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津村信夫




 信州はお隣りの越後の国にくらべると、あまり雪の多いところではありません。それでゐて、寒いことは、たいへんさむいのです。

 雪がすくないといつても、もちろん平地よりはずつとたくさん降りますし、同じ信州でも、飯山いひやまなどといふ越後にちかいところや、一茶の住んでゐた柏原や、又戸隠地方のやうな山地にゆくと、ずゐぶん、どつさり積るのです。

 善光寺平の雪は、精々一尺くらゐ積れば多い方ですが、そのかはり、一度積つた雪はもう中々とけないのです。さうして、その上に、そのうへにと新らしい雪が降るのです。道の上などは、堅くかたく、まるで氷でも張つたやうになるのです。これを根雪といひますよ。

 堅い雪は又時々悪さをするものです。この間も、私の知り合ひのある老婆が、夕方買物に出かけて、道をあるいてゐると、この氷のやうな雪の上で、つい足をすべらせてしまひました。さうして老婆は腰のあたりを、ひどくうつたのです。

「あゝ、ほんとに魂消たまげえやした、雪も、どうして馬鹿にならない」

 この勝気なおばあさんは、さういつて、こぼしてゐましたが、まる一月くらゐは動けなかつたといふことです。

 年寄だけではありません、若いものでも時々しくじることがあるのです。一と冬の間には、かならず、何人かの人がころんだりして、ひどい怪我をするのです。

 あなた方は、雪崩なだれといふものを知つてゐますか。山地にゆくと、雪崩といふ恐ろしいものがあるのですよ。山の崖になつたやうなところに、高く積つた雪が、一度にどつと押しながされてくることです。雪崩は人の家を埋め、人をも生き埋めにしたり、押しつぶしたりするものですが、町中にゐても、雪といふものは中々こはいものですね。

 自然の中に暮してゐる人々は、自然のお蔭で、色々の楽しみを持つことも出来ますが、又はげしい自然と、一と冬の間、こんなふうに戦はねばならないのです。


 しかしながら、雪といへば、こんな便利なこともありました。

 私が長野の町の小さな病院で、熱のある患者の看病をしてゐる時でした。東京へんだと熱のある場合、病人の頭や胴をひやすには、きまつて、氷をつかひますね、ところが、信州では氷の袋はつかひますが、中に入れるのは、氷ではなくて、雪なのです。あの堅いかたい雪なのです。

 一々氷屋をよばなくとも、冬であれば病院の庭にでも、どこの空地にでも、雪のないことは珍らしいからです。

 小さな病院の庭が、この雪を掘る人々で、にぎはふ光景を、私も日にいくどか眺めました。






底本:「日本の名随筆51 雪」作品社

   1987(昭和62)年4月25日第1刷発行

底本の親本:「津村信夫全集 第二巻」角川書店

   1974(昭和49)年11月

入力:向山きよみ

校正:noriko saito

2010年7月18日作成

2011年2月6日修正

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