正二くんは
時計がほしかったので、これまでいくたびもお
父さんや、お
母さんに、
買ってくださいと
頼んだけれども、そのたびに、
「
中学へ
上がるときに
買ってあげます。いまのうちはいりません。」というご
返事でした。
戦争がはじまってから、
時計は、もう
外国からこなくなれば、
国内でも
造らなくなったという
話を
聞くと、
正二くんは、
「
売っているうちに、
早く
買ってもらいたいものだ。」と
思ったのです。それで、お
父さんに
向かって、またお
頼みしたのでした。すると、
「なくなることはない。
高くなっても、お
前が
中学へ
上がるときには
買ってやるから、
心配しなくていい。」と、お
父さんは、いわれたのでした。
学校では、
小谷も、
安田も、
森も、みんな
時計を
持っていました。いままで
持っていなかった
高橋も、このごろ
買ってもらったといっていました。
正二くんは、みんなが
上着のそでをちょっとまくって
時計を
見るときのようすが、
目についていてうらやましくなりました。
時計があると
徒競走をしても、タイムが
取れるし、
学校へいくバスの
中でも
時計があれば、
安心できると
思ったのです。
正二くんは、いつか
兄さんがいい
時計を
買いたいといっていたことを
思い
出して、
兄さんのところへいきました。
「
兄さん、いつ
時計を
買うの。」
「まだわからない。」
「
買ったら、
兄さんの
時計を
僕におくれよ。」といいました。
「ああ、やるけれど、一
年先だか、二
年先だかわからないぞ。」
「えっ、一
年も、二
年も
······。」
正二くんは、
目を
大きくみはったのです。
「うちに、お
父さんの
前に
持っていた、
大きな
時計があったろう。あれをもらうさ。」と、
兄さんがいいました。
それは、
大型の、ひもで
下げる
昔ふうのものでした。
商店か、
古道具屋の
店頭でもなければ、
見られぬものです。
「やだ、あんな
昔のものなんか。」と、さすがに
正二くんも、おかしくなって、
笑いました。
「ばか、あれは、
機械がいいのだ。この
時計なんかとくらべものにならぬほど
正確なんだ。」と、
兄さんは、
自分の
時計をながめました。
「じゃ、
兄さん、あれをおもらいよ。」
「あんなの
下げて
歩けるか。」
これを
聞くと、
正二くんは、お
父さんのもとへ
飛んでいきました。
「お
父さん、
僕に、
大きな
時計をおくれよ。」
「あれは、おまえなどの
持つ
時計ではない。
中学へ
上がるとき、いい
腕時計を
買ってやるから。」
「
僕、
待ちきれないんだよ、だから、あの
大きいのをくれてもいいでしょう。」
お
父さんは、だまっていられました。
正二くんは、お
父さんのへやへ
入って、
方々のひきだしを
開けて、
大きな
銀時計をさがしました。
やっとそれを
見つけると、お
父さんの
前に
持ってきて、
「もらっていいでしょう。」といいました。
「それをやる
代わりに、もうほかのを
買ってやらないぞ。」
「ああ、いいです。」
正二くんは、
時計のひもをバンドに
結んで、
外へ
出かけました。
友だちに
見せるつもりです。
「
正ちゃんのは、すばらしく
大きいんだね。」と、
秀ちゃんが、いいました。
「これは、
下げるんだね、
昔の
時計だろう。」と、
賢吉くんが、いいました。
「
正ちゃんの
時計の
音は、ここまできこえる。」と、
秀ちゃんが、すこし
離れたところに
立っていて、いいました。
正二は、こんな
時計を
学校へ
持っていったら、きっと
小谷や、
森に
笑われるだろうと
思ったので、お
母さんに、
預かってもらうことにしました。
「しかたがないから、四
月まで
待とうか、それともお
姉さんがきたら
頼んでみようか。」と、
正二くんは、いろいろ
考えたのでした。
正二の
姉さんは、お
嫁にいっていました。けれど、
末の
弟の
正二くんをかわいがっていたのです。
ある
日、
久しぶりで
家へきたお
姉さんは、
正二くんから、
時計を
買ってくれとせがまれました。
「そんなにほしいのなら、
買ってあげます。そのかわり、いい
成績で
卒業なさいね。」と、お
姉さんは、
町へいって、
正二くんに、
学生向きの
腕時計を
買ってくださいました。
新型で、いかにも
機械が
精巧そうです。
正二は、それを
腕にはめて、
喜んで
飛びまわりました。
「どれ、お
見せ。
僕のよりも、いいようだぞ。」と、
兄さんまでが、いったので、
正二くんは、
得意でした。
翌日、さっそくその
腕時計をして、
学校へいきました。
「いいのを
君買ったね。」と、いちばんにそれを
見つけて、
駆け
寄ったのは
小谷でありました。
「
僕のと、
同じようだけど、ちっとちがっているね。」と、
小谷は、
自分の
腕時計と
見くらべていました。
「ははあ、
君のと三
分ちがっているが、どっちが
正しいんだかな。」と、
正二くんが、いいました。
「それは、
僕のが
正しいんだとも、
昨夜ラジオに
合わしたのだもの。」と、
小谷が、
答えました。
「
僕も
合わしたんだよ。」
二人は、そろって
教員室の
前へいって、
時計を
見ると、どちらもちがっていました。それでいずれが
正しいのか、わかりませんでした。
正二くんは、
学校で
撃剣をして、
家へ
帰りました。
見ると、
時計が、
止まっていました。
「おかしいな。お
母さん、
僕の
時計が
止まっています。
撃剣をすると
止まるもんですか。」
「そんなことはありません。ねじがゆるんだのでしょう。」
「あ、そうか。」
正二くんは、ねじをかけて、
外へ
遊びに
出ました。そして、
友だちとボールを
投げていたのです。ふと、
時計を
見ると、また
針が
止まっていました。
「だめだ、こんな
時計は、
見かけだけで
······。」と、
正二くんは、なにかしらん
腹立たしくなりました。
家へ
帰って、お
母さんに
告げると、
「
買ったばかりですから、
店へ
持っていってなおさせてあげます。」と、おっしゃいました。
正二くんは、
見たところ
精巧そうな
時計が、ちっとも
精巧でないので、がっかりしてしまいました。
学校へいって、このことを
友だちに
話すと、
「
僕の
時計も、すこし
運動すると
止まるんだよ。」と、
小谷が、いいました。
夕ご
飯のときに、その
話が
出ると、
兄さんは、
笑って、
「
役にも
立たぬものを、
体裁だけでごまかすなんて、ほんとうにわるいことだな。」と、いわれたのでした。
「なんのための
時計だか、わかりませんね。」と、
正二が、いいました。
「いままでのような
世の
中では、しかたがない。
見かけはどんなでも、ほんとうに
役に
立つものを
造らなければ、なんの
値打ちもないのだ。
人間も
同じことだぞ。」と、お
父さんが、おっしゃいました。
それは、
体操の
時間でした。
先生が、ポケットから、
大きな
時計を
出して、
時間を
見ていられました。
正二は、
自分の
大きな
時計によく
似ているなと
思って、
見ていました。
「
先生の
時計は、
大きいなあ。」と、
笑ったものがあります。
先生は、こちらを
向いて、
「
君たちの
時計は、
見かけばかりで、すこし
運動すると
止まるのだろう。
形などはどうでもいい。
機械は、このほうがずっといいんだ。」と、おっしゃいました。
その
明くる
日から、
正二くんは、お
母さんにあずけてあった
時計を
下げて、
平気で
学校へいくようになりました。