駅前の
広場で、
二人の
女はとなりあって、その
日の
新聞を、ゆき
来の
人に
売っていました。
一人は、もう
年をとった
母親であったが、
一人は、まだ
若い、
赤ん
坊をおぶった
女でありました。
朝のうちは、
電車のつくたび、
乗り
降りするものがはげしいので、
新聞もよく
売れたが、
正午近くなると、
買うものが、あまりなかったのです。
冬の
日は、
広場の
土を
白々とてらしていました。ただ、
紙くずが、
風にふかれて、その
上をとんでいます。
二人は、なにを
考えているのか、ぼんやりと、
前の
方をながめていました。
すぐ
向こう
筋に
中華料理店があって、さっきから、
入り
口のドアが、あいたり、しまったりしていました。そして、いましがた、
桃色の
服をきた
女と、
背の
高い、
黒服の
男が、
手をとりあって、
入ったように
思ったのが、いつのまにか
時間がたち、もう
食事をすまして、
二人が
出てくるのを、
年とった
女は
見たのでした。かの
女は、
「うちのむすこは、まだこんな
上等のところを
知らないだろう。」と、
思いました。
それは、
母親にとって、うれしいことであり、また、かわいそうなことであるような
気がしました。
ゆうべのこと、むすこは、
工場からかえると、やぶれた
仕事服のポケットをさぐり、
金をとり
出して、
「おかあさん、
映画を、
見にいっていらっしゃい、お
正月だもの。」と、
前へ
差し
出したのでした。
そのよごれた
手を
見るうち、ふと
幼いころ、おまえの
手はだれに
似て、まるくて、かわいらしいのだろうと、よくいったことが、
記憶にうかんだのです。そしてその
手がいま
私たちの
暮らしを
立てていると
思うと、
泣かずにいられませんでした。
「いまごろ、むすこは
工場で、はたらいているだろう。」と、
遠くの
煙突から、
白い
煙の
上るのを
見て、かの
女は
思いました。
「このごろ、ご
主人は、どうなの。」と、わかい
女に
聞きました。
赤ちゃんの
父親は、
病気でねていました。
あくる
日、
年とったほうの
女は、デパートの、かざられた
衣裳の
前に
立っていました。そこには、三
万円の
札のついた
帯地、また二
万円の
札のさがった
晴れ
着が、かかっていました。
「だれが、これを
買うのだろうか。
私も、となりの
若い
女も、一
生身につけることはないだろう。」
そう
思うと、なんとなく、さびしい
気がして、かの
女は、おもちゃのある
売り
場へいそいだのでした。そして、そこで、むすこが
映画を
見ろといってくれた
金で、となりの
赤ちゃんがよろこびそうな、
赤いかざぐるまを
買いました。
かの
女は、それを
大事そうにもって、
階段を
下り
外へ
出ました。つめたい
風に、セルロイドのかざぐるまは、さらさらと、かわいた
音をたてて、まわるのでありました。