御馳走には
季春がまだ
早いが、たゞ
見るだけなら
何時でも
構はない。
食料に
成る
成らないは
別として、
今頃の
梅雨には
種々の
茸がによき/\と
野山に
生える。
野山に、によき/\、と
言つて、あの
形を
想ふと、
何となく
滑稽けてきこえて、
大分安直に
扱ふやうだけれども、
飛んでもない
事、あれでなか/\
凄味がある。
先年、
麹町の
土手三番町の
堀端寄に
住んだ
借家は、
太い
濕氣で、
遁出すやうに
引越した
事がある。
一體三間ばかりの
棟割長屋に、
八疊も、
京間で
廣々として、
柱に
唐草彫の
釘かくしなどがあらうと
言ふ、
書院づくりの
一座敷を、
無理に
附着けて、
屋賃をお
邸なみにしたのであるから、
天井は
高いが、
床は
低い。
||大掃除の
時に、
床板を
剥すと、
下は
水溜に
成つて
居て、
溢れたのがちよろ/\と
蜘蛛手に
走つたのだから
可恐い。
此の
邸······いや
此の
座敷へ
茸が
出た。
生えた
······などと
尋常な
事は
言ふまい。「
出た」とおばけらしく
話したい。
五月雨のしと/\とする
時分、
家内が
朝の
間、
掃除をする
時、
縁のあかりで
氣が
着くと、
疊のへりを
横縱にすツと
一列に
並んで、
小さい
雨垂に
足の
生えたやうなものの
群り
出たのを、
黴にしては
寸法が
長し、と
横に
透すと、まあ、
怪しからない、
悉く
茸であつた。
細い
針ほどな
侏儒が、
一つ/\、と、
歩行き
出しさうな
氣勢がある。
吃驚して、
煮湯で
雜巾を
絞つて、よく
拭つて、
先づ
退治た。が、
暮方の
掃除に
視ると、
同じやうに、ずらりと
並んで
揃つて
出て
居た。
此が
茸なればこそ、
目もまはさずに、じつと
堪へて
私には
話さずに
祕して
居た。
私が
臆病だからである。
何しろ
梅雨あけ
早々に
其家は
引越した。が、
······私はあとで
聞いて
身ぶるひした。むかしは
加州山中の
温泉宿に、
住居の
大圍爐裡に、
灰の
中から、
笠のかこみ
一尺ばかりの
眞黒な
茸が
三本づゝ、
續けて
五日も
生えた、と
言ふのが、
手近な
三州奇談に
出て
居る。
家族は
一統、
加持よ
祈祷よ、と
青くなつて
騷いだが、
私に
似ない
其主人、
膽が
据つて
聊かも
騷がない。
茸だから
生えると
言つて、むしつては
捨て、むしつては
捨てたので、やがて
妖は
留んで、
一家に
何事の
觸りもなかつた
||鐵心銷怪。
偉い!
······と
其の
編者は
賞めて
居る。
私は
笑はれても
仕方がない。
成程、
其の
八疊に
轉寢をすると、とろりとすると
下腹がチクリと
疼んだ。
針のやうな
茸が
洒落に
突いたのであらうと
思つて、もう
一度身ぶるひすると
同時に、
何うやら
其の
茸が、
一づゝ
芥子ほどの
目を
剥いて、ぺろりと
舌を
出して、
店賃の
安値いのを
嘲笑つて
居たやうで、
少々癪だが、しかし
可笑い。
可笑いが、
氣味が
惡い。
能の
狂言に「
茸」がある。
||山家あたりに
住むものが、
邸中、
座敷まで
大な
茸が
幾つともなく
出て
祟るのに
困じて、
大峰葛城を
渡つた
知音の
山伏を
頼んで
來ると、「それ、
山伏と
言つぱ
山伏なり、
何と
殊勝なか。」と
先づ
威張つて、
兜巾を
傾け、いらたかの
數珠を
揉みに
揉んで、
祈るほどに、
祈るほどに、
祈れば
祈るほど、
大な
茸の、あれ/\
思ひなしか、
目鼻手足のやうなものの
見えるのが、おびたゞしく
出て、したゝか
仇をなし、
引着いて
惱ませる。「いで、
此上は、
茄子の
印を
結んで
掛け、いろはにほへとと
祈るならば、などか
奇特のなかるべき、などか、ちりぬるをわかンなれ。」と
祈る
時、
傘を
半びらきにした、
中にも
毒々しい
魔形なのが、
二の
松へ
這つて
出る。
此にぎよつとしながら、いま
一祈り
祈りかけると、その
茸、
傘を
開いてスツクと
立ち、
躍りかゝつて、「ゆるせ、」と
逃げ

る
山伏を、「
取つて
噛まう、
取つて
噛まう。」と
脅すのである。
||彼等を
輕んずる
人間に
對して、
茸のために
氣を
吐いたものである。
臆病な
癖に
私はすきだ。
そこで
茸の
扮裝は、
縞の
着附、
括袴、
腰帶、
脚絆で、
見徳、
嘯吹、
上髯の
面を
被る。その
傘の
逸もつが、
鬼頭巾で
武惡の
面ださうである。
岩茸、
灰茸、
鳶茸、
坊主茸の
類であらう。いづれも、
塗笠、
檜笠、
菅笠、
坊主笠を
被つて
出ると
言ふ。
······此の
狂言はまだ
見ないが、
古寺の
廣室の
雨、
孤屋の
霧のたそがれを
舞臺にして、ずらりと
此の
形で
並んだら、
並んだだけで、おもしろからう。
······中に、
紅絹の
切に、
白い
顏の
目ばかり
出して
褄折笠の
姿がある。
紅茸らしい。あの
露を
帶びた
色は、
幽に
光をさへ
放つて、たとへば、
妖女の
艷がある。
庭に
植ゑたいくらゐに
思ふ。
食べるのぢやあないから
||茸よ、
取つて
噛むなよ、
取つて
噛むなよ。
······大正十二年六月
●表記について
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