私事ハ初より少々論が
ことなり候故、相かハらず自身の見込所を致し候所、皆どふ致し候ても事ができぬゆへ、
初に私しおわるくいゝ、私しお死なそふとばかり致し候ものも、此頃ハ皆

何となく恋したいてそふだん致し候よふニ相成、
実にうれ敷存候。私ハ近日おふゝニ
軍致し、将軍家を地下ニ致候事ができず候時ハ、も
う外国ニ遊び候事を思ひ立候。二国三国ハそふだんニ
おふじ候
得へども、何分時節が十二分ニなく、又長州のよふつまらぬ事ニ致してハならぬと存じ候。
まおかんがへ私とても、一生うちニおりて
ぬかみその世話致すハいやと存候バ、今日ニてよく御存
(知)被
レ成度候。今私が事あげ致候時ハ、皆
大和国や
野州やニて軍五、六度も致し候ものをあつめをき、夫をつかい候得バ、どふしても一度ハやりさへすれバ、志をうると存候。然共、中

時がいたらず。