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参宮がえり

田中貢太郎




 明治五年ごろの晩春の夕方、伊良湖岬いらこざきの手前のいそに寄せて来た漁船があった。それは参宮さんぐう帰りの客を乗せたもので、五十前後に見える父親と、二十歳はたち位になるせがれの二人づれであった。

 舟は波のうねりのすくない岩陰につながれておかへは橋板はしいたが渡された。その舟には顔の渋紙色をした六十に近い老人と三十位の巌丈がんじょうな男がを漕ぎ、十八九に見える女が炊事をやっていた。老人は伯父おじで巌丈な男と女は兄弟であるらしい。女がともへっついく火の煙がうっすらと空にあがるのが見られた。

 どうに忰と坐っていた客は、この時小便を催したと見えておかへあがって往った。忰は横に寝そべって何を考えるともなしにうとうとしていた。と、その忰の耳へ女の声が聞えて来た。

······やめておくれよ、やめておくれよ、あにさん、お願いじゃからよ、兄さん、私は承知せんよ」

 兄の声がした。

女子おなごの知ったことか、だまれ」

「だまらんよ、私はそんなことは嫌いじゃ、そんな恐ろしいことは······

「あほう、何をぬかす、だまれ、だまらんとえらい目にわすぞ」

「逢わされてもかまわん、私はそんなことは嫌いじゃよ」

 伯父おじの声がそのあとに聞えた。

「おたみ、もうええ、云うな、云わいでもええ」

「そんなら伯父さん、私の頼みを聞いてくれますか」

「ええ、判っちょる、云うな」

 兄の声が聞えた。

「あほう、そんなことを云うひまに、お客さんに茶でもあげえ」

 せがれは何を云っているか判らない船頭一家の話を切れ切れに聞いていたが、そのうちに胴の間へ来る軽い跫音あしおとがするのでふりかえった。女が茶を持って来たところであった。

「お客さん、お茶をあげましょう」

 女はそう云って忰の前に行儀好く坐った。

「これはありがとう」

 忰は起きて坐りなおした。

御膳おぜんも出来ました、すぐこれからあげます」

 おかへ往っていた父親が橋板を渡って帰って来た。それと同時に女は腰をあげたが、腰をあげながら忰の顔をじっと見た。忰はその白い顔を見返した。

「船頭さん、明日あすはどうじゃろう、やっぱり風が無いじゃろうか」

 父親の声に年老としとった船頭のしゃがれた声が答えた。

「明日は大丈夫じゃ、この雲は夜中ごろから晴れて、二番どり時分から風になるよ、しおもなおるし、明日は日の高いうちに豊橋へ着く、今日のように、潮の悪いことはめったにない」

「そうかなあ、舟の上が長いとたまらない、明日は早く豊橋へ帰りたいもんじゃが」

「帰れるとも、めしでもくって、ゆっくり休むがえ、朝、眼を覚した時分には、舟はもう走りよる、飯は途中で炊いて、ぬくぬくを喫わせる」

「そう云ってくれると、云うことはないが、しかし、海に巧者な船頭さんの云うことじゃ」

 父親はやっとこさと胴のへ入ってせがれの前へ坐った。忰はびっくりしたようにして父親を見た。

「お民、お客さんが酒を飲むようなら、沸かしてあげろ、まだ俺と伯父おじさんと飲うだ残りが、一合や二合はあるじゃろう」

 それはわかい船頭が女に云っている声であった。父親はそれが嬉しかった。

「それはありがたい、私は、一合あるならけっこうじゃ、売って貰おう」

 父親はともの暗い方を見て云った。

「なに、売るも売らんもない、昨夜ゆうべの飲み残りがあるからあげましょう、私と伯父は、買いに往くが面倒じゃから、これからおかへあがって飲うで来る」

おかに飲む処があるかな」

「ありますとも、船頭の骨休めをする処じゃ、なんでもありますよ」

「そうかなあ、昼だとちょとあがって見て来るが、夜はめんどうじゃ、その酒を売ってもろうて、一杯やって寝るとしよう」

 せがれの方は思いだしたように茶碗を持って茶を飲んだが、立って往く時にじぶんの顔をじっとのぞき込んで往った女の眼がどこかにこびりついていた。

「茶があったか、一日、海の上におると、咽喉のどが乾くものじゃ」

 父親は我が子をいたわるように云った。

「今、持って来てくれました、お父さんは」

 忰は己一人が飲んでは悪いと思った。

「なに、俺は酒がある、茶を飲むと旨くない」

 の光が周囲まわりを明るく見せた。女が手燭てしょくの燈をけて持って来たところであった。

「ほう、燈が点いたか、舟の上で燈を点けると、舟遊山ふなゆさんをするようじゃ」

 父親はそう云い云い女の顔を見た。

御膳おぜんもできておりますから、お酒が沸いたらすぐ持って来ます」

 女は手燭を二人の傍へ置いて引返したが、引返す拍子にまたちらと忰の顔を見た。忰はきまりが悪いので俯向うつむいて空になった茶碗に眼をやった。

「面倒をかけますな」

 女は何か云って会釈しながらともの方へ往ったが、すぐ一つの膳へ魚の煮たのを盛った皿や、めしのつけてある茶碗などを乗せて燗鍋かんなべといっしょに持って来た。

「これはありがたい、この舟は他の舟とちごうて、ねえさんのような人がおるから、何もかもが往きとどいておる」

 父親は女にあいそを云い云い燗鍋かんなべの酒を、さかずきいで飲んだ。

「お前はめしをやれ」

 せがれは父親にそう云われても傍にいる女にきまりが悪いので手が出なかった。

「お民、おい、お民」

 わかい船頭の女を呼ぶ声がした。女はうるさそうにうしろの方へ顔を向けた。

「なに」

「俺と伯父おじさんとは、これからおかへ往って来る、お客さんが、飯がすんだら、蒲団ふとんをかけて、とまを立ててあげろ、苫を立てんと風邪を引く」

いよ、私が良いようにしてあげるから、そのかわり私がさっき頼んだことを聞いておくれよ」

 女の声はみょうに重おもしかった。

「良いよ、判ったよ、判ったから、おとなしく番をしておれ、女子おなごの癖に余計な口をたたくな」

 女はもう何も云わなかった。船頭同志はがたがたと跫音あしおとをさしながら橋板を渡って往った。その二人の黒い影が鬼魅きみ悪く忰の眼に見えた。

「船頭さんは、これでなかなか面白いことがあるな」

 父親は二三杯の酒を飲んで好い気もちになっていた。

「お客さん、ちょっと往って来ます、なにかすることがあるなら、その小供にそう云うておくれ、遠慮はいらない、おいと二人で一杯やったらすぐ戻って来る」と、しゃがれた声で云って客の返事も待たずに、

「このむきなら、明日あす追手おいてじゃ······

 もうむこうのがけへあがったのか船頭の声は遠くなって聞えた。おかのほうには三つ四つのが見えた。父親は船頭に返事をしようとしたことばを控えて女の顔を見た。

「あの船頭さんは、年老としとった方の船頭さんは、お前さんの伯父おじさんかね」

「伯父でございます、一人は兄でございますが、二人とも困ったものでございます」

 父親にはその困ったと云う意味が判らなかった。

「二人が大酒でも飲むかな」

「大酒と云うでもありませんが······

 女はそれからうえ云うのをいとうように口をつぐんだ。父親はふと伯父おいおかへあがって道楽でもするのであるまいかと思った。

「二人で道楽でもするかな」

 女はちょっと考えるようにして云った。

「そうでございます、道楽をしたり、酒を飲んだり、困ります」

「まあ、こうした商売をしておると、すこしはしかたがないだろうが、ねえさんは、何時いつもこの舟におるかな」

「はい、家に何人だれもおりませんから、舟におります」

「家はどこだな」

鳥羽とばの近くでございます」

「鳥羽の近く」

 父親はそう云いながらまだめしわずにいるせがれに気がいた。

「飯をやったらどうだ」

べましょう」

 忰はやっと茶碗を持った。

「今飯鉢めしばちと茶を持って来ます」

 女は忰の方をちょっと見てから立ってともの方へ往った。

「船頭なんて云う者は、皆ああしたものだよ」

 父親は小さな声であざけるように云った。

「そうですかなあ」

 忰は女に心を引きつけられていて父親の云ったことははっきり判らなかった。

「あんな者を、親や兄弟に持っておる、あの小供が可哀そうじゃな」

 女の子が飯鉢と土瓶どびんを持って来たので父親は澄ました顔をして残りの酒を飲んだ。

「わしも飯をもらおう。良い気もちになった」

「まだお酒がすこしありますが、沸かしましょうか」

「もうけっこう、わしは一合で多すぎるくらいじゃ」

「では、ここへ飯鉢めしばちと茶を置きますから、どうぞごゆっくり」

 女はともの方へ引きさがって往った。せがれはその女の小さな足をちょっと見てから魚の肉をつっついて口に入れた。魚の肉は旨かった。忰は女の見ないうちにと思って急いでめしをかき込んだ。

 忰はもう箸を置いていた。彼は父親が落ちつき澄まして飯をっているのが憎いような気がした。

「お父さん、舟の中はなんだかきゅうくつじゃありませんか」

 父親は旨そうにむしゃむしゃと飯を喫っていて顔をあげなかった。

「今晩、一晩の辛抱じゃ、明日あすの晩は、ゆっくりと手足を延ばして休めるぞ」

おかへあがりたいなあ」

「こんな処で、宿屋へ入ったら、高い金をられる、もう一晩の辛抱じゃ」

「宿屋じゃありませんよ、ただおかへあがって歩きたいですよ」

「道の不案内な処は油断がならんよ」

「なに、こんな狭い処じゃ、迷うてもそれほどのことはありませんよ」

「お前が往きたけりゃ、往っても良いが、足もとがあぶないぞ」

「往っても良いなあ、ちょっとその辺を見て来ましょうか」

 しかし、忰は女を離れて遠くへ往く気はしなかった。父親は最後の飯に土瓶どびんの茶を入れて喫った。

「海の中へ落ちんように、気をけて往って来い」

「往きましょうか」

「それなら往け、しかし、つまらんものをうちゃいかんぞ」

「なにもかいやしませんよ」

「それならちょと往って、その辺を見てすぐ戻って来い」

「往って来ます」

 せがれは云いがかりじょうすこしでもおかへあがって来なくてはならなくなった。彼はそこにあった草履ぞうりを引っかけて橋板に足をかけたが、女はどうしているだろうかと思ってちょと見た。暗いともに白い顔が見えていた。忰は親しそうなその顔に何か云おうとしたが、云うのがきまりが悪いのでそのままむこうへ渡って往った。

「おい、よく気をけんといかんぞ」

 父親の云う声がした。

「大丈夫ですよ」

 忰は父親よりも女に聞いてもらいたいと云うような気もちで、返事をしいしい崖の上へあがった。

「すぐ戻って来いよ」

 また父親の声がした。忰はもう返事をせずに崖をあがって往った。崖の石の上には微月うすづきの光のような微白ほのじろい光があった。

 すぐの明るい家が来て二三人の人声がしていた。それは酒に酔うているらしい声であった。忰はじぶんの舟の船頭の来ている家でないかと思ったが、それ以上に好奇心は起らなかった。

 忰の心は女の方へ往った。彼は舟がおかへ着いたころからみょうにからまって来た女の素振そぶりをはっきり心に映していた。眼、まゆくちびる、皆意味のあるものであった。彼はどうかして女と二人で話したいと思った。あの伯父おじと兄はまだしばらく帰らないであろうから、父親さえ早く寝てくれるなら話はできると云う考えが浮んで来た。

 せがれはそのままあとに引返して、でこぼこの石高路いしたかみちをおりて往った。がまうずくまったように見える小屋の傍を廻っておりて往くと、もう舟のある処であった。忰は足を止めて舟の中を見た。手燭てしょくの光がかすかどうに見えているのみで父親は寝たのか姿は見えなかった。

 橋板に軽く跫音あしおとがしてこっちへ来る者があった。忰は心をどきどきさして立っていた。その眼に白い女の顔が見えて来た。忰は何か云おうと思ったが云えなかった。

 女は眼の前に来た。

「あの、すこしあなたに」

 忰はなるたけ落ちついていようと思った。

「なにか、私に」

「どうしても話さねばならないことがありまして」

「どんなことです」

「すこしみょうなことでございますから」

 女の声は苦しそうであった。忰はじぶんの期待にはずれたように思った。

「なんですか」

「すこしみょうなことでございますから」

 女は息苦しいように云って前へ歩いた。忰は不審しながらいて往った。

 小さな木の生えた間をすこし往くと大きな黒い岩があった。女はそこで足を止めた。

「どうぞ、ここへ」

 せがれは女の云うままにそこへしゃがみながら同じようにじぶんの前へ蹲んだ女の顔を見た。

「なんですか」

「すこしみょうなことでございます」

 そう云って女は何か躊躇ちゅうちょしたが、そのうちにすすり泣きをはじめた。忰はびっくりした。

「なんですか」

「こんなことを申しますと、貴郎あなたはびっくりしましょうが、私の伯父おじと兄は、真人間まにんげんじゃありません、伯父と兄は、恐ろしい盗人ぬすっとでございます、船頭になって貴郎方をれて来て、殺してものをろうとしております」

 忰の体はふるえた。

「私がおりますから、どんなことがあっても、貴郎方の御迷惑になるようなことはありませんが、ほんとうは恐ろしい盗人でございます、早く貴郎に知らそうと思いましたが、知らしておかから逃げて往くようなことがあると、おかには仲間がおって見張をしておりますから、かえってあぶのうございます、それであなたに、ず知らした後で、お父さんに話して、伯父と兄をどうかしておいて、貴郎方を舟で逃がそうと思うております、これから舟へ往って、三人で相談しましょう、どうか騒がずにいてくださいませ」

「じっとしておるよ、じっとしておるとも、大丈夫だろうか」

 せがれの声は乱れていた。

「大丈夫でございますが、私も貴郎あなた方に、伯父おじと兄の悪いことを知らしたからには、もう伯父や兄と顔をわせることができません、どうかその時は、私を助けてくださいませ」

「助けるとも、お前さんの世話をきっとするよ、私は豊橋の山村と云う者じゃ、もし逃がしてくれたらどんなお礼でもするよ」

「とにかく、これから舟へ往って、貴郎のお父さんに話して、相談しましょう、こわいことはないから、騒がないようにしてくださいませ」

いよ、騒がないよ、では、早う往こう」

 忰はもうさきに立って走るように歩きだした。女はあとからいて往った。忰はもう木の枝も石のかども区別がなかった。彼は幾度いくたびもよろよろとよろけながら崖の上へ出て橋板をよろよろと渡った。

 どうでは父親が一枚の蒲団ふとんにくるまってともの方をまくらにして眠っていた。忰はいきなり父親の肩に手をかけてり動かした。

「お父さん、お父さん」

 父親はうす眼を開けた。

「どうした」

「大変なことがあります、起きてください」

 父親は起きあがって、ねむそうな眼をきょろきょろとさした。

しずかにしてくださいませ、なんでもありませんから」

 女がもうそこへ来て坐っていた。

「なんだ」

「この舟の船頭は盗人ぬすっとじゃと云います」

「なに、盗人」

 父親も声をふるわした。

「盗人でございますが、指一本も差させずに、豊橋へ送りますから、どうかしずかにしてくださいませ」

 父親は何も云わずに女の顔を見た。

「私の伯父おじと兄は恐ろしい盗人で、今晩貴郎あなた方を殺して、金を目論見もくろみをしておりますが、決して指一本も差させませんから、静に寝ておってくださいませ、私に考えがございます」

「この人が、伯父さんと兄さんと喧嘩したのちには、何人だれも世話になる者がないから、世話をしてくれと云います、お父さん、世話をしてやろうじゃありませんか」

 父親はせがれの顔を見たのちに女の顔を見た。

「よし、いとも、ここを逃がしてくれるなら、お前と夫婦にしても良い」

「どうか静にして、お二人とも横になっておってくださいませ、刃物もさっき海の中へ捨てましたから、たとえあがって来てもまちがいはありませんが、舟へは一足ひとあしもあげさせないようにします」

 女はそう云い云い忰の方を見た。忰は幾等いくらか心が落ちついていた。

「では、ねえさんにまかして、横になっておろう、大丈夫だろうか」

「大丈夫でございます、どうか寝ておってくださいませ」

「それでは横になろう」

 父親は横になるとせがれも横になった。女はそれを見ると手燭てしょくを持ってともへ往った。

 父親と忰はおかの方に耳を立ててみたり、ちょと顔をあげて艫の間をのぞいたりした。

 父親と忰の耳へ間もなく崖の上あたりでする人の話声が聞えた。

「兄さん」

 舟の中から女が声をかけた。

「なんだ、まだ寝ずにおるか」

「寝ておって眼が覚めたところよ、伯父おじさんもいっしょ」

「いっしょとも、伯父さんがぐでんぐでんに酔ったから、肩にかけて戻ったところじゃ」

「そんならしずかに舟へ乗りなさいよ」

「乗るとも、さあ伯父さん、橋板じゃよ」

 橋板の上に跫音あしおとがしはじめた。と、思う間に板のきしる音がして何か大きなものがしおの中へ落ちた。それに続いて橋板の落ちる音もした。

「さあ、皆さん、起きてくださいませ、これから舟を出します」

 女が艫の方で叫んだ。父親と忰は飛び起きてどうに突立った。

「もう心配することはありませんが、ついするときあがって来るかも判りません、手が見えたら、板をいで、見つけしだいなぐってくださいませ」

 舟は間もなくゆらゆらと動きだした。ともづなを解き放した女は艫に立って艪柄ろづかを握った。

 舟は磯際いそぎわを離れた。


 親子の参宮帰りの客を乗せた舟は、その夜の明け方小さな島の傍を通っていた。その舟はわかい女船頭が漕いでいた。空には光のなくなりかけた星が二つ三つ光っていた。

 どうの方からしずかに女のうしろへ立った父親は、いきなりっている女をうしろから突きとばした。女は艪を持ったなりに海の中へ落ちた。

 一度沈んでいた女は艪につかまったままで浮きあがって来た。父親はそれを見ると傍の水棹みさおって二度三度続けて殴りつけた。女はじっと父親の方を見たのちに艪を放して沈んで往った。

「お父さん、どうしたのです」

 胴の間に寝ていたせがれが驚いて起きた。

盗人ぬすっとの女をれて家へ帰れるものか、舟はおらが漕ぐ」

 父親は水棹みさおをだして流れている艪を引きよせてそれを艪べそにあわした。


 参宮帰りに海賊船に乗ったのは豊橋某町の山村と云う豪家ごうかの親子で、父親は嘉平かへいと云い忰は嘉市かいちと云っていた。

 三年ばかりしてのことであった。山村の家の前に五六人の小供が遊んでいると、壮い※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれいな女が来てずんずんと門の中へ入って往った。小供達は見知らない※(「女+朱」、第3水準1-15-80)な女を見たので好奇ものずきに玄関までいて往った。女は家の人のように案内もわずに黙って障子しょうじを開けてあがって往った。

 それは夏のことで、嘉市はすこし体が悪いので寝ていたが、何時いつの間にかねむっているととなりへやでうんうんとうなる声がした。びっくりして起きて往ってみた。一人のわかい女が父親の上へ馬乗りになってその首を締めていた。

「こら」

 嘉市は周章あわてて跳びかかった。女の姿はすぐ見えなくなったが、父親はもうこぶしを握り締めて冷たくなっていた。

「あの女じゃ、あの女じゃ」

 嘉市はその場から発狂してしまった。






底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会

   1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行

底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社

   1934(昭和9)年

入力:川山隆

校正:門田裕志

2012年5月22日作成

青空文庫作成ファイル:

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