二十年近くも、私が心に感じ身に行って来た経験をふりかえり、また、批判してみたことを偽りなく書き集めたのが、この書物となりました。私という一人の人間が、真に感じたり想ったりしたことは、同じ人間である世のみな様に語って真実同感して頂けることと信じます。また私の信仰する仏教は、飽くまでも人間に対して親切で
昭和九年十一月
岡本かの子
[#改ページ]悲観も突き詰めて行って、この上悲観のしようもなくなると楽観に代ります。今まで泣き沈んでいた女が気が狂ったのでなく静かに笑い出すときがそれであります。さればとて捨鉢の笑いでもありません。訊いてみると、「ただ何となく」といいます。私はその心境をしみじみ尊いものに思います。
心の底は
「おあん物語」という古書があります。家康の軍勢に大垣城が取囲まれ、落城する
落城も程近い城中にあって当時若い腰元のおあんはその朋輩とともに、将卒が取って来たたくさんの敵の首の歯におはぐろを塗っているのであります。
将卒たちは自分が取って来た敵の首が白歯のままであるとそれは敵軍の士卒の首であることが判るので、おはぐろを塗って貰って将士の首に見せかけ主人達の感賞に
憂きことのなほこの上に積れかし
限りある身の力試めさん
これは尼子十勇士の一人の山中鹿之助が主家の再興を図りましたけれども、ほとんど絶望であることが発見されてのち詠み出でた歌であります。ちょっと見ると破れかぶれの歌にも見えますけれどもそうではありません。悲観の極は例の弾機仕掛けに弾ね上げられ、人生を見直し出した従容たる態度の歌であります。限りある身の力試めさん
「男が話が判ってくるのは一度首の座に直ってからだ」。私の母は、その父の郷士で儒者であった人が、しじゅうこう口癖に言っていたということを、よく幼時の私に話して聞かせました。その郷士は横浜開港などにも関係し、相当、危険な幕を潜った体験を持った人だそうです。
「首の座に直る」ということは悲観の極を一度味わったことのある人ということでありましょう。それを通り越して来たものは人力の如何ともすべからざること、人力以上のもののあること、それらを体験的に弁えた人であるが故に、
悲観を突き詰めて行かなければならない事件やら境遇やらには誰しも出会いたくありません。けれども、
それにしても、私たち人間には悲観の際、悲観の原因や感情の由来をたださずに、ただ
また人生の
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頭は考えて分別し、
胸は感情を披瀝する。
腹は蔵 めて貯え、
手足は動いて実地に当ってみる。
頭でいけなければ胸で、
胸でいけなければ腹で、
腹でいけなければ手足で、
そして全体として、完全な協同作業 が取れています。
私たちの唯一の財産、最初にして最後の財産=身体には、これだけの胸は感情を披瀝する。
腹は
手足は動いて実地に当ってみる。
頭でいけなければ胸で、
胸でいけなければ腹で、
腹でいけなければ手足で、
そして全体として、完全な
法華経見宝塔品という経文の中に、多宝塔(この宝塔の中には如来全身有す)という塔が地中より涌き上って空中に止まり、その中に多宝如来と釈迦仏とが並んで座せられる場面が書いてあります。
この場面で、多宝如来は真理を現し、釈迦仏は智慧を現している。そして多宝塔は私たちの
知らないうちは
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飽くまで生き抜く力と言っても、朝から晩まで肩肘張って力んでいることではありません。相手や、場合によってそうしなければならないこともあるでしょうが、始終そうやっていては誰だって
人間は一面、ゴムの紐と同じようなものであって、あまり長く緊張し続けるとのびてしまいます。
若い時、かなり激しい気性の人で、活動し続けて来たのが、老後になってぽかんとしてしまったという老人など、たまにみなさんの周囲にお見受けになりませんか。
そうかと思うと四十過ぎまでは、何の存在も認められなかった人が、中年からそろそろ活動を始め、老境に入るに従っていよいよ冴えて来たという人もあります。
それからまた、若い時から忙しい生活をし続け、一生それを押し通し、老いてますます盛んな人もあります。
以上三つの型に人間の生涯が区別されます。
これはどうしてでしょうか。一つは気魄や、体質により、一概にも言われませんが、概して、人間の
私はある名医の話を聴いたことがあります。その医師が言うには、「およそ、上手な医者ほど、自分の力では病気を癒さん。自然の力で癒す。人間の身体にはもともと病気を癒す力が備わっている。それを介添えするだけが医者の役である。下手な医者ほど自分の力を信じて無暗に薬を盛り、この恢復力を殺してしまう」と。
なおも、よく聴いてみると、私たち素人にもなるほどと
人間の生きる力というものにも、前の医者の話と同じ道理があるようです。自分で力み出す力には、自ずと
よく講談などにある、仏神に
飽くまで生き抜く力は、人間にひとりでに備わっている力です。それは病気を癒す力が患者にひとりでに備わっていると同様です。しかし、私たちは不断、それに気付きません。患者が自分の身体中にある病気恢復力を知らずにいるようなものです。その恢復力を医者が取出してそれを使って病気を癒してくれます。しかし私たちの不断の生活において誰も、医者も、私たちの飽くまで生き抜く力を取出してはくれません。それは自分で取出さねばなりません。自分自身の信念信仰(そういう力が世の中に、また自分の中にあるということを信じて疑わないのみならず、体験にまで持ち来すこと)によって呼び寄せるのです。
信念とか、信仰とかは井戸掘り機械です。いくら豊富なその力(飽くまで生き抜く力)が私たちの上に備わっていても、ただのままでは、地下何百尺の地下水のようなものです。あることだけは知っていても、それを取出す方法を講じなくては何の役にも立ちません。機械によって井戸を掘り、はじめて地下水は私たちの役に立ちます。すなわち信念とか信仰によって体験に持ち来されるに及んではじめて私たちの飽くまで生き抜く力となるのです。
それでは生き抜く力とはどんな力でしょうか。それが最初から判っているくらいなら、普通の人力とそう違いはない程度のものです。判らないからこそ、信念によってそれを迎えます。
福沢諭吉という方は、維新後の日本に物質文明の必要なることを痛感せられ、極力その智識を輸入し、また国民間にその普及を図られた今日の日本文化の有力なる指導者の一人でありましたが、当時固陋の人々からは、俗学者だとか、拝金宗の親玉だとか言われました。それほど物質的なものに眼を着けられた学者です。ところが、わが国の物質文化もひとまず出来上り、一般が物質文化を謳歌する様子が見えて来ると、諭吉先生は、今度は超人間的な力の存在を、その著書で力説し始められました。「世の中には人間以上の力の存在が必ずある。人々はこれに気付き、
世の中の
人力以上にして、しかも、私たちにも備わり、天地の間にも
終日
いつも青年の気を帯び、老いてますます盛んな人をよく観察して御覧なさい。必ず何らかの一貫した信念を持っている人であります。たとえそれは俗情のものであっても。それから中年後になって活動を開始したという人は、そのときはじめて何らかの信念を握った人で、それまでは自分の力だけで、自分の工夫だけで
かくて、ひとたび信念によって生き出したものは、実はどこまでが仰いだ力でどこまでが自分の普通の力なのか、区別がつかなくなるのであります。仰ぐ力と、信念と、自分の力と、この三者は、時に円融し、時に
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料理通の話を聴きますと、「魚肉などで味の深い個所は、魚が生存中、よく使った体の部分にある。例えば
なるほど、この事は人間についても言われます。苦労をしない人よりは、苦労をした人の方が人間味が深いのであります。いわゆる、お坊っちゃん、お嬢ちゃんは、魚にすればどこかの辺の遊び肉でありましょう。
しかし苦労をするにしても、苦労のしくずれということがあります。すっかり苦労に負けてしまって、味も素っ気もなくなってしまい、狡くなり、卑屈になってしまうのがあります。これはどうしたことでありましょう。
人世に苦労があるよりはない方がよろしいのであります。さればといって現に苦労がある世の中から逃れるには死より外に道がありません。ですから、苦労に立ち向って、これを凌ぐ力を養わねばなりません。凌ぐ力が養えたら、苦労があってもないのと同様であります。すなわち、苦労をするのは、苦労が目的でなく、人世から苦労を、ないも同様にしようとする方法手段であることが判ります。方法手段に捉われて、目的を忘れてしまうのは、人世の道草であります。苦労のしくずれは、この途中の苦労に捉われ、目的地を忘れた道草の人であります。
釈尊が仏教を打ち建てられたとき、仏教の立場から当時印度に行われていた他の多くの思想宗教学派について非難攻撃をされました中に、苦行
釈尊のこれに対する非難は、「仮りにそのようにして、天界へ生れたとしても、すでにそこへ行く原因の修業法が無理な
そして釈尊の教えは、これと違って、正しい考え方であります。この現実の苦労の原因、性質を見究め、正しい生活法によってその苦労の原因性質を除いて行く。そこに
この教えによっても判るように、苦労は、これを避けて楽なところへ逃げ出すのもいけないが、さればと言って苦労に
要は、苦労は苦労として冷静にその原因、性質を見究め、勇敢にこれを取除く手段や生活法を取って、さて新しい気持ちで次の経験に向うのであります。苦労に蝕まれず、苦労を一つの研究材料としてそこに人生の一部一部を観て取って行く。かくして人生の姿を、より多く、より広く、知識し経験したものこそ、苦労に捉われず苦労のし甲斐があった人であります。
魚の鰭や尾の附根の
この例を聞くにつけ、苦労を上手に摂取して、各人自分達の性質のよき味の分量を増したいものです。
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大雪が降りました。朝、眼を覚ました秀吉は考えました。「いかに名人、利休でも、こんなときは油断していてまごつくだろう。一つメンタルテストに出かけてやろう」と。
「茶というものは贅沢や遊びにやるものではない。人間同志、互いに持ちまえの和親敬愛の情を表すために使う方便だ。そしてその作法というものは、身を慎しみ心を磨く修業である。人生のあらゆる態度を、この作法の中に切り縮めて研究工夫するのである」。これが茶道の元祖といわれる千利休の茶に対する態度でありました。さすがに一芸に達するほどの人の見解であります。そして利休は、これを口に唱えるばかりではなく、職分の上に実行してもいました。それで寸分も隙がありません。隙というものは、物事について張り切った研究工夫の気持ちが抜けたとき出て来るものであります。ふだん随分、千利休の隙のないことを試してみて、感心もし、すっかり兜を脱いでいる
その朝は、まだかなり早かった。野も人里も深い雪をかむって、息さえ詰まるようでありました。東の空から明け初めて、寝呆けたような鴉の声と五位鷺の声とが宮の森のあたりからかすかに聞えて来ましたが、静寂な天地はたちまちそれを吸い取って、まだ闇の気配の残る、燻しをかけた銀世界にはなおも
木下藤吉郎の昔から秀吉は、数知れぬ難攻不落の城々を攻めた経験の持主であります。しかし、どんな城砦でも秀吉が一目見るときには、どこかに隙がありました。何となく運命に恵まれない暗い陰があるとか、地理や設備の上に欠陥があるとか、あるいは城内の人々が協力心を失っているとか、いわゆる天地人三才の徳に欠けたところがありました。秀吉は天才の直覚力をもって、この欠点を感じ取り、そこへ手を入れるので、
秀吉が利休の茶室の門に辿り着いたときは戦場へ臨んだかのような緊張さえ覚えました。そして一人の小姓を通知に
「これならさすがの名人も風雅な
一方利休は、もうちゃんと起きていました。起きているどころか、炉に炭をつぎ入れ、新しい水の釜をかけて、湯の沸く暇を、炉の前に端座して心を練っておりました。
彼は小姓の通知を受けると、普通の答えをして、扇一本取出して、腰に挟んで出迎えに出ました。利休の様子には少しも
「ようこそ、御
利休は、腰から扇子を抜き取り、
「雪の早朝、冷えてお

「あれほどの器量の人間なら、相当大国の領主も務められよう」
ここで問題になるのは、利休の
しかし、それだけの用意をしながら、秀吉が雪の朝にとうとう来ずにしまっても利休はちっとも落胆はしなかったでしょう。その用意こそ、いわゆる茶道のたしなみであります。
たしなみということは、効果如何を考えず、責任として尽すところに価値があります。誰への責任でしょうか。誰への責任でもありません。自分の職分としての責任であります。維新時分の達識の人が、天を相手にすると言った意味です。人に知られず、効果を考えず、深く自分の職分を考えて、その準備を深めて行く。そのことに楽しみを持って行く。これが本当のたしなみであります。故にたしなみという言葉には奥床しさという感じが伴います。
人に知られず、効果に現れずとも、たしなみの深い人には、奥床しさがほのぼのと立
利休の場合を考えるのに、彼のたしなみはまだ他に沢山にあったに違いありません。その沢山のたしなみが、単なるたしなみだけに終ったものがどのくらいあったか知れないでしょう。多くの用意のなかから、たしなみの
ある一事についての深いたしなみは、もうそのことの上のたしなみだけでなく、人間上のものになって来ます。その心得はもう一芸のものでなく、諸道に通じます。そして人を感動させます。利休のたしなみのごときも、私たち処世上の心得としてどのくらい貴重な参考になるか知れません。
利休の茶道の歌に、
寒熱の地獄を潜る茶柄杓も
心なければ苦しくもなし
これ利休が職分の深いたしなみから、人生の心なければ苦しくもなし
柚子味噌というものは、利休のこれが最初だという話ですが、本当かどうか知りません。しかし柚子味噌を喰べるたびに私はこの話を思い出します。
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ある人が、あるところへ後妻を世話しました。ところが、その
その媒酌人はなかなか苦労をして、人情にも道理にも通じたところがありました。その場で次のような対話が交わされました。
「まあ、そう泣いてばかりいないで、
「いいえ、主人は大層良くしてくれますので有難い
「ふーむ。どういうふうに懐かないんだね」
「わたくしが全く実の母親の気持ちになり切って、世話をしてやりますのに、振り切って、わざとよそよそしくするのでございます。まるで面当てがましいような素振りさえするのでございます」
「どんなふうにだね」
「今日のお昼に、わたくしが、親身のような愛情を示そうと、試しに娘の食べかけの残したお
これを聴いて
「ちょっと伺うが、その娘さんは、あなたが生んだ娘さんかね」
あんまり馬鹿な訊ね方なので、後妻の女はむっとしました。
「||冗談仰しゃらないで下さいませ。生みの娘なら、なんでこの苦労はいたしましょう。なさぬ仲には極まっております。あなたも妙なことを仰しゃいます」
「ふーむ。やっぱり
「まあ、落付いてよく聴きなさい。継子なら継子のように扱いなさるが当然だ。それを実の子のようにしようとしなさるから、そこに無理が出るのだ。だが誤解をしては困るよ。継子だからとて世間によくある継子苛めをしなさいと言うのではないのだよ。あれは継子の扱いではなくて、鬼の扱いだ。人間の扱い方ではない。私の言う継子の扱いというのは、兎に角、自分の生んだ子供ではない。だから親身の
後妻の女は、まだ本当には腑に落ちぬらしく、はっきりしない顔付きで帰って行きました。
それからその女は、しばらく媒酌人の家へ来ないので、媒酌人の家ではどうしたのだろうと噂などしていましたところへ、ひょっくり、土産物なぞ持って訪ねて来ました。媒酌人は訊ねました。
「継子の様子はどうだね」
すると後妻の女は不快な顔をして、
「継子なんて言葉をお使いなさらないで下さいましよ。この頃はもう親身の親子以上」
そこで媒酌人は頭を掻いて言いました。
「ほうこれは失言した。失礼失礼」
後妻の女は朗らかな声で家庭のこと、世間のこと、何気なしに面白そうに語って帰って行きました。
七里恒順という幕末から明治へかけて生きておられた浄土真宗の名僧があります。
その人の言葉に、
「月を盥の水に映すのに、映そう映そうと焦って盥を揺り動かしたら、月影は乱るるばかりである。何の気なしに抛って置くと、いつの間にやら月は盥の中に丸く映っている」
普通のことのようですが、本当の体験を、月と盥に事よせて語っているので、普通の中に言い知れぬ趣があります。
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人生の使い方に二とおりあります。そのいずれへも極端にかたより過ぎると、結局その人の生涯が駄目になってしまいます。今、極端に性質を
私たち
人間にしても同じことです。どうも私は
すべていけない方に目を付けてこれを刈込んでしまう。これでは誰でも、何事でも、痩せて、枯れて、滅してしまう一方です。仏教では、この方法を「
この流儀で人生に処すると、世の中や人間のあらばかり見え、だんだん浮世が嫌になり、自分独り孤独を楽しむようになって、
子供を育てるにしろ、人を使うにしろ、相手をすっかり
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前述の方法とちょうど正反対の方面があります。何でも、あるがままがよいとして、食べたい放題、遊び放題、無理の言いたい放題、不義理のし放題||それを、また世間でも、磊落だとか無邪気だとか言って買い被り、苦笑しながらも黙って見ているようなことがあります。もし世の中が、あるがままがいいということになったら、人生は骨折りも努力もいりません。
千の与四郎というのは茶道の名人、利休の幼名ですが、秋の庭の趣を添えるために、庭に落葉をひと散し落して置いたというのが彼の茶道の功名のはじめですが、これもはじめから木の葉の落ち散るままにして置いたというのではなしに、一旦庭を
よく
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私たちの持っている人間性、これを刈り取ってはいけず、さればと言って、伸び放題うっちゃって置いてもいけない、なかなか難しいことになりました。しかし、こう押し詰めて行って、よく考えてみると、そこに一筋通れる道が残されているのが判ります。否、そこを是非通って貰いたいとて実は人生の本道が広く道を真中に開いて待っているのでありました。それは言うまでもなく、前に述べましたように、一見、邪魔、不善に見える人間のいろいろの性情の根は、実は非常に大切なものでありますから、これを潰したり押えたり、刈り取ったりしないで、これらをみんな活かして善用して行き、立派に役立てて進んで行くという人生の大道です。
仏教の言葉で、「煩悩即菩提」(迷いや欲の本性は取りも直さず悟りのもと)と言ったり、「凡聖
むかしから、この事実を説明するためにいろいろの苦心がなされております。大乗仏教の沢山の経巻も、人々にこの事実を開いて説き示すために出来たようなものですし、名僧知識たちが教義を工夫されたのも、やはり目的はこの一点にかかっております。
田の草をそのまま田への肥料 かな
この句はよくこの意味の説明の引合いに出される句です。田の草は私たちの人間性をさします。人間性が文殊菩薩がある日、善財童子(文殊は智慧の象徴、善財は求道者、両者とも、
なるほど、そう言われてみると、神経過敏症が文学者の職業に役立ったり、家に落付かない性分の人が周旋業を始めて成功したり、虫取りの好きな子供が昆虫学者になったり、大腕白の子供が英雄になったり、いろいろその性質の活かし方によっては申し分のない役に立ちます。
この人間性のどれ一つにも見限りをつけず、必ず活用の途ありとして、その
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私たちは誰でも、人格完成の
何故ならば、その成功者はどんな幸福にも増した幸福を、永久に享ける資格が持てるのですから。
ところが私たちには、一方、生れながら愚かしさや、迷いごころがあって、この人格完成の種子のあるのを判らないように邪魔しております。たとえ教えられて、持っているはずとは知っても、さて、その育て方の方針がつかないのであります。
天地の広大無辺な存在は、私たちをもその中に引くるめた、一つの大きな生命体であります。この中を縦横に貫いて、すでに立派に完成されている光明体が流れております。その光明体は、常に私たちはじめ天地の間に
私たちの中なる仏性の種子も、それを感じてしきりにその光を浴びたがっています。その様子を、日蓮聖人は籠の中の鳥が、空飛ぶ鳥の鳴声を聞いて呼び交わそうとしている趣に譬え、禅家の方では卵の中で、いま

そこで私たちに、
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捨ててみて、はじめて拾える世の中。皮肉な世の中。そのときは、もう自分で拾うのではない、寄ってたかって人が拾わせるのです。そのときは、もうたいして自分には興奮もない世の中ですが、その代り、失墜の心配もない。たいして得も取らせなければ、たいして損もさせない世の中です。
だが、そうと判ってみれば、今度はなかなか面白く眼に映る世の中。
誰かの句に、
身を捨ててまた身を掬ふ貝杓子
他力信仰(他力信仰は浄土宗、浄土真宗の信仰の仕方で、阿弥陀仏のさしのべる手〔本願〕に救われる信仰生活です)のこつをいったものであります。[#改ページ]
仏教を非常に消極的なものに考えて衣、食、住のごときも貧弱一方にするのが功徳のように思っている人があります。これは誤っています。むろん奢り贅沢はいけませんが、身分不相応な切り縮め方をして、子供や使っている人を、営養不良色にして得意になっているのは、これまた贅沢の一つです。吝嗇贅沢といいます。
一口にいえば、適時、適処、適事情の三つの条件に当てはまるのがよろしいのです。
専門家の僧は、人から寄附を受けて生命を支え、専ら修業に努力するのが生活の建前ですから、なるたけ寄附する人の負担を軽くするため、また、修業を妨げぬため、極力生活を切り詰めました。釈尊時代は着物なども、死人の着たものなどを貰って来て、それも下着に、上衣に、式着の三枚しか持たないのが僧団の規則だったようです。
しかし、それさえ像法時代といって、人々を眼で見ることから、崇高な感じを起させ、道に入れなければならない時代になって来ると立派な寺院を造り、立派な仏具を用いて説法の助けにしました。弘法大師なぞは工芸美術の学校を建てて大いに芸術を利用しようとしました。
今日は末法時代といって仏教の
とにかく、そういうわけで専門家の方でさえ、時に応じ、所に応じ、事情に応じて善処することになっていますから、私たちいわゆる在家のものはなおさら生活様式は時代の適応性を考えなければなりません。
洋装が便利だったら洋装も結構でしょうし、洋食、支那食がカロリーが多かったらそれもよろしいでしょう。ただ生活様式というものは便利一方のものでなく、趣味からも相当精神に影響を及ぼすものですから、私たち日本民族の一員として、その心を養成して行けるような長所のあるものは、生活の
ここに至って昔、日本で使われた「
時に適するようとは、大きくは今日の非常時に適し、小さくは毎日のその時々に適するよう、気配り、工夫が要るということです。国の財政に赤字が多く、外国為替がとても
事情に応ずるとは、事情にちょうど振向いた処置捌きが必要だということです。失業している人の奥さんに昇任の話なぞは禁物でしょう。子供の大勢ある家へ頭数に足りないメロンの贈物なぞは気が利かないでしょう。
兎に角あらゆる物事に五分の隙もなく、ぴたりぴたり当て嵌って行くその自由さ適当さ、これが仏教にこなれた人の働きの理想であります。観音菩薩に三十三身あるというのもその事で、三十三身とは、数を約めた譬えで、実は人間の心の働きは無数無限の方面があって、決して行き詰まることはない。その徳能を磨いて行くのが仏教の実地の修業であります。これが完全に出来れば私たち自身が観世音菩薩であります。それが出来ないうちは、その理想人格、観音さまを拝して導きを受けるのであります。
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憂鬱のときは、兎に角笑ってみましょう。笑えなくとも勇気を出して笑ってみましょう。
形に心はついて来ます。笑って、笑って、笑ううちに、笑いについて憂鬱がとけて来ます。一種の生理的作用でもあります。
私たちの心理と生理作用には、必ずその仕掛けが
笑ってから、さて、おもむろに手段を考えましょう。
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物事をいい加減にしていれば涙はありません。苦しくないからです。物事を真面目に考えて、まともに向うと涙があります。苦しいからです。
なぜ、いい加減にしていれば苦しくなく、真面目になると苦しいのでしょうか。
いい加減にしていると、矛盾も矛盾に見えず、より良きものが眼につかないからです。今の状態でもどうやらお茶が濁せるからです。それで苦しくありません。
反対に、真面目になって、まともに向うと、矛盾が目につき、より良きものが望まれ、現状にひどい不満を感じて来るからです。それで苦しみます。
人間にあって、何が一番深刻な矛盾であって、いつが一番より良きものを望む時でしょうか。仏教にあっては、私たちの内部に「菩提(梵語 〔Bodhi〕 の漢音訳で「
「菩提心」とは何でしょうか、自分を良くし、人も良くしようという願い心です。自分も、この上もない智慧を開いて円満無欠な人格に到達し、人も同じくその幸福にあらしめようと願う心であります。
そんな遠方なものを望んで、今日只今の、この苦しみ、この涙があるのかと不思議がられる方があるかも知れません。そうです、あるのです。事情や形は、さまざまに変っていても、その苦しみ、その涙が、真面目なものである限り、その底には、きっと、「菩提心」が蠢いているのです。
良心というものは時代によって変り、周囲の情勢によって変ることもあります。自分の肉体の貞操を売っても、夫へ心の貞操を捧げるのを良しと認めた封建時代の女性の良心は、もう今日の女性の良心ではありません。しかし「菩提心」は、時代により情勢によって変るものではありません。人間がある限り、その中に在ってその発展の方向を示し、これを浄化推進して行く羅針盤兼、白血球であります。
白血球というものは、悪い黴菌が潜入するとき血液内に待受けていて喰い殺す役目を勤める肉体の保護者です。私たちはそれが居るとは知らずに、血液を浄化されています。私たちは菩提心ありとは知らずに、心の清純を保たされています。
もし良心が時代時代において、道徳維持の適応性を持って来たとしたなら、その良心をしてそうあらしめたものは、その底にある「菩提心」です。
自動車が走っているとき曲り道の急
私たちが、生活という自動車に乗って、人生の路を気ままに走っているとき、過ちの曲り角へ来ると、「菩提心」は急に制動機をかけます。そのとき身に感ずる強い反動が苦しみで、歯止めの軋る音が涙です。しかし、そのため心の生命は救かります。
私たちを苦しみや涙が誘うとき、それを
故に涙は反省の機会、余滴です。人生航路の方向の検査水準です。この貴い価値を使わねばなりません。
「生の苦しみ」という事があります。旧き生から新しき生を生み出すときには、必ず苦悩があります。涙があります。樹が芽を吹くとき、樹の皮に現れるものはまず疵です。苦悩です。次に樹脂||つまり涙です。そして新しい生なる五月の新緑が芽生えます。
わざわざ疵をつけて涙の価値を取出すことさえこの世の中にはあります。たとえば、ゴムです。ゴムは、ゴムの樹が幹に疵をつけられて苦しさのあまりにじみ出した樹の涙です。涙であるが故にゴムは柔かく、しかも、ねばり強く、辛抱強くあります。
涙の価値を払って、人生の意義を求める道理を人格化して、仏教で説いたものに、
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「自分がいくら骨を折って
苦学をして勉強していた一青年が、こう歎じました。実際彼が骨を折ってなしたことがみな無駄だったように見えました。彼はすっかり懐疑家になり、しばらく
「こうなったら、もう
青年はそう決心はつきましたものの、さて、その決心に添うような無駄事を探す段になって、はたと行き詰りました。世の中の事は何一つとして必ず何か用途を伴うもので、全く無駄というものはない。ふてて、ごろりと寝ていることさえ、身体の休養になってしまう。
消炭の屑は鍋釜の磨き料になるし、コロップの捨てたのは焼いて女の黛になるし、鑵詰の空鑵は魚釣りの餌入れになるし、玉子の殻はコーヒーのアク取りになるし、南瓜のヘタは彫って印になるし、首のもげた筆の軸は子供の
青年はふとラジオ店の前に立ちました。某水産技師の講演放送中でありました。
「みなさん、あの何万粒の数の子の中から孵って鰊になるのは、ほんの二、三匹に過ぎないということを聴いて驚かれるかも知れません。自然は何という無駄をさせるだろうと。しかし、それは人間の頭の考えであります。自然にしたらば、はじめからその何万粒の無駄を承知で、その中のいくらかの鰊の生を世に送るのであります。もし何万粒の無駄がなかったら、そのいくらかの鰊の生もないのであります。
従って自然においては、いくらかの鰊の生のために他の何万粒の犠牲は無駄どころか当然なかるべからざる用意なのであります。故に、自然は、その何万粒のどれにも厚薄のない同等の念を入れて世に送るのであります。それを無駄と考えるのは人間の頭であります。ここに自然の考えと、人間の考えとのスケールの大きさが違うのであります」
もう青年は、これ以上聴く必要はありませんでした。無駄をしまいしまいという考えは却って無駄をすることになるのだ。それはちょうど生きるだけの鰊の数しか数の子の粒を用意しないようなものだ。孵らないにきまっている。その中に無駄のあることを予想してかかる仕事こそ、却ってその無駄を意義あらしめる結果になるのだ。自然が何万粒の数の子を、いくらかの鰊として予算するようなものだ。そう考え付いた青年は、腕組みして、強い息を吐きながら、折りしも
「僕も、無駄を平気でやれるような人間になろう」
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純理より言うときは、世の中に誤解のないものはありません。どんな気心を知り合った人間同志の間柄でも、互いの性質が違い、年齢が違い、教養が違い、その時々の気分や頭の調子に変化のある以上、そう一つことを二人の人が全く同じように了解し合うということは不可能であります。この
人間の
これは、極端に現した二例であって、およそ普通の場合には、汽船なら汽船という
次に誤解について面白い原理は、この誤解があるによって、これを
先輩が自分の事業に賛成してくれない。これは自分の事業の性質に対する先輩の誤解である。そこでいよいよ説明説伏に努力する。製品の売行があまりに
これら誤解に大体、二種類あります。一つは消極的のもので、一つは積極的のものです。消極的の誤解というのは、今まで正解であったものが、より正解なものが出て来たので、変って誤解となったものであります。例えば天動説のようなものであります。昔は地球がじっとしていて、天体が動くとするのが正解としていたのを、天文学の発達によって、天体も動くが地球も動くというのが正解となって来たので、前の正解がたちまち誤解となったようなものであります||もっとも近頃の新科学では、計り方の土台の置き方で、どっちとも言えるということになって来たようですが、まだ常識知識にはなっていませんから、一応、上のように述べて置きます||。もし、これを人間の上の例に取れば、一人の青年があって、郷里にいるときはとてもぐずであった。それで郷里の人がその青年をぐずぐずと呼んでいたのは正解であります。ところがその青年が東京に出てから、持ち前の性質のよいところを出して精励恪勤の紳士になりました。こうなったとき、もう前の郷里のぐずの名は誤解であります。より真理なるものが出たので前の正解、たちまち誤解に変ったわけです。
消極的誤解の特色は、誰が見てもまたどこにもそれ以上の真理はないと思ったものが、後に、より真理なものが出て来たので、前のものが初めて誤解と判る点にあります。つまり不可抗力的誤解です。ところが積極的誤解となると、手を尽すか探すかすれば、正解に達し得られるものをいい加減にして置くか、感情に左右されて
不可抗力と思われる誤解さえ、人智の発達はこれを覆えして、正解を呼び起して行けることは文化史上の幾多の事実に徴しても明らかであります。まして可抗的誤解などに惑わされていてはなりません。私たちは真理に対する強い信頼の力を呼び起して、あらゆる誤解を掃蕩すべく励まねばなりません。これこそ人生の使命の一つであります。しかし、その掃蕩に当って心すべきことは、この章のはじめに述べましたように、誤解は人生の機構上、無尽に湧き起る性質を持っております。一を払えば一起り、尺を刈ればまた尺というふうに、遼々無限の荒野を行くようなものであります。この様子を、
「無明もなく、また無明の尽ることもなく」、無明とは、人間の不明の心で、人世に誤解をなさしむる元であります。「無明もなく」というのでありますから、一応、不明の心を刈り取ったところであります。すると、その次に「また無明の尽ることもなく」と説き返してあります。けれども刈り取り尽せることもないと言うのであります。この誤解の刈り取り、また生え延びするところを人生の常として説明してあるのであります。それならどこに安心立命はあるか。そのような無限の
それから最後の人世の秘密として取ってある仕掛けは、その「刈り取り、生え延び」の人生
口では、いろいろに言いますものの、誰しも誤解された時くらい、世にも
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むかし、あるところに老婆がありましたが、一人の禅僧に庵を建ててやり、衣食を送って修業を
若い腰元は庵室を覗いて見ますと、かの僧は室の
若い腰元は、試験も済んだので、老婆のところへ戻って行き、僧の
この話は、「
つまり僧の態度は、実在方面一方の人生の解釈で、まるで人間味がありません。これでは草木も同様です。それで老婆は俗物と罵って怒ったのでした。この老婆には大乗仏教的の鑑識眼があるというわけです。
禅宗の方の公案の研究というものは、ちょっと見ると非常識なやり方に見えますが、案外
ですから、あの若い腰元がもたれかかったのを実際世間上の場合に見立てれば、一人の女性に恋をし向けられた場合と見て取ってもいいわけです。その場合一人の男性として取るべき態度はいかに。この問題解決の研究です。無論その男性が、女性の恋を享け容れれば問題はありませんが、相手は見ず知らずの女性です。たとえ向うはこっちの男性をよく飲み込んでそれから恋したにもせよ、こっちの男性ははじめて会う女性です。少くとも心を打ち明けられたのははじめての場合です。こういう場合には、一人前の教養も、情操も、人情もある男性として、一旦は断るにしろあるいは永久に断るにしろ、相手の女性に恥をかかさず、さればといって自分の品位も
同じ断り方でも、その女性の気持ちを汲みながら、無邪気ににっこり笑って「あなたが私をどんなに愛して下さっても、私は仏に仕える身ですから、あなたの愛を受ける事が出来ません。さあ早くお帰りなさい」とでも言いきかせて、肩へかけられた手をそっと
仏教では、誘惑を避けて逃れるのは人生の達人でないと断定します。どんな誘惑の中に入っても、その誘惑に染まぬばかりか、却っていつの間にか、こちらからその誘惑をうまく支配してしまう。その効果を仏教では「
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勇気はその背後に信念がついていなければ正当に保つことも、永続させることも出来ません。論争するにしても、争闘するにしても、あるいは貧苦、煩悩を征服しようとしても、何か一定不変の信念を持たなかったなら、折角奮闘努力しようとする勇気も正当の勇気とならないで、蛮勇となり乱暴とさえなり終るのであります。正義の戦とか、御国のためとか、陛下の御ためとか、あるいは自分の奉ずる正しい主義のためとか、そういう確信を以て奮う勇気は、常に正々堂々として世の
楠正成が湊川の戦いに、みすみす負け戦と判っていながら、勇気凜々と戦場に立ち向ったのは、正成の心中、唯一点、忠君の念があったからであります。そして、戦敗れ、自刃する際に臨んで「七度この世に生れて君恩に報いん」とさえ誓っております。何という素晴しい勇気でしょう。「信念は人を鉄にす」という諺を立証した
古今東西に亘って輩出した哲人、偉人、英雄の殆んど大部分が、それぞれ信仰を以て心身の拠りどころとし、充分の活躍をなしたのは明白な事実であります。昔の名僧などで、信念の凝り固まったものには、悪人強盗はもちろん、猛獣毒蛇でさえ近寄れなかったと言い伝えられています。その際の名僧の畏れざる態度こそ一見消極的に見えますけれど、なかなか凡人に出来にくい沈勇というものであります。沈勇を持する人は非常に落ち付いて、しかも堂々たる威力をそれとなく発揮しているものであります。
凡人の心は、苦難に際し、誘惑迷妄に際し、誠にぐらつきやすいものです。その凡心を以て||日常しなれた事をなすには凡心で結構かも知れませんが||少くとも一大事業を成し遂げようとするならば、まず何かしっかりした信念を掴んでかからないと結局失敗してしまいます。明治維新の際から日清、日露の戦役当時にかけて、盛んに活躍した豪勇の将士たち、沈勇の大政治家たちの殆んど大部分は、あるいは禅により
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人間に心があり、心に感情がある以上、だれにも好き嫌いの気持ちがはたらくのはあたりまえです。それを好いてはいけない、嫌ってはいけない、と道学一ぺんに叱ってしまったら、目も鼻も撫でて延ばしてしまった顔のようなのっぺりした人間ばかりになってしまうでしょう。
松や桜や、梅や竹や、その百木千草の変化があって自然の風光が面白いように、人間に好き嫌いの気持ちの陰影があってこそ、むしろ人々の変化やリズムがあって面白い、世の中が単調に流れません。ですから好き嫌いは大いにあってよろしいのです。
ですがこういったあとで殊にも言い添えなければならないのは、くれぐれもその好き嫌いの気持ちに捉われてはいけないということです。捉われて、それをいこじに通して行こうとするとき、その人は我儘者になるわけです。
例えば「私はあの人は嫌いだから友達にしない。だからほかの誰でもみんなあの人を友達にしてはならない」というような、こんな嫌い方は絶対に我儘です。それはちょうど「私は松は嫌いだ。世の中から松なんか一本もなくしてしまえ、私は桜が好きだから桜ばかりにしてしまえ」というのと同じです。
これでは日本の風景にしても、吉野山や飛鳥山ばかりになり、須磨の眺めや明石の風光や松島の絶景はなくなってしまうわけです。それと同じように人間でも「私はあの人は嫌いだけれど誰々さんには好く見えるのかも知れないからお友達になっているのだろうからそれで好い」とこう気を落ちつけて、自分が嫌いなものを自分だけで嫌っていれば宜い。自分の嫌いな気持ちでその人を追いかけて行って、その人の好かれる場所まで入って邪魔をするなどは我儘な仕業です。それは世の中の調和を乱す者でありまして許さるまじき勝手です。この弊に落ち入ってしまった人は自分自身しまいには身のあがきがつかぬ窮屈な境遇に立ち至らなければなりません。
仏教では「
くれぐれも好き嫌いは自分および自分と同好同志の間柄だけに止めて置き、それによって天下の調和を乱さぬことです。
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試合をあまりに試合第一と思い過ぎ、凝り過ぎる結果は、却って硬くなり思わぬ敗を取ることがあります。
また練習を練習だけの張合いのないものと心得、身を入れなければ、いくらやっても
名将の言葉に「戦争は演習の延長だ」というのがあります。
日本曹洞宗の開祖、道元禅師のこつを教えられた言葉に「修業と効果とを二つのものに見てはいけない。修業しているそのことが効果であり、効果を得つつあるそのことが修業なのだ。なぜといえば人格の完成期は無限のものであり、いつが修業の終り、いつが効果の到着点ということがないからである。ひと座りひと座りの坐禅に刻々、全人格的の意義があるのだ」。(修証不二〔
これによると、試合と練習とを区別しないばかりでなく、その場その場の一モーションに全競技的精神が籠らねばならないのであります。
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私たち鰹節をナイフで削るときには、鰹節を
しかし、鰹節削りの鉋が出来て鰹節を削るときには、今度は鰹節の方を動かします。この場合には橋に譬えた鰹節の方を動かし、水に譬える鉋は動かさないのですから、「橋は流れて水は流れず」です。
物事は、時と場合で自由な考え方、自由な使い方をしなければならない。鰹節を削るのには必ず鰹節を握り押えて削るもの、すなわち「水は流れて橋は流れず」の一方ばかりの考え方に凝り固まっている人は、折角鰹節削りの鉋箱が出来ても、どこまでも鰹節の方を動かしてはならぬものとして、鉋箱を
しかし鰹節と鉋の関係の融通ぐらいは、簡単なことですから誰でも無意識に自然にやっていて、別に大した考えを費さなくとも済みます。しかしもっと重大な事件に出合うと人間というものは案外、習慣や型に捉われて、なかなか自由な考え方で適切な処置をつけかねます。そこで、そういう捉われた頭を変換さすために仏教の禅語で「橋は流れて水は流れず」というような奇妙な言葉を、わざと言い出して、ちょっと人の気を抜くのです。禅語にはかなり沢山、こういう奇妙な言葉があります。普通は「水は流れて橋は流れず」です。それを逆にしたのは、つまり、物事の相対性を言ったのです。私たちが日常向い合っている物事について、私たちが考えたり、行為したりする態度を自由にしなさいと
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敵が相手側にばかりあるかと思えば自分の中にもあります。自分の中にある敵を「反省」といいます。
「反省」が出て来るということは辛いものです。自分が二派に分れてその一方が今まで味方だとばかり思っていた一方の自分をたちまち衣を奪って追い散らすのですから、そして新しく起った自分の中の敵が
しかし、この苦々しさを身内で繰返して置くときは、外の本当の敵に向ったとき、もはや演習済みですから、大変楽です。その敵対処置を知っていてぴしぴしと節に当った処置が出来るのですから、反省の深刻なのは
敵となり味方となるのはまだ縁のある方だとするのが大乗仏教の建前です。敵でもなし味方でもない中途の相手が一番自分にとってつまらない無意義な存在です。
法華経
はじめ先生にひどく楯を突いた生徒が、何かのきっかけでうって変った仲好しになり、卒業後も永く交際を続けて行く例など、案外たくさん聞くことです。そうして、その当時の同級生でただ馴染んでいたものは却って、それきりになってしまっているというのです。
この道理から推して、「敵を一番憎む方法はその敵を何とも思わないことだ」といった人があります。深刻な言葉です。
敵でも本当に力が出し合える敵なら、敵ではなく先生です。負かされて感心するような敵を見出したいものです。
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人の一生を量ってみて、
長い一生の収支決算まで待たなくても、現在、その日その日に不平は随分あることです。「これほど勉強しているのに、ちっとも認めてはくれない」「嫌な人達に頭を下げなくてはならない」「仕事がはかばかしく捗らない」「家庭が一向面白くない」「お金の入る片端から出て行って、これでは何のために働いているのだが[#「働いているのだが」はママ]
今まで書き並べました不幸とはまた違ったこれほどはっきりしていないしかも慢性の不幸というのがあります。「なんだかいらいらする」「すっかりくさった」「どれもこれも癪に触って」といった種類のものです。これは突発的な精神の打撃にはなりませんけれど、その代りに精神を虫食む度合が
これをどうしたらいいでしょうか。
もちろん、その原因は個人の上ばかりでなく、もっと広いところにあるというので識者たちが折角、研究努力しつつありますものの、それを待ってばかりおられません。そして、いつの世の中でも、世人全部満足だという世の中は歴史を見てもあった
ではまず第一に自分を救う、すなわち自分の不平、不安、失望、落胆、恨み、呪い、······などを征服するには、どうしたら良いでしょうか。それには、その
貪というのは、人間の本能欲です。眼前のいろいろのものを、惜しみ、欲しがる我欲です。瞋というのは、いろいろのことに怒ることです。他人のことに口惜しがり、また決して許すまじと思い募る激情です。痴というのは馬鹿のことです。私たちの心の最奥には
以上三毒を仏教の修業法によって転向浄化して行くのです。仏(宇宙の大生命のこと。自身内部にある人格完成の芽もこれを仏性と言う)を念じ、無心無我となって、心を澄ますとき、この三毒の善用法が判って来るのです。皆さんは、悲しいとき、口惜しいとき、欲しいとき、馬鹿らしいことをしたとき、澄み切った大空や、漫々たる海上を眺めたことがありませんか。悠久無限を想わせるようなものに面すると、私たちの欲望、怒り、知識経験の如何に小さく、つまらないものであるかを嘆じ、慎ましくなるか、あるいは、朗らかになって一大勇猛心の湧くものです。仏というのは、その大空や、大海はもちろん、天地間のありとあらゆるものを引っくるめての宇宙の大生命体を指して言うのです。そして、この宇宙の万物は「
ですから、その仏を念じ、その仏の目的を覚り、その進行に身を委ねるときは、貪は転向浄化して一切の善を求めて進み、瞋は転向浄化して一切の罪悪を断ち、痴は払いのけられて仏智現れ、ここにおいて天地間の大生命と、自心内部の赤裸々な仏心(人格完成の芽)とが手を取り合うのであります。この法悦の刹那を、絶えず自分の心身上に喚起し続けるのが仏教の修業法で、かくして日々の生活の一挙手、一投足が、自分のためにもなり、
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ものごとを軽く考えても当を得ません。重く考えても当を得ません。軽からず重からざる考え方こそ至当だと思います。
しかし、人間の性質により、また同じ人でも時によって、ものごとを軽く考え過ぎたり、重く考え過ぎたりすることが往々にしてありがちです。ですから、誰でもその時、その時の心に注意して、心があまり軽からんとすればこれを制禦し、心があまり重く沈滞せんとする時はこれを促進させるよう努めなくてはなりません。仏教でこれを言い現すに「即処に主となれ」とか、あるいは「念々」とかいう短い言葉につづめてあります。「念々」とは一刻一刻の心を
誰か昔の偉人の言葉に、「あまり無頓着にやった仕事も本当でない、あまり凝り過ぎた仕事も本当の仕事でない」というのがあります。これは至言であると思います。
よく誰でも「どうも考えがこんがらがってしようがない」とか、「気持ちが流れないで鬱屈する」とか言います。これを他の言葉に言い換えれば「生命が停滞して流露しない」ということになります。すなわち、心の流れによって人間の心理が一歩一歩おし進められて行き、呼吸と血液の脈動とによって肉体が新陳代謝を行い、両々相俟って自己の生存を遂げて行くところのこの大切な生命の流れは、その原動力なる心の流れと呼吸血流の遅速によって非常の影響を受けるのです。
人間の生命の流れを、水の流れに譬えるならば、あまり水の流れが急速に過ぎれば浮んだ船を覆えし、あまり水の流れが沈滞し過ぎては、船の運行を止めてしまうように、あまりものごとを軽く考える時は生命の流れが急速に流れ過ぎて生命をして危ながらせ、遂には誤まれる方向におし進めることになり、反対に重く考え過ぎれば生命の流れをよどませてその働きを減じさせてしまうことになります。
ちょっと考えて見ると、何も、軽く考えようが重く考えようが大したことはないと思われますが、事実は以上のような「差」が出ます。常に念々=心の検討を行い、即処に主となれ=その場、その場に正念の持ち主となって、疑念妄想を排除し、自由適確な心持ちで暮して行くことが大切だと思います。
仏教でよく修業を積んだ人の所業を評して、「
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母という不思議な存在を
子よ、あなた方、はっきりと
意識のなかに入れていますか
母という不思議な謎を
子よ、あなた方、はっきりと
解き得たことがありますか
母という存在は、子にとってあまりに大きく
意識のなかに畳み入るべく
あまりに大きく
母という謎は
解かんとして解き得べく
あまりに深く濃 かき謎なり
さらば、母なる我の
子をおもう母のこころを
語りてもみん
折から東京の外 の面 は秋雨
うすら冷たく庭草 の濡れそぼつなか
眼に入るは、つわぶきの花の黄のいろ
子よ、と呼びかくべくあまりに遠い
我が子は、ふらんすの
巴里 の都に
子よ、と呼ぶ声より先に
我が眼には、早や涙
秋雨にふるるつわぶき
あわれつわぶきの黄金 の花よ
その花の黄金色こそ、稚き日の子がいでたち||制服のぼたんのいろに
制帽の徽章 のいろに······
あわれ子よ
お茶喫 むか、巴里の都に
絵を描 くか、巴里の都に
お茶のみて母をや忘るる
絵を描きて母をや忘るる
忘るるも、よしやわが子よ
にっぽんの雨降る夕
つわぶきの花をみつめて
母はおまえを懐かしみ泣く
母は今宵、外出します
黒いドレスに赤い小粒の首かざり
おまえが母に一番似合うと言った服装
母はおまえの取りわけ懐かしいとき
おまえの好みの服装
お前の好みの髪の梳 りかたをする
母はときどき掌 を見る
おまえを育てた時
おまえのおしりをときどき叩いて叱ったおもい出
叩いたのも
撫でてやったのも
愛情だった、みんな、みんな、愛情だった
そうしてお前は好い児に育った
今は巴里の
尖端画壇 の中堅作家
お茶喫むかわが児よ巴里に
絵を描くか、友と語るか
日本の母を忘れて
忘るるもよしやわが児よ
育ち行くおまえの命、才分 の弾ぜ溢るるに
何 しかも母の事など
忘るとも、よしやわが児よ
おまえが母は「母観世音 」
おまえが母を忘れていても
おまえの母の「母観世音」
いつもおまえを忘れていない
宇宙の母性も観世音菩薩
衆生 の母性も観世音菩薩
衆生が呼べばたちどころに
難を救うは観世音菩薩
悲しき時は母の名を呼べ
おまえの母は「母観世音」
たとえ常には忘れていても、悲しき時には母を呼べ
ああ、にっぽんの秋のくれがた
冷い雨が降っていますよ
つわぶきの黄いろい花が眼に沁みる
[#改ページ]子よ、あなた方、はっきりと
意識のなかに入れていますか
母という不思議な謎を
子よ、あなた方、はっきりと
解き得たことがありますか
母という存在は、子にとってあまりに大きく
意識のなかに畳み入るべく
あまりに大きく
母という謎は
解かんとして解き得べく
あまりに深く
さらば、母なる我の
子をおもう母のこころを
語りてもみん
折から東京の
うすら冷たく
眼に入るは、つわぶきの花の黄のいろ
子よ、と呼びかくべくあまりに遠い
我が子は、ふらんすの
子よ、と呼ぶ声より先に
我が眼には、早や涙
秋雨にふるるつわぶき
あわれつわぶきの
その花の黄金色こそ、稚き日の子がいでたち||制服のぼたんのいろに
制帽の
あわれ子よ
お茶
絵を
お茶のみて母をや忘るる
絵を描きて母をや忘るる
忘るるも、よしやわが子よ
にっぽんの雨降る夕
つわぶきの花をみつめて
母はおまえを懐かしみ泣く
母は今宵、外出します
黒いドレスに赤い小粒の首かざり
おまえが母に一番似合うと言った服装
母はおまえの取りわけ懐かしいとき
おまえの好みの服装
お前の好みの髪の
母はときどき
おまえを育てた時
おまえのおしりをときどき叩いて叱ったおもい出
叩いたのも
撫でてやったのも
愛情だった、みんな、みんな、愛情だった
そうしてお前は好い児に育った
今は巴里の
お茶喫むかわが児よ巴里に
絵を描くか、友と語るか
日本の母を忘れて
忘るるもよしやわが児よ
育ち行くおまえの命、
忘るとも、よしやわが児よ
おまえが母は「
おまえが母を忘れていても
おまえの母の「母観世音」
いつもおまえを忘れていない
宇宙の母性も
衆生が呼べばたちどころに
難を救うは観世音菩薩
悲しき時は母の名を呼べ
おまえの母は「母観世音」
たとえ常には忘れていても、悲しき時には母を呼べ
ああ、にっぽんの秋のくれがた
冷い雨が降っていますよ
つわぶきの黄いろい花が眼に沁みる
厳父、慈母と言って、父親は厳格、母親は慈しみ深いのが特色のように極められています。またそれが男親と女親との愛の表現の違いのようでもあります。
しかし、おのおの特色の一色だけを現しているときは、ちょっと、その特色の裏に用意されている他の特色の部分が気付かれないのであります。そして、ちらりと裏が覗かれるとき、思わず外部の特色の根に複雑な用意仕掛けがしてあるのを認め、その用意のために外に表れている特色が根強くしっかりとしていることが判るのであります。
私がある知合いの家の奥さまにお招ばれしたので、ちょうど時間にお訪ねしました。ところが、どうしたことか奥さまは留守で、御主人と小さいお嬢さまとだけおられました。御主人は私のお訪ねしたのを御覧になりまして、「これはいいところへ来て下さった。実は男の手で弱っているところでした」と言われました。見ると御主人がお嬢さまにお化粧をしておあげになっているのでした。がしかし、お嬢さまの顔は、小猫がセメント樽へ首を突込んだような顔になっているのでした。
おかしいのを堪えて私は、ひかえめにお化粧を直してあげながら
時間が迫るのに仕度をして貰うお母様も女中も帰らない。お嬢さまのしょげている様子を見て、御主人は堪まりかね、男の手でも出来ないことはあるまいと、お嬢さまに外出の仕度をしてあげようとされているのでした。
「
私は、もう笑えなくなりました。不断、無精な気難かしやでとおっている御主人が、
そのうち奥さまが帰り、仕度もずんずん済んで小さいお嬢さまは無事にお茶の会へ出かけられましたが、その後で、奥さまは御主人に向って、「あなたにも、そんなこまかい気持ちがあるんですかね」と、不思議な顔をして訊ねられます。すると御主人は、もう平常のむっつりやに返り、黙って笑いながらのそのそと仕事部屋へ入って行かれました。
硬中の柔、柔中の硬、などと言って、ただ一片の偏った硬なり柔なりでは、大生命(宇宙の万物が運行して行く力)の性徳を完全に映したものではありません。生命の一つの特色がさし当って目下の場合は硬であっても、実はその中にいつでも柔の用意がある。この自由円通を備えていて、はじめて自分は大生命に繋がる生命の一部なのです。そしてその生命の裏に用意されている他の部分が、時と事情により、われ知らず表面へ覗き出て来ます。
ほろ苦き中に味あり蕗 の薹
この句は父性愛の譬えとして好適の句だと思います。[#改ページ]
兄弟というものは、本当に妙なものです。同じ腹から出たという根拠の下に、千篇一律に扱われがちです。世には性質も、顔付きも、趣味も、身体も、一見同じように見える兄弟姉妹も稀にはあるでしょうが、それは外見だけで内部はかなり異っているでしょう。それにそんな兄弟でも成長とともに随分違って来るものです。大抵の兄弟姉妹は、世人と同じく千差万別で、中には全く正反対なものもあります。それが同じ家庭内で、相当の歳(独立する年齢)までともに暮すのですから、互いの間によほどしっかりした心配りがないと、
日本の家族制度上、兄弟愛を特に親子の愛の次に親密のものと考えられる傾向がありますが、その弊害か、兄弟だという
仏教は一切衆生を兄弟として認めておりますが、特別に
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自分には自分の特長があり、他人には他人の特長がある。自分の特長は他人とくらべてどういうところにあるか、それを自覚し見定めることの確実さ、不確実さによってその人の一生には無駄がなく、随って有意義に一生を使い得ると思います。
しかし、何が自分の天稟に備わっているのか、何が他人にくらべて自分の特長であるか、それは、なかなかたやすく自覚し得るものではありません。ともすれば、他人のした事他人の獲得した良果を見て、盲目的に自分もまた、それと同じような良果を獲得しようと欲求します。そして、思慮分別もなくあせります。
一面からいえば「勉強が天才を作る」という諺さえありますから、勉強さえすれば他人のした事はなんでも自分に出来ないわけはないはずです。しかし、それは一般の人々の人生の方向を極める時の役には立たないと思います。勉強して天才と同じ効果を獲得したというのは、その人の隠れたところに勉強したためにその修業の成功を致させる性質が潜んでいたのかもしれません。そういうことは往々にして有りがちなのですから、しかし、そういう幸福に当らなかった人はどうでしょうか。眼のたちの悪い人が刺繍で成功しようとしたり、足の短い人がマラソンの選手を志したりする無謀は避けなくてはならないでしょう。
幼年時代から好きな道があり、それに添って歩んで行くことがその人の成功であったりというような人は別として、多くの人はある時期において「さて自分は何者になったらよいか、何業が自分の性質に適するであろうか」を冥想しなければならぬ時期に行き当るでしょう。そういう時、人々はどうしたら宜かろうか、ある人は目上の人に相談に行き、ある人は学校の師の許へ出掛け、友達や両親、兄弟などとも懇ろに謀るでしょう。それらも宜いかも知れません。しかし、結局の掛るところは自分自身の覚悟するところ、決断するところにあるでしょう。いくら他より観察して貰うにしても「この畑地には比較的野菜を蒔いた方が適するだろう」くらいのところまでしか助言を得られないでしょう。進んで野菜のなかの何種類が適するかというところまでいい当てては貰えないでしょう。またそれより進んで自分以外のものの選定に自分の天分の見わけ方や、自分の天性が欲する生涯の選択を任すのは、自分に本当に忠実なものとはいえません。結局が自分です、自分に真に依拠すべきです。
さて、私は今、人々を自分にしっかり依拠するように勧め勧めてここまで筆を運んで来ました。ところで人々は「では自己とは何ぞや」と改めて私に聴かれはしますまいか。されば「自己とは何ぞや」。自己とは、まずこの我が肉体によって差し当り象徴され、かりに形づくられています。しかしながら、今一だんと自問自答を突きつめて「では本当の自己とはどこか体の一部分にでも潜んでいるのか」「手に聴いてみよ、足に聴いてみよ、鼻に、口に、耳に、背に、膝に」「どこにも答えなし」「では残った頭と胸と腹に聴け」「腹は落ち付き、胸は騒ぎ、頭は重きのみ」。
ついに見出し得ない自己の代りにそこへ大きな虚無がくちを開けた。しかし、力を落してはいけない。暫時その寂漠に堪える人には忽然と湧く一念があって、その虚無のくちをふさいでくれるでしょう。この一念は自己の片割れである。この一念をまず捉えよ。そしてそれに合する外界の念を呼ぶべし||つまり南無と唱えて仏への祈願をこめるのである。この時唱える「南無」(「南無阿弥陀仏」を現代語にいい換えれば「光明と叡知よ、今、我に来れ」)は、この時に適した行進曲ともいい換えられます。ここの仏をいい換えれば、本当にこの自分を形作り、この世に出した宇宙の根本生命の当体だというのであります。
自分の内部に起った懸命に自己を尋ねる一念と、その一念が呼んだ外部の念が祈願に依って合するところに真の自己は生れる。その自己がその刹那において直覚したものこそ、真に自己の声、自己を証明する声、真の自己が自己に呼び掛ける声、教える声||しっかりその声を聴取なさい。雑念の蔭にその声を逃してはなりません。
人、ひとたび自己の信念のもとに、自分の職業なり技術なり芸術なり商業なり農業なり、ともかくおのが志すところを極めたら必ず低迷躊躇しないことです。欲望を整頓し心を端然と正して一途に自分の方向に行かなければならないことはもちろんでしょう。私が今さら、ここで筆を執って書くのもおかしいくらいあたりまえな事でしょう。ですが、このあたりまえな事をあたりまえに
かの鎌倉時代の禅宗の高僧、道元禅師という大知識が、すでに至高の修業を積まれた上、三年の間支那へ留学されました。その時代の支那は前代の唐時代よりやや衰えたとはいえ仏教隆盛国として、我国から時々留学を志して渡支致しました。禅師もその一人として如何に稀有な奇抜な卓説を持ち帰られるかと人々は待ち構えていたものです。しかるに、当の禅師にありましては却って淡々として答えられました。曰く「眼横鼻直」。
これを直訳しますと、「人間の顔の眼は横につき鼻は
梅の樹に梅の花さくことはりを
まことに知るはたはやすからず
たんたんたる歩みを運んで、自分に与えられたたんたんたる道を行くことは一見非常にたやすいようですがなかなかそうでありません。ちょっと道に花がある、停ち止って眺める。ちょっと岐路がある、そこへ曲り込んだらどこへ行くかと好奇心を起す。それからまたたんたんたる言葉をもって過不及なしの話を語りつづける。これもやさしいようで難しい。人間は、ともすれば誇張したり妄言を吐く性癖を持ち合せています。まったく人間というものは自分ながらつくづく持ち扱いにくいものであると思わざるを得ません。その始末の悪い人間が、心を落ちつけて、対象物を明瞭に視てつまるところ、人間の顔は眼が横につき鼻が竪についている、というような確実な正常な認識を得て一毛だも動ぜぬ人生の鑑識を備えます。これは大した修業の結果です。しかしながら、この大盤石量の達観は持ち得なくとも、常にこの理を心に置いて人生の間違いない生き方をする。そして、もし自分が「眼」のたちの人間でそれに相応した業務をもち、それによって成果を得られるならば、「鼻」のたちの人がそれによって得られる成果を羨望しないところに、この人生の良き現実の世界が在り、自他の区別が整然とついた立派な差別相が保てるのです。まことに知るはたはやすからず
モルモットを擬人法に書いた童話の作が私に在ります。そのモルモットの若い息子が、自分達種族に他の獣類のような尻尾を持ち合せないのを不平に思って、親の家を無理に出て広い世界の獣類のなかへ、自分に付ける尻尾の毛を探しに出て、ある時大滑稽を演じて他の動物のもの笑いになって恥しめられたり、時にはまた大変な危険に会ったりとうとう元来尾のない性の者が尾を欲する間違いを悔悟して親の家へ帰るという筋ですが、自己の領域以外他人の領域まで冒して自他の境界を乱す者への誡めともなろうかと思われます。
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ひとくちに慈悲ぶかい人といえば、誰にでもものをやる人、誰のいうことをも直ぐ聞き入れてやる人、何事も他人のために辞せない人、こう極めてしまうのが普通でしょう。それはそうに違いないでしょう、それが慈悲ぶかい人の他人に対する原則ですから。
しかし、原則というものは結局原則であります。ものごとがすべて、原則どおり単純に行って済むのなら世の中は案外やさしいものです。お医者でも原則どおりですべて病人が都合よく処理出来るなら、どのお医者でもみな病理学研究室に閉じこもっていれば世話はありません。なにも、面倒な臨床学など習って実地研究の何年間など費す必要はないわけです。ところが、その必要がある。ありますとも、そこが臨機応変、仏教のいわゆる、「時、処、位」に適する方法において原則を実地に応用しなければなりません。
本当の慈悲とは、ここに本当にものを与えるに適当な事情を持つ人がある。その時、その人に適当な程のものを与える。それが本当の慈悲であります。ここに一人の怠け者があって、それが口を上手にして縋って来たとする。その口上手に乗ぜられ、ものをやったとする。それは慈悲に似て非なるものであります。おだてに乗った、うかつものの愚かな所行です。そんな時、ものをやる代りに、そのなまけ者のお上手者の頬に平手の一つも見舞ってやる。誡めになり発憤剤になるかもしれません。その方が本当の慈悲です。
人のいうことを聴けば宜いといって人を甘やかすばかりが慈悲ではありません。お砂糖ばかりで煮たお料理は却ってまずい。一つまみの塩を入れてたちまち味の調和がとれるではありませんか。時には、いつくしみのなかに味一つまみの小言もいれなくては完全の慈悲とはならないでしょう。
愛情ばかりで智慧の判断の伴わない慈悲は往々にしてまた利己主義の慈悲になります。折角、自分は善良な慈悲心でしているつもりのことが、利己主義の慈悲心になっては残念です。
トルストイの作品のうちにあった例だと思います、何の職業をしている人だったか忘れましたが、とにかく慈悲を心がけて暮しているある男がありました。ある冬の夜、非常に天候が荒れ(あるいは雪の夜だったかもしれません)ました。慈悲深い男は、家外の寒さを思いやりながら室内のストーヴの火に暖を採り、椅子にふかぶかと身を埋めて静かに読書しておりました。と、家外の吹雪の中に一人のヴァイオリン弾きの老爺の乞食が立ち、やがてそれは寒さのために縮んで主人の室の硝子扉に貼りつくように体を寄せました。主人はもとより慈悲の心で生きている人です。しばらくヴァイオリン弾きの乞食姿をあわれと思って見ておりましたが、やがて意を決して硝子扉を開けました。主人はそして、ひたすら恐縮するヴァイオリン弾きを室内へ招じ、暖かい喰べものを与え、ストーヴの火をどんどん焚き足して長時間吹雪のなかにさすらってこごえて来た乞食の老爺の体をあたためてやりました。
翌日、その翌日となり雪は晴れ道もよくなりました。ヴァイオリン弾きの老爺はしきりに主人の邸内から辞してまたさすらいの旅に出ようとしました。しかし、主人はきき入れませんでした。どこまでも、自分の邸内にとどめて可哀相な乞食音楽師を安楽に暮させようと心掛けました。それにもかかわらず老爺のヴァイオリン弾きはしきりに辞去したがる。するとなおさら主人は引きとめる。ほとんど強制的にひきとめる。
ある夜、主人はヴァイオリン弾きの老爺が、突然無断で邸内から抜け出し、どことも知らず、逃げ失せたのを知りました。「ああ、彼は、やはり空飛ぶ鳥であったか」。こう気がついたのは、主人であったか、読者たる私であったか忘れましたが、とにかく利己主義な慈悲の例証にこの話は役立つものです。すなわち、主人は、ヴァイオリン弾きの本質を達観し得なかった。彼の放浪的な運命をつくった性格を見透さなかった。彼の生き方は、どんな憂き艱難をしても、野に山に、街に部落にさすらって歩くのがその性質に合う生き方なのでした。そういうものには、そうさせて置くのが好いのです。彼の幸福は、決して暖衣飽食して富家に飼われ養われている生活のなかには感じられなかったのです。彼は主人に引き留められているうちどんなに窮屈であり、旅が、さすらいが恋しかったか知れないのです。彼は主人の好意がむしろ迷惑だったでしょう。主人の慈悲は彼にとってむしろなくもがなの邪魔だったでしょう。
それにもかかわらず、主人は自分が慈悲を行っていることに満足を感じていたでしょう。自分の「志」を立てることばかり考えていた主人は、それがために相手が、どんな不自由や迷惑を感じているかに気がつかなかったのです。つまり自己満足、利己主義の慈悲とはこういうことなのです。
有難迷惑の好意についても一ついえば、某外国に一百六十歳近い長寿者がありました。皇室ではそれを
要するに本当の慈悲とは、相手の立場や本質を考え、自分の慈善的感情本位でない
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愛しようと努めたとて、なかなか愛し得るものではありません。愛は花のようなものです。ひとりでに心の中に咲かなければならないものです。花は温かい季節に多く咲きます。心の季節の温かい人は愛の花を多く心に持つわけです。心のあたたか味は何から湧くでしょうか。理解からだと思います。理解を広くしようと心がけている人が世の中を最も広く愛し得るわけなのでありますが······しかし、ここに、感覚というものがあります。感覚の非常に強い人は、なまなかの理解ぐらいでは愛し得ざるものに愛は起し得ません。その人の愛は「道徳の愛」とは違うのですから。ですからそういう人は狭くとも深く愛して行くその人の傾向にまかせるよりほかはありません。詩人などにこういう性分の人は適当するのですが、一般人のなかに立ち交って随分不自由しなければならない性質でしょう。人間はいろいろな性質につくられているのですから仕方がありません。道元禅師という昔の禅宗の高僧は「この感覚」の自由さえみとめられました。仏教が「道徳教」でない証拠です。生きた、自由な、真実な軌道に添っている宗教である証拠です。
憎みは大概、自分にとって都合の悪い対象者に向って湧く人情です。たとえば、自分の子をいじめる
ことごとく自分に都合の悪いものを憎むのは人間の本能の利己的感情がそうさせるのでありますが、世の中は自分に都合の悪い存在者が一ぱい居るといって好いほどです。その者達をいちいち憎んでいては、第一自分の気持ちが苦しくてやり切れないでしょう。一歩利己的感情から退いて理解の上に停って見たらどうでしょう。よしんば自分の立場から見て都合の悪い存在者でも、その者にはまたその者の立場があり理由があって生存していることが判るでしょう。
といっても利己主義や、憎みはやはり人情の本能ですから、なかなか全部たちどころに捨て切れるものではありません。憎みは憎みとして胸に持ちつつ、少しでも理解の掌でその胸を撫でながらとにかく自分の立場を保って行くことです。すると、ただの憎みの結果とはよほど違う余裕をもってその対象者にも好感を与え、それがやがて、自分の立場を保つ立派な砦となるかも知れない。ただの憎みは獣の憎みです。相手に牙を剥かせるばかりです。却ってますます身を危地におとしいれるだけです。
この憎みにもまた変態があります。たとえば、手におえないやくざ息子などあります。母親はそのやくざに欺され欺されして常にむだ使いのお金などねだり取られます。それにも拘らず、孝行な他の賢い子より、そのやくざで嘘つきな息子の方が可愛ゆくて憎もうとしても憎めない。
これは仏教でいう「人間の
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性欲は人間の三大本能(食欲、睡眠欲、性欲)の一つであります。そして他の二欲と違って、年齢により著しき消長があります。青年期から壮年期にかけて強く、少年期はまだ現れず、老齢になるに及んで減退するものであります。この性欲の根本使命は、種の保存、子孫繁栄にあるようですから、これを今さら取り立てて説明研究する必要はありません。ただ注意としてそれが非常に惑溺性を帯びておりますが故に、少くとも人間である以上、理性を以てこれを調整して行かねばならないと言うにとどまるのであります。
が、ここに性欲の別の見方、重大な活用法があるのでありますから、性欲もなかなか放置して置けません。
最近医学の進歩につれて、この性欲なるものは、人体内の諸所より血液中へ分泌される内分泌物、すなわちホルモンの司る作用であって、そのホルモンが血液に混じて体内をめぐり、一方性欲を惹起させ、他方また精神、肉体を強靱ならしめていることが実証されて来ました。そして性欲を濫費する時は、ホルモンの減少を来し、従って肉体精神の衰弱を来すことになり、これに反して、性欲を矯めて、ホルモンを適当に保存する時は、ちょうど、草の尖端をつめて、幹を太らせるように、精神力、体力を充実させ、それによって偉大な事業、絶大な忍耐、神聖な生活道程をなし遂げ得るのであります。
仏教では、この性欲などを三毒(貪・瞋・痴)のうち、貪(むさぼる本能欲)の中に入れて餓鬼の性質にしていますが、この貪を転向浄化せしむる時は、一切の善を求めて止まざる性質となりまして、遂には完全無欠の人格者すなわち仏陀の位にまで達せられると言うのであります。すなわち、この貪の性欲があればこそ、これを利用すれば人格完成の最後の幸福境に達せられるのですから、性欲の取扱い方もここにおいて非常に大切になって参ります。
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子供は大抵中性です。中性というのは男性的なところも、女性的なところもあるものです。
それが年を経るに従って、男性、女性を発揮して参ります。男性には剛健の肉体、鬱勃たる勇気、不撓不屈の精神、鋭敏な決裁能力などが盛り上って来ます。女性には柔軟な優しみ、惻々たる慈悲心、風雅な淑かさ、繊細な
この両方の特長を兼ね備えるということは人格が完成された完人に望まれることで、中途半端な私たちにはなかなかの難事であります。そこで男女はおのおのその特長を持って助け合い、両性の協調で人格完成に近づこうとします。
普通これは結婚した夫婦の形式において協調して行くのですが、男女はもとからおのおの一方の特長を持っている人間ですから、物心がついて性の相違を意識する時期には、本能的に自分に欠けたものを補おうとして異性が互いに慕い合い、近づきたがります。その熱烈なのが恋愛であります。
恋愛は人間の本能でありますから善いも悪いもありません。ただ自然の事実です。そして各人各様、遺伝も違い性質教養も違うのですから、この発作がある人もあれば、ない人もあります。これもまた、自然の事実でいずれが善いとか悪いとかするわけのものではありません。ただ恋愛については、次のごとき注意が要ります。恋愛をする人は大概年が若いのですから、それに溺れやすいのです。溺れてしまえば一所停滞であって、宇宙生命の根本原則である人格完成へ向っての進化発展の道に叛きますから、人間としては堕落です。故に恋愛に陥ったら、この根本原則に鑑み、結婚に入って早く協調助力に便利な境遇を作ることです。また、真の恋愛は、終世結び合って憾みのない、男女互いの人格を信頼し合える極めて清貞純真なものでありますが、これが一歩誤まると、性欲のためにそそのかされたり、あるいは一時の感激に駆られたり、また恋愛のための恋愛などという浮気なものがありますから、強いて好んで近寄るべきものではありません。因縁のある人が避け難き運命の下に、恋愛に遭遇して、止むを得ず取り上げるようにしてはじめて必然性が見出されます。また恋愛なくとも、結婚してから充分心使いによって、愛ということは生み出され味わえるものですから、恋愛のなかった生涯だといって寂しがることもありません。すべては人間人格完成を目標にして考えれば間違いはありません。
釈尊のように人格が完成された人になると偉大な中性であって、男性のよいところも女性のよいところも、みな持つようになります。
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婚約ということは、殆んど結婚したも同様で、婚約してしまった後で、また取り消すということは、人情的にも、法律的にも面倒です。だから婚約する前にまず充分調査して、後でまごつかぬようにしなければなりません。
ここに一人の若い女性があって、夫を選ぶことになりました。やがて候補者が見付かったので、彼女は自分でも、八方手を尽して、その男の身元、素性、性癖、能力、健康、収入等を知ろうと努めます。また彼女は、身内の者および友達の調査や意見も聴きます。そうして最後の判断は自分の覚悟で決めます。つまり出来るだけ智慧を働かしたのち、決心をつけるのが順序であります。
もし、この順序をあやふやにして、全部人任せだったり、又は、ろくろく調べもせず、ただ覚悟ばかりで婚約し、間もなく結婚に飛び込んだとします。その結果が良かった場合は、稀な幸運としても、大抵の場合は結婚成績が予想外に不良なもので、例えば
反対に、これがもし、充分手を尽した上のことであってみれば、いわゆる、人事を尽して天命を待つというところまで念を入れたものであったなら、たとえ不成績が襲って来ても、これ以上は出来なかったのだ、自分にとって不可抗力なのだ、と綺麗に諦めがつき、身内や友達の責任まで、自分一人で引き受けてしまって、不成績な荒筵の上にも悪びれず座っていれば、自ずと心に余裕と元気が湧き、まあ、物は試しだ、切り抜けられるところまで切り抜けてみよう。どうせこの家の主婦として運命付けられた以上、
この八方手を尽して充分の調査をすることは仏教での
仏教では俗諦すなわち世間的の知識経験を非常に重大視し、これを欠くべからざる必要物としますが、なおその上に真諦すなわちものの真実を確認することを
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青年男女が相当の年配に達すると、自然と起る呼び声があります。「いつまでぐずぐずしているのだ。もう身を固めてもよかろう」。それは
それは全ての人間の内部に潜む人格完成の種子が、時期来ってますます芽を伸ばさんとし、それと呼応して全宇宙に漲る大生命の
結婚するに際して持参金目当てとか、家門のため、子孫繁栄のため、生活能率増進のため、放蕩防止のために結婚しようとするのは浅はかな考えであります。目的はもっと重大な人格完成にあります。かくして青年男女が、最も信頼するに足る媒酌人や神仏などの一種の権威の立会いの下に、いよいよこれからの二人の生涯を一緒に合せて、それを連帯責任として永遠に負担するということをハッキリと誓うのであります。恋人同志間でも、お互いに助け合って行こうと言い交わしますけれど、その意志や感情は実生活上のいろいろの事情のために妨げられて、どんなに変化するとも知れませんから、二人の結束もいつ破れるか判りません。結婚はその危険に対して防衛すべく、保証人を置いて天下に二人の意志継続を宣言するのであります。
新婚当初の愛は、まだ本当の意味の夫婦愛ではありません。殆んど普通の恋愛に近いものでありましょう。しかしその華やかにして遠慮がちな新婚生活は、一心同体となって勇ましくも
恋愛は、男女対等の立場に置かれて、しかも異性としての特長がある限度までは相反する方が却って両者の愛は増すのであります。これと反して夫婦愛はなかなか複雑なものではあるが、いずれか自我を捨てて無我となり、両者一身のごとく融け合って、遂には、性的愛着から解脱するものさえあります。
故に結婚当初、恋愛生活を夫婦愛と間違えていたものは、結婚後二年、三年、五年と経つうちに、余りに身近く打ち融けてお互いに異性としての魅力もなくなり、兄妹のごとく、師弟のごとく、母子のごとく、友達のごとく、感じて来るのに唖然として新婚の快い夢が覚めるのであります。この時が結婚倦怠期であって、最も戒心を要する時であります。相互の矛盾欠点が眼に立ち、赤裸々の男女が鼻突き合せて、遠慮会釈もなく、ザックバランに、二人が本当にこれから先きの長い生涯を一緒に暮し得らるるや否やを吟味するのであります。その刹那こそ真剣にして悲壮な場面であります。この際、男の社会的地位も事業も風采も何のたしにもなりませんし、女の器量も表情も勘定のうちに入りません。ただただ赤裸々な一男性と、一女性とがお互いの愛と、ともに担い合う意力とを吟味するのであります。かくしてお互いが信頼し得るものと決定したとき、その決定は仏教の真諦に相当するものであって、物の真実性を認めたものであります。決して誤算がありません。この時の結合はもはや人智や意志の結合ではなくて、因縁の理による自然力の結合であります。私はこの結合を機として、本当の夫婦愛、本当の夫婦生活が始まるのだと思います。この結合にまで到達した夫婦の愛は、水中に魚の泳ぐがごとく、山に樹木の生えたるがごとく、自然そのものであります。時たま喧嘩することもありましょう、恨み
そこで夫は苦笑しながら、「こうさばけられては仕方がない」と言って、朗らかに妻と一緒に遊びに出かけました。
何という安心しきった妻の言葉でしょう。母のような、友達のような、先生のような。そして時たま
うつし身のつひに果てなん極みまで
添ひゆくいのち正眼には見よ
[#改ページ]添ひゆくいのち正眼には見よ
私は
家庭は休息場です。静かでありたい。浄らかなところは、永遠に人を飽かさない。といって淋しくてはいけない、静かで、浄らかで、あでに可憐な紅山茶花!
そして水晶の二寸形の観音様をどこかの棚に置かれたい。嬉しい時、悲しい時、いつも掌を合せる。観音は私達の生活の護りの母です。
観音のスマートで清麗な容姿を私達の生活に加えるだけでも、どれほど美感に恵まれた家庭生活となるか知れません。
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ハムレットは、叔父に父を殺され、殺した叔父に母は嫁ぐ。自分はその叔父すなわち彼の恋人の父を殺さねばならない。しかも恋人はそのために狂死する。およそ世界の悲劇を一人で背負ったような青年です。それから彼はいちいち几帳面に
以上で、この芝居は、外観には非常なもつれが行われて見えますが、中身は
仏教の言葉で、これを「
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イギリスの家庭では四時過ぎ頃、家族一同集まってお茶を飲みます。いわゆる
巴里へ行きますと、沢山ある
私たちも一日に一度ぐらい家族と集まってお茶を飲みます。格別何といって話もあるわけではありませんが、何となく気持ちに潤いが出て、あとの仕事の励みになります。
考えてみれば不思議な習慣です。別にお腹も減っていなければ咽喉が乾いているわけでもありません。それでいて、これを省くと何となく物足りない感じがします。用事のある客が来たのを招き入れて用談かたがたお茶を飲むときもありますが、どうもあとで、はっきりお茶を飲んだ気がしません。やはりお茶を飲むときは無駄なようでも、のんびりした雰囲気を作って家族一同の気持ちの転換を計った方がよいようです。
世の中に無用の用ということがあります。無用なればこそ役に立つということです。
昔、ある国に非常に倹約な殿様がありました。幕府から普請奉行を
「イギリスの家庭の美風は、
ですから、物事はあまり無用だ無用だと言って切り捨ててしまうのもいけませんが、さればと言って、無用のものを、有用のものの妨害になるほど増長させてもいけません。よく世間には、「まあ落付いて一服」と言って
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さんげは
心象 上の生理作用です。
人間の体の皮膚に老廃物が溜れば
一つ一つの毛孔 がふさがり
ついに健康に支障 を来すように
人間の心にも
心を活かして行く上に不必要なものがたまる。
たとえば、過去の嘆きとか悩みとか、罪悪を悔 いる気持ちとか、
それらは体の皮膚にたまる老廃物と同じく
人間の心象のはたらきに溜る老廃物です。
さんげすることは
一体の皮膚を洗い流すと同じに
心の皮膚に溜った老廃物を
洗い流すと同じことです。
ためて置いては
次ぎ次ぎに新鮮に生きて行く
心の働きの邪魔になります。
ですから、ためらわず懺悔なさい。
もし、その前にひざまずき
さんげするほどの価値も親しみも
人間のうちに見出せないならば
南無、み仏よと呼び掛けなさい
必ず必ずみ仏は来給う
さんげなさい、み仏の前に
そして心のよごれを拭ってお貰いなさい。
懺悔なさい、懺悔なさい、み仏の前に。
[#改ページ]人間の体の皮膚に老廃物が溜れば
一つ一つの
ついに健康に
人間の心にも
心を活かして行く上に不必要なものがたまる。
たとえば、過去の嘆きとか悩みとか、罪悪を
それらは体の皮膚にたまる老廃物と同じく
人間の心象のはたらきに溜る老廃物です。
さんげすることは
一体の皮膚を洗い流すと同じに
心の皮膚に溜った老廃物を
洗い流すと同じことです。
ためて置いては
次ぎ次ぎに新鮮に生きて行く
心の働きの邪魔になります。
ですから、ためらわず懺悔なさい。
もし、その前にひざまずき
さんげするほどの価値も親しみも
人間のうちに見出せないならば
南無、み仏よと呼び掛けなさい
必ず必ずみ仏は来給う
さんげなさい、み仏の前に
そして心のよごれを拭ってお貰いなさい。
懺悔なさい、懺悔なさい、み仏の前に。
私の知人の息子が、嘗て小学校卒業の年、中学校の入学試験に失敗し、翌年は信仰によって立派に合格した例があります。
その少年は、小学校時代は、組でも中以上の成績でしたが、随分と小心者でしたから、いざ中学校の入学試験を受けようとすると、試験場で胸がどきついたり、口が乾いたり、すっかり逆上して、何度も勉強したところを思い出せなかったり、自分の受験番号や名前さえ書き落したり、問題の意味をちょっとのことで大間違えしたりして、二、三校受験してもみな駄目でした。来年はどうかして合格しなければならぬと、試験度胸をこしらえるため、方々でやっている模擬試験(入学試験のまねごと)というのを度々受けたのでしたが、その翌年、本当の入学試験が来たとき、三つも中学校を受験してやはり駄目でした。その話を少年の母から聞いて私は気の毒に思い、どうかして少年の気を落ち付かせようと相談しました。そして私はその少年を招んで、仏さまを念じさせようとしました(仏を念ずることは、天地間の力と智に、自分の内部にある力と智とを結びつけることになります)。私の応接間でその少年を椅子に静かに腰かけさせ、眼を
このやり方を、家へ帰っても毎日、繰返すよう言いふくめました。どんなやさしい問題でも、それを解く前に、いちいち、仏さまを念ずる癖を付けました。
その年の九月、第二学期はじめに補欠を採る中学校のあるのを聞いて、その少年は編入試験を受けたのでしたが、今度は立派に合格しました。しかも五十人近くの受験者のうちで十人の合格者があったのでしたが、その少年は二番で合格したのでした。
とてもにこにこして私のところへお礼に来たその少年に、合格のお祝いを言いながら私は、少年の受験当時の様子を詳しく尋ねました。少年は何もかも打ち明けました。
「試験の前夜、いつでも不安で眠られなかったので、今度は、『仏さま、仏さま、どうぞ仏さま』と念じ続けました。そしていつの間にか眠ってしまいました。私は本当に、『仏さま』と言うことだけで何でも思うことが成就することを信じました。それから、試験場へ入る前に、もう胸がおどって仕方がないので、水を飲んで、お
それから試験場へ入って、腰かけ、答案用紙が
すると、何となく、『よろしい

そう語り続ける少年の、いたいけな姿を見守って私は深く心を打たれました。
少年の試験場における念仏に依って直接に得たものは何か、それは宇宙に漲る大きな助力と、自分の内部に
試験地獄に直面して、そこに自分の小さいながらも人生の血路を切り開いて行った
その少年は、今では中学校の上級生です。成績も十番以内です。いまでも、試験の時は必ず「仏さま」を念ずると言います。私はそれを聴いてその少年に言いました。
「試験にばかり、仏さまを利用してはいけません。あなたもこれから大人になるのですから、いろいろの事が身に振りかかって来ます。そのとき、何事によらず、仏の力を信じ念じて、立派な人格者、本当の幸福者にならなければなりません。判りますか」。すると少年は答えました。
「判る、判る」と。
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僻みとは
こころの窪みに溜る
垢です
弱い人
偽りかざりたい人の
こころは窪む
真実は
人を落ちつかせ
こころを窪ませない
爪に爪が酬い
憎みに憎みが来るように
垢はまた垢を呼ぶ
垢にはまた
バチルスが
宿る
バチルスは
またこころを
むしばむ
かくて
最初は窪んだだけのこころ
ついには腐れむしばむ
腐れむしばみ初 めたこころ
ついには
あとかたもないこころとなります
こころが
ちょっとでも窪み
一微塵の垢でも溜ったら
一微塵の垢でも溜ったら
それと気づいたとき
直ぐにも
直ぐにも
垢を拭き払い
こころの窪みの皺を直すことです
仏を念ずれば
こころの皺は
たちどころに直る
ほとけとは
何か
なにものか
宇宙に充満している
真実 だ
力だ
われらの心の
弱まるとき
窪むとき
直ぐに
真実 よ
力よ、来れと
直ぐに
呼ぶべし
念ずべし、念ずべし
仏よ、まことよ
仏よ、ちからよ
来りたまえと
念ずべし
念ずべし
ほとけを、仏を、ほとけを、仏を
[#改ページ]こころの窪みに溜る
垢です
弱い人
偽りかざりたい人の
こころは窪む
真実は
人を落ちつかせ
こころを窪ませない
爪に爪が酬い
憎みに憎みが来るように
垢はまた垢を呼ぶ
垢にはまた
バチルスが
宿る
バチルスは
またこころを
むしばむ
かくて
最初は窪んだだけのこころ
ついには腐れむしばむ
腐れむしばみ
ついには
あとかたもないこころとなります
こころが
ちょっとでも窪み
一微塵の垢でも溜ったら
一微塵の垢でも溜ったら
それと気づいたとき
直ぐにも
直ぐにも
垢を拭き払い
こころの窪みの皺を直すことです
仏を念ずれば
こころの皺は
たちどころに直る
ほとけとは
何か
なにものか
宇宙に充満している
力だ
われらの心の
弱まるとき
窪むとき
直ぐに
力よ、来れと
直ぐに
呼ぶべし
念ずべし、念ずべし
仏よ、まことよ
仏よ、ちからよ
来りたまえと
念ずべし
念ずべし
ほとけを、仏を、ほとけを、仏を
一時、「自然に還れ、自然に還れ」という声が盛んでした。近頃の青年男女はそんなことを叫ぶ代りに直ちに実行に移して、大空の下、大地の上を、
私は嘗て、
まず氏の説明を聴きますと、
私たちは間違った仕方で体を動かしているそうです。そのため私たちの筋肉はだんだん
それから氏は独特の体育法を紹介されました。それは、人間は昔の完全な身体の
次に、氏は、実地に練習し体得している学生の様子を見学させてくれました。ウィーン市内の青年男女の有志者が、芝生の上で終日、四つん這いになって暮しているのでした。あるものは山羊のとおりの格好で跳ね廻り、あるものは馬の真似して
氏自身も、馬の跳躍の模範を示されました。まず最初に馬に
その後で学校の森林へ入り、掌と足尖とで森の空地をかもしかのように四つん這いになって跳び歩き、またいろいろの他の獣の歩きかたを示されました。特に人間の横っ跳びが馬の
最後に、氏専用の水泳プールで愛育の魚猿の後について、猿の飛び込み方、水くぐり、水の切り方などを真似られました。
氏が自然運動によって得られた
日本でも、現在、九州で、ある青年が肺病にかかって、相当費用を惜しまず医療を加えましたが、どうも体が弱るばかりでしたので、医者から体育と養生の根本を聴いてヒントを得、一大決心で家人達と水盃をなし、深山に分け入って全く野獣のように四つん這いの生活を断行し、山泉を呑み、草木の芽や葉を喰べて五年の後、遂に頑丈の山男となって人家に帰って来た事実談を私は聴きました。
以上私は長々と述べましたが、これを以てみなさんに、たとえ時たまとはいえ、今さら獣類の真似をして這い廻り、跳ね躍ったり、木へ登ったり、水泳したりしなさいと勧めるのではありません。自然の中には、生の逞しさと同時に野蛮性があります。すなわち理想的なものと、理想的でないものとがありますから、その理想を採り上げ、非理想を捨てるということが仏教精神であることの実例としてあげました。かように理想を採り上げることは、体育においてもいろいろの方法手段がありますから、私たちの日常多忙の生活上にも自由にその適当なものを見付けて、健康になられることを祈ります。
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虚栄はその字の示すとおり、むなしい栄えをのぞむことです。
もとより虚しいことです、ほんとうに手にも取り得ず、わが身を徒らに吹き過ぎる風のようなものです。これを捉えようとするものは
労れはやがて生命をほろぼすものです。しかも虚栄の姿は、もっとも甘やかに華やかに人々を誘惑の手で手招くのです。
ほんとうの栄えは仏神を念じて、生命の底から湧き上る力を得てのちに得られるものだと信じます。
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ここにちょっとした面白い話があります。一人の青年がありました。ある紳士の邸宅の応接間に、面会時間と
同じ青年でありながら、ある時は立派な面会人のお客さん、ある時は狂人か白痴。これはどういうところから違って来るのでしょうか。これには三つの条件について狂いがあるからです。第一は時期の不適当。第二は場所の不適当。第三は資格の不適当であります。
青年は、午前中に来るべきものを夜中十二時過ぎに来たのは時間が不適当であります。青年が椅子に腰掛けず窓から半身覗かしていたのは場所の不適当であります。青年が着物、袴を着けずにシャツ一枚で来たのは服装の資格の不適当であります。この三つの不適当のために面会人のお客さんと同じ青年が、狂人か白痴に間違えられました。
これによっても判るように、天地の間の万事万物はみな、この三つの条件のどれ一つかの狂いで、正不正に別れ、善悪に別れ、美醜に別れます。例えば愛について言ってみますと、一人の夫が道を歩きながら、見も知らぬ女性に愛を語ろうとしたら、これは不道徳ばかりでなく、場合によっては法律上の問題になります。これは三つの条件が狂っているからです。この夫が自宅の内で妻に向って愛を語ろうなら、無事であるばかりでなく、いよいよ家庭円満の根を深めます。これらは、あんまりはっきりし過ぎたことですから、馬鹿らしく思われるほどですが、世の中の大概のことは、これほどはっきりしていないので相当に注意しなければとんだ間違いを起します。日常私たちは物事を、大抵常識で片付けたり、あるいはいわゆるかんとかこつとかでやっております。そして、果してそれが三つの条件に嵌っていたかどうか、あとで随分危ぶまれるのであります。中には
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ある料理通が次のような経験談を致しました。「だんだん料理を食べて行くと料理の手を余り加えたものより少く加えたもの、少く加えたものより全く加えないもの、結局、自然の味そのものが
この言葉は、私たち素人にはちょっと直ぐにはその妙味が解しかねますが、多少の察しはつきます。
私は欧州航路の船が
人間の味というものも、結局、最後には純情素朴の童心の美しさでありましょう。しかし、ただの童心というものは、文字どおり童心一枚だけのものであって、狡智に
童心にして万事に応じられる
よく「
人間は乳首を銜えて
世の中の酸いも甘いも味わい尽した人の、確実な性格の裏付けの上に、なお純良性が残り、素朴性が保留されている、そういう性格の味わいの現れが本当の尊い童心であります。無邪気なばかりが尊いとは言えません。素直だから、善良だからと言って、幅も高さも重味もない性格では、本当の人間の味も価値もありません。
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他に対し、賞めるべきか叱るべきかは、その相手により、場合により、事情により決定されるものであります。
この賞める方を仏教では
「随分よく睡眠を取ったね。感心感心。これでは今日の昼は、さぞ勉強が出来るでしょう」
そう言って、勉強に精出させるのです。しかし、こう言われてますます朝寝を増長させなお勉強もしないようでは、その青年にこの摂受門は適当しません。叱った方がよいのです。
叱る方は仏教で
「朝起きしたって、ただぶらぶらしていたのでは何にもならない。まだ寝ていた方が邪魔でないだけましだ」
などとひどく言いまして、青年を発奮させなお一層働き出させるように導くのです。こう言われてすっかり意気銷沈してしまったり、却ってひねくれて、仕事を始めぬのみか、再び寝床へもぐるような者に対してはこの折伏門は害があります。
一つの手にもこの二門が備わっております。掌を伸ばして撫でるのは摂受門、握って打つのが折伏門です。
どっちにしても大事なことは、内心、相手を末は善かれと思う親切心を持つことです。
この二門は他に向ってばかりでなく、自分が自心に向っても常に働かせる有効な二方法であります。反省するときは折伏門よく、気を取り直すときは摂受門です。
仏、菩薩では、
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他を愛することばかりが美挙の全部だと思っている人があります。他を愛する気持ちにばかり酔っている人があります。
なるほど、他を愛し、他よりよろこばれ、他のためになって自分の心の満足を味わうということは実に美しいよろこびです。
しかし、それがため、自分をすっかり失くす人があります。失くすだけならまだ好い、失くして今度は他人にねだらなければならないとしたら、だらしがないではありませんか。
他によくすると同じように自分にもよくするのが本当だと思います。人間には利己主義の本能があるので、そこへおちいらないブレーキのために「無我の愛」などという言葉が設けられてありますが、それは
自分の生命とてあながち自分一個のものではない。宇宙の大切な一分派、つまりつくり主から預った一つの生命です。粗末にはなりません。他人の生命が大切と同じように大切なものです。その自分のものをみんな奪って他人に与えてしまうのは出過ぎたはなしです。そして他人から感謝をうけて好い気持ちになるなどと贅沢すぎる話です。二つ持っていたら一つ与えるが好いのです。他人に一つ入用なものなら自分にも一つ入用であるべきはずです。他人に二つやってしまって自分に一つもなくなり、結局またほかの他人のところへどうしても入用になって一つのものを自分のために貰いに行く、それでは何にもなりはしません。
もっとも、これは原則ですが、場合によっては本当に全部投げ出して他人に与え、他人を救わねばならない時が誰にもあります。そういう場合とそうでない場合の鑑別もまた、仏を仰いで仏智に依るより正確なことはありません。
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利己主義ということは、人間の生きて行く上において是非必要なことでありますが、それを余り強調拡大させると、隣人はもちろん、社会にまで迷惑を及ぼします。ですから今では殆んど
フランスやドイツの田舎の農家などを私どもが訪問したり招待されて行って見ますと、非常に喜んで大歓迎をしますが、夜の十時半頃になりますと、そこの夫妻が立ち上って、「私達は明日の仕事があるから一足先きに眠ることにするが、あなた達は、わざわざ楽しみに来てくれましたから、どうか思う存分、徹夜して騒いでくれ、それからいろいろご馳走もここに在りますから、どうぞお勝手に食べて」、そう言って、私たちお客のところへ近寄って、その家の玄関の
かように、自分の明日の仕事に少しも差支えのないことで客人達を喜ばせ、客人達もその利己主義を
こういうことは、因習、風俗、制度などの少しく異なる日本に、今直ぐ応用すべきことでないかも知れませんが、参考にはなると思います。
日本では、こういう場合に、客人達に義理立てして、客人達全部が帰ってしまうまで、二時でも三時でも起きて付いています。そしてとうとうその夜は寝ずじまいになり、客人達もその義理立てを
物事には程が必要ですが、それは、お互いにお互いの利己主義を認め合い、お互いのためを思い合って、お互いの利己主義を出来るだけ調和して発揮させて行くことが、博愛主義にも通ずる利口な利己主義の使い方だと思います。かくして健全な独立した個人による調和された社会、国家が成立つのであります。仏教でも、まず第一に自己を立てることを勧めます。お互いが自己を立てようとすれば、勢い他を立てることになります。それを利他と言いまして、自利、利他、相まって、完全な人生を出現させようと仏教は説いております。
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世間一般に言いならされたいわゆる「女のヒステリー」というものは、医学上でいうヒステリー症とは大変な相違があるようです。医学上のヒステリーは一種の精神病を指し、それは女ばかりでなく男でも子供でも起るそうです。その患者は時折癲癇のようにひっくりかえり、不断でも体の方々が痺れたりするそうです。しかし、私がここで述べますのは、世間でよく人々が悪口に言う「あの女はヒステリーだよ」とか、夫が妻に「お前はヒステリーだ」と言う、あのヒステリーのことです。
いわゆる女のヒステリーは、愛欲の変形であります。何ものをも惜しみ奪わんとする情欲と、気に入らぬものをことごとく排斥せんとする感情の入り交ったものです。他人の功績を嫉み、自分がそれに及ばぬのを口惜しがり、人々に愛されぬのを不満に思い、常に自分が悪評され、世間から除外されるのを気づかい、一日一刻たりとも気を落ち付けて過すことが出来なくなります。
このヒステリーは、大抵結婚した女に多いのであります。それは、余り世間の荒い波風に当らなかったか弱い、あるいは生一本な
しかし人間の脳力には限度がありまして、嫉妬とか邪推とかの方面にばかり鋭くはなりますが他の方面は無力になり、意志力なども弱くなって、前後の見境いなく騒ぎ出したり、急に陽気になって笑い出したり、先刻までひどく嫌っていた人を急に好きになったりします。この状態が嵩ずると本当の精神病になってしまうでしょう。恐ろしいことです。どうしたらこの状態を正常の位置まで匡正出来るでしょうか。すなわち女のヒステリーを、どう処置したら良いでしょうか。その原因の一部は、夫に在り、周囲の身内の人達にもあるのですから、それらの人々は充分注意してこの女の安心を得るよう努めるのが人情でありましょう。
しかし、女のヒステリーなるものは、持って生れた過剰な愛欲の変形したものですから、||しかも愛欲だけ過剰であって、他の感情が少いから圧えつけられて現れないので||その愛欲をどうにかしなければ根本の治療になりません。
ヒステリーが医薬で治療出来る程度のものでしたら、直ちに医師に任せる方がよろしいですけれど、ひどくなったヒステリーは、ものが精神作用の問題ですからちょっと面倒でしょう。
その女に向って諄々と正常な愛欲を説きさとすのも全然無駄ではないでしょう。催眠術をかけたり、一種の暗示法や精神分析による解悟法も幾分効果があることもありましょう。
がしかし、一旦歪んでしまった愛欲は、なかなかそんなことでは、もとへ引き戻せるものではありません。こんな際に仏教では、その歪み傷ついた愛欲をそのままそっくり信仰の
「ある地方の町に、女学校がありました。中年で数学の教師の奥さんは、狭い町中で直ぐ評判になったほどのヒステリー女でした。毎日女学校へ行く夫のことを思うと身も心も切り刻まれるほど苦しみました。私の夫の顔を、校中の学生たちがみんな見詰める。そう思うだけでも夫が汚されたように考えるのでした。そして夫が学生たちに笑いかける。そう思うだけでも、もう夫は堕落したように思いました。いっそ女学校へ飛んで行って、この人は私の夫よ、と宣言してやりたいとさえ思い焦りました。夫が帰宅しても出迎えもせず、側へ夫が近寄ると、汚ならしいものが出来たように身を引きました。しかし内心では夫を死ぬほど愛していたのですから、脳も疲れ果てて嫉妬することや、疑ぐることが出来なくなると、呆然として、ただただ馬鹿のように夫に寄りすがるのでした。
ある日のことでした。妻は身を町角に隠して夫の帰途の様子を
もう翌日からは学校はもちろん、町中大評判になって、その教師は辞職せねばならぬ羽目になりました。どんなにその夫妻は悶え苦しんだでしょう。三日間の後、もはや仏神の力を仰ぐより外、仕方がないと覚りました。そして日蓮宗のお寺を訪問して救いを求めた時、勧められたのは、お題目を一心不乱に唱えて、太鼓を叩くことでした。そこで彼女は、悲しいにつけ、苦しいにつけ、恨めしいにつけ、嫉ましいにつけ、お題目を唱え、太鼓を叩きました。それは単なる行為でした。でも、不思議なことに、彼女の強烈な感情は、題目一つ唱えるにつれ、太鼓を一度叩くにつれ、雲散霧飛して行きました。彼女は今まで持て余した情熱を、みんなその方面に吸い取られて大変楽になりました。やっと彼女の感情は整理されて、正当な夫婦愛に立ち帰って来ました。その間に、夫は、妻のこの健気な姿に幾度むせび泣いたことでしょう。一緒になって題目を唱え、太鼓を叩いて妻の信仰を援けました。
人の至誠は何人にも感動を与えずには置きません。町の人達も、女学生達も、更生したその教師を再び校庭に迎えて懐かしみ、また尊敬致しました」
仏教は、人生上の欲望煩悶を救わんとして出来上ったものでありますから、この例などの救済は最も得意とするところであります。しかして、釈尊をはじめ、古今多数の開祖、名僧知識たちは、大抵その欲望、煩悶の人一倍強かった人達でありまして、自分自身の克服解脱から割り出した宗旨、教義、修業法でありますから、それぞれ救い方に特色があります。そのいずれの宗旨、教義、修業法によって自分が救われやすいかは、自分の性質によく似通った開祖や名僧知識の説きましたものを選ぶのがよろしいと思います。例として挙げました女の劇しい単的な性質には、日蓮宗の行業がうまく当て嵌ったのでした。
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仕事を力一ぱい以上にやり、身も心もほとほとに疲れ果て、しかしそのまま寝倒れるのも惜しいというときがあります。このとき、つまらない末梢神経は尾をたたんでどこかの隅に消え隠れてしまい、ただ大きく頷く了々たる月のようなものが心の一角に引きかかっています。また感謝と恍惚が身体の節々まで浸み通り、皮膚さえ匂わしく感じられるのです。
仕事はどんな出来でも、自分には、これ以上出来ないのです。これ以下にも出来ないのです。
庭の景色が晩秋の午前の陽を受けて、おぼろな面ざしで私の顔に貼付くほど近く浮き出して見えます。池の鯉の尾鰭の揺めきが頬に柔かく触れるようです。
「無我」というのは、こういう気持ちでしょうか。人に言われた皮肉も痛くなければ、褒められたのにも浮き立ちもしません。
ただ、しとしとと心の上より下へ向って滴り落ちる雫は、思いやりと、慈しみと、親しさと、恩愛の情です。
そして、それが誰へ向けて、どちらの方へということはありません。広く深く、私より気の毒な方へ。ただそれだけです。
私は合掌して口誦みます。
さればといって格別需むることもありません。
空に、プロペラの音がします。私は寝ます。ゆうべ徹夜でした。
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物事を成し遂げるには、塹壕戦の覚悟が必要だと思います。自分の職場を守って、いつまでもいつまでも忍耐し、最後の成功を得るというやり方であります。
かの欧州大戦で、最初は一時も早く敵を倒してしまおうと、
私は、これからの世の中は、何事によらず、ますますこの塹壕戦の仕方と同じ仕方でやって行かなければならないと信じます。何故ならば、人口は殖える一方人智は進む一方ですから、その烈しい競争場裡において、ちょっとやそっとの知識や経験手腕では、直ぐと押しのけられたり、蹴落されるのであります。相当に世に認められる仕事をするには、何か自分の得意とするもの、あるいは自分に振り当てられた仕事に就いて、塹壕戦のつもりで、自分の
以上、いろいろの事業職業の外に、科学的の研究や、仏道の修業、すなわち人格の完成には、現にこの塹壕戦の方法を採っています。研究所や僧院は明らかに
常に自分をかえり見て、「今、わたしは塹壕戦の真最中だ、しっかり行こう」と落ち付き払って勉強し続けるのです。すると長年月の後には、「塵積って山となり、点滴石を穿つ」というように、必ず自分の才能特色が何らかの形をとって世に現れずにはいません。禅では「
(注意一)しかし、塹壕戦をやって行くのには、前に述べましたように、それだけではなかなか堪えられないものです。何か絶えず、心を落ち付け慰めるものが必要であります。慰安のため二日も三日も自分の仕事を放棄するようでは、もはや塹壕戦ではありません。日曜も祭日も時には、犠牲にしなければならないでしょう。ですから、慰安なり休養なりは、その塹壕に即した(より添った)ものでなければなりません。出来たら、塹壕戦そのものの中に喜びと興味を持つのが一番確かでありましょう。仏道修業では刻々に自分の心を制禦し得て、刻々に現実の上に理想を見出して行きます。
(注意二)なおまた大切なことは、塹壕戦に向った以上、常に斥候、偵察機(直観)を働かして敵(目的、理想)の様子と味方との関係(自分の進況)を見守っていなければなりません。それをしなくても塹壕戦というものは、時に意外の方向に事業なり修業が展開して、予期した境地とは違ったところに成功することもありますが、まあ出来ることならそんな僥倖を望まず、正当に目指したものを得るのが当然ですから、目的への方向を間違えないよう、直観を働かせなければいけません。しかし直観力の弱い人、または境遇のため思うことが出来ない人は、その人の出来る範囲内で一番よいと思うことを選び出して、それと取っ組んで塹壕戦に入るのです。
以上二つのことをよく注意して塹壕戦を続けたら、何一つとしてその人なりに、達成されないものはないでしょう。
世の中で、成功者と言われるほどの者は、殆んど全部、この塹壕戦をやり通した人達ばかりです。昔の人々は塹壕戦と言わないで他の言葉でいろいろ言い現していますが、中でも有名なのは徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という格言であります。しかし、私たちは現代人です。感覚も鋭敏になっていますから、この長い文句よりも「塹壕戦!」と言った方が、響きもいいし、単的です。みなさん、あなた方の仕事場の壁に「塹壕戦」とお書きになっては如何ですか。
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人間万歳
人間万歳
人間よ、泣きたくば泣け
人間よ、笑いたくば笑うも宜い
怒りたくば、怒っても宜い
迷うもなやむも好き勝手だ
人間よ、あなたの持つ七情を生かせ
人間よ、怒って、泣いて、笑って、迷って
まだまだあなたの心をみんな生かせ
憎みも愛も嫌いも好きもみんな生かせ
人間よ、生悟りは御免だ
人間よ、白ちゃけた行い澄した顔はおやめ
泣くより怒るより迷うより
ずっとみっともない、始末が悪い
だが、すこしお待ちよ人間
何もかもあなたの本来
性そのものを生かすが自然
だが、すこしお待ちよ人間
ここに一つの条件がある
怒るに怒るところを得よ
笑うも笑うところがある
泣くもなやむも程度がある
節度を知れ、場所を知れ
仏智の裁きでそれを知れ
仏智は各自の人間が持つ
仏を念じてそれを取り出せ
仏と人間が一つになる
いのれば人間が仏になる
仏になれる人間のまま
必ず仏になれる人間
仏になった人間が
「謡 うも舞うも法 の声」
怒るところに怒り得て
笑うところに笑い得る
嫌いも好きも程 を知り
愛も憎みも当 を得る
迷いなやみに傷つかず
それがそのまま悟りとなる
生きた悟り
性本来を少しも殺さず
活溌 溌地 の人間生命
精いっぱいに生き切る生命
そこで万歳
人間万歳
それこそ万歳
人間万歳
人間万歳
人間よ、泣きたくば泣け
人間よ、笑いたくば笑うも宜い
怒りたくば、怒っても宜い
迷うもなやむも好き勝手だ
人間よ、あなたの持つ七情を生かせ
人間よ、怒って、泣いて、笑って、迷って
まだまだあなたの心をみんな生かせ
憎みも愛も嫌いも好きもみんな生かせ
人間よ、生悟りは御免だ
人間よ、白ちゃけた行い澄した顔はおやめ
泣くより怒るより迷うより
ずっとみっともない、始末が悪い
だが、すこしお待ちよ人間
何もかもあなたの本来
性そのものを生かすが自然
だが、すこしお待ちよ人間
ここに一つの条件がある
怒るに怒るところを得よ
笑うも笑うところがある
泣くもなやむも程度がある
節度を知れ、場所を知れ
仏智の裁きでそれを知れ
仏智は各自の人間が持つ
仏を念じてそれを取り出せ
仏と人間が一つになる
いのれば人間が仏になる
仏になれる人間のまま
必ず仏になれる人間
仏になった人間が
「
怒るところに怒り得て
笑うところに笑い得る
嫌いも好きも
愛も憎みも
迷いなやみに傷つかず
それがそのまま悟りとなる
生きた悟り
性本来を少しも殺さず
精いっぱいに生き切る生命
そこで万歳
人間万歳
それこそ万歳
人間万歳
人から、成功と見られて自分ではそれほどと感じない成功があります。
また、人から失敗と見られて、自分では成功と思っている成功があります。
また、人も自分もともに許す成功があります。
人が成功と思ってくれるのを、いくら自分は不満足だとて、にべもない顔をしているのは、あまりに人間味がありません。愛想にも多少は悦んでいいでしょう。
自分に真に成功した確信あらば、あまり人の批評は気にならないものです。
しかし、すべてを超越して真の成功の定まるのは、それだけの
私たちがここに五十銭銀貨を使うとします。その五十銭を五十銭相当に使い得たとき、私たちはただ満足を感じます。しかし、その以下に使ったとき、あるいはその以上として使ったとき、何だかねばった気持ちが心に残ります。
「五十銭を五十銭以下に使ったときは、惜しい、つまらぬことをしたというのでねばった気持ちもしよう。だが、五十銭を五十銭以上に使ったとき、愉快で得をした気持ちはするだろうが、何もねばるものはあるまい」。こう言われる人もありましょう。だが、やっぱり心の奥にはかすかな圧迫があって、その五十銭行使を実力でなく、投機使する気持ちを湧かすのであります。もしそう意識しないとしても潜在意識において。
本当の満足は、自分の実力を実力だけ出し切れたところにあります。それ以上でも、それ以下でもありません。そのとき私たちは、ただ敬虔で真空な心持ちに充されます。心が八方へ浸み通るような真空な気持ちです。
こういう場合には、案外、出来た仕事の成績は気にならないものです。その成績が人に認められて成功しようが、人に認められずして失敗しようが。
ものが実力以上に出来過ぎたとき、さあ、この期を
実力を養っては、実力だけずつ充分に表現して行く。その実力は大であれ、小であれ、その人の力一杯だけを表現して行く。ここに人間にとって最も充実した人生があります。実はそれだけで辛苦努力の
私たちには、
故に成功を目標にして努力することは、現象的には投機性を帯びたように見えやすいのです。そのつもりでかからねばなりません。しかし、自分の
こんなことを言うのは、何も成功を必死に望んでいる人々をくさらせようとするための嫌味でも皮肉でも、また、道学じみた教訓でもありません。お望みの方は、将来の成功のために努力なさるのは、一向差支えないことであります。そして、もし成功された後、これらの言葉を顧みられたら、またひとしお感慨深いものがあるだろうと思います。
[#改ページ]
失敗が怖いのではない
失敗したときの人間が
「こころを腐らせる」のが怖いのだ
腐れは腐れを呼ぶ
少しの腐れが大きくなる
果てしもないほど腐れは拡がる
失敗を怖れるな
失敗は成功の始めとは
あまりに古い言葉というか
古いとて真理ならば
それはいつも新しい生命を持つ
その言葉は古くしていつも新しい
伸びる前には屈するのだ
勝つ前に負けるのも一興
この考えは古くても真理だ
たとえ言い古しても真理は真理だ
真理の前には
いつも服する謙遜を持てよ
心を腐らすな
失敗を怖れるな
そのため心を腐らすのを怖れよ
[#改ページ]失敗したときの人間が
「こころを腐らせる」のが怖いのだ
腐れは腐れを呼ぶ
少しの腐れが大きくなる
果てしもないほど腐れは拡がる
失敗を怖れるな
失敗は成功の始めとは
あまりに古い言葉というか
古いとて真理ならば
それはいつも新しい生命を持つ
その言葉は古くしていつも新しい
伸びる前には屈するのだ
勝つ前に負けるのも一興
この考えは古くても真理だ
たとえ言い古しても真理は真理だ
真理の前には
いつも服する謙遜を持てよ
心を腐らすな
失敗を怖れるな
そのため心を腐らすのを怖れよ
ところが、現在の人々の大多数は、この人生の小遣銭が殆んどないので苦しんでおります。世の中の金廻りが非常に悪いところへ持って来て、人が多過ぎるので、平等にみんなの手に金が廻って来ません。しかも人間は急速に殖える一方です。何とかしなければならないでしょう。まず差し当って、余りお金を無駄使いしないように有り合せのもので間に合せて行くということが必要です。また他の娯楽や欲望はお金がかかりますが、人間完成の大娯楽に向う信仰は余り金もかかりませんから、その信仰に入り、仏智を得て欲望や煩悩を浄化善用し、信念に依る強靱な意志を養成して、以て事に当ったなら、命つなぎぐらいの費用はどうにか得られると思います。
また、みんなが信仰によって根本的に結ばれたら、慈悲の心からお互いに工夫し合い、融通させ合うことも安心して出来ましょうし、その他適当な救済の設備や制度も、信仰団体の中に出来ることになりましょう。
欧米では慈悲や救済は、殆んど宗教の専門のようになっています。また、そのことの出来る理由は、国々の人々の殆んど全部が、同じ宗教に依って根本的につながっているからであります。宗教によって真心を披瀝し合っているからであります。これが散り散りばらばらであっては、お互いを信ずることが出来ませんから、親身になって慈悲の心を出し合うことも出来ません。
日本当面の非常時、政治的不安や経済的行き詰まりにいよいよ恐慌を増して来ましたこの頃では、金融は全く逼塞してしまいましたので、日本の大多数の人々は、その命つなぎの金にさえ不自由する有様に立ち至っております。この時に当って、この窮乏に堪え、かつこれを打開するものは、ただ人々の仏教信仰によっての安心立命と、慈悲の円融なる救済力とに待つのが適切と思います。
[#改ページ]
自分の思うこと、願うことの殆んど大部分が意地悪く逆にばかり行くことがあります。例えば、今度の計画は成功しそうですとか、今度の競争には必ず勝ちますとか、今度の手当で私の病気が全快しますとか、近頃は私はとても丈夫で風邪一つ引いたこともありません、これなら当分私は丈夫でしょうとか、自分でも信じ、他人にも誇らしげに予告したり、時には前祝いまで済した直ぐ後で、皮肉にも計画や予想がすっかり外れてしまって、ひっこみがつかぬ事がよく人生に起るものです。不思議とある人に限ってこの
これと反対に、外見上、すること
では一体、何が私たちの運命というものを支配するのでしょうか。
世間には、
例えば、遺伝した素質のうちでも、鋭い直覚力などは、物事を遂行する上に随分と役に立つものであって、相当に運命を支配出来るように思えます。直覚力の鈍い人は、どうも失敗しがちのようです。また、遺伝されたいろいろの病気に罹りやすい体質というものも随分人の運命に影響を与え得るものです。そのほか、祖先や両親、親族等から与えられる生活上のいろいろの便宜、例えば資産、権勢、
こういう祖先伝来の便宜というものは、誠に長い間の因果関係によって時間的に縦に組立てられた結果であって、その因縁のなかった人には当然得られない便宜であります。しかし、これらの便宜を持たない人は、何も持たないということが「因」となって、今度は四方から「縁」を吸収して、横に「果」を拡大して行くのです。刻苦勉励によって鈍い直覚力を磨き上げ、なおこれを補うのに、学び得た知識と伎倆を以てするのです。弱い体質もまた、訓練養生によって強壮に向わせることも出来ますし、常に心を配ってその保全を図ればよろしい。いわんや両親から伝染した病気などは医療によって容易に除けましょう。
また、資産、権勢、
かく考えますと、時間的に縦に組立てられた因縁の結果であるいろいろの運命への便宜は、どちらかと言うと消極的、惰性的のものであって、ともすれば安易に付き、運命を腐らす危険があります。
これに反して、これらの親譲りの便宜なき者が、強い意志を以て四方へ因縁を植え弘めて行く努力は、よき運命への力強き、確実な
かくして運命は人の造るところとなるのでありますが、それにしても心すべきは、肉体の健全と強い意志の養成が必要であります。そしてその次に鋭き直覚力を掴まねばなりません。これにはいろいろ手段がありますが結局、本当の確信を掴むことです。何か一芸に徹することもよいでしょうが、仏教の信仰と修業とによって智慧を開く方法が最も正確でかつ可能なことの一つであろうと信じます。
[#改ページ]
釈尊在世の昔、釈尊が滞在せられた
ある日維摩は病気をしたので釈尊は弟子に命じて病気見舞にやられます。ところが維摩は右に述べたような仏教の体得者ですから自分の病苦ぐらいについては立派な心用意があり、今さら、他人から慰めを得る必要もありません。しかし釈尊の弟子ともあろうものが、ただ、形式の見舞いの
そういうわけで十大弟子は自らその資格なしと知って、見舞いの使者を辞退しました。仕方がないので釈尊は文殊菩薩というのを呼び出して、これに使者を命じます。この文殊菩薩というのは実在の人物ではありません。智慧を人間に仕立てて舞台に引出して来た人物です。よくお経はこういうやり方をします。精神的のものに形を与え実在人物と並べて平気で一つ舞台に立たせるのです。それで仏教は迷信だとか、架空な事をいうとか非難されますが、叙述の舞台上の形そのままを信ずるのではありません。その形が含んでいる内容の意味を汲んで取るのです。そういう戯曲的の表現手段ではダンテの神曲でも、ゲーテのファウストでもみな同じことです。現代のバーナード・ショウのものでもよく観察すれば、この象徴手段が採り入れられてあります。一つの便利な文学的の手法です。
智慧の権化である文殊菩薩は、さすがに自信があるものかこれを引受けて出かけます。智慧の横綱文殊と体験の横綱維摩との立合い問答、これこそ見もの聞きものだというので十大弟子はじめ大勢、文殊について行きます。ここのところを天女散華という題で歌劇化して支那の名優
文殊と維摩と会いまして病気見舞に事寄せいろいろ人世に対する考え方、生活態度についての問答があります。維摩の説は要するに、この現実に生きている以上、広い包容力と強い浄化の力をもって、あらゆる価値を
ここにおいて文殊師利 、維摩詰 に問う。我ら各自 説き自 れり。仁者 、まさに説くべし。何等 をかこれ菩薩、入 不二法門という。時に、維摩、黙然言 なし。文殊師利嘆じて曰く善哉 善哉。これ真の入不二法門。
これでもってみると維摩は言葉でもって説明せずにその生命的活力の源を発するのは理屈や説明ではすでに廻り遠い。無念、無想、無我の心で大生命の活きた力の取り出し方は、維摩に在ってはこうでありますが、他の人々に在っては思索するなり、仏を念ずるなり、題目を唱うるなり、坐禅なりいろいろありましょう。必ずしも維摩流に限ったことでもありません。
以上つい、うかうかと維摩の話をしてしまいましたが、肝心の話は私たちがもし病苦に攻められたとき、どう自分で慰めたらいいかという問題であります。維摩は経の中の
衆生病む、故にわれ病む。
と答えております。これは維摩詰が仏陀の自覚に立っていう言葉で、宇宙の大生命は一体のものである。その生命の一箇所の衆生が病めば全体生命の自覚に立つところの仏陀が病んだことになるのは当然であります。故に自分が身代りになって病気をします。仏陀にとっては衆生は自分の身体も同然だからであります。しかし、この考え方はあまり大き過ぎて早速私たち普通人には間に合いかねます。人々みな仏性を持っている以上、そう自覚する資格はあるのですが、ちょっといま、差当り、その気には大胆になれません。そこで、この意味をもう少し程度を低めて普通の実用程度に解釈したいのです。
それは、病苦というものは、その犠牲を払うことにおいて何らか周囲に利益を与えておるのだと考えることです。
事実、腫物などというものは黴菌が体内へ入って来たのを血液内の白血球が食い止めてともに刺し違えて死んだ筋肉上の塚ですから、肉体の他の部分にとっては感謝すべき
また、熱だの痛みなどというものも肉体が不健康状態に陥ったとき、それを知らせる肉体機構の妙用で、いわば警報器です。
私たちは、種痘や、チブスの血清注射によって一部の肉体の犠牲を、故意に要求し、全肉体の健康の冒されるのを防ぐ方法さえ講ずることがあります。
これによって、これを見るに、只今の病苦も何らか犠牲的、利他的の意味があるものと思いこれを忍ばねばなりません。「衆生病む、故にわれ病む」であります。自分に不健康状態があるによってそれに代ってこの病苦が引受けて悩んでくれるとこう考えるのであります。病苦を憎まず、素直に療法、介抱するところに早い恢復があります。
家庭の一員としては、家族の代りに自分が病を引受けているという敬虔な気持ちが必要です。その気持ちからどんなに病人の慎ましさや家族愛が生れることでしょう。
「物は考えよう」と世間のことわざにもいいます。まして生命の不思議は心の持ち方で必ず形を変えて来ます。価値的に考えるに
但し、心の持ち方に信頼するとて医者の手当を怠っては何にもなりません。それほど犠牲的なことをしてくれる病いであるが故に、あらゆる文化的の手を尽して早くその苦悩を取り除けてやろう。これは当然の人情であります。医者にもかからずわざと病気を重くするようなことをするのは、自分の身体にみすみす犠牲を強いるものであります。それこそ愚の骨頂であります。
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私たちは、結局死ぬことを知っておりますが、不断は忘れて平気でおります。そしていよいよ死期に直面すると非常に恐れ、悲しみます。もうどうしたらいいのか、絶望と淋しさに泣き叫ぶ不幸な人があります。本当に人間が死ねば、もう後は何も残らず、一切空滅に消え失せてしまうのでしょうか。人間が万物の霊長だなんて威張っていても、たかだか七、八十年経てば、すっかり跡形もなくなってしまうのでしょうか。実際そうだとすれば僅か七、八十年の人生は少々心細いものであります、死ぬのを諦め切れないで悶えるのももっともと思います。そうかと言って死ぬのを嫌がっても、人間は死ななければならないので、何とかして諦める理由を考え出します。ある人は子孫へ向って自分が生き継がれて行くとか、ある人は事業を以て自分の後身としたり、または人を愛したことや世話したことを以て人々の記憶の中に自分のことを残して置こうとします。しかしそれだけでは、死ぬ本人の体や心の直接な説明解決になっておりません。
ところが仏教では、死を別な方面から観ております。人間が死ぬのは、すっかりなくなってしまうのではなくて、一時変化するだけだ。ちょっと私たちに見えなくなるだけだ。人の生死はちょうど大河の水面上に現れた水泡が時々浮んでは、また消えるようなものだ。河の表面にある水は機会さえあればいつでも泡の形になれます。そしてその泡がたとえ一時消えてもやはりもとの水に還るのであって決してなくなるものではない。なおその上に、その泡がもとの水に還った部分の水は、河水の表面近くを流れているので、そのうちに機会さえあれば再び泡になり得るのであります。がしかし、河水全体から見るときは、河水の一部分が泡になろうが、またそれが消えてもとの水になろうが、泡も水ですから、全体として少しも増減がありません。泡になったために河水が増えもしなければ、泡が消えたために河水が減るのでもありません。もとのままで流れて行きます。ただ水の一部分が時折り形を変えて泡になったり、
人間の生命も、宇宙全体に漲る大生命の一分派であります。その大生命は絶えず進転しています。その流動の上に現れた一つの泡が私たち一人一人の生命なのです。この世に人間という形を以て現れて来まして、いろいろの芸当をやって見せますが、時期が来れば楽屋裏の大生命の根拠地へ帰らねばなりません。役者が一興業が済んで舞台から身を引いた時は、もうハムレットでもなく、大石良雄でもなくただの人間です。がしかしその人間は役者の素質があるから、時期が来ればまたどこかの劇場の舞台面に、変った組合せであるにしろ現れることもあるのです。そのように、宇宙の大生命の一部分が人間の生命となってこの世に現れて来たのですが、それがもとの大生命のところへ帰って来ても、それはなくなるのではなく変化しただけで、大生命の総計はいつでも同じことです。ある人が銀行に預けてある一億円の金のうち一円だけを郵便局に郵便貯金として預け換えて置いたのを、ちょっと下ろしてまたもとの銀行へ収めたようなものです。利息をなしとすればその人の財産には一銭の増減もありません。
このように仏教では、人間の死を宇宙の大生命の方面から見まして、ただの変化、当然の里がえりだと見破りましたので、仏教を知らない人のように、死に臨んでうろたえ騒ぐことがありません。従容として根本生命に復帰します。従って仏教は、死を格別讃美しません。死よりも生れた意義とか現実の生活に重点を置きますので、生きられるだけは立派に理想的に生活させようとします。そしていよいよ死すべき時期が来れば、安心してひとまず宇宙大生命の根本の方へ帰って行くのですが、その帰って行った場所が、宇宙大生命のうちで人間に近い部分に帰っているのですから、いつまた人間に変化するとも知れません。その時は、以前人間であった時とそのままそっくり生れ変るのではないでしょうが、以前人間であった当時のある経験の一部分が残っていて、相当役に立つものと私は信じております。だから私は、みなさんに本当の仏教を勉強なさることをお勧めします。そして、仏教によって私たちの根本となる宇宙の大生命の存在を知ることが出来たなら、続いて死の根本の意味を、私がここで述べたよりもっと精細に、確然と了解されると思います。そこではじめて人間は安心して死に得ると信じます。
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現代人は、折角、今日のような発達した文化の知識があるのですから、この知識を働かして、突き止められるだけは突き止めて、万遺漏のない心用意をしてから、さて「信仰」に入ります。そうしたものはあとで心の揺ぎがありません。それをしないでいきなり「信仰」に入ろうとすると、兎角、遺憾な事や迷いが邪魔をします。
よく世間の中には、宗教と科学とは両立しないとか、宗教は文化に逆行するとかいう意見を述べる人があります。あるいは、そういう宗教もあるでありましょう。しかし、少くとも仏教においては、出発の最初が科学的、文化知識的の結晶として、当時かなり発達していた印度の諸学派を、理攻めにして攻め降し、かくして仏教の存在隆盛を確かめて来た科学と哲学を基礎とする宗教ですから、いつの時代でも、真の仏教はこの出発精神に背きません。あらゆる新科学知識、新文化精神を、それらが真理であるならば、仏教は進んで歓迎し、それらの発達を促すものであります。またそれらの新科学知識や新文化精神を実際生活の上に当てはめようとするときに当っては、仏教は非凡な鑑識力と人格とによって批判適切ならしむるのであります。仏教に含んでいる道理の新しい方面では(例えば十八
この方法を採らず、または先輩の体験者の証言を利用せず、浅はかに勝手な信仰をすることを迷信と言います。
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迷信については、私が西洋にいたとき聴いたおかしい話があります。
この西洋の石地蔵の一つが、自分でときどき動くというので村の評判になったのです。これは基督の再臨の
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天地の間に漫々と湛えている大生命の海。いつの
これらの組立ては、いちいちに様が変り、時を経るに従って事情を違えては行くものの、その様の変りよう、事情の違いようが複雑変幻きわまりない中に、およそ一貫した根本の性質があるというのであります。海にすれば海性ともいうべきでありましょうが、大生命のことですから大生命性であります。仏教の術語では「
この「法性」(法とはこの天地間のあらゆる物のこと、性とはその根本の性質。真如、実相、法界、涅槃みな同じ意義)を知れば大生命の根本性質ですから、大生命の基調になる知識にも通じられ、その中に游いでいる私たち魚にどんなに便利で気強いか知れません。それで、それを知らそうとするのが仏教の目的で、知る方法が教義であります。
ところで、この「法性」を知る前に、大生命中のいちいちの組立てにつき、その変幻極まりない複雑な
ですから智の方の知識経験も疎かには出来ませんが、その根本方針を定めるのはどうしても慧の直覚に拠らなければなりません。なぜといえば前のものは大生命海の部分的のものですし、後のものは総観的のものであります。
総観的のものによって部分的のものを統一して行くのは順序であります。部分的のものが総観的なものを
また、なぜ最後は「慧」の直観に拠らなければ大生命の根本性質は掴めないのか、この疑問のある方はあらゆる知識経験を使って、宇宙大生命の根本性質を突き詰めて行かれることをお勧めします。そうして行くと、なるほど最後は直観に拠らなければならない理由を発見して、この「慧」に入るのにたいへん楽であります。あとに未練なく入れます。疑問の深い傾向の方が、この
しかし仏教には一方、安楽平易な門が拓かれ、ただ信ずることによってのみ、かの「法性」の理を身に滲ますことがいくらでも出来るのであります。
故に一応の道理を聴き置き、諸名僧知識と言われる人の人格を信じて、その教えのままに信仰に入られるのは、また賢明な行き方であります。
前節で大生命海の根本性質を「法性」と名付け、これを知るのが大事であることまでを述べました。
ところで面白いのはこの法性は取りも直さず私たちの肉体精神中に秘められておる仏性と一つものであることです。かの法性が私たちの肉体精神上に認められたのが仏性。大生命海中に放たれているのが法性。二つのように見えて実は一つであります。これをよく浪と海水との譬えで説明いたします。
私たちは浪である。大生命は海水である。浪を離れて水なく、水を離れて浪はない。二つに思うのは、ただ私たちの頭の上だけの考えである。実体は離すべからざるものである。
この事実によりますれば、この宇宙の大生命海が無限無量ならば、その浪である私たちの本体も無限無量である。出没生死に見えるのは、形の上のうねりだけである。故に、私たちが形の上の変化、すなわち、生れて、育って、成長して、死ぬ、これだけに目をつけて、本体の大生命との続きを認めなければ五、七十年の一生である。大生命と自分と、一体なるところを認め、五、七十年の一生は仮りの姿と見れば、本当の寿命は
ところで、こう書きますと、いかにもわけはないようでありますが、実際この心境に到達した人はいくらあるでしょう。これはその心境に到達した人だけが鑑別されるだけで、それ以下のものには見当がつきません。なにしろ、血の涙の修業の後です。それで、その心境に先に到着した人が、どうか、もっと楽な方法でみんなをここへ到着せしめたい。その願いから生み出されたのが仏教です。まず元祖の釈尊が工夫し出された「
仏教を大別して、
「道」とは、かの法性と私たちの仏性と、根本において円通融合している真理のことです。宇宙の大生命と、私たちの小生命とは一体不二であるという真理のことです。それを仏教は信じさせようとするのです。但し、私たちに迷妄執着の凡心がありますから、それがこの自覚を妨げて、そのために私たちは不自由、不足に苦しみつつあるのだと仏教は説明します。
次に宇宙の大生命は、この「道」の義を、私たちに覚らせようと、手を代え品を代え働きかけつつあるのです。それはちょうど、幼いとき家出した浮浪少年を、親がさまざまに手を尽し、迎え戻そうとする骨折りに似ていると法華経は説いております。阿弥陀如来といい、観世音菩薩というものも、実はこの働き(宇宙の大生命が「道」を私たちに覚らしめようとする働き)を指して名づけたものに過ぎません。
私たちは、その迎え戻そうとする働きがつねに私たちの上にあるのを信ずる。これが第二段の「信」であります。
以上、第一段および第二段の「信」を、同時に胸に持ち続けるとき、その覚りの感じがあろうがあるまいが、もはや私たちは逃れざる大生命の子であります。そして、かの大生命の帯びている自然の諸性徳は、順次に私たちの精神肉体を薫化して行くのであります。このことは、他の章でいろいろの例を以て説明してありますから、そこで実際に就いて研究して下さい。
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仏教を信じたものは、どんな生活をするのでしょうか。そのあらましを二つ三つ述べて見ましょう。
第一に安らかな気持ちです。
仏教では、この大きな天地も、私たち小さな人間のいのちも、その根もとで一つに親密に繋がり融け合って、分け
第二に
仏教は智慧を開く宗教ですから、物事に対して判断がはっきりつくようになります。自分の性格の長所短所、それが判れば自然と、自分の長所を養い育て、短所を補うようになります。自分に出来ることと、出来ないこととが判れば、無謀なことはしません。もしやって失敗しても、その失敗したわけがよく判るようになりますから直ぐ気を取直します。また案外うまく行ったからとて、調子に乗って長追いをしません。あるいはまた、自分の気持ちとしてどうしてもやり進まなければならないことは、はじめから失敗を予算に入れてかかります。予算に入れてある失敗は、もう失敗ではありません。そこで予算どおり失敗しても淡々とそれを見過ごす心の余裕があります。
世の中のあらゆるものに
第三に自由な気持ちです。
私たちが毎日向い合っている現実生活に対して仏教は、もとより力一ぱい働くことを勧めますが、さればと言ってこれに余り捉われ過ぎないように致します。眼の前の生活に真剣に働きかけながらしかも、常に、無限の理想を望んでいます。現実の名誉、利益、勢力、そういうものに対して、いつも
また仏教の教養は、精神肉体の
第四にねばり強くかつ進取的になります。
仏教を消極的だと見らるる人もあるようですが、大変な間違いです。仏教の理想は、無限に人格の完成を期して行くのですから、障害ぐらい何とも思っていません。ねばり強く歩を運びます。どうかしてその日その日を、理想の完成へ向けて一歩でも近づかせるよう努力致します。この意義から言っても仏教は進取的です。そしてしっかりした張合いのある日を送ることのため、日々が実に好き日であり、日々が新鮮であります。但し、漸進すべきもの、急進すべきもの、その区別を明らかにして決して順序を間違えません。本当の意味で、仏教ぐらい大欲な教えはないでしょう。出来ない望みの譬えに、松が枝に桜の花を咲かせ梅の香りを放させたいような願いだと言いますが、仏教はそれに似たことをやろうというのです。自分一個の上では、人間の持ち得る限りの善き性質、
第五、小欲より大欲につきます。
仏教生活では、眼の前の惜しい、欲しい欲望の生活、すなわち小欲生活を、大欲生活の目的のために見直して善用する工夫をするのであります。これが信仰というものです。このことは小欲こそ理想へ向けての歩一歩であることを示すものです。眼の前の惜しい、欲しいという欲望の生活なくしては、理想の目的地へ到着出来ません。ですから小欲生活||現実の生活に非常に注意を致しますと同時に、余りに現実生活に執われ過ぎることを避けます。小欲より大欲につくということは、何も別に小欲を捨ててしまって大欲ばかりを目指すということではありません。仏教で言う真の欲望へ向って、現実生活のすべての小欲を善用、利用し尽すということです。
仏教は進取的であっても、真理の根底が深いから、表面がやがやと騒ぎ立てません。落付いていますから、浅はかな眼からみれば、消極的に見えるのかも知れませんが、その見かたは大違いです。譬えば海を御覧なさい。沖の方の本当の千尋の浪は、岸にいる人の眼には付きません。岸に近くざわざわ騒ぎ立てる底の浅い浪の方が却って眼につき耳について離れません。さればと言って少し海水のことを考えたら、沖には海水の湛えてないなどと思う人は一人もないでしょう。否、まことの深い海水の本部こそ、沖に在るのだと思うでしょう。仏教の真理を、そのように力強く湛えた沖の海水だと思えば間違いありません。
ですから、本当に人生を生き抜くためには、眼の前の小欲にばかり夢中にならず、精巧な望遠鏡を以て沖を眺めるように、大船を駆って大洋に乗り出して来て沖の浪を見出すように、信仰によって獲得した霊智を働かせ、積極的に勇猛心を以て手段を講じ、眼の付けるところを、手をかけるところを、大きく広く、無限の幸福、人格完成を目指すのであります。
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こんなことくらい誰でも判っていそうなもので、まだ判らない人があります。
仏、菩薩に祈請を籠めて、その応験がないという不平であります。
その祈請の筋を聞いてみると物を誂えるような
兎に角、仏、菩薩は自分より力の上の
ベストも尽しもしよう、人間業のあらゆる方法も講じよう。そして是非成就して貰わねば困る。諦められないことだ。その出発点から自分の力以上のものに頼むのですから、その取捌き方や始末は数倍あるいは数十百倍こちらより上だと思わねばなりません。ですから、こちらの推量どおり運ぶ事もある。しかし運ばないこともある。しかし結局の効果は必ずあることと信じて誠を捧げて行く。ここに祈請の妙味はあるのです。それで、あまり時間を切ったり、具体的な注文は、それが外れたように見ゆるとき、反対に仏、菩薩への不信を来すことになりますから余りよろしくありません。つまり染物屋式の祈請は人間以上のものに向う注文ぶりではあるまいと思います。
そうすれば時々刻々の現れは、善くても悪くても、それは人間の眼にちょっとそう見えるだけの話で、大きな目から見たら、いずれも目的への運歩の両足でうれしきにつけ悲しきにつけ筋は運んでいるものと、いよいよ信を捧ぐべきです。そうするときには安心の結果、持っている力も伸び伸びと使え、また、決して諦めない執拗な追求力は、仮りに仏教の信仰は迷信だとしても、これを信ずる人は普通の人間の精神力以上の程度には必ず能力を発揮して行きつつあります。まして仏教の応験なるものは絶対合理的なものですからなおさらです。「神を試みるべからず」、これは他宗の言葉としても仏教にも立派にあてはまります。なかなか妙味のある言葉です。
仏教はもっと度量が広く、疑いつつ弥陀を念じても
元来、仏教の最終の目的は人々が最上の智慧を
しかし、どういう除災、授福を講ずる仏、菩薩の教義でも、それを講じながら最後には必ず智慧開覚、人格完成に結びつけ、導いて行くことは諸経みな一致しております。ここに仏、菩薩信仰の深い意味のあることを知らねばなりません。そして短気に浅はかにその功徳、効能をはかってはなりません。
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普通一口に「智慧」と言いますが、仏教の方では、これを二つに分け、「智」と「慧」にして、その意味にはっきりした区別をつけております(智は俗諦に関する知力、慧は真諦に関する覚力)。
私たちが生れてから物心がつき、人から教えられて箸を持つ
この「智」は、人や書物から教えられ、また経験によって出来、不出来がありますので、時代によって違い、人によって違い、修養によって違います。つまり優劣や差別のある精神力です。たとえばむかし乗物と言えば駕籠しか知らなかったものが、今日では汽車、自動車、飛行機まで知るようになったという具合です。これは時代による「智」の相違です。また同じ人間でも甲の人は他人の身体の中の病気まで癒すが、乙の人は風邪さえ自分で癒せないで薬を貰いに行く。これが人による「智」の相違です。またAとBとは同じ野球チームの選手だが、春のシーズンには二人とも同じ打撃率だったものが、秋のシーズンになってAは安打数が増え、Bは相変らず凡打、三振を続けている。これが修養による「智」の相違です。
「智」の妙味はこういうふうに学ぶことと、経験によって違いが出来るところにあります。
さて今度は「慧」の方です。これがなかなか難しい心の
猿にらっきょをやると面白いそうです。中身がありはしないかと思ってまず最初の一皮を剥きます。やっぱり皮がある。どうも念入りな果物だと思って猿は、また一皮剥きます。やっぱり皮だ。こりゃ三枚重ねの
猿ばかりがそうかと思って笑うわけにはゆきません。人間にも同じようなことをした人があります。
ある生理学者が、どうかして人間の生きている源を突き止めようと堅い決心をしまして、その試験台に他人では迷惑だろうと思って、自分で自分の体を解剖して行きました。腕をつついて見ましたが、腕を少々切ったぐらいでは生命に余り関係がないことがわかりました。足を方々切って見ましたが、それで直ちに死ぬほどの大切なところがありませんでした。かくして身体中、メスで掻き廻してみまして、やっと心臓のところで、人間が生きている源を発見しかけました。そしてそれを発見すると同時に彼は死んでいました。
この愁笑に堪えない寓話は、一面、人間が生の秘密を探り当てたい欲望が死を賭けるほど強いことを物語っていると同時に、生の秘密は死の秘密と一致すること、すなわち生の秘密は、それほど神秘不可思議の世界であることを仄めかしたものであります。
古歌に次のようなのがあったと私は覚えています。
年ごとに咲くや吉野の桜花
樹を割りて見よ花の在所 を
これも同じ心持ちを詠んだ歌であります。あんなに賑やかに爛漫と咲く梢の花の仕掛けは枝の中に在るのであろうか。枝を割って見ても枝の中にはない。幹に在るのであろうかと、幹を割って見ても幹の中にもない。もちろん根を掘ってみてもありません。それでいて、時節が来れば、目覚まし時計をかけて置かなくとも桜の花がちゃんと咲きます。私たち普通見慣れておりますから何ともないようなものの、よく考えて見れば不思議極まるものです。不思議がるには、何も吉野山まで汽車に乗って行って、桜の下で毛虫にびくびくしながら考え込む手数などは要りません。手近かの庭の池の鯉、軒を伝う猫などにも、不思議な生命が尾鰭を生やし、尻尾を立てて動いております。不思議な生命||。樹を割りて見よ花の
この万物の本体、本性を突き止める心力、これを「慧」と言います。前の「智」と違って「慧」は、いずれの時代でも少しも違いがなく、またどの人にも生れつきちゃんとそなわっており、修養によって余計はっきり見出されては来ますが、「智」のように増減がありません。
以上、「智」と「慧」とを合せて「智慧」となります。これが私たち人間のあらゆる生活上の資本であります。
この現象的の見方、すなわち「智」の力と、実在的の見方、すなわち「慧」との差別をさらに説明しますと、現象的の見方は人間的であたたか味はあるが、相手に捉われやすく、実在的の見方は超人間的で冷静ではあるが生気がない。どちらも片一方だけでは世の中の万事がうまく行きません。これを調和させて、両方有効に使って行こうとするのが仏教の目的です。そして仏教を信仰し、体得することによって、この両者を兼ね備えることが出来、人間生活の真の好き運転が行われることが約束されています。
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だいぶ古い言葉ですが、「親の因果が子に報い」とか、「何の因果でこの憂き苦労」などという言葉は浄瑠璃や唄の文句に出て来ます。そして大概、これらの言葉は、人間が悲境のときか、人生の暗黒面に見舞われたときに使われる
因果のことをまた別に因縁とも言いますが、この因縁という文字もやはり、「因縁ずくと諦めて」とか、「因縁ばなし」とか言って、ことごとく運命的なものを指し、しかもそのものは絶対の不可抗力で、何とも手の下しようもないことを評する言葉になっております。
因果とか因縁とかいう文字は仏教から出て世の中に流布され、人心に感化を与えたのですが、それが流布された当時の封建時代の影響を受け、この文字の持つ内容の圧制的な消極的方面ばかりが採り容れられ、自由向上の積極的方面が捨てられたのは誠に遺憾であります。そして、その印象は今日もなお、深く人心に残っております。
因果、又は因縁という言葉は、正確に言いますと、
因・縁・果の理というのはどういうことかと言いますと、例えば、私のテーブルの上に電気スタンドがあります。今は昼間なので灯は
因・縁・果、これをさらに詳しく言えば、原因になるものと、援助するものと、この二つが協力、和合してはじめて、結果を生じます。世の中にありとあらゆるもの何一つとして、この理に
世の中に在るなにものについても、この程度の簡単な因果の道理の見究め方は誰にでも出来ます。そして利用の方法も見付かります。
よく因果の道理の説明に、「稲」の話が持ち出されて来ますから、一応説明してみますと、まず稲には、因として籾がある。これが田に蒔かれて、日光の直射や農夫の手入れの助縁を受け、そして秋一粒千倍の実りの結果が得られる。すなわち米は因果の道理で出来たものであります。
なるほど、これは確かに真理であります。米の出来るのは、この道理に洩れるものではありません。しかし、今度は逆に考えて、その
今まで述べて来ました因果と道理の例は、最も話を判りやすくするため、一番大掴みにした、ごく荒筋だけを説明したのでありました。事実、世の中に存在する物事は、みな因果の道理に当てはまってはいますものの、もっとずっとこまかく、また
一反の稲を作るのさえ、その籾の選定からしていろいろの知識経験が必要であります。この知識経験ということは、自分がやってみたか、または他人がやってみたかした因果の道理の結晶であります。その籾がどういう地質に合うか合わないか、嘗てそれを実際に試してみて、すなわち因果の理法を実行した結果の成績を記憶にとどめて置きます。それが知識経験でありまして、これを参考にして次の農作をやるのです。その籾によっての収穫の利益予想も、みな因果の理に支配されます。
その籾を苗に育てます。苗田の水が多かったり少かったりします。もし水が足らなかったら水を注ぎ入れる。その場合、水車を使えば、その水車にもう因果の理が附け加わっています。水車の水を
夏の田草取り。秋の鳥追い。雀が
秋の収穫が済みます。これは稲作全部からいえば、果でありますけれども、収穫それ自身が因にもなります。これが売られる縁によって、多少
世の中のどんなつまらぬ小さいものでも、必ずこの因果関係によって天地間のあらゆるものに有形、無形の繋がりを持っています。そこで責任感も生じ、意義も認められて来ます。それはちょうど、縦横十文字、四方八方に拡がっている網のようなものだ。私たち箇々の存在は、その網の一つ一つの網の目である。それは小さなものではあるが、網を拵え上げている上からは大事な一つの網目であります。ここの呼吸を説明しているのが華厳経という経の主旨で、この宇宙一杯に拡がる網を
そしてこの因果の諸現象を学び知るのが「智」であります。つまり世間上の知識経験であります。これを仏教では「
ところで、ここに考えねばならないのは、この俗諦の勉強は、無論人間が生きて行く上に是非必要な勉強ではありますが、前に述べたとおり、無限の広さ、長さを持っておることであります。また時代時代によって変ることであります。
今日、いろいろ実地の科学も進みまして、昔と較べて生活上に便利なことは雲泥の相違であります。これは俗諦の進歩であります。すなわち文化の恩沢でありまして誠に結構なことであります。しかし、これで知識経験は充分かと言うと、なかなかそうは言い切れません。地震や風水害のようなこともありまして、その予防や避害に、もっともっと知識の進歩や設備の完全を望まねばならぬことが多々あります。病気でもワクチンや血清の発明によってチブスとかジフテリヤとか、昔絶望だったものが今日では手当さえ早ければもう危険な病気ではありません。しかしまだ癌とか癩病とかコレラとかは相変らず医術の力の
社会的施設の知識についても、警察制度の発達や、交通機関の発達のため、追剥ぎ、辻斬り、水盃をして旅立ち等の悲惨事は絶無になりましたが、他方に失業問題や、階級闘争問題が起りまして、文化の余弊と言われております。今日自殺者の多いこと、これなどもその原因を全部突き止めて絶無に予防するところまでには、なかなか行っておりません。
科学的真理の随一と言われる物理学の法則などは、永遠不滅のものかと思えばそうでなく、林檎の落ちるのは地球の引力だというニュートンの説は破られ、空間の
大体の上において、俗諦の知識は発達して来ましたようなものの、その知識を以て向い合う現象なるものが、前に述べましたような因果関係から成り立っている以上、その因果関係の組み合され方でどう変るか知れません。物によってはその変り方も無数であります。従ってこれに応ずる知識も無限でなければなりません。
因果歴然たる道理を知って、これを自信を持って善用して行けば、良き結果は得られると判っていながら、実際の上では必ずしも良結果を収めていません。「これほど人のために骨折ってやるのに悪口を言われて、割に合わない」とか、「これほど努力してるのに一向認められない」とかいう不平が、こういうときに出て来るのであります。
これは因果の道理は正直に行われているのですが、その因果関係は、前に述べました複雑な網の目のようになっているので、
さればと言って、これをいちいち詳細に調べていたら、時間も脳力もその方に
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みごとな柿の一籠を地方の未知の人から送って来ました。形のよく整った御所柿です。
好意があればこそ柿の贈物がある。これ唯心的の見方であります。柿の贈物があるので人の好意も現し得られる。これ唯物的の見方であります。
事実は両方を兼ねているでしょう。私たちは贈り手の好意を
道理の筋道を探るために、世の中の物事の精神的な方面ばかりを採り集めて考え、あるいは物質的な方面ばかり採り集めて考えるのは、その方が便利なことも、あるいは、ありましょう。けれども、それは研究のためであります。その事、直ちに天地間の実相には当て嵌りますまい。なぜならば天地間の実相は、そのどちらにも偏らず、両方を含んで存在しているものですから。実をいえば実相それ自身は精神とか、物質とかそんな区別さえ知らずに出来て動いている一つの生ける姿ですから。ただ人間が便利上そういう区別をつけて、おのおのの方面に見分けたまでです。
ですから、物事はあまり一方へ偏り過ぎると妙なものになります。たとえば前の柿の例にしても、贈って来た人の好意は全然引離して考えに入れず、柿よりも米、味噌、醤油の方が生活必需品としてより価値的だといった議論をしたり、また、贈り主の意だけ認め過ぎて、送ってくれるなら古草鞋
しかし、世の中の現象は、まま、片寄ることがあります。そういうときはどちらか一方の不足の方面が補いに出て来ます。この過不及のない補い方は全く実相の理に明るい達識の人に望まれます。
仏教中の密教においては、物質界を分けて五つの種類にしております。地大、水大、火大、風大、空大、これであります。総称して五大(地大は堅固の性あり、水大は洗浄の性あり、火大は成熟の性あり、風大は破壊の性あり、空大は自由性あり)といっております。大とは物質の母性的要素というほどの意味です。そしてこのものは取りも直さず天地万有の生命の組織者であり、いちいち智的な働きを持つものとしております。故に五大は五智であると認めます。すなわち物質と精神と不可分なるを示します。これを人格化し五智如来といいます。大日、

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世間では、仏教以外のある宗教や、ある哲学や、ある思想および道徳などは、理想と現実とを一緒に致しません。理想とは抽象的のもの、現実を超越したものだとして、理想を必ず現実から引き離して、高く上にかかっているとかあるいは将来その理想が遂げられるだろうという期待だけして、今直ぐ手が届かんと決めてかかっております。
これに反して、仏教では、私たちの平常の生活が取りも直さず理想であって、この現在の生活の上に無上の幸福、絶大な理想があるのに早く気付けと教え勧めております。
何故仏教はそんな事を大胆に断言するのでしょう。それは、仏教が物事を深くかつ正確に考え、本当の真理を知っているからであります。仏教が、私たちの日常の生活を視るのに、通り一ぺんの
現実として日常私たちが
仏教は、この隠れていても実は私達の日常見聞する現実のあらゆるものをあやつっている根本をも、一緒にくっつけて現実を見詰めるのですから、
簡単で解りやすい例を以て説明しますと、いま、私が立っていて、無意識に何の気もなしに歩き出したとします。その歩くことは現実で、仮りの
誠に現実生活の中には立派に理想が含まれているのですから、たとい不平、不幸、残酷にさえ見える私たちの毎日の生活に対しても、決して恐れず
この現実と理想との考え方は、釈尊はじめ後代無数の名僧知識たちが、現実生活のあらゆる辛酸を嘗め尽し、あらゆる困難を克服した強い意志や体験から見つけ出した真理であり、積極的な処世法であります。これは現代のように人類の文化が進んで、いろいろの欲望煩悶の多い時代には持って来いの処世法です。皆さんこの考え方、このやり方は本当にしっかりしたものと思いませんか。また、何と勇ましい態度ではありませんか。
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米国の詩人ホイットマンが、動物を詠んだものの中にこういうのがあります。
「全大地において、一疋も体裁よき彼らはあらず。また不幸のものもあらず」
何となく、ほほ笑まれる詩句であります。いかにも動物を明るく扱った詩句であります。仏天の加護を信じ、この世の中を光明裡に過す人も、何から何まで有難ずくめ、結構ずくめで暮せるというわけではありません。寧ろ一方に理想の光をかかげているだけに、却って現実の生活の痛々しさは眼につき、身に強く感ずるのであります。中にも自分の性格の弱さなどは、その第一に数え入れられるのであります。
けれどもそれが不幸というわけではないのであります。それは曇りがちな心の空であるにしても、どこかに陽が射しているのであります。曇り空でも洩れる陽射しが、温かくて明るさを運んでくれるのであります。
ひょっとして、
「嬉しきにつけ、悲しきにつけ」と、信仰を教うる聖者は体験を以て教えられます。「仏名を唱えよ。そは
嬉しきときばかり親しまれる光ならば、それは祭りの提燈の
「光明、十方世界を照らす」「光明、河砂のごとく
教えられてみれば、なるほど、遮られぬ光はもとよりこの天地に在るところの光であります。急に点したり、どこに据え付けたりした光ではないのであります。それゆえ、
この頃、ハイキングが
私たちは誰でも、光明のハイキング
歌人西行も、この倶楽部の会員でありました。そしてその好風景をうたった歌に、
道のべの清水流るる柳かげ
しばしとてこそたちとまりつれ
同じく会員で、あまりにこの光明の殊妙なのにしばしとてこそたちとまりつれ
とも跳ねよかくても踊れこころ駒
弥陀のみのりときくぞうれしき
いかに遮られぬ光に悦び充ち足りたか覗うことが出来ます。弥陀のみのりときくぞうれしき
以上は、ちょっと思いついた特色ある二人を挙げただけでありますが、実はこの事実を信ずる人も信じない人も、みな光明中のハイキングをなしつつあるのであります。あなたも、あなたも、誰も、彼も、です。
さて、冒頭に書いたホイットマンの詩句でありますが、「動物は無意識に単純に、天地間の無量光、無辺光、無対光、不断光、難思光、清浄光の
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仏像には大概、両脇に菩薩の像が附いております。これを
釈迦如来を本尊とする仏像の脇士は、左に文殊菩薩、右に
だが、差別と平等の基本の存在は、その二つが別々になって存在しているのではありません。融け合い、通じ合って行われているものです。たとえば隅田川、淀川、信濃川、めいめい違った
それならば物事すべて、そのままが真理かというと、そうはゆかないのであります。自然の勢いの赴くところ、必ずどちらかへ傾き過ぎるものであります。よって、時と場合と、事情を考えて、どちらかへ補修しなければならないことがあります。
例えば、水はなるべく流す方がいいといって洪水の勢いを、そのままにして、滔々満々浸すに任せて置いたら、両岸の人家まで迷惑して害となります。この場合には、水を
またこれと反対に隅田川をいよいよ隅田川らしい好風景にしようと思って、沢山桜の出崎を拵えてみたり、川を浅くして菖蒲を植えて見たり、都鳥の飼場を設けたりして、水の流れは、ただ風致を助けるためとばかり気取って曲りくねらせるとする。それでは、折角の帝都の
差別の
平等の
その他、あらゆる物事に、差別と平等が時に結び時に離れて、紛然雑然として
私たちは、この間に処し、自分自身に対してさえ、当然なるものはこれを許し、不当なるものはこれを斥け、円満調和の中道を守って行くには、深く現実の知識経験を養い、その上に篤く仏智の照明を仰いで慎重に事を行わねばなりません。しかし、理としては、必ずや通ずる道は備わっておるのでありますから、気持ちとしては決して萎靡消沈せず、一歩一歩希望を以て踏み出して行くべきであります。
差別と平等の理については、
正偏五位
正というのは平等方面のことであります。
(一)
平等方面を中心にして、差別方面を眺めた形であります。例えば一軒の家庭に在っては、主人が正月、家族一同に屠蘇の盃を与える場合であります。妻子、召使いめいめい差別はあるが、この場合には同じようにみな家族員として年賀を交し、盃を与えます。吾が子は身内だからとて、五杯、十杯も与え、書生さんは他人だからとて半杯ということはありません。
(二)今度は差別方面から平等方面を眺めた形であります。例えば、主人夫妻が銀婚式をすることになりました。家族一同が心々の祝いものを贈る場合とします。もう学校を卒業して月給も取れている長男夫婦は銀の置時計ぐらい奮発しましょうし、女学校へ行っている娘は手芸を丹精して贈りましょうし、幼稚園へ通っている末の子は富士山の貼紙細工でもして贈りましょう。また書生さんは郷里から産物でも取り寄せて贈るかも知れません。これはおのおの身分資力に応じて差別があるところに、祝いの真心が表れるので、差別あるこそ主人夫妻には平等な祝意が家族一同より感じられるのであります。もしこれを平等にして家族いずれも銀時計としたならば主人夫妻はよほど妙な感じが致しましょう。
(三)次は平等方面のみを眺むる場合であります。例えば一家にあっては、目上も目下も大人も小人も、みな一人ずつの人間として扱われて、頭数で数えられるような場合です。人口調査係りに家族の数を申出るのに、主人は肥って大きいから三人分にし、赤ん坊は小さいから人数のうちから省いてくれというようなもので、それは調査係りの承知しないところです。やはり平等にすべきです。
(四)これは前のものとは反対に差別方面のみを眺めた場合です。家族一同業務に就くときは、主人は背広服を着て事務所へ、主婦は茶の間で家事の采配、子供は学校、書生さんは取次ぎかたがた勉強、めいめい平等方面を引込まして差別方面だけ働かす場合です。もしこの場合平等性もいいといって一同茶の間へ集って家事の采配を揮 ったら一家は立ち行かなくなるでしょう。
(五)これは、以上のような差別を行っても差別に捉われず、平等を行っても平等に捉われず、しかもいつでも適切にどちらでも使える用意のある当体。いわゆる中道の真理であります。一家に在っては家族一同が無意識のうちに協力一致している親和力に当りましょう。
もちろん、右は大体の原理で、実際の現実というものは、もっとデリケートな使い分けをしなくてはならないものでありましょう。ですから、それだけ余計に心の鏡は物事の真相の微影だも洩さぬよう、常に拭き清めて置く必要があります。平等の文殊と、差別の普賢を脇士に控えた中道真理の釈迦如来の仏像。それは現実そのものの
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都会と田舎を、言葉を換えて言えば、文化生活と自然生活と言えます。
文化生活は、人智の発達複雑化に伴って、自然生活から変化して来たものであります。それは人間の福祉幸福を望んで造りなされたために、もちろん便利、迅速、知識的でありますが、しかしその内部には、人間の欲望、煩悩、愚痴等が働きかけて、禍福相半ばするものであります。そこに都会の持つ俗人への魅力もあるわけです。多くの犯罪、悪徳、不健康も含有されがちです。誘惑、堕落、精神的過労が附きものです。
これに反して田舎の生活は、健康的であり、平和、悠暢であるべきはずです。それと同時に反面、時代後れや、不活溌、平凡、退屈があり、筋肉労働があるのです。
両者を人体に譬うれば、田舎は胴体であり、都会は頭部であります。胴体のしっかりした上に載っかってこそ頭部は充分に働けるのです。また胴体だけでは反射的に、習慣的にいろいろのことをなし得るのでありますが、頭部によりいろいろ判断、支配されるものですから、頭部が駄目なら胴体も乱雑になりがちです。
どんな大都会でも、はじめは片田舎であったのが、いろいろの因縁によって、人家が密集し来って、出来上ったものです。自然生活をなしつつあった人々がその飽くことなき人間の欲望を遂げんとして、知識に、経験に、感情に、感覚に、その威力を振って都会を築き上げて来たのであります。故に、そこには素晴しい文化があるかわりに、その内面には人間の醜い半面が集合していることになります。余りに世間欲や、知識にばかり夢中になって、自然の持つ恩恵や真理から遠ざかっている点もあります。そして欲望は募り募って、今では、その惰性に成行きを委すのみとなっている傾向が覗えます。東京で三代続いた家には肺病があるとさえ言われるように、不健康になっています。もちろん肺病ばかりでなく、精神病や、神経病も随分多いことと思います。
世界に無類の高層建築を誇るニューヨーク市では、エンパイヤビルディング、クライスラービルディング、ウォーズウォースなど五十階以上のビルディングをはじめとして無数の高層建築は比較的狭き道路の両側に建ち並び、道路は宛然、谷底のごとく、太陽の直射は一日ほんの僅かな瞬間だけ恵まれるのみであります。
同じアメリカでも、キネマ、トーキーの都、ホーリーウッドを擁するロスアンゼルス市では、早くも都会の密集せる人口と、それにともなう多数の自家用自動車、および高層建築に朝夕呑吐する、無数の従業員などによる交通不便と不健康とを慮かって、新しく建てる商店、銀行、会社などの高層建築は、人里離れた山の中腹や、物淋しき郊外の草原に孤立させ、広大な自動車預り所を設けて、市中より乗りつけるお客を待つのであります。都会生活がそのままそっくり、自然生活へ転換されたのであります。この考案設備は、自利、利他の効果を挙げる点より言えば、菩薩行に相当するものです。
日本の都市は、地震の危険のため、外国の大都市と違って、高層建築と言われるほどのものはありませんから、その方面の弊害は少いのですが、それ以外に気候に乾湿の差が烈しく、吹きまくる烈風は砂塵を上げ、職業戦線は狂わんばかりの競争が行われ、鬱屈する気分は刹那的、末梢的の快楽を追い、外国より直輸入された一過性の思想は昨今殊に目まぐるしく崩れ行きて、しかも東洋思想の優れたるものあるを覚らずして、いずれに頼るべき中心思想なく、迷いわずらい、頽廃の兆さえ歴然と見えるようであります。反省すべき都会生活です。
田舎の生活について述べますと、田舎は天然自然を相手に暮すのですから、本当は気楽で、健康的であるはずです。しかし、近頃の田舎の生活ぶりを見聞すると、却って都会より不安、不況、餓死せんばかりの地方がかなり沢山あるようです。これは何によってそうなったのでしょう。天災地変に因るのは別として、大抵は都会生活の行きづまりが倍加して田舎生活に響いたのではないでしょうか。頭部に相当する都会の状態が胴体たる田舎に悪影響を与えたからだと言えないでしょうか。世界のいずれの国でも、地方はその産物を都会に売って経済を保持して行くのですから、都会におけるその産物の需要如何によって、田舎は富みもし、また不況にもなるわけです。この点、国家、政府として余程物産の売り捌きを活溌ならしめ、物価の調節を計らぬと田舎の経済状態は危険に瀕するのであります。欧州のある国家では、自国内の農村を救わんために、その植民地や属国の農民を犠牲にすることさえあります。すなわち、国内で農作が豊年の時は、農作物の値段が下落することを恐れて、植民地や属国から輸入される農作物をその年だけ全部現地で焼き捨てたり、没収したり、安価で買い占めて隠してしまったり、高い輸入税を課してなるだけ国外から入り込まないように努めます。そして国内で
フランスの農夫は言いました||もちろん政府の保護政策を期待してはおりますが、しかし、その保護なくとも自分達は、立派に暮しだけ立てて行かれる準備をしている||と。彼らは、きまって自分の家の周りに、一番手近かに飲食料の貯蔵所、家畜、野菜畑、果樹園を置き、次に穀物畑、葡萄畑、次に牧場、最後に小さな灌木の密林(野鳥獣を棲息させて、時折りこれを捕ったり、家具を作る木材を得る)という順に置いて、一幅の風景画のように、各家庭が散在しております。そして十数個から数十個の家庭が団結して一部落をなし、お互いに才能に応じていろいろの仕事を分担して専門的に行わせます。耕作の上手な人々は一団となって順番に全部落の家庭の耕作事業を片付けて行く。裁縫の上手な娘は、前の担任者の後を享け継いでその部落全部の裁縫を引き受けて、家事の閑にあかして仕上げて行く、たとい嫁入りしてもその女は一生専門に村有のミシン機械を使用して裁縫をし続けます。バターを造るのも村の専門家、決してその素人専門家の悪口や失敗をなじることや、横取りすることはありません。依頼するのに物々交換ですから、少しも金は要りません。自給自足ですから殆んど都会から格別な品物を金で買い入れぬことにしております。そして過剰の収穫物は村の組合でまとめて都会へ売り、組合で最新式の耕作具や穀物の刈り取り機械を購入して、その機械を得意な人々数人に保管させたり、各家庭の収入金の三分の一を貯金し、三分の一を金貨にして床下の甕に蓄え、残りの約三分の一で税金や組合費に当てます。一見原始的であります。世界の流行の中心と言われる巴里を持つフランスが、その田舎においてかかる祖先伝来の原始的な生活方法を奨励しかつ誇っているのに私は一驚しましたが、しかし使用する機械だけは部落全体の醵金によって、最も能率のあげられる精鋭なものに次から次へと買い換えて、部落の専門家に充分の働きをさせるところなどは、なかなか利口なやり方だと感心しました。
最近、日本の田舎の村々が自力更生、自給自足を叫んで盛んに組合制度を利用されるのは、やはり不自然な文化の弊害に負けまいとして、自然生活の根本の中へ最新文化を消化し入れた英断であって、その智慧は、仏智にも達するものであります。
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フランス十九世紀の文豪、バルザック(西暦一七九九年に生れ、一八五〇年に歿す)の有名な作品の中の一つに、「知られざる傑作」というのがあります。
「一人の独身の絵画の老大家が巴里に住んでいました。十年近くもかかって大作を描き上げているという評判が巴里の画に関係する人々の間に弘がっていました。しかし老大家は、彼の新工夫の描き方を、仲間に盗まれるのを惧れて、絶対に人に見せませんでした。老大家の描こうと企てているのは、この世の中で最も美しい女性、それを生きたもの同様な溌剌さで画布の上に現そうとするのでした。
絵に熱心な若い画家がありました。どうかして老大家の作を見たくて堪りません。しかしその望みは全く絶望でした。老大家は相変らず頑固に画室の扉を押えて、中へ入れないのでした。若い画家に、世にも美しい一人の恋人がありました。彼女は若い画家の天分を認めもし、またその人物をも愛していました。ふと、その画家の恋人に老大家が眼をつけます。モデルに欲しいというのです。それもただのモデルではなく、自分の描きつつある女の像と、その娘と、どっちが美しいか見較べようという下心があるのでした。
娘は、若い画家のため老大家のモデルになることを承知しました。有頂天になった老画家は、思わず娘と一緒に若い画家を画室の中へ連れ込みます。若い画家の悦びはどれほどであったでしょう。しかし、彼には自分の恋人の犠牲を察して暗い顔つきのところもありました。
それほど苦心して近寄った老大家の傑作は、どうでありましたろうか。若い画家の眼の前に立てられてある一大画布には、ただ絵の具の厚い重なりがあるばかりで、これが女の像とはもちろん受け取れないばかりでなく、却って、空漠たる画面が寒さを襲うばかりでありました。しかし老大家は得意の絶頂です。その画面を指しながら、
『君たちは、まさかこれほどの完成とは思わなかったろう。見給え、若い娘の形そのものじゃないか。この胸、ぴくぴく肉が動いている······』
若い画家は自分の眼を疑って、自分の見方が悪いのではないかと思いました。そこで、斜から眺めたり、距離を工夫してみたりしましたが、やはり何物も掴めませんでした」
以上、この小説に含まれている思想は、いろいろに取れます。これについて種々な芸術論もあります。しかし、帰するところは仏教も同じであります。
私たちが、一つの物事を突き詰め、分析して考えて行くと、一度は必ず「
老大家の画家は、十年、女の肉体を凝視、分析し続けて行って、いま、その「空」の世界に突き当ったのであります。厚く積み重なった絵の具の層は、その凝視分析の研究の跡であります。女の肉体の現象を、因、縁、果と描き分け、観分けた筆の痕であります。ここまででも粒々辛苦のあとは兎に角、察せられるのであります。
老大家は、ひとたび「空」の世界に行き当って、その自由さ、豊饒さに酔ってしまったのでありました。そして
老大家は、農夫の肥田を見付けたときと同程度の心の段階で楽しんでいるのでした。そして、それを以て、もう
この肥えた土地を発見した老大家は、それへ創造工夫の種子を蒔いて、折角掴んだ理想美を誰にも解りやすく摘み取れるよう、成長開花せしむべきでありました。それをしないで肥えた土地、すなわち実りと、早合点してしまいました。模糊の絵を見て不審がっている若い画家の顔を見て、老大家は自信を裏切られたように感じました。一度は自信を取り戻そうと努めましたが、うまく行かなかったか、翌日自殺してしまいました。
ひとたび、この「空」の世界の宝田を見付け、それから、これによき種子を蒔き、よき実りを得さしめて、それを人々に与えようとする修業を、
話があまり専門的に亘ったようですが、私たち普通人にも独り合点、早合点はよくあることです。すべての物事は誰にも判るよう、誰とも話し合えるようにすることで初めて物の役に立つのであります。それまでは、いくらいいものでも、種子蒔かぬ、根ざさぬ肥えた田であります。これによっても解るように、私たちは、世の中には上にも上の修業があって、行き止まりがないということを知るのであります。
ちなみに、ここに引用したバルザックの作品は小説であります。芸術品は芸術品として別に味わう方面があり、これだけの解釈のために使っては気の毒でありますが、悟後の修業の例として大変便利なので持って来ました。読者はこれを承知して頂きたい。
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地獄、極楽とは一応、私たちの心の状態を指します。心の経験する苦の世界、これが地獄であります。その反対なのが極楽であります。
現代の人々が嘗める地獄苦で、昔の人と同じものもありましょうが、また昔の人の知らなかった新しいものもあります。
焦燥地獄、何となくいらいらして落付けぬ地獄です。虚無地獄、人生の何物にも張合いが持てなくなり
一方、モダン極楽もないことはありません。便利極楽、器械文明が安価に普及されて便利になったことであります。例えば交通機関とかラジオのような。また、雑誌、新聞、書物等の出版が多くなり知識の需要を
現代人の実感上、地獄感が多いか極楽感が多いかと言うと、勿論地獄感の方が多いと言う人が多いでありましょう。釈尊在世と同じく現実の条件として、致し方のないことであります。
しかし、仏教では現実上の極楽必ずしも絶対のものでなく、地獄もまた絶対のものでないと説くのであります。因縁果の理法によって出来たものとすれば、その因と縁を突き止め、その善きを加え継ぐことによって極楽はいよいよ続き、地獄はその
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「さとり」ということは、無限の宇宙生命と、有限の私たち個人の生命と、全く一つのものであることを、はっきり認識したその意識を指すので、禅家の方殊に臨済宗の方で、やかましく言う修業上の心境の段階を指します。さとった人は、この有限で生き死にする私たち個人の精神肉体が、取りも直さず
ところが、このさとりについてはいろいろと議論があります。さとりは、その人の生涯に一度あるだけだとするのと、度々あるものだとするのと、それから、さとりは不必要だとするのとであります。
一度あるだけだとする側の主張は、兎に角今まで私たち有限的な個人の建前で生きて来たものを、無限的な存在の現れとして改めて自覚し直すのだから、人生の歩みとして全然方向転換である。廻れ右ほどにも方向を変えたのだ。だから真のさとりは、一度だけだというのであります。日本曹洞禅の開祖道元禅師が支那の天童山に修業しておられたとき、師僧の如浄禅師が、「参禅は
さとりは度々あるものとする側の主張は、元来人間の有限的な認識の力が無限的なものを認識して行くのだから一度で済むはずはない。何遍でもあるはずだ。それはちょうど、竹の節を抜いて行くようなもので、節の一抜き一抜きに人生観は広げられて行くと説くのであります。この例としては、徳川時代の臨済禅の傑僧白隠禅師がよく引合いに出されます。禅師は信州飯山で正受老人の指導によってさとられた以外、大悟小悟その数を知らずと自記されております。
さとりは全然不必要だと主張するのは、鎌倉時代に起った新興仏教の法然、親鸞、日蓮等の諸宗祖の見解で、これを述べる前に、曹洞禅の中のあるものの説くさとり不必要論を紹介しますと、さとれるようなさとりは小さなものだ。無限の生命をさとるのは、ただ黙ってそれに従って行くところにある。今さらそれを認識するとか、しないとか言うのは小さな問題だ。私たちは修業さえしていれば、さとろうと、さとるまいと、修業そのものが無限の生命上の歩みだ。こういうのであります。これは道元禅師の言われた
ところで平安末期に起った法然上人の浄土宗、鎌倉期の日蓮宗の日蓮聖人、浄土真宗の親鸞聖人、いずれもさとり不必要論者であります。不必要ではないが、かく世の中が忙しくなって人間の心が刺激に
ざっと、こんなふうな具合で、修業によってさとろうとする側と、信仰によって安心立命を得ようとする側と二派あります||もっともさとり主義の宗派でも信仰をおろそかにするというわけではありません||それで、人々の好みに従っていずれの道を選ぶとも自由ですが、大体の上から言いますと、すでに私たちが宇宙生命の一つの現れであり、その自覚に立ち得る素質が私たちの精神肉体の中に、生れながらに封じ込められてある。そしてその種子は折に触れ、時に乗じて天地からも哺み育てられ、自らも発芽成長しようと努めている。この原理に立たない大乗仏教はないのであります。それから私たち現実上の日常生活が、いちいちこの上もない修業であると説かない大乗仏教もないのであります。故に、この生命弘通の大本を信じ、それからこの世の生活の道場の中で、現実を相手に、実地のさとりを開いて行く。実地のさとりとは、私たちが宇宙の生命の働きのごとく、何物にも自由に応じられ、何事にもみごとに処理して行ける完全無欠の人格者になることを目指して刻々に経験を積んで行くことであります。誠に意義のある楽しい信行(信仰と修業)であります。
もし、各宗各派の教義に
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宇宙には自ずから真理が備わっております。この真理は、始めもなく終りもなく、行き亘らぬ隈もなく、歴々堂々として万物を支え、万物を活かし、万物をそのものであらしめておる当体であります。空を見れば日月星群は時を間違えず天体が運行し、地を見れば山河草木、いちいちその趣を尽しております。そういう大きなものばかりかと言うと、
これを意志としてみれば、宇宙の大意志です。これを感情としてみれば宇宙の大感情です。いまこれを一つの理法としてみるゆえに真理と呼びました。しかし、いずれも一面の表現に過ぎません。要するに宇宙を一肉体とすれば、その中に籠められていて、宇宙を無限無窮に健かならしめて行く絶対に逞しい魂です。永劫生き抜く生命です。
この理法の天地に行き亘らぬ隈もない様子を、光あまねき太陽に譬えて大日如来と言い、その寿命の無限なところを名に取って、これを
私たちが、もし仮りに、この宇宙の生命を全部受け容れて、その生命の持っている智、情、意、を働かすことが出来るとしたならば、どうでありましょう。宇宙にそれ以上のものがないのでありますから、至真、至善、至美に達した人格者でありましょう。知識として宇宙間に通ぜざるものなく、感情として宇宙間に届かないものはなく、意志として宇宙間に徹底しないものはない、こうなったら人格者として最も完全に達したばかりでなく、人間としても至幸至福の境涯でありましょう。また、そういう人が一人でも世間に多くなれば、智慧に溢れ、慈悲に溢れ正義に溢れる世の中になりますから、万人の幸福でもありましょう。これを常寂光土とも極楽とも言います。けれども悲しいかな私たちは、その宇宙生命のほんの一部しか覗けません。一部というのは愚か、針で突いた穴よりの光ぐらいしか覗けません。その
さて、今から二千五百年の昔、中印度、
仏陀とは梵語(Buddha)の音を漢字に当てはめたもので、
ところで、釈尊は人間として生れ、人間の寿命を限りに死なれた仏陀ですから、宇宙生命を呼ぶ名の仏陀(詳しくは法身の仏陀)とは、性質が違います。そこで、これを「
経典を読みますと、釈尊が説法せられるのに「仏陀はかく言われる」「仏陀はかく説かれる」といった言葉ぶりが沢山出て来ます。私がもし「かの子はかく言われる」「かの子はかく説かれる」と自分で言ったらおかしなものでありましょう。そのおかしなことを釈尊は平気で言っておられるのであります。これは釈尊が、応身の仏陀の位置から、法身の仏陀の説法を取次がれるところから、こういう第二人称の敬語を用いられるので、自覚された仏陀が、いかに自身とは言え、その自覚を尊ばれ敬重の念を払われたところに何とも言えない奥床しさを感ずるのであります。
さて、世の中には、法身と応身との仏陀があり、自覚した釈尊においては、この二つのものが一つになっていることが判りました。ところで、やや後世になって、いろいろ仏教学者が出まして、釈尊はどうして有限の人間として、かの永遠の生命を捉えられたのだろう。言い換えれば、如何にして応身と法身とを一致させたか。この問題の研究が盛んに起りました。釈尊自身は、そのことについてはあまり説法中に述べておられない。ただ自覚の上より、みんなにやりよさそうな教法だけを述べられまして、それをやりさえすれば自然と両者一致の心境に達するようになるのだとしておられます。あまりに実行的、生活的な教えにくだけ過ぎています。万事に理論的、哲学的になった後の時代の仏教学者は、それでは満足出来ません。そこでいろいろ研究の末、大体こういうことになりました。
「釈尊が、宇宙の生命を捉えた道具は智慧である。だが、智慧によって宇宙の生命の当体を直接に捉えたのではない。宇宙生命の当体というものは、人間有限の脳力で捉えられるような小さなものではない。絶対無限のものである。だが私たち人間には、
学者達は大体こういう方針を立てまして研究して行きました。
ところが面白いことは、智慧にも幾とおりもありまして、普通世間を渡るような智慧もありますれば、物事を解剖して行って因、縁、果から成り立つ仮りの結びが宇宙万物の姿であり、その実体は「空」(因縁果によって変化し行く自由性)であると見破ったような哲学的の智慧もあります。だが、突き詰めて行って、最後に人間自身内の仏性を開くような智慧になって来ると、もはや、人間自身の智慧とも、宇宙生命から人間を開覚せしめんために
もっともこの報身は、智慧のみでなく、他の修業の力でも到着されることになっていますが、説明が複雑になりますから、智慧の方向からの筋道だけ述べることに致しました。要するに、後世の仏教学者は、「応身の釈尊が法身を得られたのは、報身の仲介によって得られたのだ。そして報身というものは修業の力による」。こういう結論を得ました。
これを譬えで申しますと、ここに大学教授という位置があります。これを法身といたします。Aさんという人があります。これを応身といたします。いま、Aさんは学力によって教授になれました。Aさんが教授に価する学力、それは勉強の力によって得たのですから報身に当ります。
教授の位置、Aさん、Aさんの学力、この三つのものは別々に数え立てれば数え立てられるようなものの、事実は一人のAさんに備わっているのであります。そのごとく、
釈尊が仏教開教以来、今日まで二千五百年間、その間に数え切れぬほど覚者が出ておられます。いずれも三身を一身に備えた仏陀であります。しかし、開祖の釈尊に対し遠慮して仏陀とは言いません、諸祖と言っております。いわゆる、各宗各派を開宗した名僧知識および、その他散在する諸美徳たちです。おのおの応身として人間の個性を備えながら、修業の力で得た報身、そこに導き取られた法身を備えておられます。いずれも苦心惨憺の結果になる導きの教えを
また、釈尊以来、幾多の聖者によって発見された仏菩薩が、この天地間に働いております。眼に見えないからないというわけのものではありません。途中が眼に見えないからないというなら、ラジオの電波は役に立たないはずです。この仏菩薩は、やはりいずれも修業の力によって仏菩薩になられ、人間を救うための特殊の誓願を持っていて、私たちに四六時中働きかけております。
前の諸祖と合せて一口に、諸仏諸祖と言いまして、その修業の功徳も、積んだ智慧も、
なお、附け加えて言わねばならんことは、しかも一番大事なことは、私たちいずれもが、法報応の三身を備えた仏陀であることです、覚者であることです。もし、そういっては早過ぎると言うのなら、私たちはこれから成る仏陀であります、覚者であります。その資格は充分与えられているのであります。私たちに対して諸仏諸祖は先輩であるに過ぎません。そればかりでなく、これらの諸仏諸祖は、私たちが仏陀覚者に成り終らない限り、休むことが出来ないのであります。働きの手を休めるわけには行かないのであります。
宇宙を、種子が仕込んである未製品の仏陀と見て、もしその中の一部分でも、迷妄の分子が残っていたら、宇宙全体の連帯責任上から諸仏諸祖も遺憾なき安心立命は得られないのであります。その意味から早く人格完成を遂げて覚者になることは諸仏諸祖を救けることにもなるのであります。
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聖徳太子さまを仏教徒が尊崇し奉るのは、太子さまが、高貴の御身分の方であらせられたのに、親しく仏教を弘通せられたということばかりでありません。それももちろんありますけれども、なおその上に、太子さまの仏教に対する御理解の深さに対して人々は渇仰するのであります。御理解の深さというよりは独創の御卓見と言った方が当っているのであります。つまり仏教に対する御実力であります。
太子さまは、仏教をただ頭や精神上のことばかりと解釈なさらずに、直ちに現実上、生活上のこととして、その長所を採択なされました。御摂政中の万般の施設、そのいずれとして、この御見解より流出せないものはありません。そして、その御施設のいちいちが、また、ぴたりぴたりと当時の日本国民の実情に当て嵌っているのであります。
かくのごとく、太子さまは、仏教から大乗精神を活捉されましたが、それを応用せらるるに際しましては、何物にも捉われない自由な立場に立たれました。ただ参考としては、当時の国民実情に対する透徹した洞察あるのみであります。これこそ、真の御卓見であります。
憲法十七条を制定せられて、臣民に、政治、道徳の帰趨を知らしめられ、支那大陸文化の輸入を図って産業治生の途を講ぜられ、施薬、療病の諸院を興して貧民を救恤せらるる等、仏教の生活化、理想の現実化に向って力を尽されました。別して造塔、起仏に御熱心にて、自ら七寺(四天王寺、法隆寺、中宮寺、橘寺、蜂丘寺、
太子が摂政の任にお就きになった推古朝は、日本に公に仏教が入った欽明朝の時より四十年余りしか経っておりません。しかも、それまでに輸入された宗派は、三論宗などというまだ本当に成熟した大乗仏教ではありません。
成熟した大乗仏教は、ちょうど、この四十年間ほどの間に、支那大陸で、天台大師がしきりに研鑽講述しつつあったときで、日本にはまだあからさまに、その影響はなかったときであります。そういう未開の仏教時代の日本で、単的明確に大乗仏教の真義を把握された太子さまは、天才と申上げていいか、直覚力の鋭いお方と申上げていいか、ただただ驚嘆の外はありません。
太子さまは、万機を摂政せらるるお忙しき中に、経を講ぜられ、また、その註釈を作られましたが、その経は、
大乗というのは何かと申しますと、一口に言いますれば、治生産業ことごとく仏法にあらざるなしという大見解に立つ主張でありまして、消極的に隠遁して、独り清く澄し込む小乗仏教とは反対であります。そして法華経はその哲理と実行の勧めを説いた経巻であり、維摩経は維摩居士という俗間の老練な一男性をして、その大乗主義の体験を物語らしめたもの、また勝鬘経は勝鬘夫人という若い美しい女性をしてその教義を述べさしたもの、いずれも、経の目的は現実生活の理想化にあります。人間、無私な態度を以て、慈悲の心を湛えつつ、日常生活に励むところに仏教の全体がある。仏教はそれ以外の何物でもない。国家のため、社会のため、当面の職務に誠意を尽して行く、これ仏教の全修業である。この純一無雑の生活、すなわち仏法を説いたのが法華経はじめ他の二経の精神であります。かかることぐらいは仏教でなくとも判っていると言う人があれば、それはまだ仏教というものを知らない人であります。無私とか、慈悲とか、誠意とか、勇猛心とかいうことは、限りもなく、上に上があるもので、これで行き止まりというところはありません。それで、いろいろの方法でこれを私たちの精神肉体より磨き出して行こうとする。そして磨き出したものを以て刻々に個人生活、社会生活、国家生活の上に、光を照らし添えて行こうとする。ここに仏教の修業の段階があるのであります。
大乗仏教の趣意が、すでに現実上にあるのでありますから、法華経が理を説くかたわら、維摩、勝鬘の二経が在俗の士女によって説かしめられてあるのは大いに意味があるのであります。
太子さまは経の御選択の上にも時代を抽んでた独創の卓見をお示しになったばかりでなく、自ら執筆された経の註釈書すなわち
太子さまは、文治一方のお方かと申しますと、なかなかそうではありません。時によっては勇猛鬼神を怖れしめるお働きもなさったのであります。
それは蘇我馬子とともに、物部守屋を誅伐された時でありました。御齢は十四歳でいられました。
太子さまの、この現実理想化の大乗精神は、後世、心ある仏教家たちの渇仰するところとなりまして、中にも平安朝の伝教大師は、太子さまの御精神を師教と仰ぎ奉り、御廟前に加護を祈りました。鎌倉時代の親鸞聖人は聖徳奉讃の和讃を作って歎慕の意を表せられております。
聖徳太子さまの大乗仏教的聖旨は、日本の国民性とともに万代不易に継ぎ伝わり、渇仰は永遠に尽きせぬものであります。
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印度が仏教の原料産出地とすれば、支那は加工、輸出地であります。そして日本は輸入消費地であります。しかし、ただの輸入消費ではありません。輸入するにも、国土民情に適したものを
日本へ輸入した仏教は大乗仏教ばかりであります。奈良朝以前には少しは小乗仏教も入ったようでありますが、土地に適さない種子の
さて、その大乗教義が、どのように日本民族の発展に役立って来たかと申しますと、まず第一に国民生活上、和恭勤勉の気風を涵養したことであります。聖徳太子が御自ら法華経、
宗教というと、理想を未来の遠方に置き、現実生活の煩わしさを避け、独り行い澄まして
多少欲を殺し逃避的の性質のあるものには誰でも出来るのであります。これと反対に、紛雑極まりない現実の真直中に分け入り無私と慈悲を行い、和恭勤勉を保って行くという、積極的な現実浄化の仕事こそ、難事中の難事であります。幸いにしてわが民族精神には、生に対する逞しい健康な気力がもとより備わっており、虚を去って実を採る、真実の理想家の風格があるので、進んでこの大乗の真理を歓迎し文化発展の動力に使ったのであります。
強い腕の人にして強い槌は揮えます。世の中には、いろいろの宗教や哲学や思想がありまして、随分紆余曲折していますが、結局最後は、現実そのものを理想化するというところに落付かねばならぬものでしょう。わが日本民族は、とうの昔からこの現実の理想化を徹見し、着々生活上に運用を図って来ました。これを以て観るに日本民族は、よほど明敏にして実力に自信ある国民であることが判ります。
こういう優秀な素質を有する民族ではありますが、その素質を磨かせ、長所を発達せしめた道程は、幾多の先覚者の指導啓発に
聖徳太子の大陸仏教に捉われない独特の御卓見は、上述の三経の註釈書すなわち御疏の中にも拝せられるのでありますが、太子御摂政中の施設において、より多く歴々として現れておるのであります。憲法十七条の御制定といい、支那文化の輸入といい、貧民救恤の設備といい、その他、時代に応じ民情に応じて、与えられたる万般の御処置は、専ら国民生活向上の手段でありまして、まさしく現実上に理想を開顕する大乗至極の極則に違いありませんが、かくも明晰に、かくも実際的な仏教の生活化は、太子の御達識にしてはじめて可能となるものでありまして、以後歴代の仏教家が、太子の御事蹟を以て日本仏教の師教と仰ぎ奉るのであります。
民族精神の暢達、国民生活の向上、現実の理想化、自利と利他の一致、この四点は全く日本仏教独特の眼目でありまして、時代を代え、形式は
奈良の大仏が建立された聖武朝を中心にするいわゆる奈良朝時代であります。この時代に行われた仏教宗派は、主に華厳宗、律宗であります。
青丹よし寧楽 の都は咲く花の
にほふがごとくいま盛りなり
奈良七重七堂伽藍八重ざくら
にほふがごとくいま盛りなり
奈良七重七堂伽藍八重ざくら
前の和歌は当時を詠んだ古歌であります。後の俳句は徳川時代の俳人芭蕉の詩眼に映じた奈良の面影であります。どちらにしても、当時仏教文化の絢爛成熟した有様が覗われます。そしてこの絢爛さは、また華厳教義の華やかさでもありました。
しかし、その華やかな文化の中にも、宮廷はじめ朝臣たちは、仁王経、金光明経、薬師経等を諸僧に講誦せしめ、また諸国にその普及を努められております。
一体、これらの経は、直接個人の幸福に関係するというよりは、むしろ天下国家の安寧福利に関係ある経であります。非常に教義の範囲の大きい経であります。それらを講誦せしめ、また諸国へ普及せしめられたということは、やはり仏教をして国民生活の現実全体に資するところあらしめようとした日本仏教の精神からであります。国の禍福は国民の禍福、国民の禍福は国の禍福、この現実の理を明らかに知れるところの精神の発露であります。仏教を飾り物にして置かない証拠であります。
次に平安朝に興った二大新仏教は、伝教大師の日本天台、弘法大師の真言密教であります。いずれもまた、日本民族創造の大乗精神に立つものであります。
伝教大師が支那へ留学して持ち帰られた仏教は、支那天台宗の外に禅宗、密教、律宗もありました。これらの四宗の長所を
伝教大師と対立的に時代の仏教を開創せられた弘法大師も、国民の現実生活に留意せられたことは同じであります。伝教大師の円頓戒に当るものは、弘法大師に在っては
大師が四通八達の文化的の智才を以て庶民生活の実地の便利を図られたことは、俗に弘法
平安末期より鎌倉時代にかけて法然、親鸞、日蓮、道元の諸宗祖によって、新興仏教が時代に応じて興りました。
日蓮上人の宗教が、法華経をいよいよ時代化し、人々題目を口に唱えつつ現実生活に営むところに全仏教精神は活きるとしましたその簡易化、民衆化、生活化は、誰もよく知るところであります。しかし、浄土教系統の法然上人、親鸞聖人の宗教、および山中独棲の道元禅師の宗教にもこの民族精神の暢達、現実生活の理想化という大乗精神が強く含まれているのであります。
親鸞聖人の教義は、まず安心立命を得るのであります。そして、あとは私たち民族それ自体の持つ逞しき現実の生活力に任せて、自由に発達を遂げさせて行くのであります。この際、迷いの心ぐらい現実の生活力をくさらせるものはありません。そこで、この迷いを取り去るために、宇宙の人生が備えている人間発覚の力を
「能く一念喜愛の心を発すれば、
煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり」
とあります。
また道元禅師が、越前の山中、永平寺に籠られた目的は、いわゆる一個半個の道人を打得して(一人半人の理想的人格者を作り上げて)、将来、国民に呼びかけさす手段のためでありまして、それ故にこそ、自分は手を洗う一杓の水も半杓しか使わず、半杓は元へ帰してその功徳を後嗣者に譲り与えるというような
以上、述べましたように、日本の仏教は必ず民族精神の暢達を図り、現実生活を価値化するところに重心があります。誠に日本仏教は、生に対して逞しく健康な心力を有する日本民族にとって、如何にも
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宗教で最後のものは体験であります。「信」の中身||そこに自ずから開かれる智慧の光を湛えつつ||は人に伝えるべく、あまりに微妙
けれども、いざとなると驚くべき威力を揮います。私たち電気風呂に入ったとき、中に居るときは何ともありませんが、出しな入りしなにはぴりぴり感じます。そのように、もし「信」の力に触れたものは、驚天動地の働きを演じます。紫外線、X光線、随分強い電気があります。「信」の力の電気はそんなものではありません。
めいめいその体験を味われるまでが仏教の説明によって導かれます。それならば仏教の説明は中身のない殻であるか。そんなことはありません。一人の「信」を持った人間のする説明は全部、「信」の力の現れであります。仏陀の電気の火花であります。私は、この火花によってあらゆる説明の仕方をして見ました。