ある
町はずれのさびしい
寺に、
和尚さまと一ぴきの
大きな
赤犬とが
住んでいました。そのほかには、だれもいなかったのであります。
和尚さまは、
毎日御堂にいってお
経を
上げられていました。
昼も、
夜も、あたりは
火の
消えたように
寂然として
静かでありました。
犬もだいぶ
年をとっていました。おとなしい、
聞き
分けのある
犬で、
和尚さまのいうことはなんでもわかりました。ただ、ものがいえないばかりでありました。
赤犬は、
毎日、
御堂の
上がり
口におとなしく
腹ばいになって、
和尚さまのあげるお
経を
熱心に
聞いていたのであります。
和尚さまは、どんな
日でもお
勤めを
怠られたことはありません。
赤犬も、お
経のあげられる
時分には、ちゃんときて、いつものごとく
瞼を
細くして、お
経の
声を
聞いていました。
お
寺の
境内には、
幾たびか
春がきたり、また
去りました。けれど、
和尚さまと
犬の
生活には
変わりがなかったのであります。
和尚さまは、ある
日赤犬に
向かって、
「おまえも
年をとった。やがて
極楽へゆくであろうが、
私はいつも
仏さまに
向かって、
今度の
世には、おまえが
徳のある
人間に
生ま
変わってくるようにとお
願い
申している。よく
心で、
仏さまに、おまえもお
願い
申しておれよ。おそらく、三十
年の
後には、おまえは、またこの
娑婆に
出てくるだろう。」といわれました。
赤犬は、
和尚さまの
話を
聞いて、さもよくわかるようにうなだれて、二つの
目から
涙をこぼしていました。
数年の
後に、
和尚さまも
犬も、ついにこの
世を
去ってしまいました。
三十
年たち、五十
年たち、七十
年とたちました。この
世の
中もだいぶ
変わりました。
ある
村に
一人のおじいさんがありました。
目の
下に
小さな
黒子があって、まるまるとよくふとっていました。
歩くときは、ちょうど
豚の
歩くようによちよちと
歩きました。
おじいさんは、かつて
怒ったことがなく、いつもにこにこと
笑って、
太い
煙管で
煙草を
喫っていました。そのうえ、おじいさんは、
体がふとっていて
働けないせいもあるが、
怠け
者でなんにもしなかったけれど、けっして
食うに
困るようなことはありませんでした。
「おじいさん、
今年は
豆がよくできたから
持ってきました。どうか
食べてください。」
「おじいさん、
芋を
持ってきました。どうか
食べてください。」
「おじいさん、なにか
不自由なものがあったら、どうかいってください。なんでもしてあげますから。」
いろいろに、
村の
人々は、おじいさんのところにいってきました。そうして、おじいさんがもらってくれるのをたいへんに
喜びましたほど、おじいさんは、みんなから
慕われていました。
村で
若い
者がけんかをすると、おじいさんは
太い
煙管をくわえて、よちよちと
出かけてゆきました。みんなは、おじいさんの
目の
下の
黒子のある
笑顔を
見ると、どんなに
腹がたっていても
急に
和らいでしまって、その
笑顔につりこまれて
自分まで
笑うのでありました。
また、
村の
人々は、どんなに
働いて
疲れているときでも、おじいさんが、そこを
通りかかって、
「いいお
天気でございます。よく
精が
出るのう。」と、
声をかけられると、
人々は
急に
晴れ
晴れした
気持ちになって、また
仕事にとりかかったのであります。
おじいさんは、この
村では、なくてはならぬ
人になりました。おじいさんさえいれば、
村は
平和がつづいたのであります。おじいさんは、
若者の
相手にもなれば、また
子供らの
相手となりました。
けれどおじいさんは、べつに
富んではいませんでした。
食べることに
困らなかったというまでであります。そうして、
乞食や、
旅人の
困るものには、なんでも
余ったものは
分けてやりました。
あるときのことです。
村人は、
畑から
取れたものを
持って、おじいさんの
庭先へやってまいりました。
「おじいさん、これを
食べてください。」といいました。
いつものごとく、にこにことして
煙草を
吸っていたおじいさんは、その
日にかぎって、
常よりは
元気なく、
「もう、
私は、なんにもいらないから。」と
答えて、
軽く
頭を
振りました。
村人は、どうしたことかと
心配でなりませんでした。
その
明くる
日、おじいさんは
気分が
悪くなって
床につくと、すやすやと
眠るように
死んでしまいました。いいおじいさんをなくして、
村人は
悲しみました。そうして、
懇ろにおじいさんを
葬って、みんなで
法事を
営みました。
「ほんとうに、だれからでも
慕われた、
徳のあるおじいさんだった。」と、
人々はうわさをいたしました。
また、二十
年たち、三十
年たちました。おじいさんの
墓のそばに
植えた
桜の
木は、
大きくなって、
毎年のくる
春には、いつも
雪の
降ったように
花が
咲いたのであります。
ある
年の
春の
長閑な
日のこと、
花の
下にあめ
売りが
屋台を
下ろしていました。
屋台に
結んだ
風船玉は
空に
漂い、また、
立てた
小旗が
風に
吹かれていました。そこへ五つ六つの
子供が三、四
人集まって、あめを
買っていました。
頭の
上には、
花が
散って、ひらひらと
風に
舞っていました。