あるところに、まことにやさしい
女がありました。
女は
年ごろになると、
水車屋の
主人と
結婚をしました。
村はずれの、
小川にかかっている
水車は、
朝から
晩まで、
唄をうたいながらまわっていました。
女も
主人も、
水車といっしょに
働きました。
「なんでも
働いて、この
村の
地主さまのように
金持ちにならなければだめだ。」と、
主人は
頭を
振りながら、
妻をはげますようにいいました。
妻も、そうだと
思いました。そして、それよりほかのことをば、
考えませんでした。
春になると、
緑色の
空はかすんで
見えました。
木々には、いろいろの
花が
咲きました。
小鳥は、おもしろそうにこずえにとまってさえずりました。
夏になると、
真っ
白な
雲が
屋根の
上を
流れました。
女は、ときどき、それらのうつりかわる
自然に
対して、ぼんやりながめましたが、
「ぐずぐずしていると、じきに
日が
暮れてしまう。せっせと
働かなけりゃならん。」
と、そばから
主人に
促されると、
気づいたように、また、せっせと
働きました。
女は、一
日、
頭から
真っ
白に
粉を
浴びて、
働いていました。
二人は、まだ、
楽な
日を
送らないうちに、
主人は、
病気にかかりました。そして、その
病気は、
日に
日に、
重くなるばかりでした。
医者は、ついに
恢復の
見込みがないと、
見放しました。そのとき、
主人は、この
世を
見捨ててゆかなければならぬのを、なげきましたばかりでなく、
女は、
夫に
別れなければならぬのを、たいへんに
悲しみました。
「
俺は、おまえを
残して、
独りあの
世へゆくのを
悲しく
思う。けれど、もうこうなってはしかたがない。
先にあの
世へいって、おまえのくるのを
待っているから、おまえは、この
世を
幸福に
暮らしてからやってくるがいい。」
と、
主人は、
涙ながらにいいました。
女は、
泣いて
聞いていましたが、
「どうか、わたしのゆくのを
待っていてください。あの
世へゆくには、
山を
上るといいますから、
峠のところで、わたしのゆくのを
待っていてください。」と、
女はいいました。
主人は、
安心してうなずきました。そして、ついにこの
世から
立ってしまったのであります。
女は、
泣き
悲しみました。しかし、どうすることもできませんでした。その
日から、
一人となって
働いていました。
水車の
音は
昔のように、
唄をうたってまわっていましたけれど、
女はけっして、
昔の
日のように
幸福でなかった。
女は、
一人で
生活することは
困難でありました。それを
知った
村の
人は、
気の
毒に
思いました。
「おまえさんは、まだ
若く、
美しいのだから、お
嫁にゆきなさるがいい、ゆくならお
世話をしてあげます。」と、
女に
向かって、しんせつにいってくれるものもあった。
女は、
夫が
死ぬときに、
先へいって
待っているという、
約束をしたことを
思い
出すと、そんな
気にはなれませんでした。
「
死んだ
主人に
対してすまない。」と、
女は
答えました。
しかし、
村の
人は、
女のいうことをかえって
笑いました。
「
人間というものは、
死んでしまえば、ろうそくの
火の
消えたようなものだ。それよりも、
生きているうちがたいせつなのだから。」と
申しました。
女は、そうかと
思いました。
急に、
心細いような
感じがして、ついに、お
嫁にゆく
気になってしまいました。
女は、
機織りの
家に、二
度めに
嫁いだのであります。そして、
今度は、一
日じゅう
機を
織って、
夫の
仕事を
助けました。
夫は、また、
妻をかわいがりました。
女は、
前に
水車場の
男に
嫁いだ
日のことを
忘れて、いまの
夫を、なによりもたいせつに
思うようになりました。
女は、
織物の
入った、
大ぶろしきの
包みをしょって、
街道を
歩いて、
町へ
出ることもありました。
頭の
上の
青空は、いつになっても
変わりがなかったけれど、また、その
空を
流れる
白い
雲にも
変わりがなかったけれど、
女のようすは
変わっていました。
水車場には、
知らぬ
人が
入って
住まうようになりました。
「
若いうちに、うんと
働いて、
年をとってから
楽な
暮らしをしたいものだ。」と、二
番めの
夫はいいました。
彼女も、また、そう
思いました。
「ほんとうに、そうでございます。」と、
女は
答えた。
そして、
夫婦は、いっしょうけんめいに、
家業に
精を
出したのであります。四、五
年たちました。
すると、
夫が
病気にかかりました。
病気はだんだんと
重くなって、
医者にみてもらうと、とても
助からないということでありました。
夫は、
死んでゆく
自分の
身の
上を
悲しみました。
女は、また、
夫に
別れなければならぬのをなげきました。
「
私が
死んでしまったら、
後でどんなにおまえは
困るだろう、しかし
正直にさえ
働いていれば、この
世の
中にそう
鬼はない、あまり
心配しないほうがいい。」と、
夫は、
悲しみに
沈んでいる
妻をなぐさめていいました。
「わたしは、
自分のことを
思って、
悲しんでいるのでありません。あなたにお
別れしなければならぬのが
悲しいのです。」と、
女は
答えました。
「なに、
私は、あの
世へいって、おまえのくるのを
待っている。おまえは、できるだけ、この
世の
中を
幸福に
送ってくるがいい。」と、
夫はいった。
「あの
世へいくときには、なんでも
高い
山を
上るそうです。どうか、その
峠のところで
待っていてください。」と、
女はいいました。
夫は、うなずいて、なんの
心残りもなく、ついにこの
世を
去ってしまったのです。
女は、また
一人になりました。そして、たよりない
日を
送らなければならなくなりました。
村の
人は、この
不しあわせの
女に
同情をしました。
「まだ
若いんだから、いいところがあったら、お
嫁にいったがいい、お
世話をしてあげます。」と、
村の
人はいった。
「そんなことをしては、
死んだ
夫にすみません。」と、
女は
涙ながらに
答えました。
「すむも、すまないもない。
死んでしまった
人は、
消えたも
同じものだ。あの
世などというものは、まったくないものです。」と、
村の
人はいいました。
女は、ほんとうにそうかと
思いました。そして、
人にすすめられるままに、
三たびお
嫁にゆきました。
三
度めにいったのは、
鳥屋でありました。そこへいっても、
彼女はよく
働きました。
鳥に
餌をやったり、いろいろ
鳥の
世話をしました。
月日は
早くもたって、すでに
三たび
結婚をしてから、十
年あまりにもなりました。すると、
夫はあるとき、
病気にかかりました。
彼女は、よく
看護をいたしました。けれど、そのかいもなく、
夫の
病気は、だんだん
重くなるばかりでした。
「おまえを
後に
残していくのは、このうえなく
悲しい。けれど、これも
運命だからしかたがない。おまえは、あの
鳥のめんどうを
見てやったら、どうにか
暮らしていけないことはない。」と、
夫はいいました。
「ほんとうに
悲しいことです。わたしは、もっと
鳥のめんどうを
見てやります。そして、一
日も
早くあなたのところへゆかれる
日を
待っています。」と、
女は
答えました。
「それで
安心をした。どうか
達者で、
幸福に
日を
送ってくれい。きっと、
私は、
待っているから。」と、
夫はいいました。
「あの
世へゆくには、
高い
山を
越さなければならないそうです。どうか
峠でわたしを
待っていてください。」と、
女はいいました。
男はうなずいて、ついにこの
世から
去ってしまいました。
女は
夫の
亡くなってしまった
後、よくその
家業を
守りました。それから、また
長い
月日がたちました。
女は
年をとりました。そして、いつか
女自身が、
墓にゆく
日がきたのであります。
女は、
仏さまに、どうかあの
世へとどこおりなくいけるようにと
祈りました。そして、ついに
目を
閉じるときがきました。
女は、この
世を
去ったのです。けれど、
霊魂は
女の
念じたように、あの
世へゆく
旅に
上りました。
女は、
長い
道を
歩きました。うららかに
日が
当たって、
野も、
山も、かすんで
見えました。
夢の
国の
景色をながめたのであります。
女は、やさしい
仏さまに
道案内をされて、
広い
野原の
中をたどり、いよいよ
極楽の
世界が、
山を一つ
越せば
見えるというところまで
達しました。
「さあ、もうじきだ、この
山を
越すのだ。」と、
仏さまはいわれました。
女は、
青竹のつえをついて、
山を
上りはじめました。やがて、
峠に
達しますと、そこに三
人の
男が
立って
待っていました。三
人は、
自分たちの
待っている
女が、この
一人の
女であるということを
知りませんでした。三
人は、
女を
見ると、
「おまえのくるのを
待っていた。」といって、三
方から
寄ってきました。
女はびっくりしてしまいました。よく
見ると、
第一の
夫と、
第二の
夫と、
第三の
夫であったのです。
女は、どちらへいっていいか、まったくわからずに
途方にくれてしまった。
「
俺は、
長い
間、どんなにおまえを
待ったかしれない。」と、
第一の
夫がいいました。
「
私は、いちばん
最後におまえと
別れたのだ。おまえは
私といっしょに、あの
世へゆくのがほんとうだ。」と、
第三の
夫がいいました。
「おまえは、
私といっしょに、あの
世へゆくといって
約束をしたじゃないか。」と、
第二の
夫がいいました。
女は、まったく
途方にくれてしまいました。
このようすを、
仏さまはごらんなされていました。
「おまえは、
悪気のある
女ではないが、そういって、三
人に
約束をしたのはほんとうか。」と、
仏さまは、
女にたずねられました。
「わたしが
悪うございます。そういって、三
人に
約束をしました。けれど、
心からうそをいう
気でいったのではございません。一
時は、あの
世があることを
信じました。一
時は、あの
世があるかどうかを
疑いました。」と、
女は
申しました。
仏さまは、しばらく
黙って
考えていられましたが、
「おまえは、三
人の
中で、いちばんどの
人を
愛しているか?」と、お
聞きになりました。
女は、かつて、いちばんどの
人を
愛しているかを
心に
考えたことがないので、
返答に
困っていました。すると、
仏さまは、
「おまえは、どういうような
気持ちで、たびたび
結婚をしたのか。」と、おたずねになりました。
女は、
自分一人で
暮らしてゆけないから
結婚をしたとも、
気恥ずかしくて
申されませんでした。
「そんな
信仰のないものは、あの
世へゆくことはできない。おまえは、ちょうになって、もう一
度下界へ
帰って、よく
考えてくるがいい。そして、ほんとうにまどわない
悟りがついたら、そのとき、あの
世へやってやる。」と、
仏さまは
女に
申されました。
また、
仏さまは、三
人の
男に
向かって、
「
女がほんとうに
悟りがついて、
永久に
変わらない
自分の
夫を
見分けがつくまで、ここに
待っているがいい。」といわれました。
やがて、
女の
姿は、ちょうとなりました。そして、
夕日の
空に
向かって、どこへとなく
飛んでゆきました。
三
人は、
峠で、十
年、百
年、
幾百
年と
待ちました。そのうちに、三
人は、三つの
石になってしまいました。けれど、
下界に
去ったちょうは、いまだに
悟りがつかないとみえて、
花から
花へと、
美しい
姿をして
飛びまわっていて、
帰ってこないのであります。