純小説と通俗小説の限界が、戦後いよいよ
曖昧になつて来た。これは日本に限つた現象ではないらしい。この現象は、いろいろな意味にとられるが、根本的には、純小説をしつかり
支へてゐた個人主義、ないしは個人性が、それだけ
崩れてきたのだとみられる。そしてそれだけ、小説がジャーナリスチックになり、ジャーナリズムに征服されたのだとみられる。
昨年のことだが、わたしは妙な経験をした。一人の文学青年(実はもう青年ではないが)が原稿を見てくれと云つて玄関に置いていつた。しばらくしてその青年から手紙が来て、先日の原稿を友達にみせたら、まだこれは純小説で、通俗小説になつてゐないから
駄目だと批評された、自分もさう思ふ、自分はこれから大いに勉強して、りつぱな通俗小説をかくつもりだ、といふ意味のことが、
大真面目にかいてあつた。わたくしは
唖然とした。
純小説は、文学青年の手習ひみたいなもので、通俗小説に到達する段階にすぎないと、この人達は
合点してゐるらしい。驚くべきことである。戦前までは、どんな幼稚な文学青年にも、こんな錯誤はみられなかつた。これも戦後現象の一つで、純小説と通俗小説の限界が曖昧になつてきたことの影響とみていいであらう。
作家たちの仕事振りをみても、
先づ純小説をかいて、文壇に認められることに努め、それがどうにか達せられると、予定の計画のやうな早さで、通俗小説へ転身する。さういふ打算的な作家が多くなつた。もうあんな小説をかき出したのかと、眼をこする場合も
尠くない。実際の気持はともかく、形からみれば、純小説はあきらかに踏み台で、目標は通俗小説にあるわけである。幼稚な文学青年の錯誤も無理とはいへない。
純小説で仕事をして、後に通俗小説に転身した作家は、過去にも、菊池寛をはじめ、尠くなかつた。しかし彼等の場合、それが決して予定の行動なんかではなく、何等かの意味で純小説に行詰つたところから、その転身となつたのだ。純小説に
賭けた自己がたうてい持ち切れなくなつたので、その重荷を下したまでだ。転身後のそんな空虚な自己に堪へられない作家は、たいてい沈黙してしまつたが、中には、自殺によつてその苦を
脱れたものもある。芥川龍之介がその一人だ。
||さういふ潔癖家には、通俗小説に転身して成功する才能がなかつたのも原因してゐると云はれる。しかしそれは俗論で、問題にならない。通俗小説に納まる俗物性に我慢のならない彼等の作家精神こそ重大なのだ。
純小説と通俗小説の区別など、いまさら説くのも馬鹿々々しいが、純小説は作家一人のための文学であり、通俗小説は読者のための文学である、と極説して
差支へあるまい。云ひかへると、純小説は、作家がそれを自己の一切を賭けた、生きるか死ぬかの仕事である。通俗小説は即刻即座に一人でも数多くの読者に読まれようとする仕事である。その目的さへ実現されれば、作者はどうだつて構はない。生き死になど最初から問題ではない。極端な場合を想像すると、作者が無くつたつて差支へないのだ。
こんな言ひ方をすると、純小説はまるで読者といふものを無視してゐるのかと、反問されるに
定つてゐる。およそ表現行為や、小説存在の根本動機を少しでも考へたら、そんな下らない反問が出る
筈がない。読者のために描かないといふことは、読者を無視してゐることでは絶対にない。自分の内部にある、自分と分ちがたい読者のためにかき、それ以外の読者のためにはかかないといふことに他ならない。純小説とは、さういふ自分とさういふ形なき読者とのインチメートな対話として以外には考へられない。その読者は既に形がない以上、数量で測れるやうなものでなく、即刻即座の反響が聞かれる筈もない。しかし彼が、作家の内部に
儼存することそのことで、形あるもの以上に形があり、時空を
超えてひろがる可能性をもつたものだといふことができる。世界の
傑れた純小説は、りつぱにその可能性を実現してみせてゐる。
通俗小説の作家の内部にも、彼と分ちがたい読者がゐないとは云はれない。彼が通俗小説で成功すればするほど、その形なき読者の、声なき声にひそかに悩まされてゐる作家を、その方面に交際のないわたくしでさへ、一人や二人知つてゐる。彼等はしかし、その読者のためにはかかない。絶対にかかないと云つていい。彼等はそれ以外の、形ある、数量で測れる読者のため、即刻即座の反響のため、そのためだけに書くのである。時空を超えてひろがる可能性をもつた形なき読者など、彼等にとつては、おそらく笑ひ話にもならないであらう。
「百万人の文学」と云はれる。通俗小説の目ざすものは、まさにそれである。そのためには、世の常識道徳に
叛逆してはならず、それから一歩すすんだものでなければならないとか、イデオロギー的の片よりがあつてはならず、つねに中間的、中庸的でなければならないとか、大衆の実生活から孤立せず、つねにそれと共に生きなければならないとか、ヒューマニティと愛を基調にしたものでなければならないとか、現代の流行通俗作家によつて、いろいろ定義や規準が示されてゐる。おそらくそれに
間ちがひあるまい。通俗小説とは、さうした常規があり、その常規をうまく使つて造られる文学である。いはゆる筋なんかにしても、菊池寛は通俗小説の成功する筋は、何十通りしかないと云つてゐたのを記憶するが、おそらくそんなものであらう。
しかし「百万人の文学」にとつて、さらに重要なのは、先にもちよつと云つたやうに、即刻即座の反響である。これがなければ、どんな通俗小説も市場価値においては、
紙屑同然である。現に、今日楽しんで読まれさへすれば、明日は
屑籠に投込まれても本望だと揚言して
憚らない作家がある。いい覚悟だといふほかはない。この覚悟に徹底するのでなければ、通俗小説に安住自足することはできない。
その即効性を第一義とするのが、新聞小説である。いはゆる「百万人の文学」をいちばん問題とするのが新聞小説である
所以だ。そして新聞小説に登場することこそ、世の通俗作家の本懐なのである。言ひかへると、新聞小説に登場することによつて、新聞といふメカニズムに乗つて、百万人の文学の実績をあげることが、彼等の本懐なのだ。百万人の文学としての通俗小説は、現代では、新聞のメカニズムに乗ることなしには考へられない。
乃至は、それがもつとも確実で、早道なのだ。それなら現代の新聞小説のメカニズムがどういふものか、そしてそのメカニズムを運転させてゐる現代新聞の本質がどんなものか、それをちよつとでも考へてみると、多少とも批判力のある通俗小説家が、ぬくぬくとそれに乗つて安住自足してゐる図が、不思議な位である。新聞小説は、さういふものから制約されるにちがひないが、それだけで尽きるものではないと抗弁したところで無駄である。
古く、藤村の「家」も、秋声の「あらくれ」も、二葉亭の「
其面影」も、漱石の諸長篇も、鴎外の史伝小説も、新聞に連載された。その意味で新聞小説であつた。しかし当時の新聞と現代の新聞との相違は、マニュファクチュアーと大企業工場との相違より大きい。戦後となると、その相違はいつそう大きくなつた。昔の新聞には、まだどこかに個人が生きてゐた。主筆とか編輯長とかの趣味見識が息づいてゐた。漱石は池辺三山の知遇に感じたのだ。ところが現代の新聞では、こと新聞小説にかんする限り、もはや主筆も編輯長も存在しない。営業部長によつて象徴される非個人的な計算があるばかりである。計算器の求めに応じた選択があるばかりだ。現代にもつてくれば、藤村、秋声、二葉亭、漱石、鴎外、枕をならべて落第である。即効百万人の文学を志さないやうな作家は、
棚上げである。文化賞か何んかで別口の利用法が工夫される位のものだ。
尤も極く
稀れには、棚上げした純小説の作家を取り下して来ることはある。さきに荷風の「
東綺譚」あり、秋声の「縮図」あり、近くは潤一郎の「少将
滋幹の母」あり、しかしこの例は、何も計算器選択説を
覆へすものではない。ちやんと大きな計算に合つた特別サービスで、
却つて日常サービスの通俗小説の粗悪さを裏書きしてゐるやうなものだ。
マニュファクチュアー的な昔の新聞でも、藤村や、漱石や、鴎外の特別席だけでは、事足りなかつた。春葉、幽芳、
霞亭などの通俗小説や、悟道軒円玉の講談のやうな追ひ込み席が必要であつた。現代の新聞小説の役目は、その追ひ込み席が果してゐたわけだ。その意味で、それらは「百万人の文学」を目ざした先駆ともいはれよう。現代の新聞からは、その特別席も消えた。同時に追ひ込み席も消えた。そしてあらはれたのが現代の通俗小説である。はつきり「百万人の文学」を追ひかけて来た新聞小説である。この通俗小説は、寛、有三、
国士、鉄兵などを経て発展したもので、昔の新聞小説の特別席と追ひ込み席を統一し、乃至は、双方を吸収したもののやうに
観られたりする。形の上ではさう云へるかも知れないが、実質的にはどうか。現代の通俗小説は、百万人の文学に近づく用意において、操作において、趣向において、たしかに進歩した。巧みになつた。生きてゐる現代風俗の広い地盤に立つたと云へないことはない。しかし彼等が好んで口にするヒューマニズムとか、大衆と共にとか、愛とかいふ立場から見て、本質的に、あの四分の一世紀以前の百万人の文学の先駆とどれだけちがふと云ふのか。
戦後に純小説と通俗小説との限界が曖昧になつて来たことは、冒頭に云つたやうに、それだけ個人性が崩れたとみられ、ジャーナリズムの勝利とみられるにしても、わたくしはその現象を必らずしも悲しむものではない。いい意味の通俗性の摂取はたしかに純小説のひとつの救ひであり、解放だからだ。これについてはしばしばかいたからここに繰返さない。しかし文学はいかなる意味でも、読者のためにだけあるものでなく、何よりもまづ作者のためにあるものである。通俗性の摂取もこの根本義を離れては、通俗小説の斜面を転げるばかりである。作者のため、作者ひとりのためにあることは、いかなる意味でも読者を無視するものでなく、却つて形のない百万人のための文学であり、その百万人に形を与へる文学であることは、さきに述べた。「ツアラトゥストラ」の詩人は、「万人のための、そして
何人のためでもない」書と云つた。これをかりて云へば、純小説は、どのやうな通俗化を許すにしても、読者に関しては、常に「万人のために、そして何人のためでもない」文学でなければならない。さうあることによつて、通俗小説への転落をまぬがれ、反対に新しい純小説として自己を高めることができるのだ。
||わたくしは、以上述べたやうなことを、いま改めて強調する必要があると信じて、
敢てこの文を成したのだ。
(昭和二十五年四月)