あるところに、だれといって
頼るところのない、
一人の
少年がありました。
少年は、
病気にかかって、いまは
働くこともできなかったのであります。
「これからさき、
自分はどうしたらいいだろう。」と
考えても、いい
思案の
浮かぶはずもなかったのです。
いっそ
死んでしまおうかしらんと
考えながら、
彼は、
下を
向いてとぼとぼと
歩いてきました。いろいろな
人たちが、その
道の
上をば
歩いていましたけれど、
少年の
目には、その
人たちに
心をとめてみる
余裕もなかったのであります。
やはり、
下を
向いて
歩いていますと、
前を
歩いているものが、なにか
道に
落としました。
少年は、はっと
思って
顔を
上げますと、
先にゆくのはおばあさんでありました。おばあさんは、
自分がなにか
落としたのも
気づかずに、つえをついてゆきかかりましたから、
少年は、うしろから、おばあさんを
呼び
止めました、
「おばあさん、なにか
落ちましたよ。」と、
彼がいいますと、おばあさんは、はじめて
気がついて、
振り
向きました。そして、
道の
上に、
自分の
落としたものを
見て、びっくりして、
「まあ、ありがとうございます。よく
知らしてくださいました。これは、
私の
大事なものです。」と、
拾い
上げて、それから
曲がった
腰を
伸ばして、
少年の
方を
見て
礼をいいました。
「おまえさんは、いくつにおなりです。」と、この
人のよいおばあさんは、
話が
好きとみえて
少年に
問いました。
「十五になります。」と、
少年は
答えました。
おばあさんは、しげしげと
少年の
顔を
見ていましたが、
「おまえさんは、どこかお
悪いところはありませんか。」とたずねました。
「どうも
弱くて
困ります。
体さえ
強ければ
働くのですが
······。」と、
彼はうなだれて
答えました。
「それなら、
湯治にゆきなさるといい。ここから十三
里ばかり
西の
山奥に、それはいい
湯があります。
谷は
湯の
河原になっています。
二週間もいってきなされば、おまえさんのその
体は、
生まれ
変わったようにじょうぶになることは
請け
合いです。」
「それはほんとうですか?」と、
少年は、
生まれ
変わったようにじょうぶになると
聞いて、
驚きと
喜びとに
飛び
立つように
思いました。
「ああ、それはほんとうだ。」と、おばあさんは
答えました。そして、さっさとあちらへいってしまいました。
少年は、おばあさんから、いいことを
聞いたと
思いました。
「しかし、その
湯のあるところは、なんというところだろう。」と、しばらくたってから、
少年は
思い
返しました。けれど、「なんでも、十三
里ばかり
西の
山奥だということだから、
西へいって、
聞いたらばわからないこともあるまい。」と
思いました。
たとえ、そのように、いい
温泉があったにしても、すこしの
金をも
持たない
少年には、その
温泉へいって
治療をすることは、
容易なことではなかったのであります。ただ、
彼は
自殺してしまうということだけは
思い
止まりました。
「そんないい
温泉があって、この
体が
達者になれるものなら、いま
死んでしまっては、なんの
役にもたたない。どうかして、その
温泉へいって
体を
強くしてこなければならない。」と、
少年は
思いました。
なにをするにしても、
病身であって、
思うように
力が
出ず、
疲れていましたから、ほんとうに、どうしたら
旅費がつくれるだろうと
考えながら、
少年は
路を
歩いていました。
少年の
頭には、このばあい
浮かんだものは、
乞食をするということよりほかに、いい
考えがなかったのであります。
「そうだ、
乞食をしよう。」と、
少年は
思いました。
まだ、
乞食というものを
経験したことのない
彼は、どこへいって、どうして
知らぬ
人々から
銭をもらったらいいだろうかと
思いました。
ほとんど
途方に
暮れてしまって、
少年は、ある
道の
四つ
筋に
分かれたところに
立っていました。そこは、
町を
出つくしてしまって、
広々とした
圃の
中になっていました。そして、どの
道を
歩いていっても、その
方には、
黒い
森があり、
青々とした
圃があり、
遠い
地平線には、
白い
雲がただよって
見えるのでありました。
「この
四つ
筋の
道は、それぞれ
町や
村へゆくのであろうが、どんなところへゆくのだろう。」と、
少年はあてもなく、
左右前後を
見渡していたのであります。
そのとき、
一人のおじいさんが、あちらからきかかりました。
少年はぼんやりとして
見ていると、おじいさんは
石につまずいて、げたの
鼻緒を
切ってしまいました。
「ああ
困ったことをした。」と、おじいさんはいって、
跣足になって、
鼻緒をたてようとしましたが、なにぶんにも
目が
悪いので、
思うように
鼻緒がたちませんでした。
少年は、これを
見ますと、さっそくおじいさんのそばへやってきて、
「おじいさん、
私がたててあげましょう。」と、しんせつにいいました。
「これは、これは、おまえさんがたててくださいますか、ありがとうございます。」と、おじいさんは、たいそう
喜びました。
少年は、おじいさんのげたの
鼻緒をたてていますと、あごひげの
白いおじいさんは、つえによりかかってあたりを
見まわしていましたが、
「あすは、お
寺のお
開帳で、どんなにかこの
辺は
人通りの
多いことだろう。お
天気であってくれればいいが。」といいました。
「おじいさん、
明日は、この
道をそんなに
人が
通りますか。」と、
少年はききました。
「ああ、
朝のうちから
通るにちがいない。しかし、この
四つ
街道でよくみんなが
道をまちがえるのだ。
知らぬ
人は
困るだろう。」と、おじいさんはいいました。
「おじいさん、この
四つ
街道の
行く
先は、どこと、どこだか、
私によく
教えてください。」と、
少年は
頼みました。
おじいさんは、一つの
道は、お
寺のある
町へゆくこと、一つの
道は、
遠いさびしい
村へゆくこと、一つの
道は
海の
方へゆくこと、一つの
道は
山の
方へゆくことを、
細かに、
少年に
向かってきかせたのでありました。
少年が、おじいさんのげたの
鼻緒をたててしまいますと、おじいさんは
喜んで、
町の
方へといってしまいました。
少年は、いいことを
聞いたと
思いました。
自分は、
明日この
四つ
街道のところにすわっていよう。そして、
道を
迷った
人には、よく
教えてやろう。
自分は、どうしてもほかの
乞食がするように、
通る
人ごとに
頭を
下げてあわれみを
乞うことはできないが、ただ
黙ってすわっていたら、なかには
銭をくれてゆくものもないともかぎらないと、
考えました。
あくる
日、
少年は
朝早くから、そこにすわっていました。いい
天気でありましたから、おじいさんのいったように、お
寺のお
開帳に
出かける
人が
続きました。よく
道を
知っている
人たちは、さっさと
少年のすわっている
前を
通り
過ぎて、
道をまちがわずにその
方へとゆきました。
中には、
老人もありました。
若い
女もありました。また
親たちに
連れられてゆく
子供などもありました。たまたまやさしそうな
女の
人が、
少年のすわっている
姿を
見ると、
前に
立ち
止まって、
懐から
財布をとり
出して、
銭を
前に
置いていってくれました。そんなときは、
少年は
気恥ずかしい
思いがして、
穴の
中へでも
入りたいような
気がしましたが、
早く
温泉場へいって、
病気をなおしてから
働くということを
考えると、
恥ずかしいのも
忘れて、どんなつらいことも
忍耐をする
勇気が
起こったのです。
こうしておおぜいが
連れ
合っていった
後から、
一人できかかる
男や、
女がありました。その
人々には、よく
道がわからないとみえて、
四つ
街道にきてから、うろうろとしていました。
「お
寺へおいでなさるのですか。」と、
少年はいいました。
「ああそうだ。」と、その
人は
答えました。
「そんなら、そちらの
道をおいでなさい。」と、
少年は
教えました。
中には、
喜んで
礼をいってゆくものもあれば、また
銭を
少年に
与えてゆくものもありましたが、また
中には、
振り
向きもせず、
礼をいわずにいってしまうものもありました。また、まれに、おおぜいでやってきて、みんなが
道を
知らないばあいなどもありました。そんなとき、
少年がやはり
道を
教えてやると、
「
感心な
子供だ。かわいそうな
子供だ。これにはなにか
子細があって、
乞食をするのだろう。」などとうわさしあって、みんなが
銭をくれてゆくこともありました。
少年は、その
日は
思いも
寄らぬたくさんな
金を、
人々からもらいました。そして、
日暮れに
木賃宿へ
帰ってきて
泊まりました。
彼は、ほかにいって
泊まるところがなかったからです。
この
木賃宿には、べつに
大人の
乞食らがたくさん
泊まっていました。そして、
彼らは、その
日いくらもらってきたかなどと、たがいに
話し
合っていました。
「
俺は、一
日じゅう
人の
顔さえ
見れば、
哀れっぽい
声を
出せるだけ
絞り
出して、
頭を
下げられるだけ
低く
下げて
頼んでみたが、これんばかりしかもらわなかった。」と、あばた
面の
乞食が
銭を
算えながらいっていました。すると
一人の
脊の
高い、
青い
顔をした
乞食が、
「
俺は、一
日じゅうびっこのまねをして
町じゅうを
歩きまわったが、やっと、こればかりしかもらわなかった。」と、やはり
銭を
掌にのせて、
見つめながら
話していました。
少年は、
黙ってそばに
小さくなって、みんなの
話をきいていましたが、
脊の
高いのが、
「やい、
小僧、おまえは、いくら
今日もらってきたか。」と、
大きな
声でふいに
尋ねました。
少年は、
正直に、その
日もらってきた
金の
高を
話しますと、みんなは、びっくりして
目をみはりました。
「
小僧、だれに
話をつけて、
俺の
縄張り
内を
荒らしゃあがったか。その
金を、みんなここへ
出してしまえ。」と、
脊の
高いのは
少年をにらみつけていいました。
少年は、もうすこし
金がたまったら、それを
旅費にして、
西の
方の
温泉場をさして、
出かけるつもりでいましたやさきでありましたから、
死んでもこの
金は
出されないと
思っていました。けれど、あまり
相手のけんまくが
怖ろしいので、どうなることかと
震えていました。
「まあ、
堪忍してやんなさい。なんといっても、まだ
子供だ。それに
病身とみえて、あんなに
顔色が
悪いのだから。」と、あばた
面の
男は、
仲へ
入って、その
場を
円くおさめてくれました。
少年は、
心の
中で、
顔つきにも
似ず
心のやさしい
乞食だと
思って、あばた
面の
男に
感謝していました。
夜中のことであります。あばた
面が
少年を
揺すり
起こしました。そして、
小さい
声で、
「おまえは、
昨日どこでもらってきた。」とききました。
少年は
四つ
街道のところにすわっていたこと、そして、
開帳へゆく
人々に
道を
教えたことまで、すっかり
話をしました。
「なるほどな。」といって、あばた
面の
乞食はうなずきました。
夜が
明けると
少年は、
今日も
四つ
街道のところへすわって、みんなに
道を
教えようかとおもいました。
太陽が
上がると、
彼は、
昨日のところにやってきました。すると、いつのまにか
自分より
早く、あばた
面がそこにきてすわっているのでした。
「
昨夜、
俺がおまえを
助けてやったんだ。
今日は、ほかをまわるか、
休んで
宿にいろ。そのかわり、
俺がたくさんもらったら、
分けまえをくれてやるから。」と、あばた
面は、
目をぎょろりと
光らしていいました。
少年は
抵抗することもできなく、またほかを
歩いて、どうしようという
考えも
起こらず、そのまましおしおと
宿にもどってきました。
その
日の
暮れ
方になると、
外へ
出歩いていた
乞食らがみんなもどってきました。あばた
面は、たいそう
不機嫌な
顔つきをして
帰ってくると、
少年に
向かっていいました。
「おまえのいうことを
聞いて、ほんとうにしたばかりに
大ばかをみてしまった。だれひとり、
道を
聞くものもなけりゃ、
銭をくれるものも
数えるほどしかなかった。
分けまえどころか、おまえから
昨日の
分けまえをもらわなけりゃ、
埋め
合わせがつかない。それがいやなら、この
宿からさっさと
外へ
出てゆけ。」と、
怖ろしい
目つきをしてにらみました。
少年は、ついにその
宿から
追い
出されてしまいました。
暗い
夜路をあてもなく
歩いてゆきますと、いつしか
山の
方へ
入ってゆく
道に
出たものとみえて、ある
大きな
坂にさしかかりました。
ちょうどこのとき、
馬に
車を
引かせ、
石を
積んで
坂を
上りかけている
男を
見ました。どこからきたものか、
人も
馬も
疲れていました。
少年は
気の
毒に
思って、
坂を
上るときに、その
車の
後を
押してやりました。すると
車の
上から、
小さな
石ころが一つ
転げ
落ちました。なんの
気なしに
振り
向いてみると、その
石が
不思議にきらきらと
光っていました。
「
石が
落ちた。」と、
少年は、
男に
注意をしたけれど、
男は
黙っていました。
返事をするのも
物憂かったようすであります。また、
石ころ一つくらいどうでもいいと
思っているようにも
見えました。
少年は、
坂の
上まで
押してやりました。しかし、
男は
下り
坂にかかると
礼もいわずに、さっさといってしまいました。
独り
後に
残された
少年は、ぼんやりと
立っていましたが、なんとなく、
光る
石に
気が
引かされましたので、わざわざもどってそれを
拾ってみました。それは、
黒っぽい
岩のような
石のかけらでありました。
少年は、その
夜は、ついにこの
石を
抱いたまま、
坂の
下の
草原の
中で
野宿をしました。
夏の
夜明け
方のさわやかな
風が、ほおの
上を
吹いて、
少年は
目をさましますと、うす
青い
空に、
西の
山々がくっきりと
黒く
浮かんで
見えていました。そして、その一つの
嶺の
頂に、きらきらと
星が
光っていました。
少年は、じっと
星の
光を
見ていますうちに、
熱い
涙がしぜんと
目の
底にわいてきました。それは、
産まれ
変わったように
体が
強くなって、ふたたびこの
世の
中に
出て
働くことのできる、
長い、
長い、
未来の
生活が
空想されたからであります。
いうにいえない
悲壮な
感じが、このとき、
少年の
胸にわき
上がりました。
「どんな、
遠くへでも
歩いていこう。」
少年は、おばあさんから
聞いた
温泉を
思い
出して
心でいいました。
いよいよ
夜が
明けると
太陽が
笑いました。このとき、
少年は、いままで
大事にして
握っていた
石ころをつくづくとながめたのです。
昨夜草原にねていて、
空に
輝いている
星をながめたが、その
星のかけらのように、
美しく、
紫色に
光っている
石でありました。
少年は、その
石を
持って
町へ
出ました。そして、ある
飾り
屋の
前を
通りかかりましたときに、その
店さきにすわっていた
主人にこの
石を
見てもらいました。
主人は、
眼鏡をかけて、よく
石を
見ていましたが、
「これは
珍しい
石だ。」といって、どうか
売ってくれないかと
頼みました。
少年は、
石よりもっと
自分の
命がたいせつだと、
温泉行きのことを
思って、
主人に
美しい
紫色の
石を
売ってやりました。
「こんな
珍しい
石なら、いつでも
買いますから、また、ありましたら
持ってきてください。」と、
飾り
屋の
主人はいいました。
少年は、その
店から
出て、
往来に
立ちましたときに、また、
今夜も、あの
坂の
下に
待っていて、もし、あの
車がきたときに、
後を
押してやろうかなどと
考えましたが、なんでも、いい
機会というものは、
二度あるものでない。お
開帳の
日だって、つぎの
日には、あんなことがあったと
考えると、
旅費のできたのを
幸いに、はやく
目的地をさしてゆこうと
決心したのであります。」