四谷見付から
築地両国行の電車に乗った。別に
何処へ行くという
当もない。船でも車でも、動いているものに乗って、
身体を
揺られるのが、自分には一種の快感を起させるからで。これは
紐育の高架鉄道、
巴里の乗合馬車の屋根裏、セエヌの
河船なぞで、
何時とはなしに妙な習慣になってしまった。
いい天気である。あたたかい。風も吹かない。十二月も早や二十日過ぎなので、電車の
馳せ行く
麹町の大通りには、
松竹の
注目飾り、
鬼灯提灯、
引幕、
高張、
幟や旗のさまざまが、
汚れた
瓦屋根と、新築した家の
生々しい木の板とに対照して、少しの調和もない混乱をば、なお更無残に、三時過ぎの
日光が斜めに
眩しく
照している。調子の合わない広告の楽隊が
彼方此方から騒々しく
囃し立てている。人通りは随分
烈しい。
けれども、電車の中は案外すいていて、
黄い軍服をつけた
大尉らしい軍人が一人、
片隅に小さくなって兵卒が二人、
折革包を
膝にして
請負師風の男が一人、
掛取りらしい
商人が三人、女学生が二人、それに
新宿か
四ツ
谷の
婆芸者らしい女が一人乗っているばかりであった。日の光が斜めに窓からさし込むので、それを
真面に受けた大尉の
垢じみた横顔には
剃らない
無性髯が一本々々針のように光っている。女学生のでこでこした
庇髪が赤ちゃけて、油についた
塵が
二目と見られぬほどきたならしい。一同黙っていずれも唇を半開きにしたまま
遣り
場のない目で
互に顔を見合わしている。
伏目になって、いろいろの
下駄や靴の先が並んだ乗客の足元を見ているものもある。何万円とか書いた福引の広告ももう
一向に人の視線を引かぬらしい。婆芸者が土色した
薄ぺらな唇を
捩じ曲げてチュウッチュウッと音高く虫歯を吸う。請負師が
大叭の後でウーイと一ツ

をする。車掌が
身体を折れるほどに
反して時々はずれる
後の綱をば引き直している。
麹町の三丁目で、ぶら
提灯と大きな
白木綿の
風呂敷包を持ち、
ねんねこ半纏で
赤児を
負った四十ばかりの醜い女房と、ベエスボオルの道具を携えた少年が二人乗った。少年が夢中で昨日済んだ学期試験の成績を話し出す。突然けたたましく泣き出す赤児の声に婆芸者の歯を吸う
響ももう聞えなくなった。乗客は
皆な泣く子の顔を見ている。女房は
ねんねこ半纏の
紐をといて赤児を抱き下し、
渋紙のような肌をば平気で、
襟垢だらけの襟を割って乳房を含ませる。赤児がやっとの事泣き
止んだかと思うと、車掌が、「
半蔵門、半蔵門でございます。
九段、
市ヶ
谷、
本郷、
神田、
小石川方面のお
方はお乗換え
||あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は
真黒な乳房をぶらぶら、片手に赤児片手に提灯と風呂敷包みを抱え込み、
周章てふためいて降り掛ける。その入口からは、待っていた乗客が案外にすいている車と見るやなお更に先きを争い、出ようとする女房を押しかえして、われがちに座を占める。赤児がヒーヒー
喚き立てる。
おしめが滑り落ちる。乗客が構わずそれをば踏み付けて行こうとするので、
此度は女房が
死物狂いに叫び出した。口癖になった車掌は
黄い声で、
「お忘れものの
御在いませんように。」と注意したが、見るから汚い
おしめの有様。といって黙って打捨てても置かれず、
詮方なしに「おあぶのう御在いますから、御ゆるり願います。」
漸くにして、チインと引く鈴の音。
「動きます。」
車掌の声に電車ががたりと動くや否や、席を取りそこねて立っていた
半白の
婆に、その娘らしい十八、九の
銀杏返し
前垂掛けの女が、二人一度に
揃って倒れかけそうにして危くも
釣革に取りすがった。同時に、
「あいたッ。」と足を踏まれて叫んだものがある。
半纏股引の職人である。
「まア、どうぞ御免なすって
······。」と銀杏返は顔を
真赤に腰をかがめて会釈しようとすると、電車の動揺でまたよろけ掛ける。
「ああ、こわい。」
「おかけなさい。姉さん。」
薄髯の
二重廻が
殊勝らしく席を譲った。
「どうもありがとう
······。」
しかし腰をかけたのは母らしい半白の婆であった。若い女は
丈伸をするほど手を延ばして
吊革を
握締める。その
袖口からどうかすると脇の下まで見え
透きそうになるのを、
頻と気にして絶えず片手でメレンスの
襦袢の袖口を押えている。車はゆるやかな坂道をば静かに心地よく
馳せ下りて行く。突然足を踏まれた
先刻の職人が
鼾声をかき出す。誰れかが『報知新聞』の雑報を音読し初めた。
三宅坂の停留場は何の混雑もなく過ぎて、車は
瘤だらけに枯れた柳の並木の下をば土手に沿うて走る。
往来の右側、いつでも夏らしく
繁った老樹の下に、三、四台の荷車が休んでいる。二頭
立の箱馬車が電車を追抜けて行った。左側は車の窓から
濠の景色が絵のように見える。石垣と松の
繁りを頂いた高い土手が、出たり
這入ったりして、その傾斜のやがて静かに水に接する処、日の光に照らされた岸の曲線は見渡すかぎり、驚くほど
鮮かに強く引立って見えた。青く濁った水の
面は鏡の如く両岸の土手を
蔽う雑草をはじめ、柳の細い枝も
一条残さず、高い空の浮雲までをそのままはっきりと映している。それをば土手に
群る水鳥が幾羽となく飛入っては絶えず、羽ばたきの
水沫に
動し砕く。岸に沿うて電車がまがった。濠の水は一層広く一層静かに望まれ、その
端れに立っている
桜田門の
真白な壁が夕方前のやや濁った日の光に薄く色づいたままいずれが影いずれが実在の物とも見分けられぬほど鮮かに水の面に映っている。
間もなく
日比谷の公園外を通る。電車は広い大通りを越して
向側のやや狭い街の角に止まるのを待ちきれず二、三人の男が飛び下りた。
「
止りましてからお降り下さい。」と車掌のいうより先に一人が早くも転んでしまった。無論大した
怪我ではないと合点して、車掌は見向きもせず、曲り角の大厄難、
後の綱のはずれかかるのを一生懸命に
引直す。車は
八重に
重る線路の上をガタガタと行悩んで、定めの停留場に着くと、
其処に待っている一団の群集。中には大きな荷物を脊負った商人も二、三人
交っていた。
例の
上り降りの混雑。車掌は声を
黄くして、
「どうぞ中の方へ願います。あなた、恐入りますが、もう少々
最一ツ先きの釣革に願います。込み合いますから御懐中物を御用心。動きます。ただ今お乗り換えの方は切符を拝見致します。次は
数寄屋橋、お
乗換の
方は御在いませんか。」
「ありますよ。ちょいと、乗りかえ。
本所は乗り換えじゃないんですか。」髪を切り下げにした隠居風の
老婆が
逸早く叫んだ。
けれども車掌は片隅から一人々々に切符を
切て行く
忙しさ。「往復で御在いますか。
十銭銀貨で一銭のお釣で御在います。お乗換は御在いませんか。」
「乗換ですよ。ちょいと。」本所行の老婆は首でも絞められるように、もう
金切声になっている。
「おい、回数券だ、三十回
······。」
鳥打帽に
双子縞の
尻端折、下には長い毛糸の
靴足袋に編上げ靴を
穿いた自転車屋の
手代とでもいいそうな男が、一円
紙幣二枚を車掌に渡した。車掌は受取ったなり向うを見て、
狼狽てて出て行き数寄屋橋へ停車の
先触れをする。
尾張町まで来ても回数券を持って来ぬので、今度は老婆の代りに心配しだしたのはこの手代で。しかしさすがに声はかけず、鋭い
眼付で
瞬き一ツせず車掌の姿に注目していた。車の
硝子窓から、印度や
南清の
殖民地で見るような質素な実利的な西洋館が街の両側に続いて見え出した。車の音が
俄かに激しい。調子の合わない楽隊が再び聞える。
乃ち銀座の
大通を横切るのである。乗客の中には三人
連の
草鞋ばき
菅笠の田舎ものまで
交って、また一層の
大混雑。
後の降り口の
方には乗客が息もつけないほどに押合い今にも
撲り合いの
喧嘩でも始めそうにいい
罵っている。
「込み合いますから、どうぞお
二側に願います。」
釣革をば一ツ残らずいろいろの手が引張っている。
指環の輝くやさしい白い手の隣りには
馬蹄のように厚い
母指の爪が
聳えている。
垢だらけの
綿ネルシャツの
袖口は金ボタンのカフスと
相接した。乗換切符の要求、田舎ものの
狼狽。車の中は頭痛のするほど
騒しい中に、いつか
下町の優しい女の話声も交るようになった。
木挽町の
河岸へ止った時、混雑にまぎれて乗り逃げしかけたものがあるとかいうので、車掌が向うの
露地口まで、
中折帽に
提革包の男を追いかけて行った。
後からつづいて停車した電車の車掌までが加勢に出かけて、
往来際には
直様物見高い見物人が寄り集った。
車の中から席を去って出口まで見に行くものもある。「けちけちするない
||早く出さねえか
||正直に
銭を払ってる
此輩アいい迷惑だ。」と叫ぶものもある。
不時の停車を幸いに、
後れ
走せにかけつけた二、三人が、あわてて乗込んだ。その最後の一人は、一時に車中の目を引いたほどの美人で、赤いてがらをかけた年は二十二、三の
丸髷である。オリブ色の
吾妻コオトの
袂の
ふりから
二枚重の
紅裏を
揃わせ、片手に
進物の菓子折ででもあるらしい絞りの
福紗包を持ち、出口に近い釣革へつかまると、その下の腰掛から、
「あら、よし子さんじゃいらッしゃいませんか。」と同じ
年頃、同じような
風俗の同じような丸髷が声をかけた。
「あら、まア
······。」と立っている丸髷はいかにもこの奇遇に驚いたらしく言葉をきる。
「五年ぶり
······もっとになるかも知れませんわね。よし子さん。」
「ほんとに
······あの、
藤村さんの
御宅で校友会のあったあの時お目にかかったきりでしたねえ。」
電車がやっと動き始めた。
「よし子さん、おかけ遊ばせよ、かかりますよ。」と下なる丸髷は、かなりに窮屈らしく詰まっている腰掛をグット左の方へ押しつめた。
押詰められて、じじむさい
襟巻した金貸らしい
爺が不満らしく横目に
睨みかえしたが、
真白な女の襟元に、文句はいえず、押し敷かれた古臭い
二重廻しの
翼を、だいじそうに引取りながら、順送りに席を
居ざった。赤い
てがらは腰をかけ、
両袖と
福紗包を
膝の上にのせて、
「校友会はどうしちまったんでしょう、この頃はさっぱり会費も取りに来ないんですよ。」
「藤村さんも、おいそがしいんですよ、きっと。何しろ、あれだけのお店ですからね。」
「お宅さまでは皆さまおかわりも
······。」
「は、ありがとう。」
「どちらまでいらッしゃいますの、私はもう、すぐそこで下りますの。」
「
新富町ですか。わたくしは
······。」
いいかけた処へ車掌が順送りに賃銭を取りに来た。赤いてがらの細君は帯の間から
塩瀬の
小い
紙入を出して、あざやかな発音で静かに、
「のりかえ、ふかがわ。」
「
茅場町でおのりかえ。」と車掌が
地方訛りで
蛇足を加えた。
真直な
往来の両側には、意気な
格子戸、
板塀つづき、
磨がらすの
軒燈さてはまた霜よけした松の枝越し、二階の
欄干に
黄八丈に
手拭地の
浴衣をかさねた
褞袍を干した家もある。行書で太く書いた「鳥」「
蒲焼」なぞの
行燈があちらこちらに見える。
忽ち左右がぱッと
明く開けて電車は
一条の橋へと登りかけた。
左の方に同じような木造の橋が浮いている。
見下すと
河岸の石垣は直線に伸びてやがて正しい角度に曲っている。池かと思うほど静止した
堀割の水は
河岸通に続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な
忍返をつけた黒板塀の影までをはっきり映している。丁度
汐時であろう。泊っている
荷舟の
苫屋根が往来よりも高く持上って、物を煮る青い煙が風のない空中へと
真直に立昇っている。
鯉口半纏に
向鉢巻の女房が
舷から子供の
おかわを洗っている。橋の
向角には「かしぶね」とした真白な新しい行燈と
葭簀を片寄せた店先の
障子が見え、石垣の下には舟板を一枚残らず
綺麗に組み並べた釣舟が四、五
艘浮いている。人通りは
殆どない、もう四時過ぎたかも知れない。傾いた日輪をば
眩しくもなく
正面に見詰める事が出来る。この
黄味の強い赤い
夕陽の光に照りつけられて、見渡す人家、堀割、石垣、
凡ての物の側面は、その角度を鋭く鮮明にしてはいたが、しかし日本の空気の是非なさは遠近を区別すべき
些少の濃淡をもつけないので、堀割の
眺望はさながら旧式の芝居の
平い
書割としか思われない。それが今、自分の眼にはかえって一層適切に、
黙阿弥、
小団次、
菊五郎らの舞台をば、遺憾なく思い返させた。あの貸舟、格子戸づくり、忍返し
······。
折もよく
海鼠壁の芝居小屋を過ぎる。しかるに車掌が何事ぞ、
「スントミ町。」と発音した。
丸髷の一人は席を立って、「それじゃ、御免ください、どうぞお宅へよろしく。」
「ちッと、おひまの時いらしッて下さい。さよなら。」
電車は
桜橋を渡った。堀割は以前のよりもずッと広く、荷船の
往来も
忙しく見えたが、道路は建て込んだ小家と
小売店の松かざりに、
築地の通りよりも狭く貧しげに見え、人が
何という事もなく入り乱れて、ぞろぞろ歩いている。
坂本公園前に停車すると、それなり
如何ほど待っていても更に出発する様子はない。
後にも先にも電車が止っている。運転手も車掌もいつの間にやら
何処へか行ってしまった。
「また
喰ったんだ。停電にちげえねえ。」
糸織の羽織に
雪駄ばきの商人が
臘虎の
襟巻した
赧ら顔の連れなる
爺を顧みた。
萌黄の小包を首にかけた小僧が
逸早く飛出して、「やア、電車の行列だ。先の見えねえほど続いてらア。」と叫ぶ。
車掌が
革包を小脇に押えながら、帽子を
阿弥陀に汗をふきふき
駈け戻って来て、「お気の毒様ですがお乗りかえの方はお降りを願います。」
声を聞くと共に乗客の大半は一度に席を立った。その中には唇を
尖らして、「どうしたんだ。よっぽどひまが
掛るのか。」
「
相済みません、この通りで御在います。
茅場町までつづいておりますから
······。」
菓子折らしい
福紗包を携えた
彼の
丸髷の美人が車を下りた最後の乗客であった。
自分は既に述べたよう
何処へも行く当てはない。大勢が下車するその場の騒ぎに引入れられて
何心もなく席を立ったが、すると車掌は自分が要求もせぬのに
深川行の
乗換切符を渡してくれた。
人家の屋根に日を
遮られた
往来には
海老色に
塗り立てた電車が二、三
町も長く続いている。
茅場町の通りから斜めにさし込んで来る
日光で、
向角に高く低く
不揃に立っている
幾棟の西洋造りが、屋根と窓ばかりで何一ツ彫刻の装飾をも施さぬ結果であろう。
如何にも貧相に厚みも重みもない物置小屋のように見えた。往来の上に縦横の網目を張っている電線が透明な冬の空の眺望を目まぐるしく妨げている。昨日あたり山から
伐出して来たといわぬばかりの
生々しい丸太の電柱が、どうかすると向うの見えぬほど遠慮会釈もなく突立っている。その上に意匠の技術を無視した色のわるいペンキ塗の広告がベタベタ
貼ってある。竹の葉の
汚らしく枯れた松飾りの間からは、家の
軒ごとに各自勝手の
幟や旗が出してあるのが、いずれも紫とか赤とかいう極めて単純な色ばかりを
択んでいる。
自分は憤然として昔の深川を思返した。幸い乗換の切符は手の
中にある。自分は
浅間しいこの都会の中心から一飛びに深川へ行こう
||深川へ逃げて行こうという押えられぬ欲望に
迫められた。
数年前まで、自分が日本を去るまで、水の深川は久しい間、あらゆる自分の趣味、
恍惚、悲しみ、
悦びの感激を満足させてくれた処であった。電車はまだ布設されていなかったが既にその
頃から、東京市街の美観は散々に破壊されていた中で、河を越した
彼の場末の一劃ばかりがわずかに
淋しく悲しい裏町の
眺望の
中に、衰残と零落とのいい
尽し得ぬ純粋一致調和の美を
味わしてくれたのである。
その頃、繁華な市中からこの深川へ来るには電車の便はなし、
人力車は
賃銭の高いばかりか何年間とも知れず
永代橋の
橋普請で、近所の往来は
竹矢来で
狭められ、小石や砂利で車の通れぬほど荒らされていた処から、
誰れも彼れも、皆
汐溜から出て
三十間堀の堀割を通って来る小さな石油の蒸汽船、もしくは、
南八丁堀の
河岸縁に、「出ますよ出ますよ」と呼びながら一向出発せずに豆腐屋のような鈴ばかり
鳴し立てている
櫓舟に乗り、
石川島を向うに望んで
越前堀に添い、やがて、
引汐上汐の波にゆられながら、印度洋でも横断するようにやっとの事で永代橋の
河下を横ぎり、
越中島から
蛤町の堀割に
這入るのであった。不動様のお
三日という
午過ぎなぞ参詣戻りの人々が
筑波根、
繭玉、
成田山の
提灯、
泥細工の
住吉踊の人形なぞ、さまざまな
玩具を手にさげたその中には
根下りの
銀杏返しや
印半纏の
頭なども
交っていて、
幾艘の
早舟は
櫓の音を
揃え、
碇泊した
荷舟の間をば声を掛け合い、
静な
潮に従って流れて行く。水にうつる人々の衣服や玩具や提灯の色、それをば
諸車止と
高札打ったる朽ちた木の橋から
欄干に
凭れて眺め送る心地の
如何に絵画的であったろう。
夏中
洲崎の
遊廓に、
燈籠の催しのあった
時分、夜おそく舟で
通った景色をも、自分は一生忘れまい。
苫のかげから漏れる鈍い
火影が、酒に
酔って
喧嘩している
裸体の船頭を照す。川添いの
小家の裏窓から、いやらしい姿をした女が、
文身した
裸体の男と酒を
呑んでいるのが見える。
水門の
忍返しから
老木の松が水の上に枝を
延した庭構え、
燈影しずかな料理屋の二階から
芸者の歌う
唄が聞える。月が出る。倉庫の屋根のかげになって、片側は
真暗な
河岸縁を
新内のながしが通る。水の光で
明く見える板橋の上を提灯つけた車が走る。それらの景色をばいい知れず美しく悲しく感じて、
満腔の詩情を托したその頃の自分は若いものであった。
煩悶を知らなかった。江戸趣味の
恍惚のみに満足して、心は実に平和であった。
硯友社の芸術を立派なもの、新しいものだと思っていた。
近松や
西鶴が残した文章で、如何なる感情の激動をもいい
尽し得るものと安心していた。
音波の動揺、色彩の濃淡、空気の
軽重、そんな事は少しも自分の神経を
刺戟しなかった。そんな事は芸術の範囲に
入るべきものとは少しも予想しなかった。日本は永久自分の住む処、日本語は永久自分の感情を自由にいい
現してくれるものだと信じて疑わなかった。
自分は今、
髯をはやし、洋服を着ている。電気鉄道に乗って、鉄で出来た永代橋を渡るのだ。時代の激変をどうして感ぜずにいられよう。
夕陽は荷舟や
檣の
輻輳している越前堀からずっと遠くの
方をば、
眩しく
烟のように曇らしている。影のように黒く立つ石川島の前側に、いつも幾艘となく碇泊している
帆前船の横腹は、赤々と日の光に
彩られた。橋の下から
湧き昇る石炭の煙が、時々は先の見えぬほど、橋の上に立ち迷う。これだけは以前に変らぬ眺めであったが、自分の眼は
忽ち
佃島の
彼方から深川へとかけられた
一条の長い橋の姿に驚かされた。堤の上の小さい松の並木、橋の上の人影までが、はっきり絵のように見える。自分は永代橋の
向岸で電車を下りた。その頃は
殆ど
門並みに知っていた深川の大通り。
角の
蛤屋には意気な女房がいた。名物の
煎餅屋の娘はどうしたか知ら。一時
跡方もなく
消失せてしまった
二十歳時分の記憶を呼び返そうと、自分はきょろきょろしながら歩く。
無論それらしい娘も女房も今は見当てられようはずはない。しかし深川の大通りは相変らず日あたりが悪く、妙にこの土地ばかり薄寒いような気がして、市中は風もなかったのに、
此処では松かざりの竹の葉がざわざわいって動いている。よく見覚えのある深川座の
幟がたった一本
淋し
気に、昔の通り、
横町の
曲角に立っていたので、自分は道路の新しく取広げられたのをも
殆んど気付かず、心は全く十年前のなつかしい昔に立返る事が出来た。
つい名を忘れてしまった。思い出せない
||一条の板橋を渡ると、やがて左へ曲る横町に
幟の如く
釣した
幾筋の
手拭が見える。紺と黒と
柿色の配合が、全体に色のない場末の町とて
殊更強く人目を
牽く。自分は深川に名高い不動の
社であると、
直様思返してその方へ曲った。
細い
溝にかかった石橋を前にして、「
内陣、
新吉原講」と
金字で書いた鉄門をはいると、
真直な敷石道の左右に並ぶ
休茶屋の
暖簾と、奉納の手拭が目覚めるばかり
連続って、その奥深く石段を上った小高い処に、本殿の屋根が夕日を受けながら黒く
聳えている。参詣の人が二人三人と絶えず
上り
降りする石段の下には易者の机や、
筑波根売りの露店が二、三軒出ていた。そのそばに
児守や子供や人が大勢
立止っているので、何かと
近いて見ると、坊主頭の老人が
木魚を
叩いて
阿呆陀羅経をやっているのであった。阿呆陀羅経のとなりには
塵埃で灰色になった
頭髪をぼうぼう
生した盲目の男が、
三味線を抱えて小さく身をかがめながら
蹲踞んでいた。阿呆陀羅経を聞き飽きた参詣戻りの人たちが三人四人立止る砂利の上の足音を聞分けて、盲目の男は
懐中に入れた
樫のばちを取り出し、ちょっと調子をしらべる三の糸から直ぐチントンシャンと弾き出して、低い
呂の声を
咽喉へと
呑み込んで、
あきイ
||の
夜と長く
引張ったところで、つく息と共に汚い
白眼をきょろりとさせ、
仰向ける顔と共に首を斜めに振りながら、
夜は
||ア
と歌った。声は枯れている。三味線の一の糸には少しのさわりもない。けれども、
歌出しの「秋
||」という
節廻しから拍子の
間取りが、山の手の芸者などには到底聞く事の出来ぬ
正確な
歌沢節であった。自分はなつかしいばかりでない、非常な尊敬の念を感じて、男の顔をば何んという事もなくしげしげ眺めた。
さして
年老っているというでもない。無論明治になってから生れた人であろう。自分は何の理由もなく、かの男は生れついての盲目ではないような気がした。小学校で地理とか数学とか、事によったら、以前の小学制度で、高等科に英語の初歩位学んだ事がありはしまいか。けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽
風情が経営した俗悪
蕪雑な「明治」と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった。そして栄華の昔には
洒落半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、お
浚いの座敷の
緋毛氈、祭礼の
万燈花笠に
酔ったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを打仰ぐ不幸を知らない。よしまた、知ったにしても、こういう江戸ッ
児はわれら近代の人の如く熱烈な
嫌悪憤怒を感じまい。我れながら
解せられぬ
煩悶に苦しむような執着を持っていまい。江戸の人は早く
諦めをつけてしまう。すぐと自分で自分を冷笑する特徴をそなえているから。
高い三の糸が
頻りに響く。おとするものは
||アと歌って、
盲人は首をひょいと前につき出し顔をしかめて、
鐘
||エエばアかり
||という一番高い
節廻をば枯れた自分の
咽喉をよく承知して、
巧に裏声を使って逃げてしまった。
夕日が左手の
梅林から流れて盲人の横顔を
照す。しゃがんだ哀れな影が
如何にも薄く
後の石垣にうつっている。石垣を築いた石の
一片ごとに、奉納した人の名前が赤い字で彫りつけてある。芸者、芸人、
鳶者、芝居の
出方、
博奕打、皆近世に関係のない名ばかりである。
自分はふと後を振向いた。梅林の奥、公園外の低い人家の屋根を越して西の大空一帯に濃い紺色の夕雲が物すごい壁のように
棚曳き、沈む夕日は
生血の
滴る如くその間に燃えている。
真赤な色は驚くほど濃いが、光は弱く鈍り衰えている。自分は突然一種悲壮な感に打たれた。あの夕日の沈むところは
早稲田の森であろうか。
本郷の岡であろうか。自分の身は今如何に遠く、東洋のカルチェエ・ラタンから離れているであろう。盲人は一曲終ってすぐさま、
「
更けて
逢ふ
夜の気苦労は
||」と歌いつづける。
自分はいつまでも、いつまでも、暮行くこの深川の夕日を浴び、迷信の霊境なる本堂の石垣の下に
佇んで、歌沢の
端唄を聴いていたいと思った。
永代橋を渡って帰って行くのが堪えられぬほど
辛く思われた。いっそ、明治が生んだ江戸追慕の詩人
斎藤緑雨の如く
滅びてしまいたいような気がした。
ああ、しかし、自分は
遂に帰らねばなるまい。それが自分の運命だ、河を隔て堀割を越え坂を
上って遠く行く、
大久保の森のかげ、自分の書斎の机にはワグナアの画像の下にニイチェの詩ザラツストラの一巻が開かれたままに自分を待っている
······明治四十一年十二月作