われに一人の祖母あり。年耳順を越えて矍鑠たり。二佛を信ずること篤く、常に名刹に詣せん事を希ふ。然れども昔時行旅の便甚だ難きに馴れて、敢て獨りいづることをなさず。頻に之を共にするものあるを求む。今茲にわれ醫の勸によりて、暑を草津に避けむとす。草津はと[#「草津はと」はママ]上州の西端にありて、信州と前後一帶の山脈直ちに之により峙つ故を以て、長野の地と相離ること遠からず。是に於てかわれ祖母に伴ふて、善光寺に先づ賽するを約す。即ち之より廻りて、草津に到らんとするなり。秋葉君また余と行を共にす。
七月二十六日、汽車に乘じて下舘を發す。筑波の山われをおくりて、翠黛の眉濃かに插秧既に終りて日をふること旬日、朝風露をわたりて更に一段の緑を添ふ。水白く橋下の礫に碎くるものは鬼怒の清流にして、天と地と相接するところ低林淡く相連なるものは、遠村の幽趣に非ずや。直となり小山より轉乘して西に向ふ。日は午を過ぎて、炎暑漸多くまゝにせんとす。忽ちにして車は思川の橋上に横はる。凉風一過、亦少しく胸襟を醫するに足るものなしとせず。
川上はまだきあとべとなりぬれどすゞしき風は得こそ忘れね
左右遠くひらけて際なく、水田の細徑時に村童ありて馬を導く。前面に一峯あり、樹木欝葱として茂生す。是を大平山となす。鳴呼[#「鳴呼」はママ]、年を隔つる三十時。平かにして風は喬木を鳴さずして、山は自ら靜容あり。連峯蜒々として走るの間、山の尤も近くして又尤も奇なるもの岩船あり。削壁突兀として青松其間を綴る。うすくこく松原みえて下野や都賀山つゞき雲はれにけり 清水瀧臣
之を過ぎて、北は透
わたしや太田の金山育ちほかにやまもないまつばかり
桐生をいでて渡良瀬川を過ぐ。水淺くして而かも岩石に激す。流緩々たらざるものあり。凡そ足利よりこゝに至る間、此川軌道と相離るゝもの常に遠からず。之を窺ふに堤坊の决壞せるもの往々にしてあり、其水
高崎にいる。日は漸く低く、之より列車は分れ西に入るに猶また時あり。即ち、秋葉君と相携へて市中を逍遙す。市の一隅に兵營有り。老松枝を夾んで之をめぐる。即ち、舊城趾なり。既にして暮色蒼然として至り、纖雲に映ずる夕陽の光消える頃、列車は進行を始めたり。向方の紫山巒

小山田のなかをながるゝいさゝ川水のよどみにとぶほたるかな
既にして車輪の軌る音獨り高くして、山河の移るを知らず。身は早く碓氷の坂路にあり。車除々として[#「除々として」はママ]進行を止めず。墜道に入りて墜道を出づ。かくの如きもの實に二十有、亦其間眼前の峯嶺、猶且つ遠く糢糊として表はるゝのみ。獨り奔然一瀉し來る溪泉の水灑々として所在に簾を垂るゝもの、夜色を得て凄凉の氣更らに深きを多とするのみ。輕井澤に到りて宿る。既に信州なり。翌、徒に旦出でて雲靄の中に彷徨す。雲霧未だ散ぜず。浮々然として面を掠めて去る。地は海上三千餘百尺、誠に高燥にして神心轉た爽快ならずむばあらず。既にして身を客車の一隅に据ゆれば、天漸く朗かにして回顧豁然たり。山彙の遠く綿亘するを睥睨するが如き緩峯、北方に侍立す。欝樹參差として蔭闇し、碓氷の難險は盖し其の間に通ずるの道なり。然り此地而已高しと雖、山脚の緩なる概ね一帶の高原をなす。汽車は即其間を通ずるなり。之を望むに間々耕して畑となすあり。而かも氣候相異なるところ、葉未だ悉く黄ならざるものあり。高原の走り盡くる處、陷然として一物なし。遙峯多くは巉々として之を畫す。盖し溪谷ならんか。時に行路の地急に下りて潺々として水其間を求むるものあり。故に岩面稜々として當るべからざるものあり。而して多くは樹ありて之を埋む。既にして雲霧四塞、一物を辨ぜず。今朝氣晴るゝに及んで、われ密に淺間の噴煙其明かに囑目すべきを想ふ。鳴呼[#「鳴呼」はママ]、昨は夜闇くして妙義を見ず。今將た此の如し。遺憾何ぞ堪へむ。小諸に至るに千曲川に會ふ。對岸概ね壁立す。而して尤も危殆なるものを布引山となす。巉岩少しく凹む所樹木繁る中に一宇あるをみる。信に奇勝なり。之より終始千曲と相遇ひ相離る。其間或は巨巖高聳、殆んど頭上に落ちんとするものあり。或は激流洗ふ所、山腹に洞穴をなすものあり。遠きもの、近きもの、高きもの、低きもの悉く自ら異あり。峯平かにして温容あり、翠色少しく淡きものは姥捨の山となす。之を過ぎて轟然千曲の濁流を一過すれば、右方囑目遠く平けて遠山之を限る。川中島なり。西條山是一端に隆起するものは、直ちに車窓を壓せんとす。茶臼山は風輕く水田の上を吹き來りて除ろに[#「除ろに」はママ]車窓にいる。再び長橋を渡りて犀川を過ぐれば、汽車は緩く長野停車場に入る。是より車を捨てゝ市中を行く。道徐々として登る。其極る所善光寺あり。寺は西と北とに山を控へて堂宇宏壯にして山門にのぼれば、市一目のうちに瞭然たり。賽し終りて僧坊に入る。將さに明朝開龕を看んと欲するなり。時未だ午に至らず。僧頗る懇篤、引きて堂に導き或は如來の靈驗を説く。食後鐵面君と共に出でて寺後の池畔を廻り、田畔を求めて一條の道を得て進む。ブラン堂に到らんとするなり。山に沿ふて村を過ぐること二三、道を左にとりて進む。山



去りて細路に就きてのぼる。雜草亂生して脛を沒す。相聳ゆる群山の頂を麓となして

あすはわがそなたの方も越ゆ可きをいづなの山のいづな白雲
下りて一道に合す。是を進むに其限りを知らず。即ち左して歸に就く。既にして佛々はさきに激然として踞して睥睨せし所の巖頭、突飛して天を指す。溪流また其脚を洗ふさまに過ぐる所の橋下に至りて川に合すものなり。道傍清泉所々に湧く。冷氣骨に透す可し。老翁既に貨を得ける、徐々として馬に導かれ歸るもの、自ら一掬を仰いて[#「仰いて」はママ]馬に飮ましむ。馬は精氣を得て空に向ひて長嘶す。這般の景趣悉く皆快なり。樂既に足りて歸。鳴呼[#「鳴呼」はママ]、昨日經る所幾十里、今日過くる所幾乎、村山水の奇態、高きもの、長きもの、遠きもの、近きもの、低きもの、河の緩なるもの、急なるもの、廣きもの、狹きもの、深きもの、淺きもの或は奇なるもの、或は平かなもの之を數ふれば幾十百、其間天下の勝

此夕雷鳴山の一角に起る。既にして雲大空を蓋ふに暇あらず。雨の滴々なるもの忽ちにして沛然として下り、飛沫散じて四顧漠々たり。即ち倉皇戸を閉ぢて晴るを待つ。騷然として雨聲遽かに止む可きに非ず。即試に戸を排せば、蒼穹既に雲收まりて蒼々たり。唯地高きが故に兩[#「兩」はママ]直ちに集まり低きに就く。故に其水道を蓋ふて一瀉するもの遂に

晨起く、寺僧既に端然衣を整へて出で行くを促す。即ち之に尾して行く。余等坊に就きしの故を以て、直ちに内陣に入ることを得たり。座に相連らなるもの、皆多くは老者なり。警鐘一たび響きて、圓※[#「骨+盧」、U+9AD7、109-8]相並びて讀經の聲普く堂に充つ。既にして燈火凄味を帶ぶの間、錦帳徐ろに開けば、燦然光明一時して如來の尊像半ば近く表はる。之を拜するもの叩頭感泣して殆んど仰ぐものなし。われ此間にあり心少し奇異の感なからざりき。朝餉終りて坊を辭して出づ。祖母は獨り直ちに歸路に就く。即ち之を道に送りて別れ、市を通りて進む。今日澁に宿りて、明日將さに草津に入らんとするなり。日漸く登ると共に、道は山麓に通じて迂囘す。右は常に一帶の田圃に屬す。細流水冷かに道に溢れ、輕風音無く去りて往く所を知らず。然りと雖時移り酷熱加はるに及びては、枝葉動かず蝉聲徒らに煩を添ふるに過ぎず。瑩々自ら氣を勵まして進み遂に千曲川に達す。岸頭に在ては濁流水増して

さらぬだにさらぬも早き河の上を心のまゝにとぶつばめかな
山
澁は鐵泉の湧く所、浴舍の結構頗る見る可く、旅舍の整ふもの、豪も寒村辟邑に似ざるなり。地は河に臨みて山端に在り。其奧地獄谷の勝を探らんとす。即ち舘に就きて道を問ふ。曰く、殆んど半里なりと、之を指示すること盡せり。寺門を入りて遂に河の岸頭に達す。徑路蛇行して或は密樹の下にいり、或は獨木橋の上に走する、之を久うして下りて流と會ふ。異臭あり、蓋し鑛泉の然らしむるもの、前方溪の通ずる所、左右の山脚急に下りて相交差す。一大削壁あり、直立幾十丈、粹然として其間に立つ、其面悉く枝葉を以て覆はる。唯一條の岩面を露出するもの、其水形垂簾を懸くが如し。蓋し雨降るに當りて直に瀑布の形をなすもの、樹根を洗ひ去りて遂に一物を生せざる所以なり。忽ち道は岩片の碎くるもの堆積するに遇ふ。之を望むに、左方怪巖直ちに道より起りて危々殆んど人に迫る。其質、昨日登臨する所のものに同じく奇は之に倍す。危弱強雨に遇へば即ち脱落す。故に圭角稜々巉々として巨人の如きあり。劔の如きあり。而して數歩して之を顧れば、形忽ち一變す。而して其矮松叢生して相連る。唯登ること能はざるを憾みとなす。之を過ぎて一橋あり、其盡くる所一屋あり、浴舍なり。橋上流の上をみれば、近く噴氣の絶えず上騰するをみる。柵を廻らして水に瀕す、大石ありて其側に峙つ。之に近づきて之をみるに石吻磊呵たる間習々として熱湯の飛ぶものたり。故に噴氣之に伴ふて高さ十丈ならんとす。

歸路長きを覺えず、須臾にしてさきの寺の岸頭に立てり。水は岩に碎かれて激すること幾囘、喧噪聲ありて絶えず。一童あり、長柄の杓子を肩にし、手に綱を執りて牛を流に追ふ。牛は攸々他に向ふに、童子強く綱を引けば牛徐ろに之に從ふ。是に於てか童子は水を其背に注ぐ。牛は其爲すに任せて動かず。急なるもの、緩なるもの相遇ふる景姿の殊に佳なるを覺ゆ。畫家時に牧童牛に騎する圖を作りて其心となる。信に有之かな、抑々亦山水の景物見るとして神靈の意あらざるなきを知るべし。
澁と草津隔つる七里、唯是れ半日の行程のみ。然りと雖秀峯直ちに其間に聳えて、行旅多くは行くに惱む、牛と馬と僅かに人に便りす。鐵面子足強くして自ら弱しといふ。余足弱くして敢て自ら強しといふ。此夜には即ち客を待ちて明日返らんとするの馬を傭ふ。余は即ち寢に先ちて館主を喚ぶ。館主問に從ひて説く所慇懃われ之を多とす。
朝に浴していづれば、微風髮を渡りて清爽たり。馬既に至り待つこと久し。即ち食を終りて發す。余今日馬あるを貨として荷を其背に托し、單身足の輕きを覺ゆ。河を過ぎて路は徐々として登る。殆んど坦々たり。牛と馬と或は荷を負ひ或は人を乘せて遠く隔てゝ相連なる。人は緩く歩を移して草に風なく、閑寂の境中時に牛の青雲に向ひて吼ゆるあり。
風をなみ友よぶ牛の聲遠く稀に聞ゆるしぶのやまごえ
之を久うして忽ちに路を急峻なる山腹に向ひて走る。故に屈曲して登る。數歩を先んずるものは、直ちに後者の頭を踏まんとす。此の如きも高からずと雖之を延長すれば相離るゝこと、蓋し遠からんか。故を以て、足頗る疲勞せずんばあらざるなり。今此急坂の頂に立ちて願望せんか、前と左右との峯巒之を限らざるの間は、遠きもの、近き里悉く指呼の間にありて點々たり。遙方の秀嶺相並んで緑衣淡粧、顧眄を送るもの右なるは越後の妙高山にして、左は即ち飯綱山、黒姫山、其間に粹然たり。而して飯綱と黒姫とに狹まれ半ば其態を表はし、以て此列に參ぜんことを望むが如きものは戸隱の險峯なり。試に雙眼鏡を取りて望一望すれば、此連山と相接して、殆んど其腹をなすが如く隆然として高きもの、樹木叢生するものゝ邊人家の簇々として立つをみる。其下相隔りたる一杯の※[#「月+脊」、U+818C、113-15]土樹を以て蓋はれ、目を注ぐに非ずんば或は之を失はんとするものは、實に昨日氣涸れむとして越えし所の處に非ずや。而かも今は即ち眇として當に掌中に握取す可きが如し。而し唯これ登攀甚だ高きに非ず。而かも眼界の及ぶ所此の如し。故に凡そ氣宇は大にし、心神を壯にせむとするもの、夫れ高きに就かんかな。低徊する能はざるのうち、人畜われを捨てゝ去ること遠し。即ち捷路草深き所を探ねて進む。遂に一茅屋を得たり。即ち茶店なり。皆茲に至りて憇ふなり。老媼麥を

よつの緒の響のごとくおもほえて風の音きくびはがいけかな
少しく登れば、池々歴々として其形をみる可く、路は谷に臨みて水聲の淙々たるを聞く可し。即ち瀧の上流なり。下は急に注ぎて瀑となるものなり。流を挾んで、一大巖の

夫れ今經たる所の澁峠の半面、同じく此れ常に俗士の横行するに任する所、夫れ悉く此の如くならむのみ。而かも情致當さに人を去る能はざらしむるものは何ぞや。雲ありしが故なり、雲の蓋ふ所山は益々遠く、益々高く、谷は益々大に益々深く、木の繁る所亦益々姿の限りなきを添ふ。加ふるに急變激化一瞬にして再び素容なし。吁々、雲は萬有を幽邃となし、寂漠なして、而かも莊麗、遂に及びがたし。人高きに登る、多くは遠見の爲にするなり。故に山顛雲あれば、即ち遺憾窮りなしとなす。余又山天に此の如きもあり。然れども天下眺望を以て鳴るもの幾十百、澁峠の如き、固より之を以て是に望むべきに非ず。故に始めより心に之を期せず、唯聊其奇あらむことを求めたり。敢て晴雨に關せざるなり。故に此奇態萬状、殆んど捕捉す可からざるの大觀に接して、如何ぞ肉躍らざるを得んや。雲の奇ある、豈獨り澁峠のみならむや。天下風景を愛するの士、希くは晴を愛するの心を以て身を白雲の中に置き、山靈風虚の賜を恣にせむ。庶幾くば神來の一味を捕捉するに近からんか。路頗る難險、下ること久ふして左右少しく開けたる所、賤夫馬を草の間に放つもの相集まり、火を灼き以て煙を吹く。眺望遠く及びて、高原の下青松の間、人家の櫛比するものあるをみる。即ち之を問へば草津なり。立ちて指示すること甚だ懇なり。白根山はととへば、行くこと少許にして右方に聳ゆるもの、即ち是なりと。乃ち足を早めて行く。
白根山は活火山にして全山岩を以て成立し、巉々として近く、手を延ばせば及ぶべきが如し。一呵して亂石の間を下れば一茶店あり。之を過ぎて一小橋を踏めば、山

路は狼籍を[#「狼籍を」はママ]極めて山に從ひて走る。間々巨巖の傍を過ぐ。之を見るに多くは山に面する所は圓滑にして、其之に背する所は即ち圭角當る可からざるものあり。奇ならずや。既にして遙かに一窟あり。硫黄を製する所たり。山巓に達する軌道あり。之を傳ひて行く。頂に至れば、岩と岩との間を進むに、風に從ひて來る硫氣鼻を衝きて來る。其或は窒息するなきかを恐るなり。一見凄愴たり。之を見るに四方は峨々たる岩石を以て圍まれたるもの、平地ありて之が底をなす。而して再たび陷りて穴をなす。徑凡そ町餘、硫氣の上騰して絶えざるもの、信に此の穴なり。穴を隔つること遠からず、井を陷ちて硫黄の原料を發掘す。男女兩三頻りに力む。此輩日々に來りて之に從事賃を得るもの若干ぞ。抑も亦不時の爆烈、何を以て避けむとするか。豈危險ならむや。此山今茲屡ば爆烈し、近く數日の前に於て噴出する所の泥土未だ乾かず。時に或は誤りて陷れば深く踵を沒すべし。余屡ば木履を奪いたる、窩氣は沸々聲の聲ありて、噴氣と共に泥土の上騰するもの、時に或は數尺ならむとす。遂に久しく留まる可きに非ず。去りて草津に向ふ。道多くは平かにして、左右開け雜草茂生するの間杜若目に動きて相連なる。行くこと須臾にして左右飛瀑の掛懸するものあり。常布瀑と稱す。亦見る可きものに屬す。之より左右に溪谷あり。深きこと幾仭。道即ち之を分つ山脚なり。之を例ふれば馬背を行くの感あり。故に其盡くる所は即ち兩溪の相會ふ所たり。橋ありて通ず。茲に到りては既に草津(以下缺文)(明治三十年、作歌手帖[#「作歌手帖」は底本では「作歌午帖」]より)