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飲酒家

薄田泣菫




 片山国嘉くにか博士が名代の禁酒論者であるのは知らぬ者はない。博士の説によると、不良少年、白痴、巾着切······などいふてあひは、大抵酒飲みの子に生れるもので、世間に酒が無かつたら、天国はつい手のとゞきさうなところまで引張り寄せる事が出来るらしい。

 尤も亡くなつた上田敏博士などは、酒が肉体からだによくないのは判つてゐる。だが、素敵に精神の助けになるのは争はれない。自分は肉体と精神と孰方どちらを愛するかといへば、言ふ迄もなく精神を愛するから酒はめられないと口癖のやうに言つてゐた。

 その禁酒論者の片山博士の子息むすこに、医学士の国幸くにゆき氏がある。阿父おとつさんとは打つて変つた酒飲みで、酒さへあれば、天国などは質に入れてもいといふたちで毎日浴びる程酒を飲んでは太平楽を言つてゐた。

 阿父さんの博士もこれには閉口したらしかつたが、それでも、

「俺は俺、忰は忰さ。忰が一人酒を飲んだところで、俺が禁酒会員を二人こさへたら填合うめあはせはつく筈だ。」

絶念あきらめをつけて、せつせと禁酒の伝道を怠らなかつた。

 ところがその国幸医学士がこの頃になつてばつたり酒を止めて一向盃を手に取らうとしない。飲み友達がうしたのだと訊くと、宣教師のやうな青い顔をして、

「第一酒は身体によくないからね。それから······

と何だか言ひ渋るのを、

「それから······何うしたんだね。」

と畳みかけると医学士は軒の鳩ぽつぽや「世間」に立聞きされない様に急に声を低めて、

「あゝして親爺が禁酒論者なのに、忰の僕が飲んだくれぢや世間体が悪いからね。」

ひど悄気しよげてゐたさうだ。

 禁酒論者へ報告する。まんざら捨てたものではない。酒飲みからも、国幸医学士のやうなかうした孝行者も出る世の中だ。






底本:「日本の名随筆66 酔」作品社

   1988(昭和63)年4月25日第1刷発行

   1996(平成8)年2月29日第11刷発行

底本の親本:「完本 茶話 上巻」冨山房

   1983(昭和58)年11月発行

※表題は底本では、「飲酒家さけのみ」となっています。

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2014年7月16日作成

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