苗賣の
聲は、なつかしい。
······垣の
卯の
花、さみだれの、ふる
屋の
軒におとづれて、
朝顏の
苗や、
夕顏の
苗······ またうたに、
······田舍づくりの、かご
花活に、づツぷりぬれし
水色の、たつたを
活けし
樂しさは、
心の
憂さもどこへやら
······ 小うたの
寄せ
本で
讀んだだけでも
一寸意氣だ、どうして
惡くない。が、
四疊半でも
六疊でも、
琵琶棚つきの
廣間でも、そこは
仁體相應として、これに
調子がついて、
別嬪の
聲で
聞かうとすると、
三味線の
損料だけでもお
安くない。
白い
手の
指環の
税がかゝる。それに、われら
式が、
一念發起に
及んだほどお
小遣を
拂いて、
羅の
褄に、すツと
長じゆばんの
模樣が
透く、
······水色の、
色氣は(たつた)で
······斜に
座らせたとした
所で、
歌澤が
何とかで、あのはにあるの、このはにないのと、
淺間の
灰でも
降つたやうに、その
取引たるや、なか/\むづかしいさうである。
先哲いはく
······君子はあやふきに
近よらず、いや
頬杖で
讀むに
限る。
······垣の
卯の
花、さみだれの、ふる
屋の
軒におとづれて
······か。
惡いことは
申さぬ。これに
御同感の
方々は、
三味線でお
聞きになるより、
字でお
讀みになる
方が
無事である。
|| 下町の
方は
知らない。
江戸のむかしよりして、これを
東京の
晝の
時鳥ともいひたい、その
苗賣の
聲は、
近頃聞くことが
少くなつた。
偶にはくるが、もう
以前のやうに
山の
手の
邸町、
土べい、
黒べい、
幾曲りを
一聲にめぐつて、
透つて、
山王樣の
森に
響くやうなのは
聞かれない。
久しい
以前だけれども、
今も
覺えて
居る。
一度は
本郷龍岡町の、あの
入組んだ、
深い
小路の
眞中であつた。
一度は
芝の、あれは
三田四國町か、
慶應大學の
裏と
思ふ
高臺であつた。いづれも
小笠のひさしをすゑ、
脚半を
輕く、しつとりと、
拍子をふむやうにしつゝ
聲にあやを
打つてうたつたが
······うたつたといひたい。
私は
上手の
名曲を
聞いたと
同じに、
十年、
十五年の
今も
忘れないからである。
この
朝顏、
夕顏に
續いて、
藤豆、
隱元、なす、さゝげ、
唐もろこしの
苗、また
胡瓜、
糸瓜||令孃方へ
愛相に(お)の
字をつけて
||お
南瓜の
苗、
······と、
砂村で
勢ぞろひに
及んだ、
一騎當千、
前栽の
強物の、
花を
頂き、
蔓手綱、
威毛をさばき、
裝ひに
濃い
紫を
染などしたのが、
夏の
陽炎に
幻影を
顯はすばかり、
聲で
活かして、
大路小路を
縫つたのも
中頃で、やがて
月見草、
待よひ
草、くじやく
草などから、ヒヤシンス、アネモネ、チウリツプ、シクラメン、スヰートピイ。
笛を
吹いたら
踊れ、
何でも
舶來ものの
苗を
並べること、
尖端新語辭典のやうになつたのは
最近で、いつか
雜曲に
亂れて
來た。
決して
惡くいふのではない、
聲はどうでも、
商賣は
道によつて
賢くなつたので、この
初夏も、
二人づれ、
苗賣の
一組が、
下六番町を
通つて、
角の
有馬家の
黒塀に、
雁が
歸るやうに
小笠を
浮かして
顯はれた。
||紅花の
苗や、おしろいの
苗||特に
註するに
及ぶまい、
苗賣の
聲だけは、
草、
花の
名がそのまゝでうたになること、
波の
鼓、
松の
調べに
相ひとしい。
床の
間ものの、ぼたん、ばらよりして、
缺摺鉢、たどんの
空箱の
割長屋、
松葉ぼたん、
唐辛子に
至るまで
聲を
出せば
節になる。むかし、
下の
句に(それにつけても
金の
欲しさよ)と
吟ずれば、
前句はどんなでもぴつたりつく。(ほとゝぎすなきつるかたをながむれば)
||(それにつけてもかねのほしさよ、)
||一寸見本がこんなところ。
古池や、でも
何でも
構はぬ、といつた
話がある。もつともだ。うら
盆で
餘計身にしみて
聞こえるのと、
卑しいけれども、
同じであらう。
その
······||紅花の
苗や、おしろいの
苗|| 小うたなるかな。ふる
屋の
軒におとづれた。
何、
座つて
居ても、
苗屋の
笠は
見えるのだが、そこは
凡夫だ、おしろいと
聞いたばかりで、
破すだれ
越に
乘だして
見たのであるが、
續いて、
||紅鷄頭、
黄鷄頭、
雁來紅の
苗。
······とさか
鷄頭、やり
鷄頭の
苗|| と
呼んだ。
繪で
見せないと、
手つきや
口の
説明では、なか/\
形が
見せられないのに、この、とさか
鷄頭、やり
鷄頭は、いひ
得てうまい。
······學者の
術語ばなれがして、
商賣によつて
賢しである、と
思つたばかりは
二人組かけ
合の
呼聲も、
實は
玄米パンと、ちんどん
屋、また
一所になつた
······どぢやう、どぢやう、どぢやう
||に
紛れたのであつた。
こちらで
氣をつけて、
聞迎へるのでなくつては、
苗賣は、
雜音のために、どなたも、
一寸氣がつかないかも
知れぬと
思ふ。
まして
深夜の
鳥の
聲。
俳諧には、
冬の
季になつて
居たはずだが、みゝづくは、
春の
末から、
眞夏、
秋も
鳴く。
······ともすると
梅雨うちの
今頃が、あの、
忍術つかひ
得意の
時であらうも
知れぬ。
魔法、
妖術、
五月暗にふさはしい。
······よひの
間のホウ、ホウは、あれは、
夜鷹だと
思はれよ。のツホウホー、
人魂が
息吹をするとかいふ
聲に、
藍暗、
紫色を
帶して、のりすれ、のりほせのないのは
木菟で。
······大抵眞夜中の
二時過ぎから、
一時ほどの
間を
遠く、
近く、
一羽だか、
二羽だか、
毎夜のやうに
鳴くのを
聞く。
寢ねがての
夜の
慰みにならないでもない。
陽氣の
加減か、よひまどひをして、
直き
町内の
大銀杏、ポプラの
古樹などで
鳴く
事があると、
梟だよ、あゝ
可恐い。
······私の
身邊には、
生にくそんな
新造は
居ないが、とに
角、ふくろにして
不氣味がる。がふくろの
聲は、そんな
生優しいものではない。
||相州逗子に
住つた
時、
秋もややたけた
頃、
雨はなかつたが、あれじみた
風の
夜中に、
破屋の
二階のすぐその
欄干と
思ふ
所で、
化けた
禪坊主のやうに、
喝をくはしたが、
思はず、
引き
息で
身震ひした。
唐突に
犬がほえたやうな
凄まじいものであつた。
だから、ふくろの
聲は、
話に
聞く
狼がうなるのに
紛れよう。
······みゝづくの
方は、
木精が
戀をする
調子だと
思へば
可い。が、いづれ
魔ものに
近いのであるから、
又ばける、といはれるのを
慮つて、
内々遠慮がちに
話したけれども、
實は、みゝづくは
好きである。
第一形が
意氣だ。
||閨、いや、
寢床の
友の、
||源語でも、
勢語でもない、
道中膝栗毛を
枕に
伏せて、どたりとなつて、もう
鳴きさうなものだと
思ふのに、どこかの
樹の
茂りへ
顯はれない
時は、
出來るものなら、
内懷に
隻手の
印を
結んで、
屋の
棟に
呼びたい、と
思ふくらゐである。
旅行をしても、この
里、この
森、この
祠||どうも、みゝづくがゐさうだ、と
直感すると、
果して
深更に
及んで、ぽツと、
顯はれ
出づるから
則ち
話せる。
||のツほーほう、ほツほウ。
「おいでなさい、
今晩は。
······」
つい
先月の
中旬である。はじめて
外房州の
方へ、まことに
緊縮な
旅行をした、その
時|| 待て、
旅といへば、
内にゐて、
哲理と
岡ぼれの
事にばかり
凝つてゐないで、
偶には
外へ
出て
見たがよい。よしきり(よし
原すゞめ、
行々子)は、
麥の
蒼空の
雲雀より、
野趣横溢して
親しみがある。
前にいつたその
逗子の
時分は、
裏の
農家のやぶを
出ると、すぐ
田越川の
流れの
續きで、
一本橋を
渡る
所は、たゞ
一面の
蘆原。
滿潮の
時は、さつと
潮してくる
浪がしらに、
虎斑の
海月が
乘つて、あしの
葉の
上を
泳いだほどの
水場だつたが、
三年あまり
一度もよしきりを
聞いた
事······無論見た
事もない。
後に、
奧州の
平泉中尊寺へ
詣でたかへりに、
松島へ
行く
途中、
海の
底を
見るやうな
岩の
根を
拔ける
道々、
傍の
小沼の
蘆に、くわらくわいち、くわらくわいち、ぎやう、ぎやう、ぎやう、ちよツ、ちよツ、ちよツ
······を
初音に
聞いた。
まあ、そんなに
念いりにいはないでも、
凡烏の
勘左衞門、
雀の
忠三郎などより、
鳥でこのくらゐ、
名と
聲の
合致したものは
少からう、
一度もまだ
見聞きした
覺えのないものも、
聲を
聞けば、すぐ
分る
······ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
もし/\、
久保田さん、と
呼んで、こゝで
傘雨さんにお
目にかゝりたい。これでは
句になりますまいか。
顏と
腹を
横に
搖つて、
万ちやんの「
折合へません」が
目に
見える。
加賀の
大野、
根生の
濱を
歩行いた
時は、
川口の
洲の
至る
所、
蘆一むらさへあれば、
行々子の
聲が
渦を
立てた、
蜷の
居る
渚に
寄れば、さら/\と
袖ずれの、あしのもとに、
幾十羽ともない、くわらくわいち、くわらくわいち、ちよツ、ちよツで。ぬれ
色の、うす
紅らんだ
莖を
傳ひ、
水をはねて、
羽の
生えた
鮒で
飛囘る。はら/\と
立つて、うしろの
藁屋の
梅に
五六羽、
椿に
四五羽、ちよツちよツと、
旅人を
珍しさうに、くちばしを
向けて
共音にさへづつたのである。
||なじみに
成ると、
町中の
小川を
前にした、
旅宿の
背戸、その
水のめぐる
柳の
下にも
來て、
朝はやくから
音信れた。
······次手に、おなじ
金澤の
町の
旅宿の、
料理人に
聞いたのであるが、
河蝉は
黐を
恐れない。
寧ろ
知らないといつても
可い。
庭の
池の
鯉を、
大小計つてねらひにくるが、
仕かけさへすれば、すぐにかゝる。また、
同國で、
特産として
諸國に
貨する、
鮎釣の、あの
蚊針は、すごいほど
彩色を
巧に
昆蟲を
模して
造る。
針の
稱に、
青柳、
女郎花、
松風、
羽衣、
夕顏、
日中、
日暮、
螢は
光る。(
太公望)は
諷する
如くで、
殺生道具に
阿彌陀は
奇なり。
······黒海老、むかで、
暗がらす、と
不氣味になり、
黒虎、
青蜘蛛とすごくなる。
就中、ねうちものは、
毛卷におしどりの
羽毛を
加工するが、
河蝉の
羽は、
職人のもつとも
欲するところ、
特に、あの
胸毛の
火の
燃ゆる
緋は、
魔の
如く
魚を
寄せる、といつて
價を
選ばないさうである。たゞ
斷つて
置くが、その
搖る
篝火の
如き、
大紅玉を
抱いた
彼のをんなは、
四時ともに
殺生禁斷のはずである。
さて、よしきりだが、あのおしやべりの
中に、
得もいはれない、さびしい
情の
籠つたのがうれしい。いふまでもなく
番町邊では、あこがれる
蛙さへ
聞かれない。どこか
近郊へ
出たら、と
近まはりで
尋ねても、
湯屋も
床屋も、
釣の
話で、
行々子などは
對手にしない。ひばり、こま
鳥、うぐひすを
飼ふ
町内名代の
小鳥ずきも、
一向他人あつかひで
對手にせぬ。まさか
自動車で、ドライブして、
搜して
囘るほどの
金はなし
······縁の
切れめか、よし
原すゞめ、
當分せかれたと
斷念めて
居ると、
當年五月||房州へ
行つた
以前である。
馬鹿の
一覺え、といふのだらう。あやめは
五月と
心得た。
一度行つて
見よう
見ようで、まだ
出かけた
事のない
堀切へ
······急ぎ
候ほどに、やがて
着くと、
引きぞ
煩らはぬいづれあやめが、
憚りながら
葉ばかりで
伸びて
居た。
半出來の
藝妓||淺草のなにがしと
札を
建てた
||活人形をのぞくところを、
唐突に、くわら/\、くわら、と
蛙に
高笑ひをされたのである。よしよしそれも
面白い。あれから
柴又へお
詣りしたが、
河甚の
鰻······などと、
贅は
言はない。
名物と
聞く
切干大根の
甘いにほひをなつかしんで、
手製ののり
卷、
然も
稚氣愛すべきことは、あの
渦卷を
頬張つたところは、
飮友達は
笑はば
笑へ、なくなつた
親どもには
褒美に
預からうといふ、しをらしさのおかげかして、
鴻の
臺を
向うに
見る、
土手へ
上ると、
鳴く、
鳴く、
鳴くぞ、そこに、よしきり。
巣立ちの
頃か、
羽音が
立つて、ひら/\と
飛交はす。
あしの
根に
近づくと、またこの
長汀、
風さわやかに
吹通して、
人影のないもの
閑かさ。
足音も
立つたのに、
子供だらう、
恐れ
氣もなく、
葉先へ
浮だし、くちばしを、ちよんと
黒く、
顏をだして、ちよ、ちよツ、とやる。
根に
潛んで、
親鳥が、けたゝましく
呼ぶのに、
親の
心、
子知らずで、きよろりとしてゐる。
「おつかさんが
呼んでるぢやないか。
葉の
中へ
早くお
入り
||人間が
居て
可恐いよ。」
「
人間は
飛べませんよ、ちよツ、ちよツ、ちよツちよツ。」
「
犬がくるぞ。」
「をぢちやんぢやあるまいし
······」
やゝ
長めな
尾をぴよんと
刎ねた
||こいつ
知つて
居やあがる。
前後左右、たゞ
犬は
出はしまいかと、
内々びく/\もので
居る
事を。
「
犬なんか
可恐くないよ。ちツちツちツ。」
畜生め。
「これ/\
一坊や、
一坊や、くわらかいち、くわらかいち。」
それお
母さんが
叱つて
居る。
可愛いこの
一族は、
土手の
續くところ、
二里三里、
蘆とともに
榮えて
居る
喜ぶべきことを、
日ならず、やがて
發見した。
||房州へ
行く
時である。
汽車が
龜戸を
過ぎて
||あゝ、このあひだの
堤の
續きだ、すぐに
新小岩へ
近づくと、
窓の
下に、
小兒が
溝板を
驅けだす
路傍のあしの
中に、
居る、
居る。ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
「をぢさんどこへ。
······」
と
鳴いて
居た。
白鷺が
||私はこれには、
目覺むるばかり、
使つて
居た
安扇子の
折目をたゝむまで、えりの
涼しい
思ひがした。
嘗て、ものに
記して、
東海道中、
品川のはじめより、
大阪まはり、
山陰道を
通じて、
汽車から、
婀娜と、しかして、
窈窕と、
野に、
禽類の
佳人を
見るのは、
蒲田の
白鷺と、
但馬豐岡の
鶴ばかりである、と
知つたかぶりして、
水上さんに
笑はれた。
「
少しお
歩行きなさい、
白鷺は、
白金(
本家、
芝)の
庭へも
來ますよ。」つい
小岩から
市川の
間、
左の
水田に、すら/\と
三羽、
白い
褄を
取つて、
雪のうなじを
細りとたゝずんで
居たではないか。
のみならず、
汽車が
千葉まはりに
譽田······を
過ぎ、
大網を
本納に
近いた
時は、
目の
前の
苗代田を、
二羽銀翼を
張つて、
田毎の
三日月のやうに
飛ぶと、
山際には、つら/\と
立並んで、
白い
燈のやうに、
青葉の
茂みを
照すのをさへ
視たのである。
目的の
海岸||某地に
着くと、
海を
三方||見晴して、
旅館の
背後に
山がある。
上に
庚申のほこらがあると
聞く。
······町並、また
漁村の
屋根を、
隨處に
包んだ
波状の
樹立のたゝずまひ。あの
奧遙に
燈明臺があるといふ。
丘ひとつ、
高き
森は、
御堂があつて、
姫神のお
庭といふ。
丘の
根について
三所ばかり、
寺院の
棟と、ともにそびえた
茂りは、いづれも
銀杏のこずゑらしい。
······と
表二階、
三十室ばかり、かぎの
手にづらりと
並んだ、いぬゐの
角の
欄干にもたれて
見まはした
所、
私の
乏しい
經驗によれば、
確にみゝづくが
鳴きさうである。
思つたばかりで、その
晩は
疲れて
寢た。が
次の
夜は、もう
例によつて
寢られない。
刻と、
卷たばこを
枕元の
左右に、
二嬌の
如く
侍らせつゝも、この
煙は、
反魂香にも、
夢にもならない。とぼけて
輪になれ、その
輪に
耳が
立つてみゝづくの
影になれ、と
吹かしてゐると、
五月やみが
屋を
壓し、
波の
音も
途絶ゆるか、
鐘の
音も
聞こえず、しんとする。
刻限、
到限。
||のツ、ほツほウ
||「あゝ、おいでなさい。
······今晩は。」
隣の
間の
八疊に、
家内とその
遠縁にあたる
娘を、
遊びに
一人預かつたのと、ふすまを
並べてゐる。
兩人の
裾の
所が、
床の
間横、
一間に
三尺、
張だしの
半戸だな、
下が
床張り、
突當りがガラス
戸の
掃だし
窓で、そこが
裏山に
向つたから、
丁どその
窓へ、
松の
立樹の
||二階だから
||幹がすく/\と
並んでゐる。
枝の
間を
白砂のきれいな
坂が
畝つて
拔けて、その
丘の
上に
小學校がある。ほんの
拔裏で、ほとんど
學校がよひのほか、
用のない
路らしいが、それでも
時々人通りがある。
||寢しなに
女連のこれが
問題になつた。ガラスを
通して、ふすまが
松葉越しに
外から
見えよう。
友禪を
敷いた
鳥の
巣のやうだ。あら、
裾の
方がくすぐつたいとか、
何とかで、
娘が
騷いで、まづ
二枚折の
屏風で
圍つたが、
尚隙があいて、
燈が
漏れさうだから、
淡紅色の
長じゆばんを
衣桁からはづして、
鹿の
子の
扱帶と
一所に、
押つくねるやうに
引かけて
塞いだのが、とに
角一寸媚めかしい。
魔ものの
鳥が、そこを、
窓をのぞくやうに
鳴いたのである。
||晝見た、
坂の
砂道には、
青すすき、
蚊帳つり
草に、
白い
顏の、はま
晝顏、
目ぶたを
薄紅に
染たのなどが、
松をたよりに、ちらちらと、
幾人も
花をそろへて
咲いた。いまその
露を
含んで、
寢顏の
唇のやうにつぼんだのを、
金色のひとみに
且つ
青く
宿して
······木菟よ、
鳴く。
が、
鳥の
事はいはれない。
今朝、その
朝、
顏を
洗つたばかりの
所、
横縁に
立つた
娘が、「まあ
容子のいゝ、あら、すてきにシヤンよ、をぢさん、
幼稚園の
教員さんらしいわ。」「おつと
來たり。」「お
前さんお
茶がこぼれますよ。」「
知つてる。」と
下に
置けばいゝものを、
滿々とあるのを
持ちかへようとして
沸き
立つて
居るから
振りこぼして、あつゝ。「もうそつちへ
行くわ、
靴だから
足が
早い。」「
心得た。」
下のさか
道の
曲れるを、
二階から
突切るのは
河川の
彎曲を
直角に、
港で
船を
扼するが
如し、
諸葛孔明を
知らないか、とひよいと
立つて
件の
袋戸だなの
下へ
潛込む。「それ、
頭が
危いわ。」「
合點だ。」といふ
下から、コツン。おほゝゝほ。「あゝ
殘念だ、
後姿だ。いや、えり
脚が
白い。」といふ
所を、シヤンに
振向かれて、
南無三寶。
向直らうとして、
又ゴツン。おほほほゝ。
······で、
戸だなを
落した
喜多八といふ
身ではひだすと、「あの
方、ね、
友禪のふろ
敷包を。
······かうやつて、
少し
斜にうつむき
加減に、」とおなじ
容子で、ひぢへ
扇子の、
扇子はなしに、
手つきで
袖へ
一寸舞振。
······娘の
舞振は、
然ることだが、たれかの
男振は、みゝづくより
苦々しい。はツはツはツはツ。
叱!
······これ
丑滿時と
思へ。ひとり
笑ひは
怪ものじみると、
獨でたしなんで
肩をすくめる。と、またしんとなる。
||のツほツほ
||五聲ばかり
窓で
鳴いて、しばらくすると、
山さがりに、ずつと
離れて、
第一の
寺の
銀杏の
樹と
思ふあたりで、
聲がする。
第二の
銀杏||第三へ。
||やがて、もつとも
遠くかすかになるのが
||峰の
明神の
森であつた。
東京||番町||では、
周圍の
廣さに、みゝづくの
聲は
南北にかはつても、その
場所の
東西をさへわきまへにくい。
······こゝでは
町も、
森も、ほとんど
一浦のなぎさの
盤にもるが
如く、
全幅の
展望が
自由だから、
瀬も、
流れも、
風の
路も、
鳥の
行方も
知れるのである。
又禽類の
習性として、
毎夜、おなじ
場處、おなじ
樹に、
枝に、かつ
飛び、かつ
留るものださうである。
心得て
置く
事で
······はさんでは
棄てる
蛇の、おなじ
場所に、おなじかま
首をもたげるのも、
敢て、
咒詛、
怨靈、
執念のためばかりではない
事を。
······こゝに、をかしな
事がある。みゝづくのあとへ
鼠が
出る。
蛇のあとでさへなければ
可い。
何のあとへ
鼠が
出ても、ちつとも
差支はないのであるが、そのみゝづくが
窓を
離れて、
第一のいてふへ
飛移つたと
思ふ
頃、おなじガラス
窓の
上の、
眞片隅、ほとんど
鋭角をなした
所で、トン、と
音がする。
······續いて、トン、と
音がする。
女二人の
眠つた
天井裏を、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン、トコ、トン。はゝあ
鼠だ。が、
大げさではない、
妙な
歩行きかただ、と、
誰方も
思はれようと
考へる。
お
互に
||お
互は
失禮だけれど、
破屋の
天井を
出てくる
鼠は、
忍ぶにしろ、
荒れるにしろ、
音を
引ずつて
囘るのであるが、こゝのは
||立つて
後脚で
歩行くらしい。はてな、じつと
聞くと、
小さな
麻がみしもでも
着て
居さうだ、と
思ふうち、
八疊に、
私の
寢た
上あたりで、ひつそりとなる。
一呼吸拔いて
置いて、
唐突に、ばり/\ばり/\、びしり、どゞん、
廊下の
雨戸外のトタン
屋根がすさまじく
鳴響く。ハツと
起きて、
廊下へ
出た。
退治る
氣ではない、
逃路を
搜したのである。
屋根に、
忍術つかひが
立つたのでも
何でもない。それ
切で、
第二の
銀杏にみゝづくの
聲が
冴えた。
更に
人間に
別條はない。しかし、おなじ
事が
三晩續いた。
刻限といひ、みゝづくの
窓をのぞくのから、
飛移るあとをためて、
天井の
隅へトン、トコ、トン、トコ、トン
||三晩めは、
娘も
家内も
三人起き
直つて
聞いたのである。が、びり/\、がらん、どゞん、としても、もう
驚かない。
何事もないとすると、
寢覺めのつれ/″\には
面白し、
化鼠。
どれ、これを
手づるに、
鼠をゑさに、きつね、たぬき、
大きくいへば、
千倉ヶ
沖の
海坊主、
幽靈船でも
釣ださう。
如何に、
所の
人はわたり
候か。
||番頭を
呼だすも
氣の
毒だ。
手近なのは
||閑靜期とかで
客がないので、
私どもが
一番の
座敷だから
||一番さん、
受持の
女中だが、
······そも/\これには
弱つた。
旅宿に
着いて、
晩飯と
······お
魚は
何ういふものか、と
聞いた、のつけから、「
銀座のバーから
來たばかりですからねえ。」
||「
姉さん、
向うに
見える、あの
森は。」「
銀座のバーから
來たばかりですからねえ。」うつかりして「
海へは
何町ばかりだえ。」「さあ、
銀座のバーから
來たばかりですからねえ。」あゝ、
修業はして
置く
事だ。
人の
教へを
聞かないで、
銀座にも、
新宿にも、バーの
勝手を
知らないから、
旅さきで
不自由する。もつとも、
後に
番頭の
陳じたところでは、
他の
女中との
詮衡上、
花番とかに
當つたからださうである。が、ぶくりとして、あだ
白い、でぶ/\と
肥つた
肉貫||(
間違へるな、めかたでない、)
||肉感の
第一人者が、
地響を
打つて、
外房州へ
入つた
女中だから、
事が
起る。
たしか、
三日目が
土曜に
當つたと
思ふ。ばら/\と
客が
入つた。
中に
十人ばかりの
一組が、
晩に
藝者を
呼んで、
箱が
入つた。
申兼ねるが、
廊下でのぞいた。
田舍づくりの
籠花活に、
一寸(たつた)も
見える。
内々一聲ほとゝぎすでも
聞けようと
思ふと、
何うして
······いとが
鳴ると
立所に
銀座の
柳である。
道頓堀から
糸屋の
娘······女朝日奈の
島めぐりで、わしが、ラバさん
酋長の
娘、と
南洋で
大氣焔。
踊れ、
踊れ、と
踊り
囘つて、
水戸の
大洗節で
荒れるのが、
殘らず、
銀座のバーから
來た、
大女の
一人藝で。
······醉つた、
食つた、うたつた、
踊つた。
宴席どなりの
空部屋へ
轉げ
込むと、ぐたりと
寢たが、したゝか
反吐をついて、お
冷水を
五杯飮んだとやらで、ウイーと
受持の、
一番さんへ
床を
取りに
來て、おや、
旦那は
醉つて
轉げてるね、おかみさん、つまんで
布團へ
載つけなさいよ。
枕もとの
煙草盆なんか、
娘さんが
手傳つてと、
······あゝ、
私は
大儀だ。」「はい。」「はい。」と
女どもが、
畏まると、「
翌日は
又おみおつけか。オムレツか、オートミルでも
取ればいゝのに。ウイ
······」
廊下を、づし/\
歩行きかけて、よた/\と
引返し「おつけの
實は
何とかいつたね。さう、
大根か。
大根、
大根、
大根でセー」と
鼻うたで、
一つおいた
隣座敷の、
男の
一人客の
所へ、どしどしどしん、
座り
込んだ。「
何をのんびりしてるのよ、あはゝゝは、ビールでも
飮まんかねえ。」
前代未聞といツつべし。
宴會客から
第一に
故障が
出た、
藝者の
聲を
聞かないさきに
線香が
切れたのである。
女中なかまが
異議をだして、
番頭が
腕をこまぬき、かみさんが
分別した。
翌日、
鴨川とか、
千倉とか、
停車場前のカフエーへ
退身、いや、
榮轉したさうである。
寧ろ
痛快である。
東京うちなら、
郡部でも、
私は
訪ねて
行つて、
飮まうと
思ふ。
といつたわけで
······さしあたり、たぬきの
釣だしに
間に
合はず、とすると、こゝに
當朝日新聞のお
客分、
郷土學の
總本山、
内々ばけものの
監査取しまり、
柳田さん
直傳の
手段がある。
直傳が
行きすぎならば、
模倣がある。
土地の
按摩に、
土地の
話を
聞くのである。
「
||木菟······木菟なんか、あんなものは
······」
いきなり
麻がみしもの
鼠では、いくら
盲人でも
付合ふまい。そこで、
寢ころんで
居て、まづみゝづくの
目金をさしむけると、のつけから、ものにしない。
「
直になりませんな、つかまへたつて
食へはせずぢや。」
あつ
氣に
取られたが、しかし
悟つた。
······嘗て
相州の
某温泉で、
朝夕ちつともすゞめが
居ないのを、
夜分按摩に
聞いて、
歎息した
事がある。みんな
食つてしまつたさうだ。「すゞめ
三羽に
鳩一羽といつてね。」と
丁と
格言まで
出來て
居た。それから
思ふと、みゝづくを
以て、
忽ち
食料問題にする
土地は
人氣が
穩かである。
「からすの
方がましぢやね、
無駄鳥だといつても、からすの
方がね、あけの
鐘のかはりになるです、はあ、あけがらすといつてね。
時にあんた
方はどこですか。
東京かね
||番町||海水浴、
避暑にくる
人はありませんかな。
······この
景氣だから、
今年は
勉強ぢやよ。
八疊に
十疊、
眞新しいので、
百五十圓の
所を
百に
勉強するですわい。」
大きな
口をあけて、
仰向いて、
「七八九、
三月ですが、どだい、
安いもんぢやあろ。」
家内が
氣の
毒がつて、
「たんと
山がありますが、たぬきや、きつねは。」
「じよ、じようだんばかり、
直が
安いたつて、
化物屋敷······飛んでもない、はあ、えゝ、たぬき、きつね、そんなものは
鯨が
飮んでしまうた、はゝは。いかゞぢや、それで
居て、
二階で、
臺所一切つき、
洗面所も
······」
喟然として
私は
歎じた。
人間は
斯の
徳による。むかし、
路次裏のいかさま
宗匠が、
芭蕉の
奧の
細道の
眞似をして、
南部のおそれ
山で、おほかみにおどされた
話がある。
柳田さんは、
旅籠のあんまに、
加賀の
金澤では
天狗の
話を
聞くし、
奧州飯野川の
町で
呼んだのは、
期せずして、
同氏が
研究さるゝ、おかみん、いたこの
亭主であつた。
第一儼然として
絽の
紋付を
着たあんまだといふ、
天の
授くるところである。
みゝづくで
食を
論ずるあんまは、
容體倨然として、
金貸に
類して、
借家の
周旋を
強要する
······どうやら
小金でその
新築をしたらしい。
女教員さんのシヤンを
覗いて、
戸だなで、ゴツンの
量見だから、これ、
天の
戒むる
所であらう。
但、いさゝか
自ら
安んずる
所がないでもないのは、
柳田さんは、
身を
以てその
衝に
當るのだが、
私の
方は
間接で、よりに
立つた
格で、
按摩に
上をもませて
居るのは
家内で、
私は
寢ころんで
聞くのである。ご
存じの
通り、
品行方正の
點は、
友だちが
受合ふが、
按摩に
至つては、
然も
斷じて
處女である。
錢湯でながしを
取つても、ばんとうに
肩を
觸らせた
事さへない。
揉ほどの
手つきをされても、
一ちゞみに
縮み
上る
······といつただけでもくすぐつたい。このくすぐつたさを
處女だとすると、つら/\
惟るに、
媒灼人をいれた
新枕が、
一種の
······などは、だれも
聞かないであらうか、なあ、みゝづく。
······ 鳴いて
居る
······二時半だ。
······やがて、
里見さんの
眞向うの
大銀杏へ
來るだらう。
みゝづく、みゝづく。
苗屋が
賣つた
朝顏も、もう
咲くよ。
夕顏には、
豆府かな
||茄子の
苗や、
胡瓜の
苗、
藤豆、いんげん、さゝげの
苗||あしたのおつけの
實は
······昭和六年八月