熊本の徳富君猪一郎、さきに一書を著わし、題して『将来の日本』という。活版世に行なわれ、いくばくもなく売り尽くす。まさにまた版行せんとし、来たりて余の序を請う。受けてこれを読むに、けだし近時英国の
碩学スペンサー氏の万物の追世化成の説を祖述し、さらに創意発明するところあり。よってもってわが
邦の制度文物、異日必ずまさになるべき云々の状を論ず。すこぶる精微を極め、文辞また
婉宕なり。大いに世の
佶屈難句なる者と科を異にし、読者をして覚えず快を称さしむ。君
齢わずかに二十四、五。しかるに学殖の
富衍なる、老師宿儒もいまだ及ぶに易からざるところのものあり。まことに畏敬すべきなり。およそ人の文辞に序する者、心誠これを
善め、また必ず
揚※[#「てへん+霍」、63-下-14]をなすべきあり。しからずんば、いたずらに筆を
援りて賛美の語を

べ、もって責めを
塞ぐ。
輓近の文士往々にしてしかり。これ
直諛なるのみ。余のはなはだ取らざるところなり。これをもって来たり請う者あるごとにおおむねみな辞して応ぜず。今徳富君の業を
誦むに及んで感歎
措くことあたわず。破格の一言をなさざるを得ず。すなわちこれを書し、もってこれを
還す。
明治二十年一月中旬
高知 中江篤介 撰