赤い
花、
白い
花、
赤としぼりの
花、いろいろのつばきの
花が、
庭に
咲いていました。そうして、
濃い
緑色の
葉と
葉のあいだから、
金色の
日の
光がもれて、
下のしめった
地の
上に、ふしぎな
模様をかいていました。
葉がゆれると、
模様もいっしょに
動いて、ちょうど、
水たまりへ
落ちた
花が、
浮いているようにも
見えました。
また、どこからともなく、そよ
風に、
桜の
花びらが
飛んできました。
「ああ、なんというおだやかな、いい
日だろう。」
少年は、うっとりと、あたりをながめていました。
そのとき、ピアノの
音が
聞こえました。
「
前の
家のおねえさんも、いいお
天気なので、おひきなさる
気になったのだろう。」
しかし、これほどよく、
音と
色とが、
調和することがあるだろうか。
少年は、
色鉛筆と
紙を、そこへなげ
捨ててしまいました。なぜなら、
花だけをかいても、
音をかくことができません。このさい、それを
自分の
力で
表せぬなら、いっそなにも
書かぬほうがよかったのです。
少年は、ただ
自然の
美しさと、やさしさに
見とれるばかりでした。
「きのうきょうは、
花のさかりだけれど、
一雨くれば、みんな
散ってしまいますよ。」
お
母さんが、けさおっしゃった
言葉が、ふと
頭に
浮かんだので、
少年は、いっそうこの
景色を、とうとく、いとしいものに
思いました。
「
金魚やあ!」と、かすかに
呼び
声がしました。
たちまち、
少年の
注意は、そのほうへとられたのです。すべてを
忘れて、しばらく
熱心に
耳をすましました。
「どこだろうな。」
しかし、それきり、その
声は
聞こえませんでした。
少年は、じっとしていられなくなって、ついに、
門の
外へ
出て、
方々をながめたのです。
町の
方へつづく
道の
上には、かげろうがたち、
空の
色はまぶしかった。しずかな
真昼で、
人通りもありませんでした。
金魚売りのおじさんは、きっと、あっちの
露路へまがったのだろう。そう
思っていると、こっちへかけてくる
子供がありました。
はじめ、その
姿は
小さかったのが、だんだん
大きくなって、よくわかるようになると、
手にブリキかんを
持っていました。それは、
隣家の
武ちゃんでした。
「
武ちゃん!
金魚を
買ったの。」と、
少年はそっちを
向いて、
大きな
声でいいました。
武ちゃんは、ちょっと、
道の
上に
立ちどまりました。そうして、
手に
持ったかんをのぞいているようすでした。
これを
見た
少年は、
「どうしたの、
武ちゃん?」と、こんどは、そのそばへと
走りました。ブリキかんの
中には、一
匹の
金魚が、あおむけになって、ぱくぱく、
口をやっていました。
「あまり
飛んできたから、びっくりしたんだよ。たった一
匹なの?」
「まるこの
子だよ。
尾の
短いの二
匹より、一
匹でも、このほうがいいだろう。」
二人ののぞく
頭のあいだから、
太陽ものぞくように、
光はかんの
中へ
射こんで、
金魚のからだが、さんらんとして、
真紅に
金粉をちらすがごとくもえるのでした。
「きれいだなあ
······。」と、
少年は、
感心しました。
「お
家へいったら、
大きな
鉢へ
入れてやろう。」
二人は、
走らずに、
急ぎ
足となりました。
「どうして、こんなきれいな
魚があるんだろうね。」
「ほんとうにふしぎだね。」
その
日の
晩は、またいいお
月夜でありました。うす
絹のような
雲をわけて、まんまるの
月が、まんまんたる
緑色の
大空へ
浮かび
出るのを、
少年は、
家の
前に
立ってながめていました。
いつも
明るいのに、こよいにかぎって、ピアノのおねえさんの
家の
窓は、
暗かったのでした。
垣根のきわに
植わっているみかんの
木が、
黒々として、
夜風の
渡るたび、
月の
光にちかちかと、
葉がぬれるごとく
見えました。
少年は、なんとなくもの
足りなさを
感じたとき、ぷんと
鼻をうったにおいがあります。
「おや、お
薬のかおりだ。」
いつであったか、
少年は、おばあさんの
家で、これと
同じ
薬を
煎じるかおりを、かいだ
記憶がありました。そのおばあさんは、もう
亡き
人であるが。はるかな
駅を
出発するらしい
汽車の、
笛の
音がしました。さびしくなって、
内へはいると、お
母さんは、ひとり
燈火の
下で、お
仕事をしていられました。
「
前のおねえさん、かぜをひいたのかしらん。」
「どうして?」
「お
薬のかおりがして、
窓が
暗いのだもの。」
「そうかもしれません。かぜがはやりますから。」
お
母さんは、そうおっしゃっただけでした。
少年だけは、いつまでも
同じことを
考えていました。
「お
母さん、
月は、
去年の
春とちがって、あたりがあんな
焼け
跡になったので、びっくりしたでしょうね。」と、
少年がいいました。
「
昔から、
戦争があると、こんなことがたびたびあったのですよ。
平和な
春の
晩にはお
琴の
音がしたり、お
茶をにるかおりがして、
歌にも『あおによし
奈良の
都は
咲く
花の、におうがごとくいまさかりなり』と、たたえられた
都も、
今はあとかたなく、
草がぼうぼうとしているのですから、
考えれば、ほんとうにさびしいものです。」
「
戦争がなければ、いいんですね。」
「だれでも、その
当座は、
戦争の
悪いこと、
恐ろしいことを
身にしみて
感じますが、それを、じき
忘れてしまうのです。」
「そんなら、どうしたらいいの。」
「にがい
経験を、いつまでも
忘れぬことです。そして、
世界じゅうが、
平和のために
骨をおり、
力を
合わせて、わがままや、
傲慢心をおさえなければなりません。」
少年は、お
母さんの
話を
聞くうちに、
風の
音がしたので、せっかく
咲いている
花の
身の
上を、
悲しく
思いました。
「
私たちが、こうして
安心してくらせるのも、
世間に
道徳があり、
秩序があるからです。この一
日を
平和に
送れたら、
神さまに
感謝し、
正しく
努力された
世の
中の
人々に、
感謝しなければなりません。」と、お
母さんは、しみじみと、おっしゃいました。
夜もふけたのに、よっぱらいどうしであろう、あっちの
道を、ののしりながら
通るものがありました。
「けんかだな。」
「いやですね。おたがいが
大事なからだですのに。」
やがて
少年は、
床の
中にはいると、もう一
度こちらを
向いて、
「お
母さん、お
休みなさい。」と、いいました。
そして、
柱にかかる
時計のきぎむ
音を
聞くうちに、いつのまにか、ねむってしまいました。