手紙の形で書かれてあるし、書いた本人は毒を
もし仮に遺書だとしても、果してその
ともかく革表紙、
最初の頁には、子供のいたずら書きのように、右から左から横から斜めから、ただ中込礼子さま中込礼子さまと、七つ八つくらいも書いてあったろう。遺書か、自分の悶々の情を、散ずるための気晴らしか? その点はハッキリせぬが、いずれにせよその中込礼子という、女性を思い
それともう一つは、筆が渋って苦悶して、その間無意識に中込礼子礼子と書いているうちに、やがて
婦人というよりも、令嬢と呼んだ方が、適当だったかも知れん。そしてまた中込礼子その人が、どれほど有名だというのでもない。富豪の令嬢で、
そこで、中込礼子の美しいおもざしを思い泛べながら、厚い埃を払って刑事は、このノートを読み出したのであるが、もしその中込礼子の四字が、田舎刑事の好奇心を
中込礼子様。
私の身体にも、全身に
長い前置きを、書くことができません。余計な文字を
せめて仏蘭西の任期が終って、日本へ帰るまで待って下さいと、お頼みしていた言葉を快くお聞き容れ下さって、妹さんたちがそれぞれ楽しい家庭を営んでいられるにもかかわらず、じっと私の帰りを待っていて下さったことに対して、なんとお礼の申上げようもありません。そして、貴方がお待ちになり私の待ち切っていた、帰国の今日こういう手紙を書かなければならなくなったことを、なんと説明したらいいかわかりません。
お父様お母様には、到底私から書く言葉がありませんから、どうぞこの手紙を御覧に入れて、貴方からくれぐれもお詫びを、
十二月四日付で、本省から帰朝の内命に、接しました。本省欧米局の、第一課長になるようにとの、電報でした。それで十二月九日、巴里オルリー空港を発って、エール・フランス機で、帰国の途に就きました。
多勢の人々に見送られて、口々に祝詞を浴びせられて、私はまことにうれしかった。久々で日本へ帰れることもうれしかったが、それよりももっと心が躍ったのは、日本に貴方が待っていて下さるということと、その貴方ともいよいよ結婚が、できるということだったのです。
結婚式にはまず第一に、母に来てもらって喜んでもらおうと、長い間私は夢を見ていましたが、その私の夢は、一年も前から跡方もなく崩れ去っていました。昨年の十月、母が腎臓病で亡なったという知らせを、兄から受け取っていたからです。
母は山深い故郷で、一生を送って一度も東京へ、出たことがありません。貴方と結婚して、東京の郊外へでも家を持ったら、母を呼んで一緒に暮したら、どんなに母が喜んでくれるだろうと、それがいつも私の
ですから、母が亡なったという知らせを受取った時、私は胸に大きな空洞が、できたような気がしてぼんやりしました。早く結婚してくれという、口癖のような母の頼みを
仏蘭西へ来る前に、
飛行機では、本省情報文化局長に就任のため、帰朝される倫敦
「
と笑いながら公使が、
「三十になるやならずで、欧米一課長には抜かれるし、中込氏の令嬢は射落とすし、地位と美人と財力と······果報者! 日本へ着いたら一体、何を振舞ってくれるんだね?」
公使に冷やかされるまでもなく、私もそうだと感じました。母の亡なったことだけは、淋しい限りですが、私のような農家の次男に生れてこの幸福は、まったく身に余る仕合せだと思いました。
貴方と結婚することが私に財力なぞを与えることには少しもなりませんが、この時だけはこの公使の言葉さえも、一層私の幸福感を、増大させました。男と生れたからには、私も一度は政治家として、大臣くらいにはなってみたいと思ったからなのです。
政治家になって政党を操縦するのには、何千万何億という資金を、必要とするでしょう。外務省の官吏なぞを何十年勤めたからとて、そんな大金なぞのできようはずは、ありません。ですからその時は、貴方のお兄様に頼んでお父様にでも、軍資金を出して戴いて······なぞと、考えたからなのです。
が、別段政治家になりたいと、真剣に考えていたわけでもありません。ただ、取り留めもない夢のような空想を、描いていたに過ぎないのです。久々で帰る故国への途······その故国には懐かしい貴方の顔が見え······兄の顔、
風邪を引いたのでしょう。ラングーンを出て、タイ、カンボジアの上空あたりを、機が突っ切っている時分から
「どうせこの飛行機は、英国将校たちを降ろすんで、岩国も降りるそうだから、君の家まで
と勧めてくれました。
「君の帰朝命令は、まだ間があるのだから、四、五日ゆっくりと静養して来給え、どうせ逢うんだから、僕が君の方の局長にも次官にも、よくそういって置こう」
と勧められて、ひとまず私も家へ帰ることに決めました。そういうわけで、東京へ着いたら着任の挨拶を済ませてすぐ、貴方にお眼にかかりに行こうと、
予定通り機は、十時四十分岩国空港に、着きました。ここで公使に別れを告げて、機を降りました。そして、
かねて帰国の手紙は出して置きましたが、いつ訪ねるとも知らせてない私が、鞄を抱えてバスから降りて来たのに、まずその辺に遊んでいた友治という兄の長男が、眼
「叔父さんが、
と狂喜の叫びを挙げて、私から
辺鄙な田舎ですから、家も家の
が、気のせいか母の亡なった家は、うつろな淋しさを伝えて来ます。私が中学生の頃に、兄が亡なった父の跡を
発熱前の身体はザワザワと、なんともいえぬ
「さあさ、
と兄も気を揉みますし、嫂は
兄も嫂も私の前では、出さぬように努めていますが、村人たちとは遠慮もなく、方言まる出しの高声で話しているのが、手に取るように聞えて来ます。
どんな豪華なホテルの
三日ばかりたって、風邪は完全に直りました。茶の間で、兄と久し振り水入らずで、母の臨終前後の模様や、家の跡始末なぞを、詳しく聞きました。母は
そして、本来ならば墓は、村の慈恩寺の先祖代々の墓所に、埋葬するのが当り前なのだが、ふとした縁で一、二年前から、隣り村のそのまた隣り村、北野村の宗源寺の和尚さんが、母と懇意になって病床でたびたび、和尚さんの法話を聞いて眼を閉じたら、ぜひ宗源寺へ葬って欲しいというたっての望みであったから、そこへ埋めたということ。
これも本来なればこの機会にお墓詣りをしてもらいたいのだが、忙しいだろうからいったん東京へ帰って、折りを見てまたゆっくり、お墓詣りに戻って来て欲しいということなぞ。
私も、母の墓詣りをしたいと思いました。
おまけに峠を三つも四つも越えて、山坂道の
本堂は昔焼けて、ただこの山門だけが二、三百年も前から、残っているのだとか聞いていましたが、あの遠さでは一日がかりでなければ、お墓詣りにも行くことはできますまい。では、ともかく着任の挨拶をしてから、役所の都合を見てまたゆっくり、出かけて来ることにしよう、その時連れてって欲しいと、兄に頼みました。
「亮三郎も、えろう嘆いての、一人の親だのに、夫婦揃って遠くへ来てるばっけえに、親の死目にも、逢うことがでけんというて来ただが、わしが付いとるから、余計な
亮三郎というのは、九大医学部の助教授をしている弟です。結核薬物研究のため、今ハーヴァード大学へ派遣されています。子供のない気楽さから、弟の妻も手芸の研究で、夫婦揃って
「だからお
と兄はいうのです。そして私も、そうしようと思いました。兄ほど優しい、親に素直な人を、見たことがありません。私がいなくても弟がいなくても、この兄さえいれば母は、なんの思い残すところもなく、この世を去ったに違いないのです。ですから、兄の指図通りにしようと思いました。
兄は、学問のある人でもなければ、学校を満足に出た人でもありません。中学を卒業した年に、父が死んだものですから、小作人との契約や、昔でいえば年貢の収納、田畑山林の管理、桃畑、
その代り、自分にできなかった学業を、弟の私たち二人には、思う存分やらせようとしていたのです。別段貧しいためというのではありませんが、いわば家業と弟たちの犠牲になって、行きたい学校もしたい学問も止めて、しかも一言半句の不平をいうでもなければ、不快な顔色を見せるでもなく、黙々として家の
そして、思いは弟も同じだったのでしょう。私のところへよこす弟の手紙も、常に兄への感謝の念を述べていました。
母の選んだ、十二、三里離れた小さな町の、造り酒屋の娘を妻として||これが私の嫂なのですが、どんせこれも田舎者ですから、自然その影響を受け、
繰り返すようですが、私や弟は臨終にい合せなくても、この兄さえ付いていれば、兄夫婦の手厚い看護を受けて、何思い残すところもなく、母は世を去ることができたでしょう。それを思えば今更ながら、兄の前に手を突いて留守中の感謝を述べたいような気がして来ました。
「お前も亮三郎も、日本におらんけえ、送ってやることもできんかったのだ。こうして実は、
と兄は嫂にいい付けて、
「世帯でも持ったら、引き取ってくれや。なア、おかの! 仕立直したら新次郎にも、着れるようになるんじゃなえのかなア? ······それとも、田舎の柄だから、コレには向かんか?」
と嫂を顧みて、笑い出しました。母の話も一通り終ると、話は自然、貴方との結婚のことに移りました。一日も早く身を固めよ! と、兄はいうのです。
そして、
「ともかく、阿母さまもそう
兄のいい分によれば、私にも弟にも、山林が何十町歩の田畑がいくらいくら、葡萄園がいくらと田舎のことですから、評価はいくらのものでもないでしょうが、相当なものが、分け与えられることになっているのです。
「それは兄さん、不公平だ! そんなバカな話が、あるものか! 俺も亮三郎も、兄さんのお蔭でこうして学校も出て、好きなこともしていられる。兄さんこそ、したいことも我慢して、家の仕事に骨を折って、それをみんなに分けてやるなんて······兄さんのお蔭で、こうやって二人ともいくらかのものでも、国から貰えるようになったのだし」
「わしが出すんじゃなえ、わしはただ阿母さまから預かってるものを、
と兄は微笑しました。
「
「人がやるという時にゃ、黙って貰うとけや、いくら持っとっても、邪魔にゃならんけえ」
いったん口から出したことは、後へは引かぬ人ですから、それ以上私も、とやかくいうことは止めました。
風邪も直ってみれば、この上
「だれか、案内させようかの?」
と兄は書類をしまいながら、声をかけました。
「
「倫敦や、巴里でばかり暮らしとって、ようこねな山ん中を、忘れずにいたもんだな」
と兄は、笑いました。
「
そして私は、昔の中学生時代に返って、笹の葉に通したひらべを持って、||兄のいうひらべのやまめを持って、友達を訪ねることにしました。これが今から思えば、私が貴方にこんな手紙を書かなければならなくなったそもそもではなかったかと思われます。
友達は、役場に出勤していましたが、私が訪ねたと聞いて、飛んで帰って来ました。そして、昔の友達の話、村の誰彼の噂、私に取っては珍しくもない、巴里や倫敦の話などを子供のように貪り聞きながら、それからそれと話の種は尽きませんでした。なんにもないが、久し振りで夕飯を一緒にして行け、と離してくれません。障子のすぐ向うに、
だって、君はこないだ訪ねて来て、兄に逢ったばかりじゃないか、兄の話では三度も来てくれたって······いいやそれは知っとる、俺のいうのは兄さんの仕事の方は、どうだと聞いとるんだと、慌てて友達はいい直しました。ああそう、なんだか材木や
「時に兄さんは、この頃なんにも変った様子は、ないのけえ······」
友達は、何心なく、口に出したのかも知れません。が、私には不思議な気がしました。
「兄が、どうかしたのかい?」
「いいや、別段に······どうして?」
「だって君は、さっきから兄のことばかり、気にしてるじゃないか」
「ああ、そうだったけえ······いやいやそいつは失敬したなア。なアに、別段、どうってことはなえんだが! さ、その盃を、干してくれんけえ!」とまた慌てて、話を転じてしまいました。そうして二、三時間も、無駄話を、していたでしょうか? さ、随分長話をしてしまった、ソロソロお
「そう······そうすると、新さんの見たところじゃ、別段お
と、口を滑らせた時には、到頭私は、我慢がならなくなりました。
「そ、そうムキになったら困る、何も悪気じゃなえんだよ······困ったのう」
と友達は、当惑しているのです。
「それはわかっている、君の悪気でないことは、よくわかっているが、僕のいうのは悪意とか悪意でないとか、そんなことじゃないんだ。何か兄のことで、君の気になることがあるに違いないと、いってるんだよ。だから、それを聞かせて欲しいといってるんだ」
「そねえなこというたって、無理じゃなえかなア! なんの考えもなえに、口から出たことを責めたって······」
と真実当惑の色を、現しているのです。
「そんなら、ま、聞くまいさ! 君がそれほどいいたくないことなら、無理にとは、いわないさ。せっかく久し振りで逢って、君との仲を不愉快にしたって、仕様がないからな」
と私は
「おい、お前、ちょっと向うへ行ってろ」
と細君を遠ざけて、
「ようし、新さん、
と真顔で私を、
「そりゃ聞きたいさ、兄のことだもの、気になるよ」
「困ったなア······ところが、そねえな生易しい話じゃなえんだよ」
と、
「ええよ、新さんと俺との間だもん、いうよ、いうけどが、こいつあ決して俺が、そう思うとるわけじゃなえんだぜ。ただ、村でそういうことを、いうとるもんがあるちう話だけなんだ。俺がそいつを、取り次ぐだけの話なんだ。ええね?」
「············」
私は黙って
「なら、いうけんど······どねえなことをいうても、新さん、気にしちゃいけんぜ。そねえなことのあろうはずは、絶対ねえことじゃけん······」
「············」
「実は、村で噂しとるのは······兄さんには女が、でけとるちう話なんじゃ。
「············」
「それと、もう一つは······困ったことにゃ······」
と友達は、急に声を潜めました。
「新さんのお母さんは、病気で亡なったということになっとるが······そいつは表向きのこんで、······実際は兄さんが、どうかしたんじゃなえかと······毒でも飲ませて、殺したんじゃなえか······と」
「なに? 毒殺?」
途端に私は、顔色が変るのを覚えました。血の気が引きながら、しかも自分の耳が信ぜられないのです。耳を疑いながら、しかも身体がワナワナと、震えてくるのです。
「そ、そいだから困ると、いうとるじゃなえか。何も顔色変えることは、ないじゃないか。ただ、そういう蔭口をきいとる人間が、あるちうだけの話じゃなえか! ······だから俺はいうのが厭だというとるに
「だから、だから、僕はうれしい······と」
と、私は、息を呑みました。
「君なればこそ、いってくれると感謝してるんだ! だが、仮にその噂がほんとうとしても······僕には
「そ、そがあな声を出して! そうなんだ、そうなんだ! この春あたりから、噂が立ち出した時から、俺にもどうしても、思い当るところがなえんだ。お母さんはあの通り、
と友達は私の剣幕に驚いて、シドロモドロの弁解を始めました。
「どこを探したって、思い当るところがなえんだ。たとえば、お母さんが実権を握って、兄さんに金が自由にならんちうなら、考えるところもあるけんど、兄さんは若え時から跡を取って、金でもなんでも自由になるんだし······かえって相談かけられると、お母さんの方が迷惑がって逃げとられたんだ。兄さんとお母さんの間に、物事の食い違ったような話も、聞いとらんし······」
「意見が違うどころか! 兄は昔から、母のいうことに逆らったことなぞ、一度もない」
「そしてお母さんは、なんでも兄さんを立てとってじゃけえ、衝突の起る理由がなえじゃないか」
「いつから、そういう噂が立ってるんだ?」
「俺の耳へ
「そういう噂を、兄は知ってるだろうか?」
「兄さんの耳へ
「兄は、村では評判が、悪いんだろうか? そんな噂まで立てられて······」
「
「評判が悪くなくて、それでそういう噂を立てられて······」
と、私はまた、考え込みました。飲んだ酒がスッカリ冷め切って、ただ手足がブルブルと震えてくるばかりです。しかもなんと考えても、私には思い当るところがありません。
「ま、新さん、そねえに思い詰めなくとも、ええじゃなえか! ハッキリなにも、そうと決ったわけじゃなえ。そねえなバカな蔭口を立てとる奴があるから、困るというとるだけなんだ。ほら、新さん! そねえな真っ青な顔をして! すりゃ、
友達が困り切ってるのはわかりますけれど、その顔を眺めていても、義理にももう私には、口をきく気力はありませんでした。ともかく、まんざら火の気のないところに、煙は立たぬということもあるから、あるいは万に一つということが、ないとも限らぬ。それだからここはしばらく兄さんの様子を、じっと見守っている必要がある。新さんは東京へ帰る身だから、貴方に代って精々俺が、見守っていることにしよう。
そして、万一これはと思うことがあったら、電報を打つからその時は、スグ帰って来て欲しい。帰っても、兄さんのところへ行かずに、ここへ来て欲しい。親殺しの罪が発覚したら、大変だから、その時はなんとでもして揉み消しをする。余計な心配をせずに、ひとまず東京へ帰ったらいいと、友達は口を
その友達の言葉も上の空に、やがて私は別れを告げて帰途に就きましたが、いよいよ親を手にかけたという、動かぬ証拠が挙がった場合、いかに田舎なればとて、たかが助役くらいの手で、揉み消し得られるものでしょうか? 友達のところから私の家まで、二里余りはありましょう。山の畑の段々道、山裾を切り拓いた赤土の道、柿や
その荒涼たる人影もない山の
家へ帰って来ても、兄や
私を呼ぶつもりで、茶の間で茶でも
「慣れぬ山道なんぞ歩くけえ、また風邪でもブリ返したんじゃなえのかな?」
と兄がはいって来て、心配そうに枕許に坐り込みましたが、夜着を被ってなんにも私がいいませんから、やがて所在なさそうに行ってしまいました。しかも眼を閉じていても、頭がかっかとほてって、とても眠れるものではありません。
うとうとすると、
ちょっとまどろめばたちまち刑事の一隊に踏み込まれて、兄や嫂が数珠つなぎにうなだれて行くまぼろしに脅やかされました。初めの予定では、ともかく兄の様子を見守って、落ち着いて
翌る朝
「おう、どうしてえ、よう眠れたけえ?」
と私の顔を見るなり、兄は声をかけました。
「······うん······まあ······」
「風邪はどうけゃ?」
「······それも直ったが······」
「せえだらええが······わしはまた、ブリ返しじゃなえかと、心配しとったんだ。······なんだか、元気がなえのう。無理せずに、も少し寝とったらええんじゃなえかな?」
「······兄さん、少し話があるんだが······どこかへ出掛けるのかね?」
「組合へ、顔出しゅしょうかと思うとったが。ナニ、すりゃ、後だってええんだ。何けえ? 話ってのは?」
「せえじゃ、話が済んだら、お
と、兄と弟の密談と思ったのでしょう、嫂は席を外しました。
「何けえ? 用てのは?」
「うん······ちょっと、話したいことがあるんだ!······外へ出られんかね?」
「外へ?」
と兄は、
「構わねえが、ま、お
「······食べたくないんだ。······出よう」
「朝っぱらから、
裏口から二、三町行くと、子供の頃私や弟が泳ぎに行った、狩野川が流れています。広い
「どこまで行くんけえ、何の用があるんけゃ?」
と不審そうに、兄は懐手をしたまま
「この辺も、昔とちっとも変るまあが?」
「兄さん、少し俺には、腑に落ちんことがあるのだが······」
と私は、切り出しました。
「こないだ兄さんは、俺に······俺と亮三郎に財産を分けてやるといったね? あれは、どういう意味だろう? どうも俺には、腑に落ちんのだが」
「何が、腑に落ちんのけえ? 世の中が変って、もう長男が、一人で親の財産を、受け継ぐ時世でもなえし、
「兄さんから、民法の講釈なんぞ、聞きたくない······俺が帰って来たら、急にそんなことをいい出すなんて、何か俺の機嫌を取るようで、変じゃないか?」
「別段、お
と、兄の
「何かわしのすることに、不満でもあるんけゃ? 分け方が足りんとでも、いうんけゃ?」
「そんなことを、いっとりはせん! 第一、財産なんぞ······亮三郎だって、そうだろうと思うのだ。別段俺の方から欲しいともいわんのに人の顔を見るといきなり、そんなことをいい出すのは、変じゃないか! ······何か兄さんは、俺に隠してることでもあって······」
「せえだから、なんのためにわしが、お前の機嫌を取る必要がある? と聞いとるじゃなえか! 第一、わしが分けてやろうというんじゃなえ。阿母さまの、お
「そんなことはどうでもいい、俺の聞いてるのは······聞いてるのは······」
と、思うことが口に出ぬもどかしさに、私は
「兄さん、
と、いう一言が、なんとしても喉から出て来ないのです。
「何か兄さん、そこにあるんじゃないのかい? 口に出せないようなことが······それだから、財産を分けてやるなんて、俺や亮三郎に謝って······」
「じゃけえ、お前や亮三郎に、謝ることが何があると、さっきから聞いとるじゃなえけゃ、お前は妙なことをいい出したなア、新次郎! なんのことやらサッパリわからんが、わしはお前や亮三郎に謝るようなことを、なんにもしとりゃせん」
「しとるかしとらんか、だから聞いてるんだ。俺は······俺は、そんな妙な財産なんぞ、欲しくはない!」
「痛くもねえ腹を探られて、わしもお前に、貰ってもらいたくはなえ!」
と兄も、大声を出しました。
「なんじゃい、下らん! そがあな話をするために、朝っぱらから人をこねえなところへ、呼び出して! すんな話なら、もう聞かんかってええじゃろ、話は済んだ! わしみてえな人間と違うて、お前は
と、憐れむように兄は、私に眼を注ぎました。
「わしは、組合へ顔出しゅせんならんけえ、こいで帰る、帰るがしかし······お
と、二足三足戻りかけた足を止めて、打って変った沈痛な語調で、
「これはおかのとも相談したんじゃが······」
おかのは勿論、
「阿母さまがお亡なりなすった時分から、······別に深いわけもなえんじゃが、わしもつくづくこねえな村住いが、厭になっとるんじゃ。ええ売り物でもあったら、町へ出て······深井の町へでも出て、なんぞ手に合うた
深井は、ここから二十六、七里離れた町、この町へ行く途中嫂の実家があります。
「フウン······兄さんが、商売をする? なんの商売をするんだい?」
「手離すというたところで、右から左に買い手が付くもんじゃなえし、······まだそこまで考えてもおらんが、どうせわしのような学問もなえ人間のすることだ。なんず手に合うた······たとえば、金物屋とか荒物屋のような······」
「············」
勿論、兄のいう通りでしょう。たとえ農地法で、田地田畑を小作人に譲り渡したといっても、それでもまだ山林、果樹園は何百町歩とあり、兄は村一番の素封家です。村一番というよりも、県下で何番目といった方が、いいかも知れません。その兄が、村に住むのがイヤになって、深井の町へ出て金物屋か荒物屋でもする。
兄のような温厚な人柄なればこそ勤まる。因習に包まれた田舎の、地主家業の煩わしさをよく知っている私には、ふだんならば兄の言葉を、さして不思議とも、聞かなかったかも知れません。が、私の頭には、友達のいった言葉がこびり付いているのです。
ハハア、その女に
「人が心配して、やきもきしているのに、そう
大沢も甲午堂も蒲原も、みんな私が子供の時分から知っている、村や近くの町の医者でした。
「甲午堂は夜逃げをしたから、もう村にはおらん。お母さまは、腎臓病のうちでも
「死亡診断書は、だれが書いてくれたんだ?」
「その土屋さんてえ医者が、書いてくれた。たった一人の親じゃけえ、わしもできるだけの手は、尽したつもりだ。お前からかれこれいわれるような真似は、しとらんつもりだ」
「そんなら、村には先祖代々の寺があるのに、なぜあんな遠方の、宗源寺なぞへ、葬ったんだ?」
「前にそのわけは、話したつもりだがな」
と兄もあらわに、不快の色を現しました。
「阿母さまの、お望みなんだ。そこの方丈さまの法話を、お聞きなされて、死んだらあすこへ葬ってもらいてえと、しょっちゅう
「お母さんの病中の心覚えを······たとえば、医者の払いだとか、葬式の費用だとか、······そういうものは、残してあるのかね······?」
「細けえことも
燃やさずにいられないから、燃やしたのと違うかね? 兄さん、それをさっきから俺は聞いてるんだ! と喉まで込み上げるのを、私は我慢していました。
「探してもらえるのかね?」
「見たけりゃ、探してみよう、が、多分もう取ってもなかろ」
「弟二人に、後で見せるためにも、そういうものは取って置くべきものだと思うんだが、兄さん違うかね?」
「そねえな必要もなえじゃろう、後で兄弟に金の負担でもかける気なら、取って置くかも知んなえが、そうでなけりゃ、死んだ後で、帳面ばかし眺めてたって、なんになる? 亡なった仏さまア、生きて
と兄は冷笑しました。
「それならお母さんの葬式には、どういう人たちが来たのか、聞かせてくれ」
「そねえなことが、お
「そんなことを、聞いてるんじゃない。人が亡なった時には、お湯を使わせて
「死んでから、身体に触られるのは厭だから、あれだけはしないどくれと仰言ってだったから、しなかったはずだ······もっともあれは、女たちの役目だが······」
いいかけてさすがに穏やかな兄も、憤然として言葉を切りました。
「新次郎! 今日は随分お
と兄は、不快げにスタスタと、戻りかけました。
「組合へ顔出しするというに、さも用ありげにこねえなところまで、呼び出して······、なんだ、下らん話ばかり! バカのバカの、大たわけの奴ちゃ、肉身の兄を疑ぐりよって!」
「逃げるのか、兄さん!······ハッキリ答えられんから、逃げるのか? あれも遺言、これも遺言と······」
「お
と、兄も怒気憤々として、振り向きました。
「聞きてえことがあったら、お
おそらくそれは、私が生涯初めて見た怒気満面の兄の表情だったでしょう。土手の道を、
しかも私は、兄を罵ったり詰問したりするために、こんなところまで呼び出したのでは、毛頭もないのです。亮三郎には黙って置いて、せめて兄さん私だけには、腹蔵なく仰言って下さい。どんな事情があったのかは知らないが、お母さんのことは、もう仕方がない。が、兄さん貴方の身だけは、どんなことをしても私の力の限り、守らなければならないのです! と、心の中一杯に、叫んでいるのです。それにもかかわらず、私の口から出て来るものは妙に気持が
思うことは、少しも口に出ず、思わぬことばかり口から出て、しかも詰問口調でありながら、私の知りたい事件の核心には少しも触れず、ただ廻りをぐるぐるとめぐっているに過ぎないのです。が、私にはこれ以上、もう兄に問い
その翌る日から、どんなに兄と私との問が[#「問が」はママ]恰好の付かぬ
私は、不用意に兄に顔を合せることを避けていますが、思い
「わしの思うには、······ソノなんだな······」
と人の気を兼ねて、
「身体の工合が直ったら、早く東京へ戻って······ソノなんだ、お前のいるのが邪魔で、帰れというんじゃなえが、お前には大切な勤めがあるんだから、またゆっくり出直して来た方がええと思うんだがな。向うのお嬢さんも、さぞ待っとられるだろうと、思うんだがな」
勿論兄は、帰京を一日延ばしにしている私の身を、心配しているには違いありますまい。
が、私にはその兄の言葉も、そうジロジロと俺の上ばかり探索の眼を向けないで、もういい加減に解放してくれてもいいではないか! と、私に哀訴しているように、聞えてならないのです。
そして、おおよそそうした兄の言語なり動作なりが、深い疑惑と苦悩と憂愁に私の心を閉ざして、もう日延べの電報は東京へ、三度も打っています。明日こそはなんとしても兄の前に土下座して涙を流してでも、ことの真相を明かしてもらおうと決心した日に、ふと幼い甥の口から、明日は父ちゃんが商売で、寄居の町まで出かけて行くんだあ! と聞かされました。
ハハア、商売だと見せかけて、女のところへ行くんだな? と、私は直観しました。私が来てから既に、十日ばかりの日がたっています。この間兄が半日一日家を留守にしていたということは、一度もありません。いよいよ我慢がならなくなって、女のところへ行くのだな? と、踏みました。
ようし、それならば明日は私も、兄の後を
人の姿もない朝の七時頃、兄は門から出て来ました。盲縞の着物に鳥打帽をかぶって、外套も着けずに尻を端折って、リュックを背負って······
転ぶように山を駈け降りて、見え隠れに後を
私は今まで、人の後を尾行したという経験なぞは、ただの一度もありません。
変装といったところで、なんの持ち合せもありませんから洋服の上に押入れから引っ張り出した、父の若い頃のボロボロの二重廻しをはおって、頭巾を真深に、鼻口許をマスクで掩うて、あまり近づかぬよう、さりとて姿を見失わぬよう、随分苦労して歩きました。
何か考え考え、兄は足を運んでいます。が田舎者の常として、足の早いこと! 姿を見失わぬよう頭巾の中で、息苦しいほど私は汗ばみました。
竹藪を通り抜けて、畑の横の
子供の時分の記憶ですから、ハッキリとは覚えませんが、道はこのさきで二股に分れていたような気がします。そして後一里か二里で隣り村の隣り村、母の葬られている北野の宗源寺へ
そこに
これで、振り返っても兄には気が付かれず、私の方からは小さく石垣の上に、兄の頭が見えるのです。
が、繁みに身を隠して、
「おい、新次郎! 新次郎!」
と、呼んでいるのです。
「新次郎! そねえなところに隠れとらんで、出て来て飯う食わんけえ?」
枝から覗いて見ると、兄は竹の皮包みを開いたまま、こちらを見上げています。
「············」
「いつまで妙な真似を、しとるんけえ? 早う出て
「············」
「隠れとるつもりかも知れんが、おい! そこから廻しの袖が、見えとるぞう!」
「············」
「これだけいうても、まだ、意地を、張っとるんけえ? そこまで思い詰めとるもんなら、もうわしも隠しゃせん! 早う出て
これではもはや、隠れてる必要はありません。私は姿を現して、兄の前に突っ立ちました。もう兄も、決心したのでしょう。あの眩しそうな瞳なぞはしていません。穏やかな、いつもの顔に、戻っているのです。
「腹が
突き出した竹の皮の中には、ボロボロの麦飯の握飯と、傍に大きなひね沢庵が添えられてあります。
「
「じゃ、わしも後にしよう」
と兄は、竹の皮を引っ込めました。
「やっぱり、
私は黙って頷きました。
「仕方がなえ、思った通りに、するがええ。もうわしも隠しゃせん。お前だけは、仕合せに暮さしてやりてえと思うとったが、もうわしの力じゃ手におえん。来たらええだろう」
「兄さんは······兄さんは」
と私は、初めて口を開きました。「俺だということを、知っていたのか?」
「阿父さまの廻しなんぞ着て、わしにわからんと、思うとったんけえ?」
と兄は淋しそうに、笑い出しました。
「どうぞして、お前が諦めて帰ってくれりゃええ、と思うとったんだがな。来たかったら、来るがええ······来るけゃ?」
そして私は、息苦しい頭巾を跳ねて、兄の後について歩き出しました。それっきり兄は一言も口を利きませんでした。私もまた口を利かず、人っ子一人行き逢わぬ、
兄は、丸木橋を渡りませんでした。寄居へ行くのではありません。うねうねと、石垣に沿うた山道を、北野村へ登り始めたのです。
黙りこくって岩角を踏み、石礫を踏んで、山道をそれからまた一里か一里半も、もう午後の二時頃にもなっていたかも知れません。その間に兄のいった言葉は、たった一言······
「腹が減ったけゃ? 食わんけえ?」
後はただ、考え考え、道を歩いているのです。山道も漸く尽きて、部落へはいって来ましたが、この辺は北野村の裏外れと見えて、人の家らしいものも、殆んどありません。
相変らず兄は、黙ってゆるやかな坂道を、登っています。どこへ、兄が行こうとしているかが、やっと私にも、飲み込めてきたのです。兄は母の葬られている、宗源寺へ行こうとしているのです。寄居へ行くのを見合せて、寺へ行って母の帰依していたその住持に逢って、一部始終を聞かせて、くれようとしてるのだな。帰りには母の墓へ行ってお詣りでもするつもりかな? と私は考えました。
いよいよ見覚えのある、寺の門前へ出て来ました。何百年をへたとも知れぬ磨滅した、
が、その石段を上ると、兄は本堂の方へは足を向けず、そのまま仁王門の横について、グルッと廻りました。裏手には、この楼門へ上るための、頑丈な格子戸がついているのです。初めて、落ちつきなく
「おい、だれか見とるといけんから、早く、早く! だれも見とらんか、見とらんか? さ、急いで
自分も後から飛び込むと、初めて
埃だらけの板の間へ出ては上り、出ては上り、都合三つの梯子を上り詰めたところが、一番のてっぺんと見えて、ミシミシと踏んでいる板の間の割れ目から、仁王様の頭のてっぺんが、見えています。もはやこの辺は陽の目も射さず、
兄が
その埃だらけの板の間に、四枚ばかりの古畳を並べて、その上に厚い夜具に
白髪の髪をおどろに振り乱して、片方の眼が
「早う来たえ来たえと思うとりましたが、何やかやと手が離せなえで······」
とたちまち兄が、板の間に
「
「な······何? お母さん?」
「口癖にいうていなされた新次郎が、仏蘭西から
「こ······こ······これが、お母さんか! お······お······お母さん······だったのか?」
と私はそこに崩おれました。
「し······し······し、知らなかった······こ、これが、お母さんとは······し、らなかった。兄さん! か、勘弁してくれ!」
涙が後から後からと湧いて来て、もう私には、母の姿が見えなくなりました。母にも、私の姿がわからないのです。兄のいってることも、私が帰って来たことも! ただ白眼勝ちな片一方の眼が、キョトンとしてうつろにあらぬ方を眺めているばかり。兄のいうことも、聞えるのやら聞えぬのやら!
「今日は、友治の、誕生日でござりますでな······ほら、阿母さまのお好きな、小豆飯をどっさり持って
リュックを開いて、兄の取り出しているものは、掛軸でもなければ
何故兄が、あんな忌わしい蔭口なぞを、叩かれていたのか? そんな蔭口を叩かれながら、黙々として隠従していたのか? そして兄弟の
いいや、それらが飲み込めたばかりではありません。何が故に村の医者に見せず、遠くの医者を呼んでいたのか? 村の菩提寺でなく、こんな遠くの寺へ、葬ったといっていたかというわけも、この瞬間ことごとくうなりを発して、私の心中で溶けて流れて消え去りました。みんな、私や弟に幸福な生活を送らせたい、兄の一心だったのです。
そして自分は、一言の愚痴をいうでもなければ、泣き言を並べるでもなく、黙々として母に、孝養の限りを尽している······これが私の兄の、真の姿だったのです。それが今、一瞬の間に音たてて、私の心で溶け去りました。あの子供の教育に熱心な人一倍家庭の教えの厳格な母が、今はまるで子供のように頑是なくなって、その膿み爛れて腐臭を発する身体に寄り添うて、子供にでも喰べさせるように、箸で口へ入れている兄の姿!
そのまた兄の入れてくれるのが待ち切れなくて、ガツガツと喉を鳴らしながら手探りで、子供のように竹の皮へ手を突っ込んでいる、母の他愛なさ! あの尊い尊い私の母だったのでしょうか! あまりの浅ましさに、私は顔を掩うて号泣しました。しかも、竹の皮包みを引っ掻き廻している、その指の何本かも、脱け落ちているのです。
涙なくては、一切眺められませんでしたがもっともっと私の涙をそそったのは、食事の済んだ後人目を忍んで汲み上げて来た、バケツの中へ汚れた皿や茶碗を突っ込んで、
そして私は、この瞬間ほど尊い兄の前に手を突いて、兄を苦しめ切っていたこの四、五日の自分の罪を詑び、母の病気故の辛労を、血の涙を流して、兄に礼をいいたい、と思ったことはありませんでした。
中込礼子様
私は書いてここまで来ました。もうこれ以上いわなくても、貴方はすべてを、察して下さるであろうと思います。
医学の教えるところでは癩病は、遺伝ではないかも知れません。伝染しやすい環境と、体質に基く伝染病かも知れません。母が癩病なればとて、あるいは私の一生に、癩病は発しないかも知れません。しかし私が、癩病を患っている母の子であるという事実は、
貴方が私の請いを容れて、妹さんお二人が結婚して、それぞれの家庭を営まれたにもかかわらず、貴方だけが二年も三年もお待ち下さったことを、なんとお詑びを申上げていいかわかりません。しかし、もはや、こういう事情になりました。どうか私との縁は、これまでのことと諦めて、お忘れになって下さい。そして適当な方がありましたら、一日も早く御結婚になって、貴方だけは仕合せな日を、お送りになって下さい。それをお願いするために、この手紙を書きました。
いつぞや、巴里で受取った貴方のお手紙には、貴方のお父様は貴方が結婚なさる時は、フレガートの新車をお祝いに、下さる
聞えた中込さんの愛嬢でいられる以上、貴方がそれくらいのことをなさるのは、当然至極だと思っていました。そして私も、タキシードや燕尾服で、各国大公使の夜会へ出席することを、いささかも不思議とは思っておりませんでした。が、そうした私の今までの生活は、もはや手も届かぬくらい遠くへ、飛び去ってしまいました。私が貴方と新居を持って、女中に侍かれタキシードで自動車に納まって、都大路を走らせている時には、私にそういう生活をさせたいばっかりに、私の兄は淋しい五里の山道に草鞋を
母は埃だらけの仁王門の天井裏で、髪を乱して
そして、こんなことを申上げるのは、決して私の、感傷ではありません。こんな惨めな
先月の二十六日、延び延びになっていた着任の挨拶と同時に、辞表を出すために思い切って、東京へ行って来ました。夜行で昼過ぎ新橋へ着いて、その足で田村町の本省へ行って、局長に辞表を出して来ました。理由をいわず、ただ外交官がイヤになったと、それだけを申し立てましたから、局長から辞表の撤回を
しかし、結局辞表を出して、午後の六時頃本省を出ました。また電車通りを新橋口まで、あのガード下の
乗車時間の迫って来るまで、柱に
貴方はどうしていらっしゃるだろうと思うと、せめて一度でも逢いたいなと、無性に貴方にお眼にかかりたくなりました。が、眼を閉じているうちに、汽車は発車しました。それでもまだ、眼をあけることができませんでした。大森、蒲田、川崎と過ぎて、東京の灯光がやや遠のいた時分に、やっと心が落ちついて、眼を開くことができました。
淋しいと思います。なさけないと思います。意気地なく、涙が出て来ます。しかし、不思議に心が落ちつきます。新橋でネオンや、赤坂麹町の夜空を眺めて、狂いそうな気がした時に較べると、自分ながら驚くほど、澄んだしみじみとした安住の安らかさを、覚えます。やはり、自分のいるべきところへ、帰って来たからでしょう。
裏山の墓地へ行くと、兄のいう通り母の新しい石塔や、
そのためには戸籍面も
ただ一つ、兄に罪ありとすれば、それは
私には宗教もなければ、信仰もなく、判然たる未来感なぞはありません。が、もし世間でいう如く、人が死んで来世というものがあるならば、その時こそ喜んで喜んで、私は貴方に結婚して戴く。そして夫とも呼ばれ妻とも呼びたい。では仕合せに、暮して下さい。
さようなら
全文ここで終っているが、もう一度ノート発見当時の模様を、振り返って見ることにしよう。この本文が終ったあたりに、仏蘭西語で


歯を食い縛ってでも、諦めねばならぬ人は諦めようという意味か? 苦しい人生は、泣きながらでも、堪えて行かなければならぬという意味か? いわん方なく人の心を打つ。
ともかくノートは、板の間の
が、新聞の報ずるところによれば、その中込氏の令嬢も、最近突如謎の自殺を遂げたといわれるところをもってすれば、あるいはこのノートを元とした何らかの手紙を、受取っていたのではなかろうか? と、想像される節がある。いずれにせよ、運命の主人公自身は、いささかの犯罪容疑者でもないのだから、それらは警察の探索を許さぬ、個人の自由の世界と、いうところであったろう。
人の住んでいないはずの、宗源寺の山門から時々怪火が洩れるとか、人の
主人公がまず、病母に毒を
死んで病から解き放たれて、狂った心にも初めて我が子が、遠く海外から帰って来たことが、わかったのかも知れぬ。瀬戸内海の長島には、癩病者隔離のための愛生園があり、草津、霧島その他にも、隔離のためにいくつかの国立療養所の、設けがある。駐仏大使館二等書記官までも勤めた俊才が、何も早まって親子心中まで遂げなくとも! と、世の識者といわれる人々の批判は
さりとて、余命
ともあれ、正月も過ぎてその時、村の祭りでも近づいていたのか? 遥かの麓からあまり上手でもない馬鹿