京師の
張廣號は、
人參の
大問屋で、
聞えた
老鋪。
銀座で
一番、と
云ふづツしりしたものである。
一日の
事で、十八九の
一人の
少年、
馬に
打乘り、
荷鞍に
着けた
皮袋に、
銀貨をざく/\と
鳴して
來て、
店頭へ
翻然と
降り、さて
人參を
買はうと
云ふ。
馬に
銀袋を
積んで
來たくらゐ、
人參の
價値は
思ふべしである。が、
一寸素人には
相場が
分らぬ。ひそかに
心覺に
因ると、
我朝にても
以前から、
孝行な
娘が
苦界に
沈んで、
浮川竹の
流の
身と
成るのは、
大概人參。で、
高尾、
薄雲、
芳野など
云ふ
絶世の
美人の
身代金、
即ち
人參一兩の
値は、
名高い
遊女一人に
相當するのであるから、
蓋し
容易なわけのものではない。
何と!
處で
其の
少年は、
人參百兩を
買はうと
云ふ。
果せる
哉、
銀貨を
馬に
積んで
居るから、
金慣れた
旦那、
物に
動ぜぬ
番頭、
生意氣盛の
小僧どもまで、ホツと
云つて
目を
驚かして、
天から
降つて
來たやうに、
低頭平身して、
「へえ/\、へえ。」
扨て、
芬と
薫りの
高い
抽斗から、
高尾、
薄雲と
云ふ
一粒選の
處を
出して、ずらりと
並べて
見せると、
件の
少年鷹揚に
視て
居たが、
「お
店の
方。」
「はツ。」
「
實は
何です。
私の
主人と
言ひますのが、
身分柄にも
似合はない、せゝツこましい
人でしてね。
恁うして
買つて
參ります
品物が
氣に
入らないと、
甚いんですぜ、そりや、
踏んだり、
蹴つたり、ポカ/\でさ。
我又不善擇人參可否。
此の
通り、お
銀に
間違は
無いんですから、
何うでせう、
一ツ
人參を
澤山持つて、
一所に
宿まで
來て
下さいませんか。
主人に
選らせりや、いさくさなし、
私を
助けるんです、
何うでせう。」
一議に
及ばず、
旦那以爲然が、
何分大枚の
代物であるから、
分別隨一と
云ふ
手代が、
此の
使を
承る。と
旦那も
十分念を
入れて、
途中よく
氣をつけて、
他人には
指もさゝせるな。これだけの
人參、
一人觸つて
一舐めしても
大抵な
病人は
助かる。で、それだけ
代物が
減る、
合點か。
もう、
其處等に
如才はござりません、とお
手代。こゝで
荷鞍へ、
銀袋と
人參の
大包を
振分けに、
少年がゆたりと
乘り、
手代は、
裾短な
羽織の
紐をしやんと
構へて、
空高き
長安の
大都を
行く。
やがて
東華門に
至ると、こゝに、
一大旅店、
築地ホテルと
言ふ
構へのがある。
主人は
此處に、と
少年の
導くまゝに、
階子を
上つて、
其の
手代は
二階の
一室、
表通りの
見晴と
云ふのへ
通る。
他愛なく
頭が
下つたと
云ふのは、
中年の
一個美髯の
紳士、
眉におのづから
品位のあるのが、
寶石を
鏤めた
藍の
頭巾で、
悠然と
頤の
其の
髯を
扱いて
居た。
「お
手代、
大儀ぢや。」
「はツ、
初めましてお
目通りを
仕ります。へえ、
今度はまた
格別の
御註文仰せつけられまして、
難有い
仕合せにござります。へえ、へえ、
早速これへ
持參いたしました
人參、
一應御覽下さりまするやう、へえ。」
以前の
少年も
手傳つて、これから
包を
解いて、
人參を
卓子一杯に
積上げる。
異香室内に
滿つ
||で、
尊さが
思遣られる。
處へ、
忽ち、
門外、から/\と
車の
音、ヒヽンと
馬の
嘶く
聲。
正午頃の
大ホテル、
秋冷かに
寂とした
中へ、
此の
騷々しさ。
病人の
主人、フト
窓から
下を
覗くと、
急に
眉を
顰めて、
「
童子。」
と
少年を
呼んだのは
豪いが、
些と
慌しさうな
言語で、
「これ、
何が
來た。それ、な、
病氣ぢやに
因つてお
目には
懸られぬと
言ふのぢや。」
「
畏りました。」
トン/\と
階子を
靴で、
靜に、
······しかし
少年は
急いで
下りる。
主人聲を
密めて、
手代に、
「いや、
些と
其のな、
商業の
取引上、
俺に
貸金のあるものが
參つたで。
恥しいわ、は、は。」
と
笑つて、
「
二階へ
上らせては
些と
面倒、と
云ふのが、
恁うして
人參を
買ふ
處を
見られると、
都合が
惡いので、
金子を
渡さぬわけに
行かぬぢや。
······は、は、
大目に
見やれさ。」と
仰向けに
椅子に
凭る。
「いえ、もう、
誰方樣も
其處がお
懸引でいらつしやります、へえ。」と
眞面目で
居る。
少年が
引返した。が、
大に
弱つた
顏をした、「
内證で
婦人などお
戲れで、それで
座敷へ
通せぬのであらう。
其の
儀なら
尚の
事、
斷てとおつしやる。
旅店の
若い
衆も
押返すやうにお
留め
申しては
居りますが、
手足を
掉つてお
肯入れなく、
靴で
蹴飛ばしていらツしやいます。」
「
困つたの。」
と
爰に
於て、
色を
變へて、
手代に
向ひ、
一倍低聲で、
「
些と
縁續きのものだけに、
益々以つて
然う
捻ぢられては
難かしい。
······何しろ
此處へ
通しては
成らぬで。
俺が
下室へ
行つて
逢つて
來よう。が、つむじ
曲りぢや、
強つて
上つて
來ぬとも
限らぬ。
念のため、
此處に、
竹行李がある。ソレ、
錠も
下りるわ。
早く
其の
人參を
中へ
入れて、お
主、
天川屋と
云ふ
處で、のつしと
腰を
掛けて
番をして
居てくれい。
宜いか、
宜いかな。」
で、
病人とあつて、
蹌踉と
樓を
下る。
「
旦那、お
危うござります。」と
少年は
其の
後へ、
腰を
抱くやうな
手つきで
從ふ。
戸外が
近いから、
二階に
殘つた
手代の
耳にもよく
聞える。
一つ
二つ
下室で、
言葉を
交した、と
思ふと、
怒鳴る、
喚く、
果は、どた/\の
取組合。
何處へなだれ
懸つたやら、がらん、がらゝんと
云ふ
響。
やがて、ホテルは
寂然として、
遠くで
馬の
嘶くのが
聞える。
窓の
外を
赤蜻蛉。
竹行李に
腰を
掛けて、
端坐した
人參お
手代、
端坐だけに
尚ほ
間が
拔ける。
「はてな。」とはじめて
氣が
着いて、
主人が
渡して
行つた
鍵をガツチリ、
狼狽眼で
開いて
見ると、
這は
如何。
箱の
底から、
階下の
廊下が
見通しであつた。
行李は、
元來の
底なしで、
今のどたばたの
音に
紛れて、
見事、
天井を
切つて、
人參を
拔いたもの。
いや、
其の
時の
手代の
樣子が、
井戸に
落した
音のやうで、ポカンとしたものであつた、と
云ふ。さて/\
油斷は
成らぬ
世の
中。
次手にとぼけたのがある。
江戸の
掏兒は、
人の
下駄を
脱がすと
聞くが、
唐人だけに
穿いて
居る
靴を
脱がされて、
剩へ
屋根へ
上げられた、と
云ふのが
一つ。
むかし
唐土長安のハイカラ、
新しい
買たての
靴で、キユツ/\などとやり、
嬉しさうに、
爪先を
見て、ニヤ/\と
町を
通る。
一人づいと
行逢ひ、
袖を
捲いて、
長く
揖し、
靴どのが
手を、ひしと
握つて、
「やア、お
珍しい。
何うも、しばらく、
何とも
御不沙汰、
大將何うです、
御景氣は。」
と
立續ける。
靴を
着けたるもの、
固より
見も
知らぬ
男であるから、ものをも
言はず
呆れて
立つたは
其の
筈で。
揖するもの、くわつと
成つて、
「
笑かしやがらあ。
新らしい
靴を
穿いたと
思つて、
異う
俺つ
達を
他人にしやがる。へん、
止してくんねえ。」
と
言ふが
否や、
靴どのが
被つた
帽子を
引捻つて
取つたと
思ふと、
片側町の
瓦屋根の
上へ、スポンと
投げて、
「
状あ
見やがれ。」と
後をも
見ず、
肩を
怒らして、
肱を
張つて、すた/\
去る。
新靴は、きよとんとして、
「はア、
醉漢や。」と
呟いて、
變な
顏して
屋根を
見て
居る。
此の
姿が、
例の
唐人だけに
面白い。
處へ
又、
通りかゝつたものがある。
「もし、
飛んだ
目にお
逢ひなさいましたね。
今の
奴は
何て
惡戲をするんだらう、
途法もない。いや、しかし、
烈しい
日中、
尊頭。」
と
記いてある。(
尊頭)は
言ひ
得て
妙なり。
「
尊頭が
堪りますまい。
何故屋根へお
上んなすつてお
帽子をお
取りなさいません。」
「ぢやてて、
貴方はん、
梯子がおへんよつて、どないにもあきまへん。」
と
言ふ。
其の
人曰く、
「それだつて、
小原女が
賣りに
來るのを
待つて
居られもしますまい。
可うがす、
肩をお
貸し
申しませう。これへ
乘つて、
廂へかゝつて、
大屋根へお
上んなさい。」
着靴者感謝。
「おい
來た。」と
氣輕に
踞む、
其の
男の
肩へ、づかと
遣ると、
忽ち
怒つた。
「
串戲ぢやない。
汝、
靴が
惜けりや、
俺だつて
衣服が
惜いや。いくら
新しい
靴だつて
泥がついてら、
氣をつけねえか。」と、けぐめを
啖はす。
着靴者慙謝、とある。これは
慙謝は
當然である。
其處で
薄汚れた
襪に
成つて、
肩から
廂へ、
大屋根へ
這上つて、
二百十日と
云ふ
形で、やつとこな、と
帽子を
掴むと、
下の
奴は
甜瓜かじりに
靴を
掴んで、
一目散。
人込の
中へまぎれて
候。
明治四十四年五月
●表記について
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