牛屋の
手間取、
牛切りの
若いもの、
一婦を
娶る、と
云ふのがはじまり。
漸と
女房にありついたは
見つけものであるが、
其の
婦(
奇醜)とある。たゞ
醜いのさへ、
奇醜は
弱つた、
何も
醜を
奇がるに
當らぬ。
本文に
謂つて
曰く、
蓬髮歴齒睇鼻深目、お
互に
熟字でだけお
知己の、
沈魚落雁閉月羞花の
裏を
行つて、これぢや
縮毛の
亂杭齒、
鼻ひしやげの、どんぐり
目で、
面疱が
一面、いや、
其の
色の
黒い
事、ばかりで
無い。
肩が
頸より
高く
聳えて、
俗に
引傾りと
云ふ
代物、
青ン
膨れの
腹大なる
瓜の
如しで、
一尺餘りの
棚ツ
尻、
剩へ
跛は
奈何。
これが
又大のおめかしと
來て、
當世風の
廂髮、
白粉をべた/\
塗る。
見るもの、
莫不辟易。
豈それ
辟易せざらんと
欲するも
得んや。
而して、
而してである。
件の
牛切、
朝から
閉籠つて、
友達づきあひも
碌にせぬ。
一日、
茫と
成つて、
田圃の
川で
水を
呑んで
居る
處を、
見懸けた
村の
若いものが、ドンと
一ツ
肩をくらはすと、
挫げたやうにのめらうとする。
慌てて、
頸首を
引掴んで、
「
生きてるかい、」
「へゝゝ。」
「
確乎しろ。」
「へゝゝ、おめでたう、へゝゝへゝ。」
「
可い
加減にしねえな。おい、
串戲ぢやねえ。お
前の
前だがね、
惡女の
深情つてのを
通越して
居るから、
鬼に
喰はれやしねえかツて、
皆友達が
案じて
居るんだ。お
前の
前だがね、おい、よく
辛抱して
居るぢやねえか。」
「へゝゝ。」
「あれ、
矢張り
恐悦して
居ら、
何うかしてるんぢやねえかい。」
「
私も、はあ、
何うかして
居るでなからうかと
思ふだよ。
聞いてくんろさ。
女房がと
云ふと、あの
容色だ。まあ、へい、
何たら
因縁で
一所に
成つたづら、と
斷念めて、
目を
押瞑つた
祝言と
思へ。」
「うむ、
思ふよ。
友だちが
察して
居るよ。」
「
處がだあ、へゝゝ、
其の
晩からお
前、
燈を
暗くすると、ふつと
婦の
身體へ
月明がさしたやうに
成つて、
第一な、
色が
眞白く
成るのに、
目が
覺るだ。」
於稀帷中微燈閃鑠之際則殊見麗人である。
「
蛾眉巧笑※頬多姿[#「搖のつくり+頁」の「缶」に代えて「廾」、U+982F、104-6]、
纖腰一握肌理細膩。」
と
一息に
言つて、ニヤ/\。
「おまけにお
前、
小屋一杯、
蘭麝の
香が
芬とする。
其の
美しい
事と
云つたら、
不啻毛
飛燕。」
と
言ふ、
牛切りの
媽々をたとへもあらうに、
毛
飛燕も
凄じい、
僭上の
到りであるが、
何も
別に
美婦を
讚めるに
遠慮は
要らぬ。
其處で、
不禁神骨之倶解也。である。
此は
些と
恐しい。
「
私も
頓と
解せねえだ、
處で、
當人の
婦に
尋ねた。」
「
女房は
怒つたらう、」
「
何ちゆツてな。」
「だつてお
前、お
前の
前だが、あの
顏をつかめえて、
牛切小町なんて、お
前、
怒らうぢやねえか。」
「うんね、
怒らねえ。」
「はてな。」
とばかりに、
苦笑。
「
怒らねえだ。が、
何もはあ、
自分では
知らねえちゆうだ。
私も、あれよ、
念のために、
燈をくわんと
明るくして、
恁う
照らかいて
見た。」
「
氣障な
奴だぜ。」
「
然うすると、
矢張り、あの、
二目とは
見られねえのよ。」
「
其處が
相場ぢやあるまいか。」
「
燈を
消すと
又小町に
成る、いや、
其の
美しい
事と
云つたら。」
とごくりと
唾を
呑み、
「へゝゝ、
口で
言ふやうたものではねえ。
以是愛之而忘其醜。」と
言ふ。
聞者不信。
誰も
此は
信じまい。
「や、お
婿さん。」
「
無事か。」
などと、
若いものが
其處へぞろ/\
出て
來た。で、
此の
話を
笑ひながら
傳へると、
馬鹿笑ひの
高笑ひで、
散々に
冷かしつける。
「
狐だ、
狐だ。」
「
此の
川で
垢離を
取れ。」
「
南無阿彌陀佛。」
と
哄と
囃す。
屠者向腹を
立て、
赫と
憤つて、
「
試して
見ろ。」
こゝで、
口あけに、
最初の
若いものが、
其の
晩、
牛切の
小屋へ
忍ぶ。
御亭主、
戸外の
月あかりに、のつそりと
立つて
居て、
「
何うだあ、」
若い
衆は
額を
叩いて、
「
偉い、」と
云つて、お
叩頭をして、
「
違ひなし。」
「それ、
何うだあ。」
と
悦喜の
顏色。
於是村内の
惡少、
誰も
彼も
先づ
一ツ、(
馬鹿な
事を)とけなしつける。
「
試して
見ろ。」
「トおいでなすつた、
合點だ。」
亭主、
月夜にのそりと
立つて、
「
何うだあ。」
「
偉い。」と
叩頭で
歸る。
苟も
言にして
信ぜられざらんか。
屠者便令與宿焉。
幾遍一邑不啻名娼矣。
一夜珍しく、
宵の
内から
亭主が
寢ると、
小屋の
隅の
暗がりに、
怪しき
聲で、
「
馬鹿め、
汝が
不便さに、
婦の
形を
變へて
遣つたに、
何事ぞ、
其の
爲體は。
今去矣。」
と
膠もなく、
一喝をしたかと
思ふと、
仙人どのと
覺しき
姿、
窓から
飛んで
雲の
中、
山へ
上らせたまひけり。
時に
其の
帷中の
婦を
見れば、
宛としておでこの
醜態、
明白に
成畢ぬ。
屠者其の
餘りの
醜さに、
一夜も
側に
我慢が
成らず、
田圃をすた/\
逃げたとかや。
明治四十四年三月
●表記について
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