戻る

行乞記

北九州行乞

種田山頭火




 六月三日 (北九州行乞)


一年ぶりに北九州を歩きまはるべく出立した、明けたばかりの天地はすが/\しかつた、靄のふかい空、それがだん/\晴れて雲のない空となつた、私は大股に歩調正しく歩いていつた。

嘉川を過ぎると峠になる、山色水声すべてがうつくしい、暑さも眠さも忘れて、心ゆくばかり自然を鑑賞しつゝ自己を忘却した。

十一時すぎて船木着、三時まで行乞、泊つて食べるだけの物資をめぐまれて、かしわやといふ安宿に泊つたが、申分のない宿だつた、おかずもよろしいし、御飯もたつぷりあつた、風呂もわいてゐたし水もよかつた、蒲団もきれいで相客までが好人物ぞろひだつた、これで、木賃料三十銭とは!

こゝろよく酔うて話がはづんだ。

 山ふところの花の白さに蜂がゐる

 松風松蝉の合唱すゞし

 こゝがすゞしい墓場に寝ころぶ

   河の向岸は遊廓、家も女も

   田園情趣ゆたか

・水をへだてゝをなごやの灯がまたゝきだした

 をとこがをなごに螢とぶ水

  今日の行乞所得

米 一升三合

銭 三十八銭

落葉石のおもひで(周陽時代)


 六月四日


昨夜は興に乗じて焼酎を飲みすぎたので胃の工合はよくないけれど、ぐつすりと眠れたので気分は軽い。

行程六里、厚狭行乞。

山に陽が落ちてから黎々火居へ落ちつく、心からの歓迎をうけた、ありがたかつた。

近来にないうまい酒うまい飯であつた。

ずゐぶんたくさん水を飲んだ。

 飲みすぎの胃袋が梅雨ちかい空

 おべんとうひろげるまうへから陽がさす

・水もさつきのわいてあふれる

 女房に死なれて子を負うて暑い旅

 若竹がこまやかなかげをつくつてゐた

   黎々火居二句

 夜もふけた松があつて蘭の花

 盛花がおちてゐるコクトオ詩抄

  本日の所得

米 一升一合

銭 五十六銭

フクロウはうたふ、ボロキテホウコウ!


 六月五日


朝、黎々火君と散歩する、長府は気品のある地である、さすがに士族町である、朝早く、または月の夜逍遙遊するにふさはしい、しづかで、しんみりしてゐて、おちついた気分になる。

覚苑寺、功山寺、忌宮、等々のあたりをそゞろあるきする、青葉若葉、水色水声、あざやかでなつかしい。

心づくしの御馳走を遠慮なくよばれる、ひきとめられるのをふりきつてお暇した。

行乞米を下さいといつてお布施を下さる、写真をとつてもらふ、端書、巻煙草、電車切符を頂戴する、||何から何までありがたい。

黎々火居は家も人もみんなよかつた。

今日は陰暦の端午、柏餅、笹巻餅を味つた、草餅のかをり、それは遠い少年のかをり、伝統日本のかをりだ。

長府から下関へ電車、門司へ船、そしてまた電車でまつしぐらに戸畑へ。

入雲洞居はなつかしい、入雲洞君の飾らない厚意が身にしみる、酒はもとよりいはずもがな。

食後、市街を漫歩する、戸畑市の輪郭だけは解つたから、明日は行乞しようと思ふ。

昨夜も今夜も絹夜具、私にはもつたいないけれど、わざとだまつて寝させていたゞく。

 朝の山が朝の水に

・松が三本、国分寺跡といふ芋畑

 水音の山門をくゞる水音

 汐風つよくボートが塗りかへられる


 六月六日


病院出勤の入雲洞君といつしよに出発。

風雨が強くなつて行乞どころぢやない、一杯機嫌で八幡へ急いだ。

星城子居に星城子君はゐなかつた。||

さくらの木ばかりあんたはゐない

幸雄さんを訪ねる、私の好きな青年俳人である、こゝでもまた父君母君が酒をすゝめられる。

同道して鏡子居を驚かす、鏡子君はオナゴヤの主人であるがおもしろい人である、酒、ビール、サイダー、蕎麦。······

同業者井上さんのところでまた御馳走になる、鯛のあらひは格別おいしかつた、こゝで星城子君にあへたのはうれしかつた。

鏡子、幸雄、星城子、私の四人連で、電車に乗つて支那料理屋へいつた、チヤンチユウ、サントウカとなつてしまつて、宿屋へ送りこまれた。

風、風、人、人、煙、煙||私には山村がよい、庵がよい、||そして酒、酒。

  押売の押売

これは鏡子君の話、君の門柱には、物貰、押売謝絶の札がうつてマヽる、あれは或る日或る男がきて、無断でうちつけて、さて十銭ですといつたのださうな、||これこそ押売を排する押売だらう!


 六月七日


曇、終夜、障子がガタ/\鳴つてゐたことを覚えてゐる、あれだけ飲んでもこれだけ真面目だ、喜んでいゝかどうかはわからないが。

出勤前の星城子君来訪、幸雄さんはそれよりも早く見舞つてくれてゐる。

しみ/″\友情を感じる、道としての句作の力をひし/\感じる。

八幡は労働都市だけあつて、たべもの店が多くて安い、そこで私もサケとビールとシヨウチユウとのカクテルを飲んだ。

いそいで街を離れた、黒崎から左へ曲つてホツとした、人間的臭気の濃厚には堪へきれない私となつてゐた。

遠賀川の青草はよい、遊んでる牛もよい。

笠がやぶれた(緑平老の眼につくほど)。

香春岳は旅人の心をひきつける。

途中、木屋瀬を行乞する、五時前にはもう葉ざくらの緑平居に着いた。

月がボタ山のあなたからのぼつた、二人でしんみりと話しつゞける、葉ざくらがそよいでくれる。

彼の近状をこゝで聞き知つたのは意外だつた、彼が卒業して就職してゐるとはうれしい、幸あれ、||父でなくなつた父の情である。

・青葉へ無智な顔をさらして女

 ぽつきり折れてそよいでゐる竹で

・こゝから路は松風の一すぢ

 養老院の松風のよろしさ

・ともかくも麦はうれてゐる地平

 牛といつしよに寝て遊ぶ青い草

   緑平居

 葉ざくらとなつてまた逢つた

 ひさ/″\逢つてさくらんぼ

・がつちりと花を葉を持つて泰山木


 六月八日


名残惜しい別れ、緑平老よ、あんたのあたゝかさはやがてわたしのあたゝかさとなつてゐる。

晴れて暑い、行程六里、身心不調、疲労困憊、やうやくにして行橋の糀屋といふ木賃宿に泊つたが、こゝもよい宿だつた。

アルコールの力を借りて、ぐつすりと睡ることができた、そのアルコールは緑平老のなさけ。

  木屋瀬行乞

米弐合に銭弐拾銭

  行橋行乞

米四合に銭四十七銭


 六月九日


朝のうち行橋行乞、行乞相は当然よくなかつた。

小倉までよい道連れ||中年の商人||を得て助かつた、行程五里。

惣参居はおだやかな家庭である、お嬢さんが三味線の稽古をしてゐた、此一事にも惣参居士の心ばえがしのばれる。

二人で湯屋へ行く、湯の空色が気に入つた。

いつものやうに酒を十分いたゞく、お布施もいたゞく、御馳走はなかつたが、温情があまつた。

泊れといはれたが、お断りして安宿に泊つた、三角屋といつて、相客が多くてうるさかつたが、悪い宿ではなかつた。

今夜は飲みすぎた、酔ひすぎた。

小倉はさすがに昔からの城下町だけあつて、とゝなうておちついてゐる。

・かげは楠の若葉で寝ころぶ

・橋の下のすゞしさやいつかねむつてゐた

 わかれきて峠となればふりかへり

・風のてふてふのゆくへを見おくる

   仲哀洞道

 登りつめてトンネルの風

 落穂ひろうては鮮人のをとこをなご

・こゝろむなしく旅の煤ふる


 六月十日


今日も暑い、とても行乞なんか出来ない、電車で門司へ、なつかしい海峡をしたしい下関へ渡る、いつもの岩国屋へ泊る、可もなく不可もないといふところ、遠慮のないのが何よりである。

よう寝られた。


 六月十一日


すつかり夏景色夏心地だ、一刻も早く帰庵したい、そしてわがまゝきまゝなひとりになりたい。

長府まで電車、長府から小郡まで汽車、やれやれといふ気分だつた。······

八幡で四有三君、小城さん、下関で地橙孫君に逢へなかつたのは残念だつた。

||別事なし||出て歩いても、戻つて来てもこんな気がする。

||やつぱりひとりがよろしい||こんな句が出来る自分を再発見する。

||生死去来は生死去来に任す||どうやらこゝまで達したやうである。

[#改ページ]


 六月十一日 入梅。


三時帰庵した、歩けば二日の行程を汽車は二時間で運んでくれた(こゝで改めて、近代文化のありがたさ、金銭のありがたさを痛感した)。

私はぐつたりと疲れてゐた、帰るなり寝た。

△雑草、雑草、雑草に埋れた気分に浸つて。

飲みすぎたからでもあらう、年のせいでもあらう、暑いためでもあらう、||とにかく私は労れてゐた、そして何はなくとも、私は私の寝床に戻つて、安心して寝たのである!

庵はよいかな、さみしいけれどしづかだ、まづしくてもやすらかである。

夕方樹明来、お土産の雲丹||それが最小の一罎であることを許してくれたまへ||をおかずにして御飯をあげる、それから出かける、君が意気投合したといふ、そして私をよく知つてゐるといふ、新任校長Kさんを訪ねる、生憎差支があつて話にも、むろん酒にもならない、そこでSカフヱーへ、酔うて窟へ。||

よくなかつた、小脱線だつたけれど、久振のワヤだつたけれど、やつぱりよくなかつた。

・ひさ/″\もどれば筍によき/\


 六月十二日


朝寝した、樹明君が昨夜の動静を聞きに来た。

夾竹桃がもう咲いてゐる、南国の夏の花だ。

夜は庵で、私の酒をちよんびり飲んだ(樹明君といつしよに)、おだやかな酒だつた、さみしい酒だつた。

雷鳴、驟雨、梅雨らしい天候だつた。


 六月十三日


晴、今年は誰もがいふやうにカラツユかも知れない。

畑の手入。

苦もなく句もない、ノンキな一日だつた。

筍、螢、蛙。······

樹明君は腰が痛くて来られないさうで、原稿紙をくれといふ使が来た、胡瓜苗も送つてくれた。


 六月十四日


晴れたり曇つたり、私はゆつくり昼寝した。


 六月十五日


晴、草取デー。

樹明来、酒と肴とをおごつてくれた。

ほとんど徹夜して身辺を整理した、気分がさつぱりした。

・たれかこいこい螢がとびます

 さら/\青葉の明けてゆく風

・風は夜明けのランプまたたく

・こゝろすなほに御飯がふいた

 埃まみれで芽ぶく色ともなつてゐる(改作)


 六月十六日


昨夜の酒がこたえて胃が悪い。

行乞をやめて野菜の手入をする、樹明君が持つてきてくれた菊を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)したり、胡瓜の棚を拵らへたり。

・から梅雨の蟻の行列どこまでつづく

・朝風、胡瓜がしつかりつかんでゐる

 番茶濃きにもおばあさんのおもかげ

・柿の花のぽとりとひとりで

・てふてふうらからおもてへひらひら

 街が灯つた青葉を通して遠く近く

入浴して心気颯爽。

樹明君が胡瓜と着換とを持つて来庵、学校宿直を庵宿直にふりかへたといふ、飯がないから、といふよりも米がないから、F家へいつて五合借りる、醤油がないから酢だけで胡瓜なますをこしらへる、それでも二人でおいしく食べて、蚊帳の中でしんみり話した。

△新聞を配達して来ない、電燈料が払へなくて電燈をとりあげられたやうに、新聞代もたまつたので新聞もとりあげられたらしい、電燈の場合よりも、よりさみしい場合だ。

   改作二句

・月も水底に旅空がある

・まこと雨ふる筍のんびりと


 六月十六日[#「六月十六日」はママ]


晴、ちつとも梅雨らしくない、梅雨は梅雨らしければよいのに。

宿直した樹明君が帰つて行く、私は湯田行乞に出かける。

百足、蛇、蜂、蛞蝓、蝶、蚊、虻、蟻、そして人間!

胡瓜、胡瓜、胡瓜だつた、うますぎる、やすすぎる!

朝の道はよい、上郷の踏切番小屋から乞ひはじめる、田植がなつかしく眺められる、それはすでに年中行事の一つとしての趣味をなくしてゐるが、やはり日本伝統的のゆかしさがないことはない。

△畦の草をしいて食べる田植辨当はうまからう、私もその割子飯の御馳走になりたいな、土落しによんでくれるうちはないかな。

椹野川の瀬音、土手のさくらんぼ。

夕凪の浅瀬を泳ぐのは鮎か鮠か、負うた子にとつてやる月草のやさしい心。

十一時から二時まで行乞、行乞相はわるくなかつた。

戻つたのが五時過ぎ。||

暑くるしい塵がたまつて出たときのまま

だつた、破れた人生の、捨てられた姿だ。

飯は貰うて食べる、煙草は拾うて吸ふ、生きてゐるのでなくて生かされてゐるのである。

△自然的には生かされてゐる人間であるが、社会的には生きてゐなければならない、虫に生存があつて人間に生活がある所以だ。

△風の如く来り風の如く去る、水の如く雲の如く。

  今日の行乞所得

米 一升四合    銭 弐十七銭

  今日の買物

一金四銭 たばこ    一金四銭 古雑誌

一金三銭 はがき    一金五銭 しようゆ

一金十銭 しようちゆう

これで二三日は死なゝいですみます!

 山は青葉して招魂碑いよ/\白し

・水車ふむほどに太陽のぼるほどに

 空が人が田植はじまつてゐる

・なんできたかよ蛇のすずしい眼

 みんな留守で燕だけ

・兄がもげば妹がひらふさくらんぼ

    □

・なにかそこらで燃えてゐる音の夕凪

 ふくらうがよびかける声をきいてゐる

・青葉や青空や大きな胃袋を持つて歩く

・ひとりとなればひとりごと

・あれは竹の皮が落ちる夜の声


 六月十八日


晴、めづらしく小鳥が来て啼く、しづかな明け暮れ。

休養読書。

枇杷の実がつぶらに色づいてきた、Jさんの子供たちが来てよろこんでうまさうに、もいではたべる、たべてはもぐ。

・ほつかり朝月のある風景がから梅雨

 夕闇の筍ぽき/\ぬいていつたよ

   旧作再録

 ぢつとたんぽぽのちる

 やつぱり一人がよろしい雑草

 どうにもならない矛盾が炎天

 線路まつすぐヤレコノドツコイシヨ

 焼跡なにか咲いてゐる方へ

 埃まみれで芽ぶいたか

 送電塔が青葉ふかくも澄んだ空

 やつと芽がでたこれこそ大根

 すずめおどるやたんぽぽちるや

 暮れてつかれてそらまめの花とな


 六月十九日


ずゐぶん早く起きた、暁天の蛙声はよかつた、ほつかりと朝月があつて空梅雨、何となくニヒリスチツクな風景。

行乞は気分がふさぐから止めにして庵中閑打坐。

すこし梅雨らしく曇つては見せるが、なか/\降つてくれない。

食べる事、そして寝る事をのぞいて、他に何事が私に残つてゐるか!

Jさんが唐辛を持つてきてくれた、何よりの贈物だ。

一杯やりたい慾望、性慾のなくなつた安静。

私の生活もいよ/\単純、簡素、枯淡になつた、これで追想や空想や妄想がなくなると申分ないのだが。

蚯蚓のやうに、土のやすけさを味へ。

野菜に水をやる、雨||自然の偉大を考へさせられる、今更のやうに。

夜、樹明君が袖に螢を一匹つけて来た、どうしても来ずにはゐられないから来たといふ、何といふうれしい言葉だらう。

きりぎりすが鳴きはじめた。

・朝露しとゞ、行きたい方へ行く

・これでもわたしの胡瓜としそよいでゐる

・菜も草も朝はよいかなそよいでゐる

・窓へ筍伸びきつた

・蜂がとんぼが通りぬけるわたしは閑打坐

 どうやら雨となりさうな蛙のコーラス

 青葉まぶしく掌をひらく

 飯の煮えてきた音のしづけさで

・夕あかりの枇杷の実のうれて鈴なり

・酒がほしいゆふべのさみだれてくれ

・何やらたたく音の暮れがてに

・夜ふけて落ちる木の葉の声は柿の葉

・夜明けの月があるきりぎりす


 六月廿日


早すぎるほど早く起きて仕度をした、すつかり片づけて、伊佐地方を行乞すべく出かけた、五時頃だつたらう。

裏山の狐が久しぶりに鳴くのを聞いた。


 六月廿日

       行乞記

 六月廿一日






底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店


   1986(昭和61)年11月30日第1刷発行

入力:小林繁雄

校正:仙酔ゑびす

2009年1月15日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。





●表記について