宇野浩二著『芥川龍之介』の中に、芥川龍之介氏が、著者に向って言った言葉、
······君われわれ都会人は、ふだん一流の料理屋なんかに行かないよ、菊池や久米なんどは一流の料理屋にあがるのが、通だと思ってるんだからね。······
というのが抄いてある。
そうなんです、全く。一流の料理屋というのは、つまり、上品で高い料理屋のことでしょう! そういう一流店でばっかり食べることが通だと思われちゃあ、
例えば、だ。天ぷらを例にとって話そう。いわゆるお座敷天ぷら。鍋前に陣取って揚げ立てを食う。天つゆで召し上るもよし、食塩と味の素を混ぜたやつを附けてもよし、近頃では、カレー粉を附けて食わせるところもある。そういう、いわゆる一流の天ぷら。その、揚げ立ての、上等の天ぷらを食って、しまいに、かき揚げか何かを貰って、飯を食う。或いは、これがオツだと
然し、そういう、一流の上品な味よりも、天ぷらを食うなら、天丼が一番
然しだ、サラッと揚がってる天ぷら、なんてものは、江戸っ子に言わせりゃあ、場違いなんだね。食った後、油っくさいおくびが、出るようでなくっちゃあ、いいえ、胸がやけるようでなくっちゃあ、本場もんじゃねえんだね。ってことになると、こりゃあ、純粋の胡麻の油でなくっちゃあ、そうは行かない。だから、先っき言った天丼にしたって、胡麻でやったんでなくっちゃあ||此の頃は、天丼も、上品な、サラッとした天ぷらが載ってるのが多いが、それじゃあ駄目。
丼の蓋を除ると、茶褐色に近い、それも、うんと皮(即ちコロモ、即ちウドン粉)の幅を利かした奴が、のさばり返っているようなんでなくっちゃあ、話にならない。その熱い奴を、フーフー言いながら食う、飯にも、汁が浸みていて、(ああ、こう書いていると、食いたくなったよ!)アチアチ、フーフー言わなきゃあ食えないという、そういう天丼のことを言ってるんです。
その絶対に上品でないところの、絶対に下品であり、下司であるところの、味というものは、決して一流料理屋に於ては、味わい得ないところのものに違いあるまい。
と、こうお話したら、大抵分って戴けるであろう、下司の味のよさを。天ぷらばっかりじゃない。下司
おでんは、一流店では出さない。何となれば、ヤス過ぎるからであり、従って下品だからである。然し、おでんには、ちゃんと店を構えて、小料理なんぞも出来ますというようなところで食うよりも、おでんの他には、カン酒と、茶めし以外は、ござんせんという、屋台店の方が、本格的な味であろう。
一々めんどくさいが、ニャクとはコンニャクのことですよ。「へい、ちイっと、ニャクが未だ若いんですが||」なんてな、若いてえのは、まだよく煮えていねえってことなんでがす。おでん屋の、カン酒で、ちと酔った。
酔って言うんじゃあ、ございませんが、おでんなんてものこそ、一流の店じゃあ、
おでんの他にも、まだまだあるよ。むかし浅草に
あの、牛(ギュウ)には違いないが、牛肉では絶対にないところの、牛のモツや、皮や(
ああ下司の味!