私は
今上醍醐の山坊で、
非時の
饗応をうけてゐる。
坊は
谿間の崖に臨むで建てかけた
新建で、崖の中程からによつきりと
起きあがつて、
欄干の前でぱつと両手を
拡げたやうな
楓の古木がある。こんもりとした其の枝を通して、
段々下りの
谿底に、
蹲踞むだやうな寺の建物が見え、其の屋根を見渡しに、ずつと向うの
山根に
小ぽけな田舎家が
零れたやうに
散ばつてゐて、
那様土地にも人が住むでゐるのかと思はしめる。
吸物の
蓋を取ると走りの
松蕈で、
芳ばしい匂がぷんと鼻に
応へる。
給持の
役僧は『
如何だ』といつた風に眼で笑つて、
然して
恁う
言つた。
「
折角の
御越やさかい、
山中捜しましたが
唯一
本ほか
見附りまへなんので、
甚い
鈍な
事とす」
楓の枝に
松潜りに似た小さな鳥が飛んで来て、そそくさと
樹肌を
喙いてゐたが、
夫も
飽いたといつた風に、ひよいと
此方向に向き直つて、珍らしさうにきよろづきながら唖のやうに黙りこくつてゐる。
茸を噛むと秋の
香が
齦に沁むやうな気持がする。味覚の発達した今の人の物を喰べるのは、其の持前の味以外に色を食べ
香気を食べまた
趣致を食べるので、早い
談話が
蔓茘枝を
嗜くといふ人はあくどい
其色をも食べるので。
海鼠を好むといふ人は、
俗離れのした其の
趣をも食べるのである。
香気にしてからが
然うで、
石花菜を食べるのは、海の匂を味はひ、
香魚を食べるのは
淡水の匂を味はふので、今
恁うして茸を食べるのは、
軈てまた山の匂を味はふのである。山も此頃のは、
下湿りのした冷たい土の
香である。
這麼事を考へながら茸を味つてゐると、今日
此頃ついぞ物を味ひしめるといふ程の
余裕が無くなつてゐたのに気が付いた。
唯既う
口腹の
慾を
充たすといふのみで、
甚麼物も皆同じ様に
掻き
込んでぐつと
嚥み
下すに過ぎなかつた。若し
偶然して
韲物の中に
胡桃の
殻でも
交つて
居らうなら、私は何の気もつかずに、夫をもつい
噛み割つたかも知れぬ。私達の味覚は嗅覚だの聴覚だのと一緒に
漸次と
繊細に緻密になつて来たに相違ないが、其の一面にはお互の生活に殆ど
緩り物を味ふといふ程の
余裕が無くなつて、どうかすると
刺戟性のもので、
額安に、手取早く味覚の満足を
購ふといつた風になり勝なので、感覚の
敏さが
段々と
弛んで、
終ひには
痺れかゝつて来るのではあるまいか。
然うすると私達も、いつかは茸のやうな
這麼仄かな風味に
舌鼓を打つ興味に感じなくなつて
了ふかも知れぬ。
吸物は
吸ひ尽した。小僧は『お
代りを』といつて、塗の剥げた盃をさしつけた。
松潜りは
既う
楓の枝に居らぬ。十二
番の
岩間寺へ
越す巡礼の者であらう、
睡いやうな
御咏歌の
節が
山越に響いて、それもつい
聞えなくなつて了つた。