春のころ、一
度この
谷間を
訪れたことのあるしじゅうからは、やがて
涼風のたとうとする
今日、
谷川の
岸にあった
同じ
石の
上に
降りて、なつかしそうに、あたりの
景色をながめていたのであります。
小鳥たちにとって、この二、三か
月の
間は、かなり
長い
間のことでありました。そのときは、やっと
雪の
消えたばかりで、
見るものがすべて
希望に
燃え
立っていきいきとしていました。しじゅうからは、
葉のしげったかしの
木を
見つけて、
巣をかけようかと、
友だちと
枝の
間を
飛びまわっていました。
日光の
射しぐあいなどをしらべなければならなかったからです。
すると、かしの
木は、
不平らしい
顔つきをして、
「
承諾なしに、
私の
枝へ
巣をかけてはいけません。」といいました。
それは、
無理のない
言い
分でありました。しじゅうからは、つい
断るのを
忘れてしまったのです。なぜなら、
巣をかけることは
鳥たちにとって、あたりまえのことで、わるいことと
思っていなかったからでした。
「ごめんください。どうぞ
私に、
小さな
枝を
貸してくださいませんか?」と、
頼みました。
「
昨日も、
美しいこまどりがきて、いろいろ
頼んだのですけれど、どうも
鳥に
巣をかけさせると
葉を
汚して、いやになるから
許さなかったのですよ。いっそすずめばちにでも
貸してやったら、いたずら
者が
寄りつかなくていいかと
思っているのです。」と、ごうまんないい
方をして、かしの
木は、
答えました。
「あの、すごい
剣を
持っているすずめばちにですか?」
「そうですよ。」
ちょうど、このとき、
人の
声がしたので、しじゅうからは、
驚いて
下を
見ると、
細い
道を
草を
分けながら、おじいさんが、
子供をつれて、まきを
背負って、ふもとの
方へ
下っていくところでした。
「ああ、ここに、こんな
人の
通り
道があったのか? あの
臆病な、
注意深いこまどりが、なんで
頼んでも、こんなところへ
巣をかけよう。」
ししじゅうからは、この
威張っているかしの
木が、いいかげんなことをいっていると
知りましたので、
自分もここへ
巣をかけるのは
考え
物だと
思って、
他の
木へと
移っていきました。
彼の
止まった、とちのきは、みごとな
白い
花を
開いたばかりでした。
「しじゅうからさん、
私の
花と、あすこに
咲いているうつぎの
花と、どちらがきれいでしょう?」と、とちのきは、しじゅうからに
向かって、ききました。
「さあ、あなたは、
白い
花ですし、あちらは
紅い
色ですね。どちらもみごとではありませんか?」
しじゅうからは、なぜとちのきが、こんなつまらない
問いを
出したのかと
疑わずにはいられなかったのです。
「いえ、
昨日も
旅の
珍しい
鳥が、ここへやってきましたが、
私へは
止まらなかったので、
私は、
悲しくてなりませんでした。」と、とちのきは、さも
無念そうに、
大きな
葉をはたはたとふるわせていました。
「とちのきさん、あなたは、こんなに
太いし、そして、
高いではありませんか。きっと
旅の
鳥は、あの
低い
木を
憐れと
思って
止まったのですよ。」と、しじゅうからは、とちのきをなぐさめたのでありました。
彼はかかる
険しい
谷間の
片すみにも、こうした
悩みと
争いがあるのかと
痛ましく
感じました。
そのつぎに、しじゅうからは、しらかばの
枝へ
移ったのです。
若い、すらりとしたしらかばは、ちょうど
更衣をしているところでありました。
「そんなに
私を
見てはいけません。どうしてって、
恥ずかしいのですもの。
私のお
化粧が、すっかりできあがった
時分に、もう一
度ここへきて、
私を
見てくださいまし。」といいました。
「しらかばさん、その
時分、
私たちは、どこにいるか
知れませんが、たとえ、やってこなくてもおこってはいけません。それは、けっしてあなたを
忘れたのでなく、たぶんそのころは、いちばん
私たちの
生活に
忙しいときだからです。そのかわり、このつぎ、こちらへきたときに、あなたがどんなに
美しくなっていられるか、
見るのが
楽しみであります。」といいました。しじゅうからは、しらかばのうぬぼれが、むしろ、いじらしく
思われました。
最後に、
彼は、この
石の
上に
下りて、
水を
飲み、
岸に
立っているかえでの
木と、それにからんだむべの
木とを
見上げたのであります。
急流が、二
本の
木の
根を
洗っていました。そして、もし
大雨が
降って、
出水をしたら、
彼らは、
根こそぎに、さらわれてしまう
運命にありました。しかし、二
本の
木はしっかりと、たがいに
根を
張って
助け
合っていました。しじゅうからは、このようすを
見ると、
深く
同情をしたのであります。
「一つ、つぼみがつきましたね。」と、しじゅうからはやさしい
調子で、むべに
向かって
声をかけました。
これを
聞いて、かえでの
木は、
我がことのように
喜んで、
「
今年はじめて
咲くのですよ。きっと、ふじの
花よりも
美しいし、また、ばらの
花よりも
美しいと
思っています。」といいました。
「たしかにきれいです。そして、
大きないい
実を
結んでください。」と、しじゅうからは、
答えました。
今度は、むべが、
友だちについて、
語りました。
「かえでさんのこの
若芽は、すてきではありませんか。これが
伸びたら、きっと
枝ぶりがよくなって、このあたりで一
番の
木になると、あなたは、お
思いになりませんか。」といいました。
「たしかに、りっぱな
枝ぶりになります。もし、わるい
虫がついていたら、
私が、
取ってあげますよ。」と、しじゅうからが、かえでの
木にいいました。
「よくごしんせつにいってくださいました。だが
私たちは、
冬の
間雪と
風にさらされていました。しかもここはいちばん
吹雪のはげしいところでした。お
蔭で
虫の
卵は、みんな
死んでしまいました。」と、かえでの
木は、
答えたが、その
言葉には、
元気がみちみちていました。むべはまたしなやかなつるを
延ばして、あたかも
大空の
太陽をつかもうとするように、きらきらと
輝いていました。
この
日は、
遠くでやまばとが
鳴き、
近くの
村では、かっこうとうぐいすが
鳴いていました。
そのときから、
三月の
日数がたったのであります。しじゅうからは、むべとかえでのことを
思い
出して、
飛んできたのでした。すでに
谷川の
水の
飛沫のかかるこずえは
紅葉をして
夏はいきかけていました。
とちのきも、しらかばの
木も、
黙々として、やがてやってくる
凋落の
季節を
考えているごとくでありました。あたりの
谷にこだまして、
夕暮れを
告げるひぐらしの
声が、しきりにしています。
「あれから、きれいな
花が
咲きましたか。そして、りっぱな
実がなりましたか?」と、しじゅうからは、むべに
声をかけました。むべの
木は、
頭を
振って、
「
花は、あの
後、じきに、
情無しの
風にもぎとられてしまいました。」と、
答えました。そして、むべのつるが、しっかりと
枯れた
小枝を
握っているのを
見て、しじゅうからは、
「それは、なんですか?」と、たずねたのでした。
「これは、あのときのみごとなかえでの
若芽です。ある
日、
大きな、かみきりむしが
飛んできてぷつりと
切ってしまいました。
私は、かわいそうな
小枝が、
下の
流れに
落ちてしまわないうちに、
急いで
捕らえたのでした。いや、あのかわいらしい
小枝が、
私の
手にすがったのでした。どうして、これが
放せましょう?」
しじゅうからは、みんなが
希望に
燃えたっていた、
過ぎ
去った
春がいまさらのごとく
惜しまれたのでした。
彼は、
谷風に、むべのつるが、
空しく
枯れ
枝を
握ったまま
夕空になびいている
姿をながめながら、どうか、このつぎの
春までに、むべも、かえでも、もっと
太く、
強くなるようにといって、どこへとなく
飛んでいきました。