最後まで生き拔く、||さういつたものなのではないでせうか。もう一度讀みかへさないでこんな事を言ふのは少し不安でもありますが、「若菜」に於ける光源氏の苦惱はさういふ悲壯なる人物の最も苦しい晩年を描いたものとして立派なものだつたのではないでせうか。
それと同時に、僕はこんな事も考へ出して居りました。||さういふ本當の意味でトラヂックな古代人は、この光源氏においてはじめて文學に現はれたのではなく、それよりももつと古い、古事記などのバラッド風な作物のうちにそれを求めたら、そのプロトタイプのやうなものを見出し得るのではないか。それも従來のやうに支那の古小説などに求めるまでもなく、もつとわれわれの身近い血縁のなかにそれを見出し得るのではないか。それも既に折口さんが暗示せられてゐるやうに、遠い神代の、長い苦しい征伐の旅をつづけられた若い王子が、その果ては白鳥となつて天翔けられたといふ、あの悲壯な物語が、次第に人間化せられた物語となりながらこんなところまで姿を變へて來た、||と考へることが出來たなら、大へん愉快なのではないでせうか。そして折口さんの考へられるやうに、そのやうな神に近かつた若い王子の旅の物語の、はたの目から見ると大へんおいたはしい、さういふ漂泊の悲しみのやうなもののみが次第に人々に強調せられて、それを一層現世的にするために、その漂泊の原因に女性を結びつけて考へるやうになつてくる。先づ、いかにも古代の人々に愛せられたらしい、
僕はまだ淺學のせゐか、或は性格上、鎌倉以後の文學にはどうも同情がもてませぬせゐか、どうもさういふ本來の意味でトラヂックな人物は鎌倉以後の文學には到底見出し得ないのではないかと思ふのです。何處かでニイチェがこんな風なことを言つてゐるのを讀みましたが、「われわれを悲しませる最大の損失は、優れた典型の流産である。」||そんなニイチェの言葉がいまさらのやうに痛切に思ひ出されてなりません。わが國の文學は、それから隱者たちの手に渡つて、次第に面白くもないものになり、僅かにその最もいい部分が西行から芭蕉へと受け繼がれていつて居りますが、その間に