私達が北満洲に行つた時の話ですが、あのセミヨノフ将軍の没落した後のロシアの避難民のさまは悲惨を極めたものだつたさうです。何でもハルビンも危険だといふので、手に手を取つて松花江の氷の上をわたつて、陸続として長春から
私達を乗せて吉林のあちこちを見物させて呉れた馬車の馭者をしてゐた男も、その避難民の一人で、何でもセミヨノフ将軍づきの騎兵大尉だつたといふことでしたと公署の役人の一人は言ひました。
『だから、先生、馬を取扱ふことは名人です······、何と言つてもコザツクの馬を平生取扱つてゐましたから······。さうです、先生達困つてゐるんです。公署で、食はせて十八円でつかつてゐるんですから······』
『十八円!』
私達はその金の額に由つても、いかにさういふロシア人達の困つてゐるかゞわかるやうな気がしました。吉林では私はことにさういふ多くの人を見ました。ツルゲネフの小説の中にでも出て来るやうな人達。髪を箒のやうにして、破れた帽子一つ被らずに、ぼろ/\になつた服を着て歩いてゐる背の高い人達。大きな包を負つてやつと歩けるくらゐな子供を伴れてゐる女達。ハルビンでは、いくら避難民でもまだ
『あれで、あゝいふ人達も、皆な身分のあるやうな人なんですから······』
一緒に長春からやつて来たIさんは言ひました。
『内部をきいて見ると、随分惨めださうです。それに、支那人が狡いですから、かなりひどい眼に逢つてゐるらしいです。ロシア避難民救護本部などと言つて、表面だけは非常に世話をしてゐるやうに見せかけてゐますけれども、支那人は随分ひどいことをしてゐるさうですから······』
『さうでせうな』
Iさんも心から同情するやうに言つた。
『何しろ、去年の冬は、惨憺たるものでした。スンガリイの氷の上を隊を成してわたつて歩いて来たんですから······』
『あなたはその時ゐましたか?』
『いや、私は春になつてから此方へ来たんですけれども、公署でも見たものが沢山あります。靴も破れて
『ふむ||』
私達はかう言つて、その時のさま||
松花江の流が遠い支那の奥地から来て、龍潭山の麓を繞つて、それからずつと吉林の市街の瓦甍を取巻いて、帯のやうに美しく流れてゐるさまが、北山公園の上から手に取るやうに眺められるのでした。そしてその下流は、長白山脈を右にした、襞の多い、皺の多い山地の中へと
『ハルビンのあるところまで、この川に添つて下れば、余程ありますかね?』
『かなりありますね。三四十里、もつとありますかね?』
これはIさんだ。
『もつとありませうよ。陸地で真直に行つてもそれぐらゐあるんですから······。川が非常に曲つてゐますから······』
『さうですか? 曲つてゐますか』
口へは出して言はなかつたけれども、誰の心にもその川の氷の上をジプシイのやうにしてわたつて来たロシア避難民のことが思はれたのでした。母親は子を負ひ、息子は老いた親の手を取つて、破れた靴で、またはその靴もなしに韈だけで、三日も四日もその氷の上をわたつて来たといふその人達のことが||。
『向う側に行つて見ますか?』
川に添つた公署で休憩してゐた時、かうIさんが言ひました。
『さうですな。厄介ぢやないんですか?』
私が言ひますと、
『ちつとも······。ねえ、君』向うに椅子に腰かけてゐる若い公署長心得の方を向いて、『舟はいくらもあるね?』
『あるとも······すぐ支度させます』ちよつとそこにゐた役員に目配せしましたが、その役員の立つて行くのを見送つてから、
『でも、行つても別に面白いこともないでせうけども······』
『でも、まだいくらかゐるにはゐるだらう?』
『避難民かね?』
若い公署長心得はIさんの方を見ました。すぐ言葉をついで、
『もう、大分ゐなくなつたね。もう沢山はゐないよ』
『でも、Tさんなんか御覧になつて置く方が好う御座んすよ。······何かの参考になるかも知れない』Iさんはかう言つて私の方を見ました。
舟の用意は手間を取りませんでした。そのまゝ私達は川の岸へと下りて行きました。そこには舟はあつたにはあつたが、何んな舟があつたと思ふ。あのアイヌのカノオを思ひ出させるやうな舟。細くつて長い/\舟。おとなしく真中に
『ほ、成ほど、ロシア人がゐるね?』
『あれが避難民だね?』
『女なんかもゐるぢやないか』
やがてかういふ言葉が私達の口に上りました。岸には午後の日の当つた疎らな林がをり/\バラツクを点綴させて連つてゐました。藪だの萱原だのが次第にはつきりして来ました。
成ほど多くは残つてゐませんでしたけれども、それでもそこに一つ、
『あいつ等、
かうIさんが言ひました。
『あゝ、もう三分一も残つてゐない』これは公署の役人でした。
公署の役人の話では、冬中は尠くともそこらだけでも二三百家族は住まつてゐたといふことでした。よく焚火などをしてゐたといふことでした。『何しろ、避難民と言つても、身分がある人が多かつたですから、一層気の毒でしたよ。帝政時代には貴族だつたといふ人の家族なども幾人か来てゐました。軍人なども随分ゐましたよ。何うも、人間といふものも、国があんな風になるとあゝも落ちぶれるものかと思ふと、日本なんか難有いと思ひましたよ。日本の国民は、何処に行つたつて、まだあんな惨めな目には逢つてゐませんからね』こんなことを話しながら、その役人達は、林から林へと縫つて建てられてあるバラツクの方へと私達を伴れて行きました。
女達や男達が大勢そこらに出てゐました。窓から首を出してゐる女もあれば、犬を伴れてゐる男の児もありました。大抵は
私には遠い昔の移住民のさまでも眼にしたやうに思はれました。エジプトとかベネチヤとかいふ漂浪者の群のやうにも。またはトロバアドルの取残された民族のやうにも。その癖、さういふ人達は、避難の中にありながらも、出来るだけのことをしたいといふやうに、草色に、または白色に、樺色に
皆なは川の岸近くに留つて、さう深くは入つて来ませんでしたが、私とIさんとは、成るたけ詳しくそれを見たいと思つたので、ずつと奥の方まで行つて見ました。
そこで私はその少女を見たのです。その美しい少女を。美しい眼を持ち、綺麗な顔をしてゐた少女を。さうした辛酸の中にゐながらも少しも面やつれもせずに輝くやうに美しかつた少女を。
その少女は小さな窓から顔を出してゐました。
Iさんが急に立留りました。
『ほ||』
『··················?』
私は通り過ぎたのをまた二三歩戻つて来ました。
『ほ、綺麗な子がゐるぢやありませんか?』
さう言はれた時には、私の眼にもその美しい少女の顔は映つてゐました。
『本当ですね』
『何うです? あの眼は?』
『本当に||』
『マドンナのやうぢやありませんか。ふむ||』I君は烈しく打たれたといふやうにぢつと立尽して、『こんな美しい子は見たことはありませんよ』
かう言ひながら、I君はずつとその小窓の方へと近寄つて行きました。それを見ても、その少女は別に恐れるといふでもなく、人見知りをするでもなく、いくらか微笑を含んで、ぢつと此方を、日本人をなつかしむといふやうにして眺めてゐるのを私達は見ました。
I君はいくらかロシア語が出来るので、その傍に寄つて、何か頻りに二言三言言つてゐましたが、やがて此方へと戻つて来ました。
『何うしました||』
『本当に美しい子だな||』I君は猶ほ残り惜しいといふやうに振返りながら、『こんなところにあんな美があらうとは思ひもかけませんでしたね。全くマドンナだ! 君、こゝからかうしてあの窓を見た形は、全く名画中のものですね。何処かにさういふ絵がありはしませんでしたかね』
『本当ですね』
私も振返りました。二三歩歩いて、
『それで何んて云つてゐました』
『唯、名をきいただけです······、Susana つていふんださうです』
『スザナ! 好い名ですね』
私はまた振返つて見ました。私はその後あちこちを旅し、支那にも行けば、朝鮮にも行きましたが、さうした艱難を背景にしたその少女の姿は、いつまでも私の眼の中に刻まれてはつきりと残つてゐました。Susana ||私は今でもさう言つて呼びかけたいくらゐです。