一瀬を
低い
瀧に
颯と
碎いて、
爽かに
落ちて
流るゝ、
桂川の
溪流を、
石疊で
堰いた
水の
上を
堰の
其の
半ばまで、
足駄穿で
渡つて
出て、
貸浴衣の
尻からげ。
梢は
三階の
高樓の
屋根を
抽き、
枝は
川の
半ばへ
差蔽うた
槻の
下に、
片手に
番傘を、トンと
肩に
持たせながら、
片手釣で
輕く
岩魚を
釣つて
居る
浴客の
姿が
見える。
片足は、
水の
落口に
瀬を
搦めて、
蘆のそよぐが
如く、
片足は
鷺の
眠つたやうに
見える。
······堰の
上の
水は
一際青く
澄んで
靜である。
其處には
山椿の
花片が、
此のあたり
水中の
岩を
飛び
岩を
飛び、
胸毛の
黄色な
鶺鴒の
雌鳥が
含みこぼした
口紅のやうに
浮く。
雨はしと/\と
降るのである。
上流の
雨は、うつくしき
雫を
描き、
下流は
繁吹に
成つて
散る。しと/\と
雨が
降つて
居る。
このくらゐの
雨は、
竹の
子笠に
及ぶものかと、
半纏ばかりの
頬被で、
釣棹を、
刺いて
見しよ、と
腰にきめた
村男が、
山笹に
七八尾、
銀色の
岩魚を
徹したのを、
得意顏にぶら
下げつゝ、
若葉の
陰を
岸づたひに、
上流の
一本橋の
方からすた/\と
跣足で
來た。が、
折からのたそがれに、
瀬は
白し、
氣を
籠めて、くる/\くる、カカカと
音を
調ぶる、
瀧の
下なる
河鹿の
聲に、
歩を
留めると、
其處の
釣人を、じろりと
見遣つて、
空しい
渠の
腰つきと、
我が
獲ものとを
見較べながら、かたまけると
云ふ
笑方の、
半面大ニヤリにニヤリとして、
岩魚を
一振、ひらめかして、また、すた/\。
······で、すこし
岸をさがつた
處で、
中流へ
掛渡した
歩板を
渡ると、
其處に
木小屋の
柱ばかり、
圍の
疎い「
獨鈷の
湯。」がある。
||屋根を
葺いても、
板を
打つても、
一雨強くかゝつて、
水嵩が
増すと、
一堪りもなく
押流すさうで、いつも
然うしたあからさまな
體だと
云ふ。
|| 半纏着は、
水の
淺い
石を
起して、
山笹をひつたり
挾んで、
細流に
岩魚を
預けた。
溌剌と
言ふのは
此であらう。
水は
尾鰭を
泳がせて
岩に
走る。そのまゝ、すぼりと
裸體に
成つた。
半纏を
脱いだあとで、
頬かぶりを
取つて、ぶらりと
提げると、すぐに
湯氣とともに
白い
肩、
圓い
腰の
間を
分けて、
一個、
忽ち、ぶくりと
浮いた
茶色の
頭と
成つて、そしてばちや/\と
湯を
溌ねた。
時に、
其の
一名、
弘法の
湯の
露呈なことは、
白膏の
群像とまでは
行かないが、
順禮、
道者、
村の
娘、
嬰兒を
抱いた
乳も
浮く
······在の
女房も
入交りで、
下積の
西洋畫を
川で
洗濯する
風情がある。
この
共同湯の
向う
傍は、
淵のやうにまた
水が
青い。
對岸の
湯宿の
石垣に
咲いた、
枝も
撓な
山吹が、ほのかに
影を
淀まして、
雨は
細く
降つて
居る。
湯氣が
霞の
凝つたやうにたなびいて、
人々の
裸像は
時ならぬ
朧月夜の
影を
描いた。
肝心な
事を
言忘れた。
||木戸錢はおろか、
遠方から
故々汽車賃を
出して、お
運びに
成つて、これを
御覽なさらうとする
道徳家、
信心者があれば、
遮つてお
留め
申す。
||如何となれば、
座敷の
肱掛窓や、
欄干から、かゝる
光景の
見られるのは、
年に
唯一兩度ださうである。
時候と、
時と、
光線の、
微妙な
配合によつて、しかも、
品行の
方正なるものにのみあらはるゝ
幻影だと、
宿の
風呂番の(
信さん)が
言つた。
||案ずるに、
此は
修善寺の
温泉に
於ける、
河鹿が
吐く
蜃氣樓であるらしい。かた/″\、そんな
事はあるまいけれども、
獨鈷の
湯の
恁る
状態をあてにして、お
出かけに
成つては
不可い。
······ ゴウーンと
雨に
籠つて、
修禪寺の
暮六つの
鐘が、かしらを
打つと、それ、ふツと
皆消えた。
······むく/\と
湯氣ばかり。
堰に
釣をする、
番傘の
客も、
槻に
暗くなつて、もう
見えぬ。
葉末の
電燈が
雫する。
女中が
廊下を、ばた/\と
膳を
運んで
來た。
有難い、
一銚子。
床の
櫻もしつとりと
盛である。
が、
取立てて
春雨のこの
夕景色を
話さうとするのが
趣意ではない。
今度の
修善寺ゆきには、お
土産話が
一つある。
何事も、しかし、
其の
的に
打撞るまでには、
弓と
云へども
道中がある。
醉つて
言ふのではないけれども、ひよろ/\
矢の
夜汽車の
状から、
御一覽を
願ふとしよう。
先以て、
修善寺へ
行くのに
夜汽車は
可笑い。
其處に
仔細がある。たま/\の
旅行だし、
靜岡まで
行程を
伸して、
都合で、あれから
久能へ

つて、
龍華寺||一方ならず、
私のつたない
作を
思つてくれた
齋藤信策(
野の
人)さんの
墓がある
||其處へ
參詣して、
蘇鐵の
中の
富士も
見よう。それから
清水港を
通つて、
江尻へ
出ると、もう
大分以前に
成るが、
神田の
叔父と
一所の
時、わざとハイカラの
旅館を
逃げて、
道中繪のやうな
海道筋、
町屋の
中に、これが
昔の
本陣だと
叔父が
言つただゞつ
廣い
中土間を
奧へ
拔けた
小座敷で、お
平についた
長芋の
厚切も、
大鮪の
刺身の
新しさも
覺えて
居る。「いま
通つて
來た。あの
土間の
處に
腰を
掛けてな、
草鞋で
一飯をしたものよ。
爐端で
挨拶をした、
面長な
媼さんを
見たか。
······其の
時分は、
島田髷で
惱ませたぜ。」と、
手酌で
引かけながら
叔父が
言つた
||古い
旅籠も
可懷い。
······ それとも、
靜岡から、すぐに
江尻へ
引返して、
三保の
松原へ
飛込んで、
天人に
見參し、きものを
欲しがる
連の
女に、
羽衣、
瓔珞を
拜ませて、
小濱や
金紗のだらしなさを
思知らさう、ついでに
萬葉の
印を
結んで、
山邊の
赤人を、
桃の
花の
霞に
顯はし、それ
百人一首の
三枚めだ
······田子の
浦に
打出でて
見れば
白妙の
||ぢやあない、
······田子の
浦ゆ、さ、
打出でて
見れば
眞白にぞ、だと、ふだん
亭主を
彌次喜多に
扱ふ
女に、
學問のある
處を
見せてやらう。たゞしどつち
道資本が
掛る。
湯治を
幾日、
往復の
旅錢と、
切詰めた
懷中だし、あひ
成りませう
事ならば、
其の
日のうちに
修善寺まで
引返して、
一旅籠かすりたい。
名案はないかな、と
字の
如く
案ずると
······あゝ、
今にして
思當つた。
人間朝起をしなけりや
不可い。
東京驛を
一番で
立てば、
無理にも
右樣の
計略の
行はれない
事もなささうだが、
籠城難儀に
及んだ
處で、
夜討は
眞似ても、
朝がけの
出來ない
愚將である。
碎いて
言へば、
夜逃は
得手でも、
朝旅の
出來ない
野郎である。あけ
方の
三時に
起きて、たきたての
御飯を
掻込んで、
四時に
東京驛などとは
思ひも
寄らない。
||名案はないかな
||こゝへ、
下町の
姉さんで、つい
此間まで、
震災のために
逃げて
居た
······元來、
靜岡には
親戚があつて、
地の
理に
明かな、
粹な
軍師が
顯はれた。
「
······九時五十分かの
終汽車で、
東京を
出るんです。
······靜岡へ、
丁ど、
夜あけに
着きますから。
其だと、どつちを
見ぶつしても、
其の
日のうちに
修善寺へ
參られますよ。」
妙。
奇なる
哉、
更に
一時間いくらと
言ふ
······三保の
天女の
羽衣ならねど、
身にお
寶のかゝる
其の
姉さんが、
世話になつた
禮かた/″\、
親類へ
用たしもしたいから、お
差支へなくば
御一所に、
||お
差支へ?
······おつしやるもんだ!
至極結構。で、たゞ
匁で
連出す
算段。あゝ、
紳士、
客人には、あるまじき
不料簡を、うまれながらにして
喜多八の
性をうけたしがなさに、
忝えと、
安敵のやうな
笑を
漏らした。
處で、その、お
差支のなさを
裏がきするため、
豫て
知合ではあるし、
綴蓋の
喜多の
家内が、
折からきれめの
鰹節を

へ
買出しに
行くついでに、その
姉さんの
家へ
立寄つて、
同行三人の
日取をきめた。
||一寸、ふでを
休めて、
階子段へ
起つて、したの
長火鉢を
呼んで
曰く、
「
······それ、
何||あの、みやげに
持つて
行つた
勘茂の
半ぺんは
幾つだつけ。」
「だしぬけに
何です。
······五つ。」
「
五つか
||私はまた
二つかと
思つた。」
「
唯た
二つ
······」
「だつて
彼家は
二人きりだからさ。」
「
見つともないことをお
言ひなさいな。」
「よし、あひ
分つた。」
五つださうで。
······其を
持參で、
取極めた。たつたのは、
日曜に
當つたと
思ふ。
念のため、
新聞の
欄外を
横に
覗くと、その
終列車は
糸崎行としてある。
||糸崎行||お
恥かしいが、
私に
其の
方角が
分らない。
棚の
埃を
拂ひながら、
地名辭典の
索引を
繰ると、
糸崎と
言ふのが
越前國と
備前國とに
二ヶ
所ある。
私は
東西、いや
西北に
迷つた。
||敢て
子供衆に
告げる。
學校で
地理を
勉強なさい。
忘れては
不可ません。さて、どつち
道、
靜岡を
通るには
間違のない
汽車だから、
人に
教を
受けないで
濟ましたが、
米原で

るのか、
岡山へ
眞直か、
自分たちの
乘つた
汽車の
行方を
知らない、
心細さと
言つてはない。しかも
眞夜中の
道中である。
箱根、
足柄を
越す
時は、
内證で
道組神を
拜んだのである。
處で
雨だ。
當日は
朝のうちから
降出して、
出掛ける
頃は
横しぶきに、どつと
風さへ
加はつた。
天の
時は
雨ながら、
地の
理は
案内の
美人を
得たぞと、もう
山葵漬を
箸の
尖で、
鯛飯を
茶漬にした
勢で、つい
此頃筋向の

さんに
教をうけた、
市ヶ
谷見附の
鳩じるしと
言ふ、やすくて
深切なタクシイを
飛ばして、
硝子窓に
吹つける
雨模樣も、おもしろく、
馬に
成つたり
駕籠に
成つたり、
松並木に
成つたり、
山に
成つたり、
嘘のないところ、
溪河に
流れたりで、
東京驛に
着いたのは、まだ
三十分ばかり
發車に
間のある
頃であつた。
水を
打つたとは
此の
事、
停車場は
割に
靜で、しつとりと
構内一面に
濡れて
居る。
赤帽君に
荷物を
頼んで、
廣い
處をずらりと
見渡したが、
約束の
同伴はまだ
來て
居ない。
||大
りには
成るけれど、
呉服橋を
越した
近い
處に、バラツクに
住んで
居る
人だから、
不斷の
落着家さんだし、
悠然として、やがて
來よう。
「
靜岡まで。」
と
切符を
三枚頼むと、つれを
搜してきよろついた
樣子を
案じて、
赤帽君は
深切であつた。
「
三枚?」
「つれが
來ます。」
「あゝ、
成程。」
突立つて
居ては
出入りの
邪魔にもなりさうだし、とば
口は
吹降りの
雨が
吹込むから、
奧へ
入つて、
一度覗いた
待合へ
憩んだが、
人を
待つのに、
停車場で
時の
針の
進むほど、
胸のあわたゞしいものはない。「こんな
時は
電話があるとな。」「もう
見えませう。
||こゝにいらつしやい。
······私が
行つて
見張つて
居ます。」
家内はまた
外へ
出て
行つた。
少々寒し、
不景氣な
薄外套の
袖を
貧乏ゆすりにゆすつて
居ると、
算木を
四角に
並べたやうに、クツシヨンに
席を
取つて
居た
客が、そちこちばら/\と
立掛る。
······「やあ」と
洋杖をついて
留まつて、
中折帽を
脱つた
人がある。すぐに
私と
口早に
震災の
見舞を
言交した。
花月の
平岡權八郎さんであつた。「どちらへ。」「
私は
人を
一寸送りますので。」「
終汽車ではありますまいね。それだと
靜としては
居られない。」「
神戸行のです。」「
私はそのあとので、
靜岡まで
行くんですが、
糸崎と
言ふのは
何處でせう。」「さあ
······」と
言つた、
洋行がへりの
新橋のちやき/\も、
同じく
糸崎を
知らなかつた。
此の
一たてが、ぞろ/\と
出て
行くと、
些と
大袈裟のやうだが
待合室には、あとに
私一人と
成つた。それにしても
靜としては
居られない。
······行||行と、
呼ぶのが、
何うやら
神戸行を
飛越して、
糸崎行||と
言ふやうに
寂しく
聞える。
急いで
出ると、
停車場の
入口に、こゝにも
唯一人、コートの
裾を
風に
颯と
吹まどはされながら、
袖をしめて、しよぼ
濡れたやうに
立つて、
雨に
流るゝ
燈の
影も
見はぐるまいと
立つて
居る。
「
來ませんねえ。」
「
來ないなあ。」
しかし、
十時四十八分發には、まだ
十分間ある、と
見較べると、
改札口には、
知らん
顏で、
糸崎行の
札が
掛つて、
改札のお
係は、
剪で
二つばかり
制服の
胸を
叩いて、
閑也と
濟まして
居らるゝ。
此を
見ると、
私は
富札がカチンと
極つて、
一分で
千兩とりはぐしたやうに
氣拔けがした。が、ぐつたりとしては
居られない。
改札口の
閑也は、もう
皆乘込だあとらしい。「
確に
十分おくれましたわね、
然ういへば、
十時五十分とか
言つて
居なすつたやうでした。
||時間が
變つたのかも
知れません。」
恁う
言ふ
時は、
七三や、
耳かくしだと
時間に
間違ひはなからう。
||わがまゝのやうだけれど、
銀杏返や
圓髷は
不可い。「だらしはないぜ、
馬鹿にして
居る。」が、
憤つたのでは
決してない。
一寸の
旅でも
婦人である。
髮も
結つたらうし
衣服も
着換へたらうし、
何かと
支度をしたらうし、
手荷もつを
積んで、
車でこゝへ
駈けつけて、のりおくれて、
雨の
中を
歸るのを
思ふとあはれである。「
五分あれば
間にあひませう。」
其處で、
別の
赤帽君の
手透で
居るのを
一人頼んで、その
分の
切符を
託けた。こゝへ
駈けつけるのに
人數は
恐らくなからう、「あなた
氣をつけてね、
脊のすらりとした
容子のいゝ、
人柄な
方が
見えたら
大急ぎで
渡して
下さい。」
畜生、
驕らせてやれ
||女の
口で
赤帽君に、
恁う
言つた。
「お
氣の
毒樣です。
||おつれはもう
間に
合ひません。
······切符はチツキを
入れませんから、
代價の
割戻しが
出來ます。」
もう
動き
出した
汽車の
窓に、する/\と
縋りながら、
「お
歸途に、二十四
||と
呼んで
下さい。その
時お
渡し
申しますから。」
糸崎行の
此の
列車は、
不思議に
絲のやうに
細長い。いまにも
遙な
石壇へ、
面長な、
白い
顏、
褄の
細いのが
駈上らうかと
且つ
危み、
且つ
苛ち、
且つ
焦れて、
窓から
半身を
乘り
出して
居た
私たちに、
慇懃に
然う
言つてくれた。
||後日、
東京驛へ
歸つた
時、
居合はせた
赤帽君に、その二十四
||のを
聞くと、
丁ど
非番で
休みだと
云ふ。
用をきいて、ところを
尋ねるから、
麹町を
知らして
歸ると、すぐその
翌日、二十四
||の
赤帽君が、わざ/\
山の
手の
番町まで、「
御免下さいまし。」と
丁寧に
門をおとづれて、
切符代を
返してくれた。
||此の
人ばかりには
限らない。
靜岡でも、
三島でも、
赤帽君のそれぞれは、
皆もの
優しく
深切であつた。
||お
禮を
申す。
淺葱の
暗い、クツシヨンも
又細長い。
室は
悠々とすいて
居た。が、
何となく
落着かない。「
呼んだら
聞えさうですね。」「
呉服橋の
上あたりで、
此のゴーと
言ふ
奴を
聞いてるかも
知れない。」「
驛前のタクシイなら、
品川で
間に
合ふかも
知れませんよ。」「そんな
事はたゞ
話だよ。」
唯、バスケツトの
上に、
小取
しに
買つたらしい
小形の
汽車案内が
一册ある。
此が
私たちの
近所にはまだなかつた。
震災後は
發行が
後れるのださうである。
いや、
張合もなく
開くうち、「あゝ、
品川ね。」カタリと
窓を
開けて、
家内が
拔出しさうに
窓を
覗いた。「
駄目だよ。」その
癖私も
覗いた。
······二人三人、
乘組んだのも
何處へか
消えたやうに、もう
寂寞する。
幕を
切つて
扉を
下ろした。
風は
留んだ。
汽車は
糠雨の
中を
陰々として
行く。
早く、さみしい
事は、
室内は、
一人も
殘らず
長々と
成つて、
毛布に
包まつて、
皆寢て
居る。
東枕も、
西枕も、
枕したまゝ
何處をさして
行くのであらう。
汽車案内の
細字を、しかめ
面で
恁う
透すと、
分つた
||遙々と
京大阪、
神戸を
通る
······越前ではない、
備前國糸崎である。と、
發着の
驛を
靜岡へ
戻して
繰ると、「や、
此奴は
弱つた。」
思はず
聲を
出して
呟いた。
靜岡着は
午前まさに
四時なのであつた。いや、
串戲ではない。
午前などと
文化がつたり、
朝がつたりしては
居られない。
此の
頃ではまだ
夜半ではないか。
南洋から
土人が
來ても、
夜中に
見物が
出來るものか。「
此奴は
弱つた。」
||件の
同伴でないつれの
案内では、あけ
方と
言つたのだが、
此方に
遠き
慮がなかつた。その
人のゆききしたのは
震災のぢきあとだから、
成程、その
頃だと
夜があける。
||此の
時間前後の
汽車は、
六月、
七月だと
國府津でもう
明くなる。
八月の
聲を
聞くと
富士驛で、まだ
些と
待たないと、
東の
空がしらまない。
私は
前年、
身延へ
參つたので
知つて
居る。
「あの、
此の
汽車が、
京、
大阪も
通るのだとすると、
夜のあけるのは
何處らでせうね。」
「
時間で
見ると、すつかり
明くなるのは、
遠江國濱松だ。」
と
退屈だし、
一つ
遠江國と
念を
入れた。
「
横に
俥が
二挺たゝぬ
||彼處ですか。」
「うむ。」とばかりで、
一向おもしろくも
何ともない。
「
其處まで
行きませうよ。
||夜中に
知らぬ
土地ぢやあ
心細いんですもの。」
「
飴ぢやあるまいし。」
と、
愚にもつかぬことをうつかり
饒舌つた。
靜岡まで
行くものが、
濱松へ
線路の
伸びよう
道理がない。
······しかし
無理もない。こんな
事を
言つたのは
恰も
箱根の
山中で、
丁ど
丑三と
言ふ
時刻であつた。あとで
聞くと、
此の
夜汽車が、
箱根の
隧道を
潛つて
鐵橋を
渡る
刻限には、
内に
留守をした
女中が、
女主人のためにお
題目を
稱へると
言ふ
約束だつたのださうである。
「
何の
眞似だい。」
「
地震で
危いんですもの。」
「
地震は
去年だぜ、ばかな。」
然りとは
雖も、その
志、むしろにあらず
捲くべからず、
石にあらず、
轉すべからず。
······ありがたい。いや、
禁句だ。こんな
處で
石が
轉んで
堪るものか。たとへにも
山が
崩るゝとか
言ふ。
其の
山が
崩れたので、
當時大地震の
觸頭と
云つた
場所の、
剩へ
此の
四五日、
琅
の
如き
蘆ノ
湖の
水面が
風もなきに
浪を
立てると、うはさした
機であつたから。
山北、
山北。
||鮎の
鮓は
||賣切れ。
······お
茶も。
||もうない。それも
佗しかつた。
が、
家を
出る
時から、こゝでこそと
思つた。
||實は
其の
以前に、
小山内さんが
一寸歸京で、
同行だつた
御容色よしの
同夫人、とめ
子さんがお
心入の、
大阪遠來の
銘酒、
白鷹の
然も
黒松を、
四合罎に
取分けて、バスケツトとも
言はず
外套にあたゝめたのを
取出して、
所帶持は
苦しくつてもこゝらが
重寶の、おかゝのでんぶの
蓋ものを
開けて、さあ、
飮るぞ! トンネルの
暗闇に
彗星でも
出て
見ろと、クツシヨンに
胡坐で、
湯呑につぐと、ぷンとにほふ、と、かなで
書けばおなじだが、
其のぷンが、
腥いやうな、すえたやうな、どろりと
腐つた、
青い、
黄色い、
何とも
言へない
惡臭さよ。
||飛でもないこと、
······酒ではない。
一體、
散々の
不首尾たら/″\、
前世の
業ででもあるやうで、
申すも
憚つて
控へたが、もう
默つては
居られない。たしか
横濱あたりであつたらうと
思ふ。
······寂しいにつけ、
陰氣につけ、
隨所停車場の
燈は、
夜汽車の
窓の、
月でも
花でもあるものを
||心あての
川崎、
神奈川あたりさへ、
一寸の
間だけ、
汽車も
留つたやうに
思ふまでで、それらしい
燈影は
映らぬ。
汽車はたゞ、
曠野の
暗夜を
時々けつまづくやうに
慌しく
過ぎた。あとで、あゝ、あれが
横濱だつたのかと
思ふ
處も、
雨に
濡れしよびれた
棒杭の
如く
夜目に
映つた。
確に
驛の
名を
認めたのは
最う
國府津だつたのである。いつもは
大船で
座を
直して、かなたに
逗子の
巖山に、
湘南の
海の
渚におはします、
岩殿の
觀世音に
禮し
參らす
習であるのに。
······それも
本意なさの
一つであつた。が、あらためて
祈念した。やうなわけで、
其の
何の
邊であつたらう。
見上げるやうな
入道が、のろりと
室へ
入つて
來た。づんぐり
肥つたが、
年紀は六十ばかり。ト
頭から
頬へ
縱横に
繃帶を
掛けて
居る。
片頬が
然らでも
大面の
面を、
別に
一面顏を
横に
附着けたやうに、だぶりと
膨れて、
咽喉の
下まで
垂下つて、はち
切れさうで、ぶよ/\して、わづかに
目と、
鼻。
繃帶を
覗いた
唇が、
上下にべろんと
開いて、どろりとして
居る。
動くと、たら/\と
早や
膿の
垂れさうなのが
||丁ど
明いて
居た
||私たちの
隣席へどろ/\と
崩れ
掛つた。オペラバツグを
提げて、
飛模樣の
派手な
小袖に、
紫の
羽織を
着た、十八九の
若い
女が、
引續いて、
默つて
其の
傍へ
腰を
掛ける。
と
言ふうちに、その
面二つある
病人の、その
臭氣と
言つたらない。
お
察しあれ、
知己の
方々。
||私は
下駄を
引ずつて
横飛びに
逃出した。
「あゝ、
彼方があんなに
空いて
居る。」
と
小戻りして、
及腰に、
引こ
拔くやうにバスケツトを
掴んで、
慌てて
辷つて、
片足で、
怪飛んだ
下駄を
搜して
逃げた。
氣の
毒さうな
顏をしたが、
女もそツと
立つて
來る。
此の
樣子を、
間近に
視ながら、
毒のある
目も
見向けず、
呪詛らしき
咳もしないで、ずべりと
窓に
仰向いて、
病の
顏の、
泥濘から
上げた
石臼ほどの
重いのを、ぢつと
支へて
居る
病人は
奇特である。
いや
特勝である。
且以て、たふとくさへあつた。
面當がましく
氣の
毒らしい、
我勝手の
凡夫の
淺ましさにも、
人知れず、
面を
合はせて、
私たちは
恥入つた。が、
藥王品を
誦しつゝも、
鯖くつた
法師の
口は
臭いもの。
其の
臭さと
云つては、
昇降口の
其方の
端から、
洗面所を
盾にした、いま
此方の
端まで、むツと
鼻を
衝いて
臭つて
來る。
番町が、
又大袈裟な、と
第一近所で
笑ふだらうが、いや、
眞個だと
思つて
下さい。のちに、やがて、
二時を
過ぎ、
三時になり、
彼方此方で
一人起き、
二人さめると、
起きたのが、
覺めたのが、いづれもきよとんとして
四邊を
見ながら、
皆申合はせたやうに、ハンケチで
口を
押へて、げゞツと
咽せる。
然もありなん。
大入道の
眞向に
寢て
居た
男は、たわいなく
寢ながら、うゝと
時々苦しさうに
魘された。スチームがまだ
通つて
居る。しめ
切つた
戸の
外は
蒸すやうな
糠雨だ。
臭くないはずはない。
女房では、まるで
年が
違ふ。
娘か、それとも
因果何とか
言ふ
妾であらうか
||何にしろ、
私は、
其の
耳かくしであつたのを
感謝する。
······島田髷では
遣切れない。
もう
箱根から
駈落だ。
二人分、
二枚の
戸を、
一齊にスツと
開くと、
岩膚の
雨は
玉清水の
滴る
如く、
溪河の
響きに
煙を
洗つて、
酒の
薫が
芬と
立つた。
手づから
之をおくられた
小山内夫人の
袖の
香も
添ふ。
二三杯やつつけた。
阿部川と
言へば、きなこ
餅とばかり
心得、「
贊成。」とさきばしつて、
大船のサンドヰツチ、
國府津の
鯛飯、
山北の
鮎の
鮓と、そればつかりを
當にして、
皆買つて
食べるつもりの、
足柄に
縁のありさうな
山のかみは、おかゝのでんぶを
詰らなさうに
覗きながら、バスケツトに
凭れて
弱つて
居る。
「なまじ
所帶持だなぞと
思ふから
慾が
出ます。かの
彌次郎の
詠める
······可いかい
||飯もまだ
食はず、ぬまずを
打過ぎてひもじき
原の
宿につきけりと、もう
||追つつけ
沼津だ。
何事も
彌次喜多と
思へば
濟むぜ。」
と、とのさまは
今の
二合で、
大分御機嫌。ストンと、いや、
床が
柔軟いから、ストンでない、スポンと
寢て、
肱枕で、
阪地到來の
芳酒の
醉だけに、
地唄とやらを
口誦む。
お
前の
袖と、わしが
袖、
合せて、
||何とか、
何の
袖。
······たゞし
節なし、
忘れた
處はうろ
拔きで、
章句を
口のうちで、
唯引張る。
······露地の
細道、
駒下駄で
|| 南無三寶、
魔が
魅した。ぶく/\のし/\と
海坊主。が
||あゝ、
之を
元來懸念した。
道其の
衝にあたつたり。W・Cへ
通りがかりに、
上から
蔽かぶさるやうに
來た
時は、
角のあるだけ、
青鬼の
方がましだと
思つた。
アツといつて、むつくと
起き、
外套を
頭から、
硝子戸へひつたりと
顏をつけた。
||之だと、
暗夜の
野も
山も、
朦朧として
孤家の
灯も
透いて
見える。
······一つお
覺え
遊ばしても、
年内の
御重寶。
外套の
裡から
小さな
聲で、
「
······返つたかい。」
「もう、
前刻。」
私は
耳まで
壓へて
居た。
鰌の
沼津をやがて
過ぎて、
富士驛で、
人員は、はじめて
動いた。
それもたゞ
五六人。
病人が
起つた。あとへ
紫がついて
下りたのである。
······鰌の
沼津と
言つた。
雨ふりだし、まだ
眞暗だから
遠慮をしたが、こゝで
紫の
富士驛と
言ひたい、
||その
若い
女が
下りた。
さては
身延へ
參詣をするのであつたか。
遙拜しつゝ、
私たちは、
今さらながら
其の
二人を、
涙ぐましく
見送つた。
紫は
一度宙で
消えつゝ、
橋を
越えた
改札口へ、ならんで
入道の
手を
曳くやうにして、
微な
電燈に
映つた
姿は、
耳かくしも、
其のまゝ、さげ
髮の、
黒髮長く

たけてさへ
見えた。
下山の
時の
面影は、
富士川の
清き
瀬に、
白蓮華の
花びらにも
似られよとて、
切に
本腹を
祈つたのである。
興津の
浪の
調が
響いた。
大正十三年七月
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