一九二二年頃の事である。
朝日新聞が写真班を組織して、富山から大町へぬけるコースを募集したことがあった。藤木九三氏、長谷川写真班員等も同行した。
そのとき剱と立山の「
私も、写真機を肩に、一学生として、加わったのであった。
最後のコースは平の小屋、ザラを越えて、大町にぬけるコース。ザラにかかったのは昼であった。
山のピークは晴れ渡っていた。
数里へだたっている立山の頂上の神社の太鼓の音が、虚ろなほど寂かな空気の中を鮮かに、しかし、かすかに、広く広く空を真っ直ぐにわたって聞えて来る。
長次郎は私をいざなって、一つのピークに立った。そして昔の山びと特有のヨードルを高らかに放った。鳶の鳴き方に一寸似た、[#ここから横組み]“Oho·········horrr·········ooo”[#ここで横組み終わり]という様な、美しい声であった。
声は遠く寂けさの中に消えて行った。しばらくして、思いかけず、見ゆる峰々から「木霊」が帰ってくる。
一つ二つ三つ······四つ。
そして、もとの空虚な深い孤独感の様な、静寂にかえって行った。
ところが、耳をうたがったのであるが、霧の底から、同じヨードルが帰って来た。
Oho······ho······rrr······ooo·········
一つ二つ三つ······
これは、霧の谷の底を、わたっている山びこが、遠い見も知らぬヨードルに、答えて呼んだに違いない。
私は何故とも知れない深い感動をうけた。
この高さで、よび合っている二つの孤独。
山と山の木霊の様によびかわしている、霧の中に追い求めているヨードル。
この寂けさの中にして、この孤高にして、相求めている淋しさ。
これは私に、今も、まざまざと、生きて、青春の声として、胸の中に響き渡っている声である。
山びとの、高さへの熱情、清らかさへの熱情、孤独への熱情、この熱情の底に漲っている、涯もない寂寥の美しさが、山の誘惑として、今も私の中に響き渡ってやまない。
〈一九五一・三〉