山の
中の
村です。
雪の
深く
積もったときは、
郵便もなかなかこられないようなところでした。
父親一人、
息子一人のさびしい
暮らしをしていましたが、
息子は、
戦争がはじまると
召集されて、
遠く
戦地へ
出征してお
国のために
働いていました。
「おじいさん、
息子さんのところから、たよりがあったかい。」と、
顔を
見ると
村の
人はきいてくれました。
「あ、こないだあった、
達者で
働いているそうだ。もう、あちらは
川の
水も
凍ったということだ。」
「まあ、
達者で、お
国のために
働いていてくれれば
結構なことだ、
神さまを
拝んで、めでたく
凱旋するのを
待っていらっしゃい。」と、
村人は、
老人を
元気づけたのです。
「なんの、お
国へ
捧げた
悴だもの、それに
今度の
戦争は
長いというから、
無事に
帰ってくるとは
思っていないが、どうか、りっぱにやってくれればと
祈っているのさ。」と、
老人は
答えました。
おじいさんは、
口ではそういっても、
夜が
明けると、
日が
暮れるまで、
息子の
身の
上を
案じていました。そして、
雪が
積もって
道のついていないときには、
郵便が
山へ
上がれまいと
思って、
村のおけ
屋まで
出ていって
待つこともありました。おけ
屋には、
学校へいく
子供もあって、もし
戦地の
息子さんからきた
手紙なら、かならずその
日の
中に
届けてやるからというのであるが、おじいさんは、それが
待てなかった。ある
雪のたくさん
降った
日のことです。わざわざ
村まで
下りていって、
「
手紙はきていなかったかいのう。」と、きいたのでした。
「いえ、こなかったぞ、くれば、とどけてやるものを。」と、おけ
屋のおかみさんは、いいました。
「あまり
昨夜雪が
降って、
昼前は
道がなかったから、この
家へ
置いていったかと
思ったので。」と、おじいさんは、
笑いました。
春になって
雪が
解ければ、
夏、
秋へかけては、
町からこの
村まで三
里ばかりの
間をバスが
通りました。けれど、この
村から、おじいさんの
住んでいる
山の
中までは、一
里近く、
峠つづきの
細い
道を
歩かなければならぬのでした。
山には、
幾軒も
家がなかったのです。
おけ
屋のおかみさんが、いいました。
「おじいさん、
町の
醤油屋さん
知っていなさるだろう。二、三
日前あすこへ
寄ったら、このごろ
毎晩、
戦地からラジオの
放送があって、あちらのようすが
手に
取るようにわかるというこったぞ。」
「ほう、
戦地のようすがわかるとな。」と、おじいさんは、
自分の
耳を
疑いました。
囲炉裏に
火をたいて、
子供のたびを
乾していたおかみさんは、
「わかるっていうことだ。」と、いいました。
「ほんとうなら、きいてみたいもんだのう。」と、おじいさんは、しょぼしょぼした
目を
大きく
開きました。
ちょうど
晴れ
間とみえて、
日が
雪の
上を
射しました。
町へいく
道には、
人の
影がちらほらしています。おじいさんは、
山へ
帰るかわりに、
町の
方へ
向かって、ぼつぼつ
歩いていました。
醤油屋というのは、
昔からある
店で、この
近在の
人々を
得意としていました。おじいさんも
日ごろ
知っているので、その
家を
訪ねたのであります。
「こんにちは。」
「おお、おじいさんか、
息子さんのところから
便りがありましたか。」と、
店の
主人がききました。
どこへいっても、
知る
人は、かならず
息子のことをたずねてくれます。おじいさんは、うれしく
思いました。これも、お
国のためにつくせばこそ、みんなが、
心にかけてくださるのだと、ありがたく
感じていました。
「
悴よ、おまえのために、
私までが
鼻が
高いぞ。」と、
老人は、
心の
中でいうのでした。
「じつは、
悴のいっている
戦地から、ラジオでむこうのようすがわかるというので、ぜひききたいと
思ってやってきました。」と、おじいさんはいいました。
「おお、そうか、
無理のないことだ。」と、
主人は、おじいさんを
家へ
上げて、いろいろもてなしてくれました。
おじいさんは、
醤油屋の
主人の
造った
自慢の
菊の
花をながめたり、かごに
飼っているこまどりの
声をきいたり、また、たるを
洗うてつだいなどをしたりして、
夜になるのを
待っていました。
茶の
間には、いつか
明るく
電燈がついていたのです。
「さあ、おじいさん、ここへいらっしゃい、もうすぐあちらから、きこえてくるから。」と、
主人がいったので、おじいさんは、ラジオの
前にすわって、
耳を
傾けていました。
「おじいさん、
息子さんの
声がきこえるわけではないが、ただあちらのようすがわかるというだけですよ。」と、
主人は、あまりおじいさんが、
真剣な
顔つきをしているので、
息子の
声でもきくつもりでいるかと
思って、いいました。
「はい、それは、
知っております。ただあちらのようすだけきけば、
満足しますだ。」
このとき、アナウンサーの
声が、
電波に
送られてきたのです。
「こちらは、○○
野戦放送局です。いま○○
部隊が、○○へ
向かって、
進軍の
準備に
忙しいのであります。その
状況をおききとりください。」
こういい
終わると、ヒ、ヒン! という
軍馬のいななき
声がしました。つづいて、ブーン、ブーンと、
飛行機のようなうなり
音がします。それから、タ、タ、ターというらっぱのひびき、ガタン、ガタン、ゴーという
戦車の
走る
音がしました。
そうかと
思うと、
兵隊さんたちが、なにか
仕事をしながら、うたっている
歌の
声がきこえてきたのです。
勝ってくるぞと
勇ましく、
誓って
国を
出たからは、
手柄立てずに
死なりょうか、
進軍らっぱきくたびに、
まぶたに
浮かぶ
旗の
波······。
おじいさんの
目からは、
涙が
流れていました。「
今夜は、
泊まっていらっしゃい。」と、
主人はしんせつにいってくれたけれど、おじいさんは、
戦争にいっている
息子のことを
思えば、また
息子と
同じような
兵士たちのことを
思えば、
体じゅうが
熱くなって、これしきの
寒さがなんだ。
暗い
道がなんだという
気持ちになりました。さいわいにいい
月夜だったので、
主人にお
礼をいって、そこを
出ました。
町をはなれると、さすがに、
町から
村の
方へいく
人影は
見えなかったのです。おじいさんは、
独り
雪道を
月の
明かりで、とぼとぼと
歩いて
帰りました。ものすごいような
青みを
帯びた
月の
光です。
雪の
野原は、
銀のようにかがやいて
見えました。そして
遠くの
森の
影は、
黒い
着物をきた
人が、じっとして
雪の
中に
立っているのに
似ています。おじいさんは、いましがたラジオできいた、
兵隊さんの
歌が
耳について、
思い
出されて、
熱い
涙が、ほろほろと
流れてきました。
ゴウ、ゴウと、
音をたて
北風が
募りはじめました。
空を
仰げば、
月をかすめて、
黒い
雲が、
幾つも
連なって、きつねかおおかみの
群れが、
後から
後から
駈けていくように、
西の
方から、
東の
空に
向かって
走っていました。そして、
東の
空の
果ては
真っ
暗になって、
星の
光すら
見えなかったのです。
「また、
吹雪になってきた。」と、おじいさんは
独り
言をして、
野原の
道を
急いでいました。わずかに
昼間、
人の
通った
足跡が、
雪の
面がついているばかりでした。
たちまち、
月の
光はかげってしまって、
風にまじって、
雪がちらちらと
降り
出しておじいさんのえりもとへ
入ったのです。
「とうとう
困ったことになったぞ。」
まだあちらの
村へ
着かないうちに、まったく
目も
口も
開けられないような
吹雪となってしまいました。おじいさんは、一
歩も、この
吹雪に
向かっては
歩けなくなりました。
それでもおじいさんは、ようやくの
思いで、
村はずれの
小さな
神社にたどりつきました。そして
軒下にちぢこまって、
吹雪のやむのを
待っていましたが、
知らぬ
間に
疲れが
出て、うとうとと
眠ってしまったのです。
社の
境内にあるすぎの
木の
枝から、ドタ、ドタといって、
積もった
雪が
落ちました。すると
粉雪が
風に
舞って、おじいさんの
上へ
吹きかかりました。
「あっ、
眠ってはいけない、よくこれで
凍え
死ぬのだ。」
おじいさんは、
眠いのを
我慢して、
夜明けを
待とうと
思いました。そして、
道がわかるようになったら、
帰ろうと
考えていました。
おじいさんは、いくら
眠るまいと
思っても、またうとうとと
眠ってしまったのでした。このとき、がやがやという
人の
声がして、おじいさんは、ふたたびおどろいて
目をさますと、
吹雪はやんで、
月の
光が、
明るく
雪の
世界を
照らしていました。
「いまごろ、なんだろうな。」
顔を
上げて、あちらの
道を
見ると、
旗を
立て、
町の
方へいく、
出征兵士を
見送る
人々の
群れでした。
「おお、どこか
遠い
村の
人で、
停車場へ、
兵隊さんを
送っていくのだな。」
おじいさんは、
神前の
階段から
身を
起こました。そして、
命を
助けてくだされた
神さまに
向かって、
手を
合わせて
拝んでから、
道の
方へ、
雪の
中を
泳ぐようにして
出ていきました。
「ご
苦労さんです。たいそう
早いお
出かけですのう。」と、おじいさんは、
声をかけました。
「はい、一
番に
乗りますのに、おくれてはたいへんだと
思って、
早めに
出てきました。」と、
兵隊さんのお
父さんらしい
人が、いいました。
「
吹雪がやんでしあわせです。
悴も
出征していますので、
私も、お
見送りさせてもらいます。」と、おじいさんは、みんなの
中へ
加わりました。
「あんたは、また、どうしてこんなにお
早く。」と、
問われたので、おじいさんは、
町の
醤油屋でラジオを
聞いて、
帰りにひどい
吹雪に
閉じこめられたことを
歩きながら
物語ったのです。