あら玉の春着きつれて醉ひつれて
少年行と
前がきがあつたと
思ふ
······こゝに
拜借をしたのは、
紅葉先生の
俳句である。
處が、その
着つれてとある
春着がおなじく
先生の
通帳を
拜借によつて
出來たのだから
妙で、そこが
話である。さきに
秋冷相催し、
次第に
朝夕の
寒さと
成り、やがて
暮が
近づくと、
横寺町の
二階に
日が
當つて、
座敷の
明い、
大火鉢の
暖い、
鐵瓶の
湯の
沸つた
時を
見計らつて、お
弟子たちが
順々、かく
言ふそれがしも、もとよりで、
襟垢、
膝ぬけと
言ふ
布子連が
畏まる。「
先生、
小清潔とまゐりませんでも、せめて
縞柄のわかりますのを、
新年は
一枚と
存じます
······恐れ
入りますが、お
帳面を。」「また
濱野屋か。」
神樂坂には、
他に
布袋屋と
言ふ
||今もあらう
||呉服屋があつたが、
此の
濱野屋の
方の
主人が、でつぷりと
肥つて、
莞爾々々して
居て、
布袋と
言ふ
呼稱があつた。
が、
太鼓腹を
突出して、でれりとして、
團扇で
雛妓に
煽がせて
居るやうなのではない。
片膚脱ぎで
日置流の
弓を
引く。
獅子寺の
大弓場で
先生と
懇意だから、
從つて
弟子たちに
帳面が
利いた。たゞし
信用がないから
直接では
不可いのである。「
去年の
暮のやつが
盆を
越して
居るぢやないか。だらしなく
飮みたがつてばかり
居るからだ。」「は、
今度と
言ふ
今度は
······」「お
株を
言つてら。
||此の
暮には
屹と
入れなよ。」
||その
癖、ふいと
立つて、「
一所に
來な。」で、
通へ
出て、
右の
濱野屋で、
御自分、めい/\に
似合ふやうにお
見立て
下すつたものであつた。
此の
春着で、
元日あたり、
大して
醉ひもしないのだけれど、
目つきと
足もとだけは、ふら/\と
四五人揃つて、
神樂坂の
通りをはしやいで
歩行く。
······若いのが
威勢がいゝから、
誰も(
帳面)を
着て
居るとは
知らない。いや、
知つて
居たかも
知れない。
道理で、そこらの
地内や
横町へ
入つても、つきとほしの
笄で、
褄を
取つて、
羽子を
突いて
居るのが、
聲も
掛けはしなかつた。
割前勘定。
乃ち
蕎麥屋だ。と
言つても、
松の
内だ。もりにかけとは
限らない。たとへば、
小栗があたり
芋をすゝり、
柳川がはしらを
撮み、
徳田があんかけを
食べる。お
酌なきが
故に、
敢て
世間は
怨まない。が、
各々その
懷中に
對して、
憤懣不平勃々たるものがある。
從つて
氣焔が
夥しい。
此のありさまを、
高い
二階から
先生が、
あら玉の春着きつれて醉ひつれて
涙ぐましいまで、
可懷い。
牛込の
方へは、
隨分しばらく
不沙汰をして
居た。しばらくと
言ふが
幾年かに
成る。このあひだ、
水上さんに
誘はれて、
神樂坂の
川鐵(
鳥屋)へ、
晩御飯を
食べに
出向いた。もう
一人お
連は、
南榎町へ
淺草から
引越した
万ちやんで、
二人番町から
歩行いて、その
榎町へ
寄つて
連立つた。が、あの、
田圃の
大金と
仲店のかねだを
橋がかりで
歩行いた
人が、しかも
當日の
發起人だと
言ふからをかしい。
途中お
納戸町邊の
狹い
道で、
七八十尺切立ての
白煉瓦に、
崖を
落ちる
瀑のやうな
龜裂が、
枝を
打つて、
三條ばかり
頂邊から
走りかゝつて
居るのには
肝を
冷した。その
眞下に、
魚屋の
店があつて、
親方が
威勢のいゝ
向顱卷で、
黄肌鮪にさしみ
庖丁を
閃かして
居たのは
偉い。
······見た
處は
千丈の
峰から
崩れかゝる
雪雪頽の
下で
薪を
樵るより
危かしいのに
||此の
度胸でないと
復興は
覺束ない。
||ぐら/\と
來るか、おツと
叫んで、
銅貨の
財布と
食麺麭と
魔法壜を
入れたバスケツトを
追取刀で、
一々框まで
飛び
出すやうな
卑怯を
何うする。
······私は
大に
勇氣を
得た。
が、
吃驚するやうな
大景氣の
川鐵へ
入つて、たゝきの
側の
小座敷へ
陣取ると、
細露地の
隅から
覗いて、
臆病神が
顯はれて、
逃路を
探せや
探せやと、
電燈の
瞬くばかり、
暗い
指さしをするには
弱つた。まだ
積んだまゝの
雜具を
繪屏風で
劃つてある、さあお
一杯は
女中さんで、
羅綾の
袂なんぞは
素よりない。たゞしその
六尺の
屏風も、
飛ばばなどか
飛ばざらんだが、
屏風を
飛んでも、
駈出せさうな
空地と
言つては
何處を
向いても
無かつたのであるから。
······其の
癖、
醉つた。
醉ふといゝ
心持に
陶然とした。
第一この
家は、むかし
蕎麥屋で、
夏は
三階のもの
干でビールを
飮ませた
時分から
引續いた
馴染なのである。
||座敷も、
趣は
變つたが、そのまゝ
以前の
俤が
偲ばれる。
······名ぶつの
額がある
筈だ。
横額に
二字、たしか(
勤儉)とかあつて(
彦左衞門)として、
圓の
中に、
朱で(
大久保)と
云ふ
印がある。「いかものも、あのくらゐに
成ると
珍物だよ。」と、
言つて、
紅葉先生はその
額が
御贔屓だつた。
||屏風にかくれて
居たかも
知れない。
まだ
思ひ
出す
事がある。
先生がこゝで
獨酌······はつけたりで、
五勺でうたゝねをする
方だから
御飯をあがつて
居ると、
隣座敷で
盛んに
艷談のメートルを
揚げる
聲がする。
紛ふべくもない
後藤宙外さんであつた。そこで
女中をして
近所で
燒芋を
買はせ、
堆く
盆に
載せて、
傍へあの
名筆を
以て、
曰く「
御浮氣どめ」プンと
香つて、
三筋ばかり
蒸氣の
立つ
處を、あちら
樣から、おつかひもの、と
持つて
出た。
本草には
出て
居まいが、
案ずるに
燒芋と

パンは
浮氣をとめるものと
見える
······が
浮氣がとまつたか
何うかは
沙汰なし。たゞ
坦懷なる
宙外君は、
此盆を
讓りうけて、
其のままに
彫刻させて
掛額にしたのであつた。
さて
其夜こゝへ
來るのにも
通つたが、
矢來の
郵便局の
前で、ひとりで
吹き
出した
覺えがある。
最も
當時は
青くなつて
怯えたので、おびえたのが、
尚ほ
可笑い。まだ
横寺町の
玄關に
居た
時である。「この
電報を
打つて
來た。
巖谷の
許だ、
局待にして、
返辭を
持つて
歸るんだよ。
急ぐんだよ。」で、
局で、
局待と
言ふと、
局員が
字數を
算へて、
局待には
二字分の
符號がいる。
此のまゝだと、もう
一音信の
料金を、と
言ふのであつた。たしか、
市内は
一音信金五錢で、
局待の
分ともで、
私は
十錢より
預つて
出なかつた。そこで
先生の
草がきを
見ると「ヰルナラタヅネル」
一字のことだ。
私は
考一考して
而して
辭句を
改めた。「ヰルナラサガス」
此れなら、
局待の
二字分がきちんと
入る、うまいでせう。
||巖谷氏の
住所は
其の
頃麹町元園町であつた。が
麹町にも、
高輪にも、
千住にも、
待つこと
多時にして、
以上返電がこない。
今時とは
時代が
違ふ。
山の
手の
局閑にして、
赤城の
下で
鷄が
鳴くのをぽかんと
聞いて、うつとりとしてゐると、なゝめ
下りの
坂の
下、あまざけやの
町の
角へ、
何と、
先生の
姿が
猛然としてあらはれたらうではないか。
唯見て
飛出すのと、
殆ど
同時で「
馬鹿野郎、
何をして
居る。まるで
文句が
分らないから、
巖谷が
俥で
駈けつけて、もう
内へ
來てゐるんだ。うつそりめ、
何をして
居る。
皆が、
車に
轢かれやしないか、
馬に
蹴飛ばされやしないかと
案じて
居るんだ。」
私は
青くなつた
||(
居るなら
訪ねる。)を
||(
要るなら
搜す。)
||巖谷氏のわけの
分らなかつたのは
無理はない。
紅葉先生の
辭句を
修正したものは、
恐らく
文壇に
於て
私一人であらう。そのかはり
目の
出るほどに
叱られた。
||何、
五錢ぐらゐ、
自分の
小遣ひがあつたらうと、
串戲をおつしやい。それだけあれば、もう
早くに
煙草と
燒芋と、
大福餅になつて
居た。
煙草五匁一錢五厘。
燒芋が
一錢で
大六切、
大福餅は
一枚五厘であつた。
||其處で
原稿料は?
······飛んでもない、
私はまだ
一枚も
稼ぎはしない。
先生のは
||内々知つてゐるが
内證にして
置く。
······ まだ
可笑しい
事がある、ずツと
後で
······此の
番町の
湯へ
行くと、かへりがけに、
錢湯の
亭主が「
先生々々」
丁ど
午ごろだから
他に
一人も
居なかつた。「
一寸お
教へを
願ひたいのでございますが。」
先生で、お
教へを、で、
私はぎよつとした。
亭主極めて
慇懃に「えゝ(おかゆ)とは
何う
書きますでせうか。」「あゝ、
其れはね、
弓、
弓やつて、
眞中へ
米と
書くんです。
弱しと
間違つては
不可いのです。」
何と、
先生の
得意想ふべし。
實は、
弱を、
米の
兩方へ
配つた
粥を
書いて、
以前、
紅葉先生に
叱られたものがある。「
手前勝手に
字を
拵へやがつて
||先人に
對して
失禮だ。」その
叱られたのは
私かも
知れない。が、
其の
時の
覺えがあるから、あたりを
拂つて
悠然として
教へた。
||今はもう
代は
替つた
||亭主は
感心もしないかはりに、
病身らしい、お
粥を
食べたさうな
顏をして
居た。
女房が
評判の
別嬪で。
||此のくらゐの
間違ひのない
事を、
人に
教へた
事はないと
思つた。
思つたなりで
年を
經た。
實際年を
經た。つい
近い
頃である。
三馬の
浮世風呂を
讀むうちに、だしぬけに
目白の
方から、
釣鐘が
鳴つて
來たやうに
氣がついた。
湯屋の
聞いたのは(
岡湯)なのである。
少々話が
通りすぎた、あとへ
戻らう。
其の
日、
万ちやんを
誘つた
家は、
以前、
私の
住んだ
南榎町と
同町内で、
奧へ
辨天町の
方へ
寄つて
居る
事はすぐに
知れた。が、
家々も
立て
込んで、
從つて
道も
狹く
成つたやうな
氣がする。
殊に
夜であつた。むかし
住んだ
家は
一寸見富が
着かない。さうだらう
兩側とも
生垣つゞきで、
私の
家などは、
木戸内の
空地に
井戸を
取りまいて
李の
樹が
幾本も
茂つて
居た。
李は
庭から
背戸へ
續いて、
小さな
林といつていゝくらゐ。あの、
底に
甘みを
帶びた、
美人の
白い
膚のやうな
花盛りを
忘れない。
雨には
惱み、
風には
傷み、
月影には
微笑んで、
淨濯明粧の
面影を
匂はせた。
······ 唯一間よりなかつた、
二階の
四疊半で、
先生の
一句がある。
紛胸の乳房かくすや花李
ひとへに
白い。
乳くびの
桃色をさへ、
蔽ひかくした
美女にくらべられたものらしい。
······此の
白い
花の、
散つて
葉に
成る
頃の、その
毛蟲の
夥多しさと
言つては、それは
又ない。よくも、あの
水を
飮んだと
思ふ。
一釣瓶ごとに
榎の
實のこぼれたやうな
赤い
毛蟲を
充滿に
汲上げた。しばらくすると、
此の
毛蟲が、
盡く
眞白な
蝶になつて、
枝にも、
葉にも、
再び
花片を
散らして
舞つて
亂るゝ。
幾千とも
數を
知らない。
三日つゞき、
五日、
七日つゞいて、
飜り
且つ
飛んで、
窓にも
欄干にも、
暖かな
雪の
降りかゝる
風情を
見せたのである。
やがて
實る
頃よ。
||就中、
南の
納戸の
濡縁の
籬際には、
見事な
巴旦杏があつて、
大きな
實と
言ひ、
色といひ、
艷なる
波斯の
女の
爛熟した
裸身の
如くに
薫つて
生つた。いまだと
早速千匹屋へでも
卸しさうなものを、
彼の
川柳が
言ふ、(
地女は
振りもかへらぬ
一盛り)それ、
意氣の
壯なるや、
縁日の
唐黍は
買つて
噛つても、
内で
生つた
李なんか
食ひはしない。
一人として
他樣の
娘などに、こだはるものはなかつたのである。
が、いまは
開けた。その
頃、
友だちが
來て、
酒屋から
麥酒を
取ると、
泡が
立たない、
泡が、
麥酒は
決して
泡をくふものはない。が、
泡の
立たない
麥酒は
稀有である。
酒屋にたゞすと、「
拔く
時倒にして、ぐん/\お
振りなさい、
然うすると
泡が
立ちますよ、へい。」と
言つたものである。
十日、
腹を
瀉さなかつたのは
僥倖と
言ひたい
||今はひらけた。
たゞ、
惜しい
哉。
中の
丸の
大樹の
枝垂櫻がもう
見えぬ。
新館の
新潮社の
下に、
吉田屋と
云ふ
料理店がある。
丁度あの
前あたり
||其後、
晝間通つた
時、
切株ばかり、
根が
殘つたやうに
見た。
盛の
時は
梢が
中空に、
花は
町を
蔽うて、そして
地摺に
枝を
曳いた。
夜もほんのりと
紅であつた。
昔よりして
界隈では、
通寺町保善寺に
一樹、
藁店の
光照寺に
一樹、とともに、
三枚振袖、
絲櫻の
名木と、
稱へられたさうである。
向う
側の
湯屋に
柳がある。
此間を、
男も
女も、
一頃揃つて、
縮緬、
七子、
羽二重の、
黒の
五紋を
着て
往き
來した。
湯へ
行くにも、
蕎麥屋へ
入るにも
紋着だつた
事がある、こゝだけでも
春の
雨、また
朧夜の
一時代の
面影が
思はれる。
つい、その
一時代前には、そこは
一面の
大竹藪で、
氣の
弱い
旗本は、いまの
交番の
處まで
晝も
駈け
拔けたと
言ふのである。
酒井家に
出入の
大工の
大棟梁が
授けられて
開拓した。
藪を
切ると、
蛇の
棄て
場所にこまつたと
言ふ。
小さな
堂に
籠めて
祭つたのが、のちに
倶樂部の
築山の
蔭に
谷のやうな
崖に
臨んであつたのを
覺えて
居る。
池、
亭、
小座敷、
寮ごのみで、その
棟梁が
一度料理店を
其處に
開いた
時のなごりだと
聞いた。
棧の
亭で、
遙にポン/\とお
掌が
鳴る。へーい、と
母家から
女中が
行くと、
······誰も
居ない。
池の
梅の
小座敷で、トーンと
灰吹を
敲く
音がする、
娘が
行くと、
······影も
見えない。
||その
料理屋を、
狸がだましたのださうである。
眉唾。
眉唾。
尤もいま
神樂坂上の
割烹(
魚徳)の
先代が(
威張り)と
呼ばれて、「おう、うめえ
魚を
食はねえか」と、
醉ぱらつて
居るから
盤臺は
何處かへ
忘れて、
天秤棒ばかりを
振りまはして
歩行いた
頃で。
······ 矢來邊の
夜は、たゞ
遠くまで、
榎町の
牛乳屋の
納屋に、トーン/\と
牛の
跫音のするのが
響いて、
今にも
||いわしこう
||酒井家の
裏門あたりで
||眞夜中には
||鰯こう
||と
三聲呼んで、
形も
影も
見えないと
云ふ。
······怪しい
聲が
聞えさうな
寂しさであつた。
春の夜の鐘うなりけり九人力
それは、その
李の
花、
花の
李の
頃、
二階の
一室、
四疊半だから、
狹い
縁にも、
段子の
上の
段にまで
居餘つて、わたしたち
八人、
先生と
合はせて
九人、
一夕、
俳句の
會のあつた
時、
興に
乘じて、
先生が、すゝ
色の
古壁にぶつつけがきをされたものである。
句の
傍に、おの/\の
名がしるしてあつた。
······神樂坂うらへ、
私が
引越す
時、そのまゝ
殘すのは
惜かつたが、
壁だから
何うにも
成らない。
||いゝ
鹽梅に、
一人知り
合があとへ
入つた。
||埃は
掛けないと
言つて、
大切にして
居た。
||五月雨の
陰氣な
一夜、
坂の
上から
飛蒐るやうなけたゝましい
跫音がして、
格子をがらりと
突開けたと
思ふと、
神樂坂下の
其の
新宅の
二階へ、いきなり
飛上つて、
一驚を
吃した
私の
机の
前でハタと
顏を
合はせたのは、
知合のその
男で
······眞青に
成つて
居る。「
大變です。」「
······」「
化ものが
出ます。」「
······」「
先生の
壁のわきの、あの
小窓の
處へ
机を
置いて、
勉強をして
居りますと
······恁う、じり/\と
燈が
暗く
成りますから、ふいと
見ますと、
障子の
硝子一杯ほどの
猫の
顏が、」と、
身ぶるひして、「
顏ばかりの
猫が、
李の
葉の
眞暗な
中から
||其の
大きさと
言つたらありません。そ、それが
五分と
間がない、
目も
鼻も
口も
一所に、
僕の
顏とぴつたりと
附着きました、
||あなたのお
住居の
時分から
怪猫が
居たんでせうか
······一體猫が
大嫌ひで、いえ
可恐いので。」それならば
爲方がない。が、
怪猫は
大袈裟だ。
五月闇に、
猫が
屋根をつたはらないとは
誰が
言ひ
得よう。
······窓の
燈を
覗かないとは
限らない。しかし、
可恐い
猫の
顏と、
不意に
顱合せをしたのでは、
驚くも
無理はない。
······「それで、
矢來から
此處まで。」「えゝ。」と
息を
引いて、「
夢中でした
······何しろ、
正體を、あなたに
伺はうと
思つたものですから。」
今は
昔、
山城介三善春家は、
前の
世の
蝦蟆にてや
有けむ、
蛇なん
極く
恐ける。
||夏の
比、
染殿の
辰巳の
山の
木隱れに、
君達、
二三人ばかり
涼んだ
中に、
春家も
交つたが、
此の
人の
居たりける
傍よりしも、
三尺許りなる
烏蛇の
這出たりければ、
春家はまだ
氣がつかなかつた。
處を、
君達、それ
見よ
春家。と、
袖を
去る
事一尺ばかり。
春家顏の
色は
朽し
藍のやうに
成つて、
一聲あつと
叫びもあへず、
立たんとするほどに
二度倒れた。すはだしで、その
染殿の
東の
門より
走り
出で、
北ざまに
走つて、
一條より
西へ、
西の
洞院、それから
南へ、
洞院下に
走つた。
家は
土御門西の
洞院にありければで、
駈け
込むと
齊しく
倒れた、と
言ふのが、
今昔物語りに
見える。
遠きその
昔は
知らず、いまの
男は、
牛込南榎町を
東状に
走つて、
矢來中の
丸より、
通寺町、
肴町、
毘沙門前を
走つて、
南に
神樂坂上を
走りおりて、その
下にありける
露地の
家へ
飛込んで
······打倒れけるかはりに、
二階へ
駈上つたものである。
餘り
眞面目だから
笑ひもならない。「まあ、
落着きたまへ。
||景氣づけに
一杯。」「いゝえ、
歸ります。
||成程、
猫は
屋根づたひをして、
窓を
覗かないものとは
限りません。
||分りました。
||いえ
然うしては
居られません。
僕がキヤツと
言つて、いきなり
飛出したもんですから、
彼が。」と
言ふのが
情婦で、「
一所にキヤツと
言つて、
跣足で
露地の
暗がりを
飛出しました。それつ
切音信が
分りませんから。」
慌てて
歸つた。
||此の
知合を
誰とかする。やがて
報知新聞の
記者、いまは
代議士である、
田中萬逸君その
人である。
反對黨は、ひやかしてやるがいゝ。が、その
夜、もう
一度怯かされた。
眞夜中である。その
頃階下に
居た
學生さんが、みし/\と
二階へ
來ると、
寢床だつた
私の
枕もとで
大息をついて、「
變です。
······どうも
變なんです
||縁側の
手拭掛が、ふはりと
手拭を
掛けたまゝで
歩行んです。
······トン/\トン、たゝらを
踏むやうに
動きましたつけ。おやと
思ふと
斜かひに、
兩方へ
開いて、ギクリ、シヤクリ、ギクリ、シヤクリとしながら、
後退りをするやうにして、あ、あ、と
思ふうちに、スーと、あの
縁の
突あたりの、
戸袋の
隅へ
消えるんです。
變だと
思ふと、また
目の
前へ
手拭掛がふはりと
出て
······出ると、トントントンと
踏んで、ギクリ、シヤクリ、とやつて、スー、
何うにも
氣味の
惡さつたらないのです。
||一度見てみて
下さい。
······矢來の
猫が、
田中君について
來たんぢやあないんでせうか
知ら。」
五月雨はじと/\と
降る、
外は
暗夜だ。
私も
一寸悚然とした。
はゝあ、
此の
怪談を
遣りたさに、
前刻狸を
持出したな。
||いや、
敢て
然うではない。
何う
言ふものか、
此のごろ
私のおともだちは、おばけと
言ふと
眉を
顰める。
口惜いから、
紅葉先生の
怪談を
一つ
聞かせよう。
先生も
怪談は
嫌ひであつた。「
泉が、
又はじめたぜ。」その
唯一つの
怪談は、
先生が十四五の
時、うらゝかな
春の
日中に、
一人で
留守をして、
茶の
室にゐらるゝと、
臺所のお
竈が
見える。
······竈の
角に、らくがきの
蟹のやうな、
小さなかけめがあつた。それが
左の
角にあつた。が、
陽炎に
乘るやうに、すつと
右の
角へ
動いてかはつた。「
唯それだけだよ。しかし
今でも
不思議だよ。」との
事である。
||猫が
窓を
覗いたり、
手拭掛が
踊つたり、
竈の
蟹が
這つたり、ひよいと
賽を
振つて
出たやうである。
春だからお
子供衆||に
一寸······化もの
雙六。
······ なき
柳川春葉は、よく
罪のない
嘘を
言つて、うれしがつて、けろりとして
居た。
||「
按摩あ
······鍼ツ」と
忽ち
噛みつきさうに、
霜夜の
横寺の
通りで
喚く。「あ、あれはね(
吼え
按摩)と
云つてね、
矢來ぢや(
鰯こ)とおんなじに
不思議の
中へ
入るんだよ」「ふう」などと
玄關で
燒芋だつたものである。
花袋、
玉茗兩君の
名が、そちこち
雜誌類に
見えた
頃、よそから
歸つて
來るとだしぬけに「きみ、
聞いて
來たよ。
||花袋と
言ふのは
上州の
或大寺の
和尚なんだ、
花袋和尚。
僧正ともあるべきが、
女のために
詩人に
成つたんだとね。
玉茗と
言ふのは
日本橋室町の
葉茶屋の
若旦那だとさ。」この
人のいふのだからあてには
成らないが、いま
座敷うけの
新講談で
評判の
鳥逕子のお
父さんは、
千石取の
旗下で、
攝津守、
有鎭とかいて
有鎭とよむ。
村山攝津守有鎭||邸は
矢來の
郵便局の
近所にあつて、
鳥逕とは
私たち
懇意だつた。
渾名を
鳶の
鳥逕と
言つたが、
厚眉隆鼻ハイカラのクリスチヤンで、そのころ
拂方町の
教會を
背負つて
立つた
色男で
······お
父さんの
立派な
藏書があつて、
私たちはよく
借りた。
||そのお
父さんを
知つて
居るが、
攝津守だか、
有鎭だか、こゝが
柳川の
説だから
當には
成らない。その
攝津守が、
私の
知つてる
頃は、五十七八の
年配、
人品なものであつた。つい、その
頃、
門へ
出て
||秋の
夕暮である
······何心もなく
町通りを
視めて
立つと、
箒目の
立つた
町に、ふと
前後に
人足が
途絶えた。その
時、
矢來の
方から
武士が
二人來て、
二人で
話しながら、
通寺町の
方へ、すつと
通つた
······四十ぐらゐのと
二十ぐらゐの
若侍とで。
||唯見るうちに、
郵便局の
坂を
下りに
見えなくなつた。あゝ
不思議な
事がと
思ひ
出すと、
三十幾年の、
維新前後に、おなじ
時、おなじ
節、おなじ
門で、おなじ
景色に、おなじ
二人の
侍を
見た
事がある、と
思ふと、
悚然としたと
言ふのである。
此は
少しくもの
凄い。
······ 初春の
事だ。おばけでもあるまい。
春着につけても、
一つ
艷つぽい
處をお
目に
掛けよう。
時に、
川鐵の
向うあたりに、(
水何)とか
言つた
天麩羅屋があつた。くどいやうだが、
一人前、なみで
五錢。
······横寺町で、お
孃さんの
初のお
節句の
時、
私たちは
此を
御馳走に
成つた。その
時分、
先生は
御質素なものであつた。
二十幾年、
尤も
私なぞは、
今もつて
質素である。
此の
段は、
勤儉と
題して、(
大久保)の
印を
捺しても
可い。
その
天麩羅屋の、しかも
蛤鍋三錢と
云ふのを
狙つて、
小栗、
柳川、
徳田、
私······宙外君が
加はつて、
大擧して
押上つた、
春寒の
午後である。お
銚子は
入が
惡くつて、しかも
高値いと
言ふので、
式だけ
誂へたほかには、
町の
酒屋から、かけにして
番を
口説いた
一升入の
貧乏徳利を
誰かが
外套(
註。おなじく
月賦······這個まつくろなのを
一着して、のそ/\と
歩行く
奴を、
先生が
嘲つて
||月府玄蝉。)の
下へ
忍ばした
勢だから、
氣焔と、
殺風景推して
知るべしだ。
······酒氣が
天井を
衝くのではない、
陰に
籠つて
疊の
燒けこげを
轉げ

る。あつ
燗で
火の
如く
惡醉闌なる
最中。お
連樣つ
||と
下階から
素頓興な
聲が
掛ると、「
皆居るかい。」と
言ふ
紅葉先生の
聲がした。まさか、
壺皿はなかつたが、
驚破事だと、
貧乏徳利を
羽織の
下へ
隱すのがある、
誂子を
股へ
引挾んで
膝小僧をおさへるのがある、
鍋へ
盃洗の
水を
打込むのがある。
私が
手をついて
畏まると、
先生にはお
客分で
仔細ないのに、
宙外さんも
煙に
卷かれて、
肩を
四角に
坐り
直つて、
酒のいきを、はあはあと、
專らピンと
撥ねた
髯を
揉んだ。
||處へ
······せり
上つておいでなすつた
先生は、
舞臺にしても
見せたかつた。すつきり
男ぶりのいゝ
處へ、よそゆきから
歸宅のまゝの、りうとした
着つけである。
勿論留守を
狙つて
泳ぎ
出したのであつたが
||揃つて
紫星堂(
塾)を
出たと
聞いて、その
時々の
弟子の
懷中は
見透しによく
分る。
明進軒か
島金、
飛上つて
常磐(はこが
入る)と
云ふ
處を、
奴等の
近頃の
景氣では
||蛉鍋と
······當りがついた。「いや、
盛だな。」と、
缺け
火鉢を、
鐵火にお
召の
股へ
挾んで、
手をかざしながら
莞爾して、「
後藤君、お
樂に
||皆も
飮みなよ、
俺も
割で
一杯やらう。」
殿樣が
中間部屋の
趣がある。
恐れながら、
此時、
先生の
風采想ふべしで、「
懷中はいゝぜ。」と
手を
敲かるゝ。
手に
應じて、へいと、どしん/\と
上つた
女中が、
次手に
薄暗いからランプをつけた、
釣ランプ(
······あゝ
久しいが
今だつてランプなしには
居られますか。)それが
丁ど
先生の
肩の
上の
見當に
掛つて
居た。
面疱だらけの
女中さんが
燐寸を
摺つて
點けて、
插ぼやをさすと、フツと
消したばかり、まだ
火のついたまゝの
燃さしを、ポンと
斜つかひに
投げた
||(まつたく、お
互が、
所帶を
持つて、
女中の
此には
惱まされた、
火の
用心が
惡いから、それだけはよしなよ。はい、と
言ふ
口の
下から、つけさしのマツチをポンがお
定まり
······)
唯、
先生の
膝にプスツと
落ちた。「
女中や、お
手柔かに
頼むぜ。」と
先生の
言葉の
下に、ゑみわれたやうな
顏をして、「
惚れた
證據だわよ。」やや、と
皆が
顏を
見る。
······「
惚れたに
遠慮があるものかツてねえ、
······てね、
······ねえ。」と
甘つたれる。
||あ、あ、あ
危ない、
棚の
破鍋が
落ちかゝる
如く、
剩へべた/\と
崩れて、
薄汚れた
紀州ネルを
膝から
溢出させたまゝ、
······あゝ
······あゝ
行つた!
······男振は
音羽屋(
特註、
五代目)の
意氣に、
團十郎の
澁味が
加つたと、
下町の
女だちが
評判した、
御病氣で
面痩せては、あだにさへも
見えなすつた
先生の
肩へ、
······あゝ
噛りついた。
よゝつツと、
宙外君が
堪まらず
奇聲と
云ふのを
上げるに
連れて、
一同が、
······おめでたうと
稱へた。
それよりして
以來||癇癪でなく、
憤りでなく、
先生がいゝ
機嫌で、しかも
警句雲の
如く、
弟子をならべて
罵倒して、
勢當るべからざる
時と
言ふと、つゝき
合つて、
目くばせして、
一人が
少しく
座を
罷り
出る。「
先生······(
水)
······」「
何。」「
蛤鍋へおともは
如何で。」「
馬鹿を
言へ。」「いゝえ、
大分、
女中さんがこがれて
居りますさうでございまして。」
傍から、「えゝ
煩つて
居るほどだと
申します
事ですから。」
······かねて、おれを
思ふ
女ならば、
目つかちでも
鼻つかけでもと
言ふ、
御主義?であつた。
|| 紅葉先生、その
時の
態度は
······采菊東籬下、
悠然見南山。
大正十三年一月