野尻精一氏は奈良女子高等師範の校長である。東京にゐる頃にはさうも思はなかつたが、住むでみると奈良は
野尻氏は
「や、月が出てゐる。ちやうど十五夜だな。」
と、立ちとまつて
野尻氏はチウイング・ガムを
「天 の原ふりさけ見れば
春日なる
三笠の山に
出でし月かも」
春日なる
三笠の山に
出でし月かも」
いい歌だ、いい歌が出来たものだと思つて、今一度よみかへしてみると、それは自分の歌ではなく、百人一首に出てゐる名高い安部仲麿の作だつた。
野尻氏はその歌を繰りかへしながら、じつと空を見てゐると、肝腎の珈琲皿のやうなお月様が三笠の山の上に出てゐない事に気がついた。
「をかしいね。三笠の山に出でし月かもといふからには、ちやんと三笠山のてつぺんに出なければならぬ筈ぢやないか。それにあんな方角から出るなんて。」
実際野尻氏の立つてゐる所から見ると、月は飛んでもない方角から出てゐた。三笠山は何か
それから
「やつぱり間違だ。仲麿め、いい加減な
野尻氏は自分のやうな眼はしの利く批評家に出会つたら、仲麿もみじめなものだと思つて得意さうに微笑した。そして会ふ人ごとにそれを話した。すると大抵の人は、
「なる程な。」
と言つて感心したやうに首を
野尻氏に教へる。それは月が年が寄つたので、月も年がよると変な事になるものなのだ。ちやうど人のやうに······。