友人の書家の家で、私は
経師屋の恒さんと
相識になったが、恒さんの祖父なる人がまだ生きていて、
湘南のある町の寺に間借りの楽隠居をしていると知ったので、だんだん聞いてみると、このお爺さんこそ
安政の末から
万延、
文久、
元治、慶応へかけて江戸
花川戸で早耳の三次と謳われた捕物の名人であることがわかった。ここに書くこれらの物語は、古い帳面と記憶を頼りに老人が思い出しながら話してくれたところを私がそのままに聞書したものである。
乙未だというから
天保六年の生れだろうと思う。すると数え年九十四になるわけで、何分
年齢が
年齢だから脚腰が立たなくて床についてはいるが耳も眼も達者である。ただ
弱小不忘ごときの筆に当時の模様を巨細に写す力のないことを、私は初めから読者と老人とにお詫びしておきたい。
一
松の内も明けた十五日朝のことだった。起抜けに
今日様を拝んだ早耳三次が、花川戸の住居でこれから
小豆粥の膳に向おうとしているところへ、茶屋町の自身番の老爺があわただしく飛込んで来た。
吃りながら話すのを聞くと、
甚右衛門店裏手の井戸に若い女が身を投げているのを今顔を洗いに行って
発見たが、長屋じゅうまだ寝ているからとりあえず迎えに来たのだという。正月早々朝っぱらから縁起でもないとは思ったが御用筋とあっては仕方がない。嫌な顔をする女房を一つ
白睨んでおいて、三次は老爺について家を出た。泣出しそうな空の下に八百八町は今し眠りから覚めようとして、川向うの松平越前や細川
能登の屋敷の杉が一本二本と
算えられるほど近く見えていた。
東仲町が大川橋にかかろうとするその
袂を突っ切ると材木町、それを小一町も行った右手茶屋町の裏側に、四軒長屋が二棟掘抜井戸を中にして
面い合っている。それが甚右衛門店であった。
自身番の老爺が途中で若い者を二人ほど根引にして、一行急ぎ足に現場へ着いた時には界隈は
寂然として人影もなかった。三次が井戸を覗いて見ると、藻の花が咲いたように派手な
衣服と白い二の腕とが桶に載って暗い水面近く浮んでいた。
それっというので若い者が
釣瓶を
手繰って苦もなく引揚げたが、井戸の縁まで上って来た女の屍骸を一眼見て、三次初め一同声も出ないほど
愕いてしまった。
女は身投げしたのではない。誰かが斬殺してぶち込んだのである。しかもその切り口、よく俗に
袈裟がけということを言うがまさにそれで、右の肩から左乳下へかけて
ばらりずんとただの一太刀に斬り下げて見事二つになった胴体は左
傍腹の
皮肌一枚でかろうじて継がっていた。石切梶原ではないが刀も刀斬手も斬手といいたいところ、
ううむと唸ると三次は腕を組んで考えこんだ。
三次が考えこんだのも無理はない。過ぐる年の秋の暮れから正月へかけて、ひときわ眼立った辻斬がたださえ寒々しい府内の人心を盛んに脅かしていた。当時のことだから
新刀試し腕試し、辻斬は珍しくなかったが、そのなかに一つ、右肩から左乳下へかけての袈裟がけ
斜一文字の
遣口だけは、
業物と斬手の冴えを
偲ばせて江戸中に有名になっていた。殺される者には武士もあった、町人もあった、女子供さえあった。
昨夜はあそこ、今朝はここといった具合に、ほとんど一夜明けるたびに生々しい袈裟斬りの屍体が江戸のどこかに転がっているというありさまだった。誰も姿を見た者はないがもちろん侍、しかも剣の道に秀でた者の仕業であることは何人も認めざるを得なかった。死骸はいつも一太刀深く浴びて胸から腹へ大きな口を開いていたが、けっして切って落した
例はなく皮一重というところで刀を留めて危なく胴をつないでおくのがこの辻斬の特徴であった。これはとうてい凡手の好くするところではない。必ずや一流に徹した剣客の狂刃であろうと、町奉行配下の
与力同心を始め町方の御用聞きに到るまで、言い合わしたように町道場の主とその高弟たち、さては諸国から上って来た浪人の溜りなどへしきりに眼を光らせてきたが、袈裟がけの辻斬りは一向に
熄まないうちに、年がかわった。さすがに松の内だけは
血腥い噂もないと思っていると、春の初めの斬初めでもあるまいが、またしてもここに甚右衛門井戸の女殺しとなったのである。
二
殺された女は、井戸のすぐ前の家に父親の七兵衛と一緒に住んでいるお菊という娘であった。三次たちの
気勢を聞きつけて起きて来た長屋の者が
消魂しく戸を叩いたので、七兵衛も寝巻姿で飛出して来たが井戸端の洗場に横たわっている娘の死骸を見ると、駈寄って折重なったまま一声名を呼んだのを最後にそれきり動かなくなってしまった。
狼狽てて抱起すと
がっくり首が前へのめって、七兵衛はすでに息を引取っていた。
現代の言葉でいうと
心臓痲痺であろう、あまりな不意の驚きに逆上したとたん、あえなくなったものらしいが、引続いたこの二つの凶事に長屋じゅうはたちまち上を下への騒ぎになった。
七兵衛は町内の走使いをしていたから三次も識っていたし、独り娘のあったことも聞いてはいたが、この二人家内が二人ともこうなったのだから、三次は集って来た長屋の衆の口を合わせてそこから何か掘出すよりほか探索の踏出し方がなくなった。お菊は稀に見る孝行娘で近所のお針などをして貧しい父を助け、傍の見る眼も羨ましいほど父娘仲もよかったとのこと。死顔を見てもわかるとおり十人並以上の器量だから若い者の口の端に上らぬではなかったが、十八にはなっていたものの色気付きが遅いのか、その方の噂はついぞなかった。昨十四日は年越しの祝いでお菊は型ばかりの松飾
注連繩を自分で外した後、遅れた年賀の義理を済ませに小梅の伯母のところへ行くとか言って、賑やかに笑いながら正午少し過ぎに家を出て行った。これは同じ長屋のお神の一人が見て、現に
会話を交したというのだから間違いはあるまい。
お菊の死骸に跨がって切口を睨んでいた三次は、崩れた島田に引っ掛っている櫛を見付けると、手早く抜取って懐中へ納めた後、父娘の仏をひとまず世話人の家へ引取らせた。あとで井戸の
周囲を見ると、土に血の跡が滲み込んで、洗場の石の角々にも流れ残った血糊が赤黒く
付着いている。言うまでもなく
犯人はここでお菊を殺して、音のしないようにと水桶に縛りつけて井戸へ下ろしてから、血刀や返り血を洗って行ったものであろうが、そうとすれば少しは物音もしたはずだと思って、三次が傍の人々に訊いてみると、そのなかでこういう申立てをした者があった。
「へえ、わっちが眠りについて少しばかり
とろとろとしたかと思うころ、井戸端で人の呻きと水を流す音が聞えましたが、きっとまた
蜻蛉野郎が食い酔って来やあがって水でも呑んでいるんだろうと、わっちは別に気にも懸けずにね、へえ、そのまま眠ってしまいましたよ。」
「
何時でした。」
「さあ、かれこれあれで四つでしたかしら。」
これを聞いて思い出したものか、同じことを言う者が二、三人出て来たので、三次は懐中から今の櫛を出して一同に見せた。
玳瑁の地に
金蒔絵で丸に
いの字の
田之助の紋が打ってあるという豪勢な物、これが、その日暮しのお菊の髪に差さっていたのがこの際不審の種であった。すると、背後の方から伸び上って見ていた一人が、それはたしか蜻蛉が持っていた櫛で、
歳末に、安く売るから買わないかと言って見せられたことがあると証言した。
「先刻から蜻蛉蜻蛉って言いなさるがその
とんぼってなあいったい何ですい。」
三次が訊いた。人々の答えによると、井戸を隔ててお菊方と向いあって、眼玉の大きいところから蜻蛉の
辰と呼ばれている中年者が住んでいるが、去年の夏、女郎上りの
嬶に死なれてからは、昼は家に
ごろごろして日暮れから
夜鳴饂飩を売りに出ているとのこと。
「おうっ、辰がいねえぞ。」
誰かがこう言って辺りを見廻した。それにつれて皆が騒ぎだした。
「この
どさくさに寝ている者は辰でもなけりゃありゃしねえ
||辰やあい。」
「蜻蛉うっ。」
「辰うっ!」
「とんぼ、つんぼ!」
長屋の衆が口々に
喚くのを三次は鋭く押さえておいて、
つと足許の水桶に眼を落した。
釣瓶繩のさきについている井戸の水汲桶である。これにお菊の死骸を結んで沈めたのだから、桶一杯の水が紫色に濁っていたが、三次が足を掛けて水を溢すと、底から、お菊の黒塗の
日和下駄が片方だけ出て来た。
誰もお菊の帰って来たのを見た者はなかった。留守をしていた父親七兵衛は、あまり
帰宅が遅いので
てっきり小梅に泊ることと思い、
昨夜は寒さも格別だったから早く締りをして先に寝たものらしいが、年ごろの娘がそう更けてから夜道を帰って来るとも思われないから、まず七兵衛初め長屋の者の
寝入初、この井戸端で水音がしたという
亥の上刻は四つごろの出来事であろうと、三次はその日和下駄を
凝視めながら考えた。
井戸にでも落ちたか、片っぽの下駄はどこを探してもない。二つ折れに屈んで地面を
検べると、井戸の縁に片足かけて刀に滴る血潮を振り
裁いたものとみえて、
どす黒い点が土の上を一列に走ってもよりの油障子の腰板へ跳ねて、障子の把手にも
歴然と血の手形が付いていた。三次は振向いた。
「誰の家ですい、ここあ?」
「へえ、そこがその、蜻蛉の辰の
||。」
という声を皆まで聞かずに、三次が障子に手を掛けると
さらりと開いた。素早くはいり込んで後を閉めながら見ると、障子の内側にもおびただしい血の痕がある。しかも黒塗りのお菊の日和が片方、血にまみれて土間に転がっていた。
「辰さん!」
狭い暗い家に三次の声が響いた。と、すぐに人の起きて来るようすに、三次は思わず懐に十手の柄を握り締めた。
三
長屋の連中が蜻蛉の辰の軒下に立って呼吸を
凝らしていると、なかでは長いこと話が続いたのち、やがて、三次ひとり
狐憑きのような顔をしてぼんやり出て来た。
「蜻蛉はいましたか。どうしました?」
待ちあぐんでいた人々はいっせいに三次を取り巻いた。
「いましたよ。いますよ。」
と三次はなぜか溜息を吐いた。
「何せこっちあ早耳の親分だ。野郎、おそれいりやしたろう?」
「誰がですい?」
「誰がって親分、
呆けちゃいけねえ、
犯人さあね、辰さ。とんぼの畜生、おいらがお菊坊を
ばっさりやったに違えねえと、ねえ親分、
即に口を割りやしたろう、え?」
「やかましいやい!」
急に三次が呶鳴りだした。探索に
推量が付いて
頭脳の働きが忙しくなると、まるで別人のように人間が荒っぽくなるのが三次の癖だった。これを早耳三次の
伝法風といって、八丁堀御役向でさえ一目置いていたほど、当時江戸御用聞のあいだに有名な天下御免の八つ当りであった。今の三次がそれである。長屋の衆は呆気にとられてしまった。
「えこう、皆聞けよ。」と三次は辺りを睨めつけて、「蜻蛉蜻蛉ってそう
がらに言うねえ。蜻蛉はな、大事な蜻蛉なんだ。手前ら何だぞ、蜻蛉の辰に指一本差そうもんならこの三次が承服しねえからそう思え、いいか、月番が来ても旦那衆が見えても辰のことだけあ
気にも出すな。下手な真似して蜻蛉に手出ししてみろ、片っ端から三次が相手だ
||退け、俺あ帰る。
思惑があるんだ。」
呶鳴るだけどなってしまうと、三次は人を分けて
飄然と帰って行った。
間もなく、申訳なさそうに血だらけの日和下駄を提げて蜻蛉の辰公が飛出して来て、先に立って
あれこれと世話を焼き始めた。みんなさすがに白い眼を向けたが、辰は一こう平気だった。
渡世人と岡っ引は人柄を読むことと場の臭いを嗅ぐことが大切である。ことに剣術の使手は眼の配りと
面擦れでわかるものだが、蜻蛉の辰が寝呆け眼をこすりながら出て来た時、三次は一眼見てこれは大きに違うと思った。
辰はいかさま眼の大きな、愚鈍というよりは白痴に近そうな男だった。夜
饂飩を売りに出るので帰りは早朝になる。したがってこの時刻は辰にとっては白河夜船の真夜中だから、戸外の騒ぎを知らずに熟睡していたというのもけっして不自然なことはない。障子の血形や血まみれのお菊の下駄を突きつけられても、辰は
ぬうと立ったまんま、どうしてそんな物がそこにあったのか少しも解らないと申述べた。
むしろ融通のきかない方かもしれないが白を切りえる
質ではない、三次は辰をこう踏んだ。だいたいこんな、
鰹一匹満足に料れそうもない
ぶきらしい男に、ああも鮮かに生胴を斬る隠し芸があろうとも思われないし、それに、いくら少したりないとはいえ、自分の家の入口に血を付けたり仏の下足を片っ方持込んで見てくれがしにそこらに抛っておいたりするような、そんな間抜けたことはよもやすまい。この男にあの袈裟がけ斬りの疑いを懸けたことが三次は自分ながらおかしくなった。が、何はともあれ念のためと、
玳瑁の櫛を出して問い詰めると、辰はすぐさま頭を掻いて、じつは誠に申訳ないが、年の暮れのある晩
稼業の
帰途に、
筋交御門の青山
下野守様の邸横で拾ったのだが、そのまま着服していて
先日父親に内証でお菊に
与ったものだと言った。嘘をついているものとも見えないので三次はすっかりあて外れの形だったが、それでも一応昨夜の動きを訊いてみると、いつものとおり饂飩の屋台車を押して歩いて明方に帰ったと答えた。
「帰った時に戸口の血やこの下駄に気がつかなかったかえ。」
「暗え中を手探りで上ってすぐと床に潜込みやしたから、何にも気が付きませんでした、へえ。」
三次は家のなかを見渡した。なるほど
男鰥夫の住居らしく散らかってはいたが、さして困っている
生計とも思われない。
女房を失くした淋しさから櫛をやったりしてお菊の歓心を買うに努めていたものとみえる。小道具といい身のまわりといい饂飩屋
風情にしてはちょっと小ざっぱりしすぎているような気がしないでもなかった。
「のう辰さん。」三次が言った。「饂飩もなかなか
上金が
大けえもんと見えますのう。」
「へ? へえ、おかげさまで、へえ。」
「車はどこにありますい。」
「仕込問屋に預けてありやす。」
「その問屋ってなあどこですい。」
「その問屋は
||。」
「うんその問屋は?」
「へえ、蔵前の
||。」
「うん。蔵前の何屋何兵衛だ。」
とこう突っ込まれて、辰は
ぐっと詰ってしまった。それを見ると、三次は脅し半分に腕を伸ばして辰の肩口を掴んだのだが、掴まれた辰よりもかえって掴んだ三次のほうが
吃驚した。蜻蛉の辰の肩は、板のように固く、瘤のように
胼胝ができていたのである。
「おうっ、辰っ。」三次の調子が
がらりと変ったのはこの時だった。「お前なんだな、
駕籠を
担ぐな。」
辰は両手を突いて黙っていた。
「辻か、いやさ、辻駕籠かよ。」
辰は返事をしない。三次はたたみかけた。
「相棒は誰だ。出場はどこだ。」
辰は無言だった。三次は
かっとして、この野郎っ、
直に申上げねえかっ、と呶鳴ろうとしたが、何思ったか
にこりと笑って、
「辰さんや、何をしても商売だ。のう、駕籠かきだとて恥じる節はねえわさ。まあま、男は身の動くうちが花だってことよ。精々稼ぎなせえ。」
と言ったなり、頭を下げている辰公を残して
ぶらりとその家を出たのだった。
「ふうん、こりゃあちょっと大物だぞ
||。」
生酔いのように
道路の真中を一文字に、見れども見えず聞けども聞かざるごとく、思案にわれを忘れて
花川戸の自宅に帰り着いた早耳三次は、呆れる女房を叱りとばして昼の内から酒にして、
炬燵に横になるが早いか、そのまま馬のように高鼾をかいて睡ってしまった。
四
音も月も
凍てついた深夜の
衢、湯島切通しの坂を掛声もなく上って行く四手駕籠一梃、見えがくれに後を慕って黒い影が
尾けていた。
蜻蛉の辰が饂飩屋なぞと嘘を言って人にかくれて駕籠を担いでいる夜の稼ぎを怪しいと見た早耳三次が、半日
ぐっすり寝込んで気を養い、暮るに早い冬の陽が上野の山に落ちたころ、
腹掛法被に
※襠[#「ころもへん+昆」、172-下-14]という
鳶まがいの忍び装束で茶屋町近くに張込んでいるとこれも身軽に
扮った蜻蛉の辰が人目を憚るように出て来て、東仲町を突き当った誓願寺の裏へ抜けた。あの辺いったいは
東光院称往院天岳院、左右が海全寺に日林寺、そのまたうしろは
幸竜寺万祷寺知光院などとやたらに寺が多かった。辰が天岳院前の
樹下闇に立停まると、そこに男が一人駕籠を下ろして待っていた。三次が遠くから透かし見たところでは、
痩形の、
身長の高い若い駕籠屋であった。二人は別に挨拶もせずに、そのまま駕籠を上げて安部川町の方へ辻待に出向いて行った。空駕籠の揺れぐあいから後棒の辰はもちろん、先棒の男もまだ腰ができていないのを、三次は
背後から見ながら随いて行った。お
書院組の前まで来ると客がついた。それから二人は本式に息杖を振って、
角ごとに肩をかえながら、下谷の屋敷町を真直に小普請手代を通り過ぎて、日光御門跡から湯島の
切通しを今は春木町の方へ急いでいるのだった。
月が隠れたから、五つ半の
闇黒は
前方を行く駕籠を
ともすれば呑みそうになる。三次は足を早めた。
ひやりと何か冷たいものが頬に当った。
霙になったのである。
三丁目を越えて富坂へかかったところで、駕籠が止まった。客は降りて駕籠賃を払い、左の横町へはいって行った。すると、黒法師が一つ駕籠を離れて
するすると後を追った。三次の立っているところは表通りだから何も見えないし何も聞えない。そのうちに黒法師が駕籠へ戻って、どうやらこっちへ引っ返して来るらしいから三次は急いで物蔭に身を隠すと、蜻蛉の辰と若い駕籠かきが無言のままで前を過ぎた。肩にした丸太に駕籠の屋根を支える竹が触ってぎっ、ぎっと
軋む音を耳近く聞いた時、三次は何となく背中に水を浴びたように全身
惣毛立つのを感じたという。
駕籠も遠ざかって行くが横町が気になるので、三次は小走りにそのほうへ進んだ。暗いから足許が見えない。重い大きな物に
蹴躓いて
あっと思うと諸に転んだ、町の真中に寝ているやつがある。起上りざま鼻を
摺りつけんばかりにして見ると、武家屋敷出入の骨董屋の手代とでも言いたいお
店者が
朱に染んで倒れていて、初めは二人かと思ったほど、上半身が物の見事に
割かれていた。
さすが鉄火な早耳三次、血泥を掴んだまましばらくそこにへたばっていたが、やがて
ふらふらと立上ると、
「どこのどなた様か存じませんがあっしは少し急ぎます。
成仏なすって下せえやし
||南無阿弥陀仏。」
も口の中、耳も早けりゃ脚も早い、おりから風さえ加わって横ざまに降りしきる霙を衝いて、三次は
驀地に駕籠を追って走った。
定火消を右に見てあれから湯島四丁目へかかると藤堂様のお邸がある。追いついたのは聖堂裏であった。そのころは杉の大木が繁っていてあそこらは昼でも薄気味の悪いところ、ましてや夜。人通りはない、先へ行く駕籠のぴしゃ、ぴしゃという
草鞋の音を頼りに、駕籠に道の左側を往かしておいて三次は右側を擦り抜けたが、五、六間前へ出るあいだまったく生きた心地はしなかった。と、何者かがすがり寄る気を感じて、三次は足をとめた。その瞬間、一陣の寒さが首筋を撫でた。三次は背後へ飛び
退った。見ると、すぐ前に、黒の着流しに
宗十郎頭巾で顔を包んだ侍が、片手に細長い白い棒のような抜身を下げて、片手で霙を除けながら煙のように立っている。駕籠は遙か向うに下りて、草鞋の音も聞えなかった。
三次は剣術なぞは真似すらもできない。しかも自ら招いたこの
窮場、ええ、ままよと
どっかりそこへ
胡坐をかくと、気のせいか侍の顔に微笑が浮んだようだったが、
「町人、斬ろうかの。」
と言った声は、手の
白刃のように冷たかった。口が乾いて三次はものが言えなかった。
「商売は何だ。」
刀の尖を振わしながら侍が聞いた。
「
大工。」
「なに、
でえく? うん。大工か。」
言いつつ
すうっと刀を振りかぶって、
「斬らしてくれ。」
三次は坐ったまま乗り出した。
「お
殺んなせえ。右の肩から左乳下へ
ざんぐり一太刀、ようがす。立派に斬られやしょう。だがねお
侍さん、皮一枚だきゃあ残しておいて下せえよ。」
侍は
ぎょっとしたらしかった。刀持つ手が見るみる下った。
弛んだ
鍔が
がちゃりと音を立てた。
「許す。」
とひとこと、大刀の刃を袖で覆って、侍はもと来た
闇黒へ消えて行った。その
跫音は水を含んだ草鞋の音だった。その後姿は丸腰だった。鞘を差していなかった。三次は這うように駕籠へ近づいた。若い駕籠屋がちょうど提灯に灯を入れ終って、辰を
促して肩を差すところだった。駕籠の底が土を離れると、三次は猫のように音もなく二人の跡を踏んだ。
同朋町から金沢町、夜眼にも光る霙のなかを駕籠は
御成街道へさしかかった。
五
堀丹波の土塀に沿うてみぞれ橋という小橋があった。そのすこし手前でまたもや駕籠が停まったところを、三次は
闇黒に
紛れて追い越した。橋の上を老人らしい侍が行く。その影のように、別の侍が後から
刻み足に吸い寄ったと思う間に、先なる老人の頭上高く白い光りが閃めいた。が、この時、三次は夢中で長身痩躯の侍の背中に抱きついていた。
三次と老人を相手に侍はかなり暴れたけれども、橋の上だから霙で
辷って足場が悪い。そのうちに悪運つきたか、不覚にも刀を取り落した。そこへ蜻蛉の辰が息杖を持って駈け付けて、
「こん畜生、
さんぴん奴!」
と侍を打据えにかかると、うるさくなったものか侍は大手を拡げて闘意のないことを示したが、それも一瞬、いきなり
脱兎のように
遁げだした。足を狙って辰が杖を投げた。それが絡んで

と倒れた。三次が飛んで行って押さえ込んだ。
老人の提灯を突きつけて頭巾を
剥いだ時、驚いたのは三次でなくて辰だった。この、袈裟がけ斬りの侍こそ、相棒の若い駕籠屋であったのである。しかも、泥だらけな法被を着た捕親が今朝の花川戸であったから、辰は、それこそ蜻蛉のように大きな眼玉を
ぱちくりさせて
空唾を呑んだ。
老人は町奉行池田播磨守手付の用人伴市太郎という人で、堀家の夜明しの碁会から独り早帰りする途中だったから、さっそく堀邸内の一間を借りて侍を入れておき、
審べの順序だから取急ぎ
吟味与力の出張を求めた。
元治元年三月二十七日筑波山に立籠った
武田耕雲斎の
天狗党が同年四月三日日光に向う
砌り、途中から脱走して江戸へ紛れ込んだのが、この袈裟がけの辻斬人水戸浪士の伊丹大之進であった。世に在るうちは国許藩中において中小姓まで勤め上げて五人
扶持を食んでいたが、女色のことで主家を浪々して早くから
江戸本所割下水に住んでいた。前髪が取れるか取れないに女出入で飛び出すくらいだから、この大之進性来無頼の
質だったに相違ない。これが、御老中お声掛り
武州清久の人戸崎熊太郎、当時俗に駿河台の老先生と呼ばれていた大師匠について神道無念流の奥儀をきわめたのだからたまらない。無念流は神道流の別派で正流を天心正伝神道流と言い、
下総香取郡飯篠村の
飯篠山城守家直入道長威斎が開いたもの、「
此流勝負を
以仕立教也」とその道の本にさえあるところを見ると、よほど攻めを急いだ実用一方の太刀筋であったらしい。自暴自棄な年若の大之進が腕ができるにしたがい人斬り病に
罹ったのも、
狂人に刃物の
喩え、無理からぬ次第であったとも言える。人が斬りたいばかりに天狗へ走った大之進も理窟が嫌いなところからまた江戸へ舞い戻ってみると、天下は浪人の天下、攘夷の
冥加金を名として
斬奪群盗が横行している始末に、大之進つくづく考えると徳川三百年の
余命幾何とも思われない。なんらかの形で近く御治世に変革があるものと観なければならないが、そうなった暁先立つものは商法の
金子であろう。その資金の調達には夜盗が一番
捷径だが、押込みの方は浪士が隊を組んでいるから自分は一つ単独行動に辻斬と出かけてやれ、それも盗賊改めが厳しいので、駕籠でも担いで夜の街を歩きまわり、斬る時だけ侍の
服装をして疑いを浪人の群へ
嫁し、己れは
下素の駕籠屋になりきって行こうと思いついた。そこで四手駕籠の前棒に細工をして一
貫子近江守の一刀を抜身のままで
填め込み、侍支度を小さな風呂敷包にして棒根へくくりつけ、誓願寺裏へ駕籠を置きざりにしておいては蜻蛉の辰を後棒にして、侍になったり駕籠かきに返ったり、
電光石火の早変り、袈裟がけの覚えの一太刀に江戸の町を荒し廻っているのだった。
前年の晩秋どこかへ
用達しに行った帰り、夏
嚊に死なれて
悄気きっていた辰は途上で未知の大之進に掴まって片棒かつぐことになったのだが、名も言わず聞かず、ほとんど口もきかずに、ただ一晩駕籠を担いで歩きさえすれば客があってもなくても朝別れる時には大之進が相当の
鳥目を渡してくれるので、怪しいとは思いながら毎夜約束の刻限には誓願寺裏へ出かけて行った。大之進は必ず先に来て待っていた。こうしてどこの誰とも互いに識らない二人が、一つ駕籠をかついでいたのである。時々暗い
個所で駕籠を停めて前棒が
闇黒に隠れることがあったが、
酒代でも
強請りに客を追うのだろうくらいに考えて、辰は別に気にもとめなかったというが、
迂濶といえばこれ以上迂濶な話はないけれど、蜻蛉の辰という人物にはありそうなことだった。が、自分でもいくらか臭いにおいを嗅いだかして、
饂飩を売りに出るなどと辰は世間体を誤魔化していたのである。
早耳三次が
白眼んだとおり、甚右衛門店のお菊殺しは大之進の
仕業であった。十四日夜の四つ時、例によって二人が悪業の駕籠を肩に天王町の通りを材木町へ差しかかると、向側から来た人影が茶屋町のとある路地へ切れた。それを見ると久方ぶりに殺心
むらむらと燃え立った大之進は、駕籠を捨てて追い縋り井戸端で二つに斬って水へ沈めた。その間、すこし離れたところに駕籠を守って辰が
放心待っていたというから、
こいつの眼玉は大きいだけでよくよく役に立たなかったものとみえる。
ふとした
悪戯気から辰の家とは知らずにお菊の下駄を抛り込んだり、障子に血の痕を付けて置いたりしたのが、大之進の運の尽きであった。玳瑁の櫛も三次の推量どおり、大之進が辰に与えたものであった。
お
白洲に出ても大之進は口を
緘して語らなかった。
「この者をお咎めあるな。不浄人に力を藉して拙者を絡めたくらい、下郎は何事も存じ申さぬ。あくまでも伊丹大之進ただ一人の所存でござる。」
何を訊かれてもかく言うだけだった。早耳三次は家主甚右衛門ならびに茶屋町町年寄一統とともに、改めて辰のために何分のお慈悲を願い出たという。