私の家の祖先は、越中の国水橋といふ小さな漁村の生れであつた。
「
明治十一年||明治天皇が
汽車が水橋近くに進むと、私の心が動揺した。二十年前にちよつと帰省したときも、酒屋をしてゐる「尾島屋」といふ本家に一泊したが、その後お互ひに年賀状さへも絶えてゐるので、家族の生死すら今は不明なのである。なんとしても感傷的にならざるをえない。蜃気楼で有名な魚津、それから
土地の人たち四五人と一しよに小さなガタバスに乗り、酒屋の前でおりた。昔と同じに七八間もずつと紅殻格子の入つた北国風の軒下に、開け放された店の入口がある。そこの土間へトランクを一つ宛運び、酒倉につゞく内廊下のだゝつ広い茶の間へ顔を出した。
「お客さんが来られました。」
勝手の方からひよいと出て来た婆やらしいのが、すぐに奥へ知らせた。
「まあ、よう来られましたね、昨日からあんた、どないにか待つとりましたぞいね、待つて待つて············」
懐かしさうに私の手を取つたのは、
「長生きしてをりますと、かうやつて又逢はれるもんでござんすね、ほんとうによう来られましたこと、なんといふ珍らしいことでござんせうか············」
としみ/″\私を見るのだつた。私の家が零落したころは碌すつぽ顧りみてもくれなかつたこの家の主人はじめ一族の冷淡さを、今彼女は代つて詫びてゐるかのやうに思へた。私の胸に過去の悲しい記憶のかず/\がよみがへり、眼がしらに涙がにじんだ。十七歳の秋、断然生家を出る決心したのは、このお文さんの弟の義雄といふ青年との縁談が、私に無断で祖母だちが定めかけた為めだつた。そのことも思ひ出されて、お文さんとの邂逅に複雑な哀感が湧くのであつた。
奥の座敷に落ついてから、いろ/\と懐古的な話のつきないうちに、あの人も死んだ、この人も死んだ、と二十年のあひだに幾人も死んでゐる話が、私と何等交渉のなかつた人達であつても佗しく思はれたが、土産に持つて来た海苔の缶をそこへ列べながら、
「義雄さんは今どちらにお
ときくと、
「それがあんた、七年前に流感で死にましてね、可哀さうなことをしました······」
と、お文さんは袖口で涙をふき/\語つた。私に嫌はれて三年の後、気の進まない結婚をしたときいてゐたが、七年も前に死んでゐようとは思はなかつた。少女時代、私が読みものが好きだからと云つて、田舎には滅多にない雑誌や書物を、どつかゝら探し出して来ては持つて来てくれたりして、実直一方の堅い青年だつたが、どうも私は嫌ひであつた。義雄と結婚して、一生田舎で安全な生活をしようなどゝいふ心は毛頭なく、東京へ出て勉強したい願ひで、十七歳の少女は一杯だつたのである。
「まあ、亡くなられましたか、そんなに早くね、随分お丈夫さうな方でしたのに·········」
お文さんの涙につりこまれて眼を伏せると、
お文さんは私が金ピカの袋に入れて持つて来た母の歯骨を仏壇に飾つて拝んだ。聖武天皇時代既に越中文化の中心として仏教が開けてから、この国の人々の楽しみは、ひたすら他力信心に縋るより他ないのだつた。その盲目的信仰によつて生れたものは、かうなるのも前世の約束といふ宿命的「諦め主義」であつた。
私は最近に撮つた母の写真と、若い時分の父の写真とを出して、お文さんに見せた。お文さんも過去の人々の写真を出して来た。皆それ/″\に見覚えのある人達が、一人々々この世から消えて行つたことを思ふと、実に淋しい気持だつた。
「お
昔から優しい性質の女で、
「又呼吸器ぢやないかな?」
今の主人の兄もそれだつた、その妹もそれだつた、そして、その兄の娘もさうだつたし、まだ他にもその病気で倒れてゐる筈だつた。家が
夜になつてから、私は二男に案内されて、医者の家に行つた。
「ほう、大変珍らしいんぢやね」
幼少のころ私と
「こんな立派な家に棲んで、お茶をたてたり、香を焚いたり、俳句を作つたり、随分あなたはのんきなお医者様ね。」
私はそちこち見廻しながら云つた。
「いや、さうでもないさ、これでなか/\忙しいんぢやよ、何しろこの地ぢや医者らしいのが、僕の外にたつた一人しかゐないんぢやからね。ときに、お母さんや妹はどうしとるかね。」
「母は一昨年死んだの、妹は丈夫でぴん/\してゐますよ、九年前主人に別れて、三人の娘を育てゝ独立でやつてますの!」
「ほう、そりや大変ぢやね。それから、あの、······お
「震災後だつたでせうか、
「ふむ、さうかね、もう死んでしまつたかね。ふむ!」
彼は独りで感に堪へてゐる様子だつた。私の唇がそのとき或記憶の連想から、自然に徒らつぽくほぐれて来た。
「もういくつぢやつたかな、たしか僕より三つほど若かつたと思ふが·········」
「そんなもんでせうか······医学校時代あの人とあんた少し
無遠慮に云はれて、彼は青年のやうに眼元を紅くした。お房さんといふのは、私を初めて東京へつれて来てくれた私の
「お房さんも最後はあんまり幸福ぢやありませんでしたよ、社会党の旦那さんを持つて大分苦労して十年も経つてから、又若い愛人を作つて一緒になつたりして、結局はその人とも別れて独りになつてね。変化の多い生活でしたよ。」
「ふゝむ、さうかね、
この男は幼少のころ
医者は
「何しろ、あんたとの噂はたしかだつたわね、今なら白状してもいゝでせう、私、子供なりにもそんな噂きいてゐたんですもの············」
「馬鹿ぢやね、そんなことないよ、ありや兄貴の方さ。」
いよ/\眼を細めて嬉しさに笑つて見せる。
「へい、お兄さんもだつたの、
「若いときやお互ひさ、君だつて東京へ行つてからどんなことがあつたか分らんからね。今の旦那さんとのことも評判ぢやつたぜ。」
私たちは明けつ放しで賑やかに笑つた。
「本家の長男は、どうなすつたんですの? 又例のぢやない! 子供が三人もあるのに······」
私は話をかへた。
「いや、神経衰弱なんぢやよ。」
「さう云つてるまに例のになつてゐやしないか知ら? 私そんな風に直感したんだけど······一体この土地の人南無阿弥陀仏にばかり凝つてゐて、あの病気を少し早目に諦めすぎるんでせう、なんとか精一杯の努力でもつと治療したら、なほるもんでもなほさずにしまふんぢやないかと私思ふわ。東京でも今仏教復興と云つて騒いでるけど、科学の力が進歩するほど、お念仏の効能が薄くなりやしない? 伯父さんのあんたがお医者なのに、こんな差出口
医者はちよつと、ドキリとしたらしく、
「そんなことないよ、呼吸器はなんともないんぢや、只少し気が弱くてね、去年家内が死んでから、あんなになつたんで············」
「あんなに日当りのわるい部屋に寝かしとかないで、どつかへ養生に出したらどう? 大切の息子ぢやないの、お金はうんとあるんだしね、お念仏主義はいゝ加減にした方がいゝわね」
医者は軽くうなづくだけだつた。今だにやつぱり「人間の生命」よりも、先祖代々から伝はつてゐる財産の方が大切なのだらうか? だが、私はこの医者と久しぶりな思ひで対談してゐることは悪い気持でなかつた。
その夜遅くまで本家の座敷で、私はお文さんと話し込んだが、お文さんは長男の病気について私に一言も語らなかつた。私に隠す必要はなからうと思つても、肺病ばかりはどこへ行つても人は隠すものだつた。私は富山の寺にある墓の話をはじめた。
「どうもあんまり長い間
「いゝところへ気がつかれましたね、水橋においてあれば、私どもはどないにでもお守りをしますけれどね、富山にありますとね、どうしてもわざ/\行くことが出来ませんさかい······たまには分家のお墓まゐりもせにやならん/\云ひながら、ほんとに申訳のないことでござんす。」
「私、明日お寺へ行つてその話をしようと思ひますの、どうぞ御主人ともよく相談しといて下さいまし、お盆の月にはたまに読経料を少々送つたりしましたが[#「しましたが」は底本では「しましたか」]、とかく
「今はあんた、立派なお寺さんになられましてね、何年か前に住職が死なれて、今はそのお
「ほう、すると、私の知つてゐるお稚子はんと云つた方が、住職になつて亡くなられた訳ですか知ら?」
「いえ/\、あんたの知つとられるお稚子はんが住職なつて
お文さんは二度までも語尾にこの国独特の
「お稚子はんの又そのお稚子はん、すると、あの昔美しかつた、評判の奥さんの孫に当るんですか?」
「さう/\。」
二人は笑ひ出してしまつた。二十年も顔を出さなければその位の変遷はある筈だつた。
「地面はぽつちりでようござんすから、どうか手頃なところを探しといて下さいましね。そしてこつちへ移してしまへば私もう安心ですから······」
「それがようござんすね、もと/\
「あんなに一生寺のためにばかり尽くしてゐたお祖母さんでしたけど、死んでしまへばお寺だつてそれつきりのもんですからね。」
仏教にこつて夜も日もなかつた私の祖母は、年がら年中お寺ごとで
「代が変れば、それも仕方がありませんね、けれど、あのやかましや(有名)の美しい後家さんね、あの方まだ丈夫でをられますよ。」
「へい、さうですかね、もう随分おばあさんでせうね、一体この国の人、若いもんの方がどんどんさきに死ぬやうな気がしますね、やつぱりもつと日光をとり入れなくちやいけませんね。」
うつかり云つてから、奥に寝てゐる長男のことが思はれたが、全く日光の入らぬ家に医者が入るのである。然かも頑迷な彼等は、その医者の注意さへも、仏教の因果説などに重きをおいて肯かないのである。
仏壇にはいつまでも燈明がちよろ/\とゆらめいて、燃えのこつた抹香のかほりが広い家ぢうに漂つてゐる。仏を拝め、仏を拝め、と教へられた幼時が、ぞつとするほど思ひ出される。お文さんは話半ばにでもなんでも、とき/″\念仏をとなへた。
朝になつてから、私は酒倉を一わたり見物しながら、この念仏の家を今日は出発しようと思つた。百年二百年、三百年とつゞく、このお念仏の家には、年ごとに何程かの富が殖え、それを守るために、皆は節約に節約を重ね、
大穴のやうな
「とにかく結構なことですわね、代々かうやつて沢山のお酒を造つては売り出して、身代がますます殖えるばかしなんだから、ほんとに好いですわ。」
「然し、僕だちに云はせると、こんな小さい村に永住して、一生酒の匂ひを嗅いで暮すなんてことは、どう考へても面白い生活だとは思へないんです。今のところ、兄貴が病気なんで、どうしても僕が働かなくちやならないんですが、兄貴が丈夫になつたら、僕も一つ東京へ出て、何か自分の仕事がしてみたいと思つてゐるんです············」
「でもね、考へようですよ、地方に落ついてゐて、
「まあ、さう思つて出来るだけのことは、やつてみてゐますが······」
商業学校出のこの二男はなか/\健康さうで頼もしい、こんな好い二男が控へてゐるので、病身の長男が、一層諦められてゐるのではなからうか? と私に逢はせない長男の青い顔が、気味わるく
一台の自動車に八人も乗つて来て、私を見送つた彼等の一行を、もう一度この世で逢へるかどうかと佗しく思ひながら、私は汽車の窓から顔を出して、いつまでも眺めるのだつた。