前号に細川護立侯のことを書いたから、
幽斎が頓才があつて、歌の
「細川二つちよつと出にけり」
といつて、ちよつかいを出された。
すると、幽斎は即座に、
「御所車通りしあとに時雨して」
とつけたので、烏丸殿も感心するよりほかには言葉がなかつたさうだ。その日、幽斎が
「細川殿、たつた今一首所望いたす。」
と浴びせかけたものだ。すると、幽斎は腰を
「こんと突くころりと転ぶ幽斎が
いつの間よりか歌をよむべき」
とうたつたので、
また、ある大名が幽斎を困らさうと思つて、どうぞ歌一首のうちに「ひ」の字を十入れて作つてみてほしいと、難題をいひ出した。幽斎はちよつと思案をしたが、こんな手品師のやうなことは
「日の本の肥後の火川の火打石
日日にひとふた拾ふ人人」
と詠んでみせた。大名はこりずにまた難題を出して、今度は歌一首のなかに「木」を十本詠み込んでみせてほしいといひ出した。箱庭作りのやうに器用な幽斎は、何の雑作もなく、
「かならずと契りし君が来まさぬに
強ひて待つ夜の過ぎ行くは憂し」
と、有り合はせの
歌の話が出たから、これは幽斎のではないが、今一つ歌の話をつけ加へよう。連歌師の山崎宗鑑がある時さるお公家さまを訪ねたことがあつた。公家は宗鑑に、自分は近頃えらい発明をした、それは歌のどんな
「といふ歌はむかしなりけり」
といふのだと答へた。宗鑑は鼻の上に皺をよせて笑つた。
「御前、これはやつぱりお公家さまのお詠みになつた下の句でございますね。私共の方ではちと趣向が違ひまして、かういふ下の句をつけます。」
といつて「それにつけても金の欲しさよ」といふ句を書いてみせた。公家はそれを口の中でよんでみて、そしてそれを自分の知つてゐる古今集や百人一首のいろんな歌にくつゝけてみた。ところが妙なことには、この下の句はどの歌にもよくついて、少しも縫目がみえなかつた。
「······それにつけても金の欲しさよ。」
実際よくつくと思はれたのに不思議はなかつた。そのお公家さんは、貧乏な宗鑑と同じやうに金が欲しくて仕方がなかつたのだから。
今一つそんな話をつけ足させてもらはう。||こなひだの欧洲戦役の当時、ある英国の軍医が、アメリカの野戦病院を見舞つたものだ。すると、泣き
「何か御用はないかな、あつたら何でも伺ふよ。」
軍医は患者の顔を覗き込むやうにして言つた。
「有り難う。是非伺ひたいことがあるんですが、······」傷病兵は相変らずにこにこしながら言つた。「あなたならきつと教へて下さるでせうよ。」
「伺はうぢやないか。言つて御覧。」
軍医は短い口髯を引つ張つた。それを横目に見ながら、病人は口早に次のやうにまくし立てた。
“Well, doctor, when one doctor doctors another doctor, does the doctor doing the doctoring doctor the other doctor like the doctor wants to be doctored, or does the doctor doing the doctoring doctor the other doctor like the doctor doing the doctoring wants to doctor him?”