癩病やみの話
RECIT DU LEPREUX
マルセル・シュヲブ Marcel Schwob
上田敏訳
あたしの
申上げる
事を
合点なさりたくば、まづ、ひとつかういふ
事を
御承知願ひたい。
白の
頭巾に
頭を
裹んで、
堅い
木札をかた、かた、いはせる
奴めで
御座るぞ。
顔は
今どんなだか
知らぬ。
手を
見ると
竦とする。
鱗のある
鉛色の
生物のやうに、
眼の
前にそれが
動いてゐる。
噫、
切つて
了ひたい。
此手の
触つた
所も
忌はしい。
紅い
木の
実を
摘取ると、すぐそれが
汚れて
了ひ、ちよいと
草木の
根を
穿つても、この
手が
付くと
凋んでゆく。「
世の
人々の
御主よ、われをも
拯け
給へ。」
此世の
御扶も
蒼白いこのわが
罪業は
贖ひ
給はなかつた。わが
身は
甦生の
日まで
忘られてゐる。
冷たい
月の
光に
射されて、
人目に
掛らぬ
石の
中に
封込められた
蟾蜍の
如く、わが
身は
醜い
鉱皮の
下に
押し
籠められてゐる
時、ほかの
人たちは
清浄な
肉身で
上天するのだらう。「
世の
人々の
御主よ、われをも
罪無くなし
給へ、この
癩病に
病む
者を。」
噫、
淋しい、あゝ、
恐い。
歯だけに、
生来の
白い
色が
残つてゐる。
獣も
恐がつて
近づかず、わが
魂も
逃げたがつてゐる。
御扶手、
此世を
救ひ
給うてより、
今年まで
一千二百十二年になるが、このあたしにはお
拯が
無い。
主を
貫通した
血染の
槍がこの
身に
触らないのである。
事に
依つたら、
世の
人たちの
有つてゐる
主の
御血汐で、この
身が
癒るかも
知れぬ。
血を
思ふことも
度々だ。この
歯なら
咬付ける。
真白の
歯だ。
主はあたしに
下さらなかつたので、
主に
属する
者を
捉へたくなつて
堪らない。さてこそ、あたしは、

ンドオムの
地から、このロアアルの
森へ
下りて
来る
幼児たちを
跟けて
来た。
幼児たちは
皆十字架を
背負つて、
主の
君に
仕へ
奉る。してみるとその
体も
主の
御体、あたしに
分けて
下さらなかつたその
御体だ。
地上にあつて、この
蒼白い
苦患に
取巻かれてゐるわが
身は、
今この
無垢の
血を
有つてゐる
主の
幼児の
頸に
血を
吸取つてやらうと、こゝまで
見張つて
来たのである。「
恐の
日に
当りて、わが
肉新なるべし。」
衆の
後から、
髪の
毛の
赤い、
血色の
好い
児が
一人通る。こいつに
眼を
付けて
置いたのだから、
急に
飛付いてやつた。この
気味の
悪い
手で、その
口を
抑へた。
粗末な
布の
下衣しか
着てゐないで、
足には
何も
履かず、
眼は
落着いてゐて、
別に
驚いた
風も
無く、こちらを
見上げた。
泣出しもしまいと
知つたから、
久しぶりで、こちらも
人間の
声が
聞きたくなつて、
口元の
手を
離してやると、あとを
拭きさうにもしないのだ。
眼は
他を
見てゐるやうだ。
||おまへ、
何て
名だと
質いてみた。
||ティウトンのヨハンネスと
答へる
其声が
透きとほるやうで、
聞いてゐて、
心持が
好くなる。
||何処へ
行くんだと
重ねて
質いた。さうすると、
返事をした。
||耶路撒冷へ
行くのです、
聖地を
恢復に
行くのです。
そこで、あたしは
失笑して
質いて
見た。
||耶路撒冷つて
何処だい。
答へていふには、
||知りません。
また
質いて
見た。
||耶路撒冷つて、
一体、
何だい。
答へていふには、
||私たちの
御主です。
そこで、
復、あたしは
失笑して、
質いて
見た。
||おまへの
御主つて
誰の
事だ。
答へていふには、
||知りません。
唯真白な
方です。
此返事を
聞いて、むつと
腹が
立つた。
頭巾の
下に
歯を
剥出して、
血色の
好い
頸元に
伸し
掛ると
向は
後退もしない。また
質いて
見た。
||何故恐くない。
答へていふには、
||何の
恐いものですか、
真白な
方ですもの。
この
時涙はらはらと
湧いて
来た。
地面に
身を
伏せ、
気味の
悪い
唇ではあるが、
土の
上に
接吻して
大声に
叫んだ。
||あたしは
癩病やみぢやないか。
ティウトンの
児はしげしげと
視てゐたが、
透きとほつた
声で
答へた。
||知りません。
さてはわが
身を
恐がらないのか、ちつとも
恐いと
思つてゐない。この
児の
眼には、あたしの
恐ろしい
白栲が、
御主のそれと
同じに
見えるのだ。
急いであたしは
一掴の
草を
毟つて、
此児の
口と
手を
拭いてやつて、かう
言つた。
||安らかに、おまへの
白い
御主の
下へ
行け、さうして、あたしをお
忘れになつたかと
申上げて
呉れよ。
幼児は
黙つて、あたしを
見つめてくれた。この
森蔭の
端まであたしは
一緒に
行つてやつた。
此児は
顫へもしずに
歩いて
行く。
終にその
赤い
髪の
毛が、
遠く
日の
光に
消えるまで
見送つた。「
幼児の
御主よ、われをも
拯け
給へ。」このかた、かた、いふ
木札の
音が、
浄い
鐘の
音の
如く、
願はくは、あなたの
御許までも
達くやうに。
頑是無い
者たちの
御主よ、われをも
拯け
給へ。
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