二郎は、ある
日、
外に
立っていますと、びっこの
馬が、
重い
荷を
背中につけて、
引かれていくのでありました。
二郎は、その
馬を
見て、かわいそうに
思いました。どんなに
不自由だろう。そう
思うと、
達者な
馬は、
威勢よく、はやく
歩いていくのに、びっこの
馬はそれに
負けまいとして、
汗を
流していっしょうけんめいに
歩いているけれど、どうしてもおくれがちになるのでありました。
「このびっこめ、はやく
歩け
······。」と、その
馬を
引いている
親方は、ピシリ、ピシリとこの
馬のしりを
打つのでした。
二郎は、ぼんやりと
立って、それを
見送っていますと、やがて、
往来をあちらの
方へと、
遠ざかっていったのであります。
二郎は、まだ六つになったばかりでした。
家に
入ってから、
兄さんや、
姉さんに、
今日、あちらの
道をかわいそうなびっこの
馬が
通ったことを
話しました。しかし、
兄さんも、
姉さんも、
自分たちは、それを
見なかったから、
「
二郎ちゃんは、なにを
見たんだか
······。」といって、
笑っていました。
二郎は、
自分の
見た、
悲しい、
哀れな
馬について、よく
兄や、
姉にわからせたいと、いろいろにあせって、どもりながら、
訴えましたけれど、
相手にしてくれないので、
「そんなら、あしたの
晩方、
外に
出ていてごらん、きっと、あの
馬が
通るだろうから
······。」と、
二郎は、
兄さんや
姉さんにいいました。
「ああ、
通ったら、
知らしておくれ。」と、
兄さんや、
姉さんは
答えました。
二郎は、あくる
日の
晩方、
友だちらが
外に
出て、
鬼ごっこをしたり、
独楽をまわしたりして
遊んでいる
時分に、
独り、みんなから
離れて、ぼんやりと
往来の
上に
立って、
通る
馬や、
車をながめていました。また、
昨日のびっこの
馬が
通るかと
思ったからです。
二郎の
立っている
前を
通る
車や、
馬は、
黄色なほこりをたててゆきました。ほこりは、これらの
馬や
車がいってしまった
後でも、なお
空中にただよっていましたが、ついに
昨日のびっこの
馬は
通りませんでした。
「
二郎ちゃん、びっこの
馬は
通った?」と、
家に
入ったときに、
兄さんや、
姉さんは、
二郎に
問いました。
二郎は、さびしそうに
頭を
左右に
振りました。しかし、たとえ、
今日、この
道を
通らなくとも、どこかの
往来の
上を、
今日もまたあのびっこの
馬は
通るであろうと、
二郎は
子供心ながらにも
想像されたのです。そして、そのいじらしい
姿を
思うと、
二郎は、
哀れになって
涙ぐまれたのであります。
二郎は、
自分の
机のひきだしの
中に、
色紙と、はさみとを
持っていました。
彼は、それを
取り
出してきて、びっこの
青い
馬を
切り
抜いたのでした。
その
紙の
馬は、よくようすが、あのとき
見た、びっこの
馬に
似ているように、
自分に
思われました。
彼は、その
馬を
立つように
工夫しました。そして、それを
机の
上にのせてみては、いろいろと
空想にふけっていたのであります。
「かわいそうな
馬が、こうして、
今日も、どこかの
道の
上を
歩くであろう。」
こう、
二郎は、
紙の
青い
馬をながめて
思っていました。あのとき
見た
馬は、
青い
馬ではなかったのです。しかし、
彼が
紙の
青い
馬を
見ているうちに、
頭の
中の
馬も、いつしか
青い
色に
変わってしまったのであります。
ちょうど
春で、ぼけの
花の
咲く
時分でありました。
兄は、どこからか、ぼけの
植わっている
鉢を
持ってきました。いまその
木には、
真紅な
花がもみつけたように
盛りでありました。
兄は、それを
庭先の
石の
上にのせて、
朝晩、
水をやって、
大事にしていました。
ある
夜のこと、
庭先でねこがたいへんにないて、けんかをしました。
翌日、
戸を
開けてみると、ぼけの
枝が一
本折れていました。それは、ねこがけんかをしたときに、さわって
折ったので、そこには、
白い
毛がたくさんに
落ちていました。これを
見たとき、
驚いたのは、
兄さんばかりでありません。
姉さんも、また
二郎もたいそう
驚いたのです。しかし、その
中でも、
兄は、いちばん
悲しみました。
「どうしたら、また、もとのような
枝ぶりになるだろう?」と、
兄さんはいって、ねこをうらんだのであります。
このとき、ちょうど、
叔父さんがおいでになりました。そして、
兄の
悲しんでいるそばへやってこられて、
「そんなに、
悲しまなくたっていい。
雨の
降る
日に、
外へ
出してやれば、じきに、
折れたところから
新しい
芽をふくから。」と、
叔父さんは
申されました。
兄は、これを
聞くとたいそう
喜びました。そして、
雨の
降る
日に、
兄は、ぼけの
鉢を
外に
出してやりました。
二郎は、
兄さんのすることを
黙って、よく
見ていました。
折れた
枝も
雨に
当たれば、
芽をふくというから、びっこの
馬も、
雨に
当たったら、きっと
足が
伸びるだろうと、
考えたのであります。
天気の
曇った
日のことでありました。
二郎は、
姉さんに、
紙の
青い
馬を
渡して、
「
姉さん、どうかこの
馬を二
階の
屋根の
上に
出しておいてください。」といいました。
「なぜ、
二郎ちゃんはそんなことをするの?」と、
姉さんは
不思議がりました。
脊の
低い
二郎には、
自分独りでは、それを
窓の
外に
出すことができなかったのです。
「いいから、
出しておくれよ。」と、
二郎は
頼みました。
「いまじきに
雨が
降ってきますよ。すると、お
馬がぬれてしまいますよ。」と、
姉さんはいいました。
「
雨に
当たったら、お
馬の
足が
伸びるだろう。」と、
二郎がいいましたので、
姉さんも、この
話を
聞いていた
兄さんも、また、
家じゅうの
人がみんなで
笑いました。
「ああ、
伸びますよ。」と、
姉さんはいって、また
笑われました。
みんなは、
二郎が、ぼけの
枝に
芽をふくから、お
馬の
足も
伸びるだろうと
思っているのを、
無理に
打ち
消すのをかわいそうに
思ったからです。
「じゃ、
出しておいてあげようね。」と、
姉さんは、
二郎の
造ったびっこの
馬を二
階の
屋根の
上にのせておきました。
そのうちに、
雨が
降ってきました。
雨は、
庭先のぼけの
花に
当たると、
紅い
花片が
雨に
打たれてばらばらと、とれて
落ちました。また、
雨は二
階の
屋根に
出ていた
紙の
青い
馬にあたりました。するとまもなく、
紙の
馬はびっしょりとぬれてしまいました。
一晩、
雨は
降りつづきました。
夜が
明けると、
二郎は、まず
起きて、
庭先のぼけの
折れたところに、
芽がふいたかと
見ました。しかし、そこはただ
白くなって、
昨日のままでありました。
「
兄さんのぼけは、まだ
芽を
出さないが、
僕のお
馬は、
足が
伸びたろうか?」と、
二郎は
思いました。
そして、さっそく、二
階へ
上がっていって、
窓ぎわに
立ちましたけれど、
脊が
低くて、
二郎は、
屋根の
上をのぞくことができませんでした。
「
姉さん、
僕のお
馬の
足はどうなった?
見さしておくれよ。」と、
二郎は、
姉さんに
抱いて
見せてくれるように
頼みました。
姉さんは、
窓のところへきてのぞいてみますと、
青いお
馬は、
雨に
打たれて、
紙の
青い
色はみんなとれてしまって、いまは
汚らしく、
見る
影もなくなっているのでした。
姉は、こんな
姿を
二郎に
見せたくありませんでしたから、
「
二郎ちゃん、お
馬は、いま
雨にぬれて、ねんねしているのよ。
足は、
伸びかけていますの。」といいました。
「どれ、
僕に
見さしておくれ
······。」と、
二郎は、
足踏みをして
頼みました。
「いいえ、いまだれも
見ないほうがいいのよ。お
馬は、
見られるのがいやだといっていますよ。」と、
姉さんはいいました。
二郎は、
我慢をして、もうすこしの
間、
見ないことにしました。その
日の
午後から、
雨が
晴れて、
青い
空があらわれたのであります。
風はさやさやと
新緑の
葉の
上を
渡っていました。それは、
心地のいい
景色であります。
「
姉さん、
僕のお
馬を
見せておくれよ。」と、
二郎は、また
姉に
頼みました。
姉は、二
階に
上がってきました。あとから
二郎がついてきました。しかし、
姉が
窓からのぞいてみると、
紙のお
馬はいつのまにか
乾いて、
風に
吹かれて
飛んで、あちらの
屋根のといにかかっていました。
「
姉さん、どうなった?」ときいている
弟に
対して、
姉は、ありのままに
知らせる
気にはなれませんでした。
「
二郎ちゃん、お
馬は
足がなおったものだから、
元気よくどこかへ
駆け
出していってしまいましたよ。」と
答えました。
二郎は、いつか、みんなから
遅れて、
汗を
流して
歩いていったびっこの
馬を
思い
出しました。また、
同時に、
足早に
歩いていった
健康な
馬の
姿を
思い
出しました。
びっこの
馬が、
足がなおって、
元気よくどこかへいったということは、どんなに
二郎に、うれしいことであったでしょう。
雨のために
足が
伸びて、
馬が、どこかへいってしまったことを、
二郎は、ほんとうだと
思いました。
(この
哀れな
少年は、
大きくなったら、すべてを
知るでしょう。)
その
夜は、いい
月夜でした。
二郎は、
田圃の
中の
真っ
白に
花の
咲いた、あんずの
木の
下に
立っていますと、あちらの
往来を
青いお
馬が、
月の
光に
照らされて
歩いていくのを、ありありと
見ました。そのことを
姉さんに
話すと、
姉さんは、そのときは
笑わずに、
泣いていました。