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二人の女歌人

片山廣子




 小野小町は小野の篁の孫で、父は出羽守良真とも伝へられ、仁明、文徳、清和の頃の人と思はれるが、生死の年月もはつきり分らず、伝説は伝説を生み、今の私たちには彼女が美しかつたといふ事と、すぐれた歌人であつたといふことだけしか伝はらない。久しぶりにこの頃小町の歌を読みかへす機会があつたが、時代のずれといふやうなものを少しも感じないで読んだ。現代の歌は心理的にかたむいて私にはだんだんむづかしくなつて来てゐる時、むかし私が「歌」と教へられてゐたさういふ歌にまたもう一度めぐり会つたやうな感じであつた。彼女の家集の歌はさう沢山はないけれど、すこし抜いてみよう。


花の色はうつりにけりな徒らにわが身世にふるながめせしまに

山里のあれたる宿を照らしつつ幾夜へぬらむ秋の月影

思ひつつればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを

うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき

いとせめて恋しき時はうばたまのよるの衣をかへしてぞきる

夢路には足もやすめず通へどもうつつにひと目見しごとはあらず

岩の上にたび寝をすればいとさむし苔の衣を吾にかさなむ

わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ

日ぐらしの鳴くやま里のゆふぐれは風よりほかに訪ふ人もなし

木枯の風にもみぢて人知れずうき言の葉のつもる頃かな

ちはやふる神も見まさば立ちさわぎ天の門川とがは桶口ひぐち[#「桶口ひぐち」はママ]あけたまへ

卯の花の咲ける垣根に時ならでわがごとぞ鳴く鶯の声

あるはなくなきは数そふ世の中にあはれいづれの日までなげかむ

はかなくて雲となりぬるものならば霞まむ方をあはれとも見よ

吹きむすぶ風は昔の秋ながらありしにも似ぬ袖の露かな

ながめつつ過ぐる月日も知らぬまに秋の景色になりにけるかな

春の日の浦々ごとに出でて見よ何わざしてか海人あまは過ぐすと

木の間よりもり来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり

あはれてふ言こそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ

あはれなりわが身のはてや浅みどりつひには野辺の霞とおもへば

「浅みどり······」のこの歌はたくましい。彼女がふるさとのみちのくまで帰つてゆく途中で死んだといふ伝説も本当であつたやうな気がする、このたくましさは少し位のことで弱りはしない、行くところまで行かうとしたのであらう。昔の秀れた女たち、小野小町、和泉式部、式子内親王、それからわれわれの時代に生きた與謝野[#「與謝野」は底本では「輿謝野」]晶子。かれらはするどい才智とたくましい心を歌に投げ入れて生きてゐたのであつた。

 晶子の歌集を全部大森の家に置いて来たので、私の手もとには遺稿の「白桜集」だけしかないけれど、今その内から少し抜いて、千年か二千年に稀にうまれ出るすぐれた歌人たちの心に触れて見よう。ふしぎにも「白桜集」の歌は若かつた日の彼女の歌とは異つたものを伝へる。

一人出で一人帰りて夜の泣かる都の西の杉並の町

青空のもとに楓のひろがりて君なき夏の初まれるかな

君がある西の方よりしみじみと憐れむごとく夕日さす時

心病み都の中を寂しとし旅の野山を寂しとすわれ

木の葉舞ふ足柄山に入りぬべくわれまたも出づ都のそとに

われにのみ吾嬬川あがつまがはをわたる日の廻り来れども君あづからず

音もなく山より山に霧移るかかるさまにも終りたまへる

遠く見て泡の続くに過ぎざれど君も越えつる江の島の橋

わが背子の喪を発したる日の如く網引く人のつづきくるかな

近づかば消えて跡なくなりぬべき伊豆こそ浮べ海の霞に

危さは三笠湯川の吊橋とことならぬ世に残されて生く

霧来り霧の去る間にくらべては久しかりきな君と見し世も

やうやくにこの世かかりと我れ知りて冬柏院に香たてまつる

雨去りてまた水の音あらはるるしづかなる世の山の秋かな

わが越ゆる古街道の和田峠ときあたらしき白樺しげる

黒猫が子の黒きをば伴ひて並木に遊ぶみづうみの岸

源氏をば一人となりて後に書く紫女年わかくわれは然らず

(越後長岡に遊んだ時の歌)

わが車千里の雪をつらぬきて進める日さへ心あがらず

川ありてこし深雪みゆき断面だんめんのうらめづらしさ極りにけり

信濃川踏むべからざる大道を越路こしぢの原の白雪に置く

「紫女年若くわれは然らず」の一首の悲しみは彼女一生のあひだに詠んだといはれる数万首の歌の中にもほかには見出されまいと思はれる。天才と意欲に満ちた彼女が一人となつて老を感じたのであつた。それは私たち誰でもが感じる老とは異つたものである。

(ほかの女歌人たちがみんな伝説であるのに、私のために與謝野晶子だけは伝説ではない。私の姪が彼女の学校に在学してゐたから、私は父兄の一人で、その私に彼女はいつも率直に物を言はれた。師と弟子の間柄ではなく、友人ではなく、社交の仲間でもなく、あつさりと親切に、ごく普通の話をされた。こだはりのない若々しい勇敢な彼女を知つてゐて、この悲しみの一首を読むことは堪へがたい気持がする。)さて私はこの国に曾て生き、そして死んだ二人の女歌人の歌を比べるためでなく、ただ好ましさに書き並べてみたのである。何時この世に送られるか分らない天才は又いつかは生れて来るだらう、その日は遠くても近くても。






底本:「燈火節」月曜社


   2004(平成16)年11月30日第1刷発行

底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社

   1953(昭和28)年6月

入力:竹内美佐子

校正:林 幸雄

2009年8月17日作成

2009年10月10日修正

青空文庫作成ファイル:

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