矢張心理の縦断が行はれてゐるのだから面白い。ロシアの革命思想は元はドイツが本家であつて、それをレニンやトロツキイが持つて行つてやつたのであつたが、それが的確にドイツに戻つて来たのである。
民本主義は各自の覚醒から来たものでなければ本当ではない。現今の世界の傾向は面白いけれど、その覚醒が果して何の位まで本当であるかゞちよつと解らない。思想の傾向だけにつれて単に狂奔してゐるやうな処が大分見えるやうだが、それでは矢張単に多数政治になつて了ふ恐れがある。心からの覚醒、心からの理解が欲しい。
自己を打立てるといふことは、自己を完全に空間に浮べることである。あらゆる他を包容した自然を生命の潮流の中に浮ばせることである。主観、客観の完全なる合一を表現することである。金剛不壊なる中心をつかむことである。
長いものには巻かれろではあるが、また止むを得ず巻かれるのではあるが、しかし自己も完全な自然である以上、他を包容した小宇宙である以上、言ふべきことは言ひ、主張すべきことは主張すべきである。その容れられると容れられないとを問はず、また勝つと敗けるとを問はず、成功すると成功せざるとを問はず······。何故なら、完全なる自然で自己がある以上、それはいつか心理の縦断となつてあらはれて来るからである。曾つて敗けたと思つたことが却つて勝つた形にひとり手になつて来るからである。
ある人が私に訊いた。
『お前は何故そのやうに拙いのに書を書くのか。字はまだなつてゐないぢやないか。崩し方なども一つもわかつてゐないぢやないか······。よくきまりがわるくないな』
私は答へた。
『きまりなんかひとつもわるくない。またその巧い拙いを問はない。何故なら、これでも一箇の存在であるからである。好いも悪いも、巧いも拙いも皆そこにあるからである。私があるからである。他であり得ない私があるからである。拙いと思つたものは捨てるが好い。つまらないと思つたものは顧みないが好い。私の存在はそんなことには頓着してゐない』
その人は又言つた。
『しかし、世間には巧いものと拙いものとがある。そして巧いものは拙いものよりも好い。拙いものは巧いものよりも価値がない。その標準をそれでは何うするか?』
私は答へた。
『その価値の標準は世間の標準だ。世をかねてゐるものの標準だ。根本には拙い巧いといふことはない筈だ。拙いものも決して拙いばかりではない。巧いものは決して巧いものばかりではない。存在の価値はさうした世間乃至時代の標準などで何うにでもなるものではないと私は思ふ』
またその人は言つた。
『では、さういふ標準がないなら、何処から、努力、勉励、向上などといふ形を持つて来るのか』
私は答へた。
『それは自己から、自己の存在から······。それは決して世間の相場と言つたやうなものから来るものではない。それは存在からひとり手に湧いて来るものでなければ決して本当のではない』
巧くならうとする要求であつてはならない。いかに表現すべきか、いかに存在を表現すべきか、唯、それのみでなければならない。
単なる Ich-Roman と、芸術化された Ich-Roman との間に横はる微妙な一枚の膜、それを突破するのが容易でないのを私は真に感ずる。人の書いたものにも、自分の書いたものにも······。葛西善蔵氏の『遁走』はもはやその単なる Ich-Roman ではなかつた。
魂を披瀝せよ。唯、魂を披瀝せよ。誰がそれに対して冷かな笑を注ぐことが出来やう。強いて一度は冷かな笑を湛え得たにしても、それは
私はある青年に言つた。『芸術は自己の内部の要求に由つて書くのである。世間のために書くのではない。唯、自分が書きたいから書くのだ。世間に見られ、批評され、或は崇拝され、或は非難され、或は人間を感化する傑作と云はれ、或は世間を毒する作と言はれても、それは実は作者の
作者の内部の苦しんだものだけそれだけすぐれた作品を私は見るけれども、しかしわざと苦しむことは避けなければならない。作者の苦痛にも
疲れた時は休むに限る。その休むのも寝るのに限る。
世間のために書くといふよりも、人間のために書くといふ方が一層本当であるが、人間のために書くといふよりも、自己の為めに書くといふ方が更に更に一層本当であるのを私は思ふ。
死んで追悼号を出されたところで為方がない。その追悼号も七十五日経てば忘れられて了ふ。かういふ風にちよつとは皮肉的に考へられんことはないが、しかしそれですましては置けない。何故なら、自分達にもさうした運命は来るのだから、従つてさうした皮肉な見方はまた本当ではない。矢張第三者の噂だといふやうなところがある。
去年の春は忙しかつた。『再び草の野に』の他に『弓子』を書いてゐる。『白い鳥』を書いてゐる。殊に、『弓子』に試みた心理描写が非常に難かしくて困つた。何うしてこんな難境に手をつけたかと思つた。自分には確かに重荷にすぎたと思つた。
窓に移る樹の影に親しみながら暮してゐるやうな私の生活だ。いつも午前の七時には、机に向うが、その時には、まだその影が映つて来ない。ところがそれが三四枚も書く中には次第にはつきりと窓にその影をあらはして来る。午前の日影は明るく暖かくなつて来る。やがてそれが次第に窓に一杯に溢れるやうにさして来る。そして日影の移るにつれて、次第に左へ左へと消えて行つて了ふ。その影の八分通消えて了ふ頃は丁度十一時半位だ。で、筆を措いて、茶の間に行つて飯を食ふ。一時間ほどして戻つて来ると、今度は家根を越した向ふの大きな樹の影が映つて来る。右の窓にも日が指す。その時分が一番コンフオタブルな時間だ。やがて労れて寝る。起きる時分には、もう樹の影がその窓にも南の窓にもなくなつて了つてゐる。
この頃は、旅に出る暇もなく忙しく暮してゐる。それがさびしい。
死の近寄つて来るといふ感じはいやなものだ。抱月君の不意の死では、大分さうした感じに襲はれた。もう自分などは死んでも不思議はないやうな気がした。しかし、正宗君もよく言ふやうに、死ぬのは為方がないが、死ぬ時だけは苦痛なしに死にたいと思ふ。心臓麻痺なども医者にきくとかなりに苦しいらしいといふ。寝てゐられなくつて、立つて歩くやうなものだといふ。何うかして、さういふ苦しみはしたくない。しかし、抱月君の場合のやうに、さういふ時は医者は注射をして呉れるに相違ないから好いと思つた。