新しい
道が、つくりかけられていました。おかをくずし、
林をきりひらき、
町の
中を
通って、その
先は、はるかかなたの、すみわたる
空の
中へのびています。そこには、おおぜいの
労働者が、はたらいていました。
トロッコが、ほそいレールの
上を
走りました。
道ばたには、
大きな
土管がころがり、くだいた
石や、
小じゃりなどが、うずたかくつまれていました。
はたらくものの
中には、
年をとったものもいれば、まだわかいものもいました。かれらはシャベルでほった
土をトロッコへなげこんだり、つるはしをかたい
地面にうちこんで、
溝をつくったりしました。こうして、しごとをする
間は、たがいに
口をきかなかったけれど、
自分をなぐさめるために、
無心で
歌をうたうものもありました。
やがて
正午になると、
近くの
工場から、
汽笛がきこえます。すると一
同は
手を
休めて、
昼飯を
食べる
用意をしました。それからの一
時間は、はたらく
人々にとって、なによりたのしかったのでした。
二人の
少年は、
石へこしかけて、
秋の
近づいた
空をながめていました。
「そんなら、
Kくんは
小さいときに、
家を
出たんだね。」と、
Nがいいました。
「そう、
母親がなくなると、
父親はちっともぼくたちをかまってくれなかったから、どこかへいけば、
母親のかわりに、やさしくしてくれる
人があろうかと
思ってね。」と、
Kが
答えました。
Nはうなずきながら、
「わたしは、ちょうどきみとははんたいで、
父親の
顔をおぼえていない。まったく
母親の
手一つで、
大きくなったのさ。その
母の
手だすけもできぬうちに、
母は
死んでしまった。」
「
考えると、
二人とも
不幸だったんだね。」
「
世の
中には、
両親がそろって、こんな
悲しみを
知らないものもあるんだが。」と、
Nはたばこに
火をつけました。
「それでもまだきみには、やさしいおかあさんがあったからいい。さびしいときは、いつでもおもかげを
思いだして、
自分をなぐさめることもできるから。」といって、
Kは
自分の
子どものころのことを
話したのでした。
いつも、ぼくはさびしい
子どもだった。ある
日、
桑畑で、いくたりかの
女が
桑の
葉をつんでいるのを
見た。なんでもその
葉はどこかの
養蚕地へおくられるというのだった。むすめもいれば、おばさんもいた。その
中に、
白い
手ぬぐいをかぶった、やさしそうなおばさんがあった。ぼくは、こんなようなおかあさんがおればいいになあと、なんとなく、したわしい
気がして、そのそばへいって、
桑をつむてつだいをした。おばさんは、ぼくの
頭をなでてくれた。
このおばさんは、いい
声で
歌をうたった。その
声をきくと、ぼくは
悲しくなってしぜんに
目からなみだがながれた。そして、おばさんが
木から
木へかわるたびに、ぼくはかごのかたすみを
持ってやった。みんなの
前で、はずかしいのをがまんして、すこしでもおばさんの
手だすけになろうと
思った。
そのあくる
日、
桑畑へいくと、もうここの
仕事はおわって、みんなが、
昼すぎは
帰るのだという。ぼくは
勇気を
出して、
「おばさんのおうちは、どこなの。」ときいた。
「ぼっちゃん、
遠いのですよ。あっちの
港町です。もし、あっちへいらしたら、およりくださいね。わたしのうちは、
停車場のすぐ
前ですから。」と、おばさんが
教えてくれた。
それから
後も、ぼくは
桑畑へいったがまったく
人かげがなかった。
北の
方へたれさがる
水色の
空をながめていると、どこからか、ほそい
歌声がきこえるような
気がして、ただぼんやりたたずんだ。
ついに、ぼくは、ある
日のこと、ほこりをあびながら、
白くかわいた
街道を
歩いていった。
港町へいけば、おばさんにあえると
思ったのだ。いつしか
夕日は
松林の
中にしずみかけた。もう
足はつかれて、これから
先へいくことも、またもどることもできなくなって、
道ばたでないていた。そのとき、そこを
通りかけた
自転車が、ぼくを
見るとふいに
止まって、
「おい、
Kぼうじゃないか。」と、
声をかけた。
それは、
近所のおじさんだった。
「どうして、こんなところへきた。おとうさんといっしょか。」と、おじさんはきいた。
ぼくが
頭をふると、おじさんは、ふしぎそうに、ぼくを
見るので、
「
海を
見たい。」と、ぼくはいった。
「あはは、ばかめが。
海までまだたいへんだ。さあ、
早くこれにのれ。いっしょに
家までつれていってやるから。」と、おじさんは
後ろへぼくをのせると、
走りだした。
「
Nくん、こんなようなことも、あったんだよ。」と、
Kがいいました。
だまって
Kの
話をきいていた
Nは、たばこの
火がきえたのも
知らなかった。
「だれにも、にたような
話はあるのかな。それで、
苦しい
世の
中と
思っても、なお
生きようとするのは、いつか、いい
人間にめぐりあえるような
気がして、
美しいゆめがもてるからですね。」
Nは、こう
答えて、
上着のかくしから、なにかとりだしました。それは、
手ぬぐいにつつんだ
鏡のかけらでした。
「きみ、それは、どうしたの。」と、
Kがきいた。
「あすこで、ひろったのです。
Kさん、この
町はわたしに
思い
出がふかいんです。」と、こんどは
Nが、そのわけを
Kに
話してきかせたのです。
わたしは、おふくろがなくなった
後、どうすることもできず、おなじ
長屋にすんでいた、あんまさんのところで、せわになりました。わたしの
仕事というのは
毎日親方の
手を
引いて、あの
町かどのところへくることでした。そして、
親方が、
尺八をふく
間ついていて、
通りかかる
人が、お
金をくれるのをもらったのでした。
戦争前は、あすこに
大きくてりっぱなカフェーがありました。
夏の
日の
午後のこと、きゅうに
空がくらくなって
雷がなり、
雨がふりだしました。
「
夕立ちだから、じき、はれるだろう。」と、
親方はいって、
二人はカフェーの、のき
下へはいり、たたずんでいました。すると、ぴかりぴかり、いなずまのするたび
黒い
森や、でこぼこの
屋根が、うきあがって
見えるかと
思うと、
地球をひきさくようなすさまじい、
雷の
音がして、わたしはふるえながら、
親方の
手をひっぱって、もっとドアに
近く
身をよせようとしました。そうすればたきのようにふる
雨が、かろうじてよけられるからです。
このとき、とつぜんドアがあきました。
見ると、うすべに
色の
長いたもとの
着物をきた
女給さんが、ぱっちりした
目をこちらへむけ、
二人を
見ながら、
「そこではぬれますから、
早く
中へおはいんなさい。」と、いってくれました。
頭から
顔までぬらしながら、
親方は、ただもじもじしていると、そのねえさんは、わたしの
手をとらんばかりにすすめたので、
二人は、つい、すいこまれるごとく、ドアの
中にはいりました。そして、わたしは
生まれてはじめて、こんなに
美しく、かざりたてられた、たてものの
中を
見たのです。ふだんは、
風のふきすさぶたてものの
外に
立って、五
色にかがやくネオンをながめながら、
中からもれる、たのしそうな
音楽や
心のうきたつような
歌にききほれるだけで、
煉瓦のかべをへだてて、そこには、どんな
世界があるのか、
想像することもできなかったのでした。
「すこし、おかけなさいな。」と、ねえさんがいってくれたので、
二人は、かたすみのほうにあった、テーブルのわきへ、こしをかけました。
まだ、たくさんの
美しいおねえさんたちが、
立ったりかけたりしていました。わたしは、どこから、こんなうつくしい
人ばかりあつまってきたのかと、ふしぎに
思いました。わたしが、
目をみはっていると、また、さっきのおねえさんが、きて、
「わたしにも、ちょうど、あんたぐらいの
弟があるのよ。さあ、ひとつですけれど、おあがんなさい。」と、いって、
紙にのせて、おかしをくれました。
親方は
尺八をにぎりうなだれていたが、それに
気づくと、わたしにかわって、
礼をいってくれました。
しばらくすると、
雷も
雨も、わすれたようにやみました。
二人が、
外へ
出るころは、だんだん、
客がたてこんで、あちらでも、こちらでも、
笑い
声がきこえ、それとまじって、グラスのふれあう
音がしました。
あのときから、
何年たったであろうか、
戦時中、
空襲で、このあたりは
焼け
野原になってしまいました。きょう、カフェーのあとで、この
鏡のかけらを
見つけて、ひろいあげると、おりから
空にあらわれた
赤い
雲がうつって、わたしは、おねえさんのすがたを
思いだしたので、
記念にしようとポケットに
入れたが、
考えれば、やはりつまらんことですね。
と、
Nはいって、そのかけらを
道ばたになげすてました。
Kはこの
話をきくと、なんとなく
Nを、
他人のような
気がしなくなった。そして、
早くから
親をなくした
子というものは、すこしかわいがってくれるものがあれば、こんなにも
恋しく
思うものかと、つくづく
感じたのでした。
「そうさ。むかしのゆめなんか、なんにもならんよ。ふきとばして、
希望をいだいて
強く
生きぬこうぜ。ぼくたちは、もうはたらける
年になったんだもの、だれからも、ばかにされない。これから、おたがいに
力になろうよ。」と、
Nをはげますように
Kはいいました。
「ああ、ゆかいだ。きみと、どこへでも、いっしょにいきましょう。」と、
Nが
Kの
手をにぎると、
Kもまたかたくにぎりかえしました。
かれこれ、
休み
時間が、きれたとみえます。あちらから、トロッコの
走ってくる
音がしました。すると、一
同が
立ちあがった。
二人も、また、
元気にシャベルをもちました。