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早春散歩

中原中也




空は晴れてても、建物には蔭があるよ、

春、早春は心なびかせ、

それがまるで薄絹ででもあるやうに

ハンケチででもあるやうに

我等の心を引千切ひきちぎ

きれぎれにして風に散らせる


私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに

少くとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、

風の中を吹き過ぎる

異国人のやうな眼眸まなざしをして、

確固たるものの如く、

また隙間風にも消え去るものの如く


さうしてこの淋しい心を抱いて、

今年もまた春を迎へるものであることを

ゆるやかにも、ここに春は立返つたのであることを

土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら

土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら

僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は思ふ······






底本:「中原中也詩集」角川文庫、角川書店

   1968(昭和43)年12月10日改版初版発行

   1973(昭和48)年8月30日改版13版発行

入力:ゆうき

校正:木浦

2013年6月19日作成

2018年12月27日修正

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