風格高うして貴く、気韻清明にして、初めて徹る。虚にして満ち、実にしてまた空しきを以て、詩を専に幻術の秘義となすであらう。
鳥の

詩は我が生来の道である。その表現の玄微に好んで骨を鏤る。畢竟は我がふたつなき楽みを我と楽むのである。ただ志して未だ風韻の神に到らず、境涯整はずして、また未だ苦吟の傷痕を脱し得ざるを恥づる。
望んであまりに遼遠なるが故に、深く頭を垂れるのである。
昭和四年 立秋
白秋
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苔清水湧きしたたり、
日の光透きしたたり、
橿 、馬酔木 、枝さし蔽ひ、
鏡葉 の湯津真椿 の真洞 なす
日の光透きしたたり、
山の気の神処 の澄み、
岩が根の言問 ひ止み、
かいかがむ荒素膚 の
荒魂 の神魂 び、神つどへる
岩が根の
かいかがむ
雲、狭霧、立ちはばかり、
丹 の雉子 立ちはばかり、
白き猪 の横伏し喘 ぎ、
毛の荒物 のことごとに道塞 ぎ寝 る
白き
毛の
いやさやに透きしたたり、
神ながら神
うづの、をを、うづの
うろくづの
たまきはる命の渦の
渦巻の
かぎりなく
萠え
国
萠え
影すらも、頼む影、
萠え
萠え
昼もなし、夜もなし、
寒しとも、暑しとも、まだ、
萠え
岩が根に
いにしへもかかりしやと。
苔水のしみいづる
かそけさ、このしたたり。
草に木に
いにしへもかかりしやと。
おのづから染みいづる
わびしさ、このあかるさ。
小さき日に
いにしへもかかりしやと。
かがやきの空わたる
わりなさ、このはるけさ。
神神に
いにしへもかかりしやと。
はればれとひびき合ふ
松かぜ、このさわさわ。
神神、
いざ、
照り満つ
こよなし、よく染みぬ。
神神、
みそなはせ、
はららぐ鷲の羽の、
こよなし、よく飛びぬ。
神神、
ああ、神神、
こよなし、よく鳴りぬ。
神神、
ああ、神神、
この恋の、
こよなし、よく鳴りぬ。
さわさわや、ひきまとふ
我が
鴉の、青鴉の
雲立ち立つ、
音ひそめて。
はてなさや、しづけさや、
風、
こもらふ神神の
素足見せて。
昼や、げに、息はずむ
毛の
飛びかくれぬ。
昼は沸き、
夜は夜とて
光る神神。
(ほうたるよ)
遠つ神代は
(ほうたるよ)
神なりき、
かがやきの
(ほうたるよ)
我や何とも、
善きと、悪しきと。
(ほうたるよ)
夜は
ただ光る
美しき神。
(ほうたるよ)
とらふなし、
この夢、
なにを、さは
払はむぞ、また。
(ほうたるよ)
ああ、保て、
雨を

にほひのみ
溜めよ、この闇。
(ほうたるよ)
まどろまず。
大き月
満ちて、照りぬ。
何を澄む
とりよろふ
山の
草も木も
押し靡け、
吹きすさむを。
安からず、
また、
神ことごと。
たづたづし、
瀬に鳴りつつ。
月にのみ、
耳は裂け、
地に
雪かとも
身は白し、
飛び
あきらかにこの
鵜は宿らじ。
波は荒れ、
紫のこごし
立ち
ただ響きて。
白き犬
月かげを噛む。
砕くなり。
この光
痛烈に光るなり。
何ぞ。
この犬の怖るるもの。
水にも岩にも。
光るなり、
犬は噛む。
月かげを噛む、
かりかりと噛む。
木蘭よ。我れ言はむ。
杯は我が
木蘭よ。酒、酒、酒。
酒は我がいみじ
木蘭よ。また言はむ。
日こそ我が父。
木蘭よ。
月はまた母。
木蘭よ。
山の木蘭。
木蘭よ。
空は我が神。
木蘭よ。
我れは歌なり。
木蘭よ。我れ飲まむ。
酒よ。また、酒よ酒よと。
木蘭よ。
深め、
木蘭よ。
琥珀。我が酒。
香取神宮
群れて巣をもつ
空のはるかを、日の
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さながらや、
息づかし、黄の
尾に
楚楚として、うしろ向く
細首の、その長さ。
眼の
七八月、
やや乱れて。
江の
また淀めば。

ああ、
紫よ、
雲は
くわうくわうと声は放て、
月に

十善のみくらゐに
君はおはすを。
またいつかみそなはす、
冬の日の白き花鳥図。
白鷺は、その一羽、
睡蓮の花を
水を
かうかうとありくなり。
白鷺は貴くて、
身のほそり煙るなり、
へうとして、空にあるなり。
白鷺はまじろがず、
日をあさり、おのれ啼くなり、
蓮の実を超えて立つなり。
照り
豊かなり、
とどろきぬ、
蝶は超ゆ、この
うつら舞ふ
昼
歎かじな、雲の
また
この
位のみ。ああ、にほひのみ。
唐画
『開け、指。』
『過ぎよ、雨。』
雫して、
ああ、雫して、
声もなき白き声して燃えあがるなり。
目ざましきもの、
白き
夏は岩が根、
秋は月夜の白かんば、
白き鹿立つ
へうと飛びゆく雲は冬、
鶴に身をかる幻術師。
何か
雪の気韻は澄みのぼる。
鷺は棲む、
白き
しづりうつ雪の柳に
やや
つくづくと、うち見やる
水、枯葦、
まさしくもみ冬なり。
白ひと色。
鷺は棲む、羽ごろもの、
笠の翁。
いとどしく、薄墨の
空飛ぶもの、
雀かと、眼は放て、
また眺めず。
日のくれぐれ。
鷺は燃ゆ、
にぎみたま、
そは
香に
影の、
日の
そよかぜよ、ただ。
なづさはず、
行きも
かげろふよ、
さざなみよ、ただ。
水の紋、
幼な息づき。
にほふのみ、
ゆらぐのみ、ただ。
無為よ、ああ、
白き水鳥。
遊ぶのみ、
鮎鷹は多摩の千鳥よ、
梨の
ちちら、ちち、
白う飛ぶそな。
鮎の子は澄みてさばしり、
砧うち、
砧うつそな。
鮎鷹は初夜に眼の冴え、
夜をひと夜、あさりするそな。
ちちら、ちち、
鮎の若鮎。
水の色、
眉引のをさな月夜を
ああ、誰か、
影にうかがふ。
註 多摩川のほとりには梨畑多し
唐画
夏はよし、
君が水のべ。
皆すずし、
石の、濡れ色。
白き蓮
半ばくづれて、
かはせみの
ねらひ澄ますと、
早や、そよぐ
蓮の実の
折れ曲る
影の、
唐画
鵲のつどへる見れば、
黒き羽や、
夏はゆく、野づかさの照り。
流らふは霞のみかは。
うらがなし、おだやかながら、
こもらへり、風もそこここ。
老いやすし、この
鵲の幾羽居りとも。
揺れやすし、幾羽居りとも、
黄の、
唐画
珠数かけ鳩はむきむきに
落ちし
しめりまだ
珠数かけ鳩の
空に
羽根に雫の色涼し。
珠数かけ鳩は行き過ぎて、
あかき
元画
鳩なり、よき紫、
水盤のへりに、ああ、
うつむけぬ、法師あたま。
柔かさ、かがやかさ、
尾は立てぬ、
鳩なり、よき紫、
水の輪の紋織や、
嘴を、
嘴を、
嘴をふれ、
聴くともなし、
鳩なり、よき紫、
突き入れぬ、
あ、突き入れぬ、瞳を、
水に、
水に、水に、水に。
印度画趣
白き鷺、空に闘ひ、
沛然と雨はしるなり。
時は夏、青しののめ、
濛濛と雨はしるなり。
早や
くつがへせ、地軸はめぐる。
凄まじき銀と緑に。
白き鷺空に飛び連れ、
濛濛と雨はしるなり。
庭の雪、
こはばりぬ。
きびしきは
木のかげも
貧しくて。
足跡よ、
雪の窪、
早や光らず。
いとど
声や、ただ、
ひとり
その窪み。
雀なり、
煤けたる。
目につきし、
目を去らず。
息つがず、
冬のひばり、
さへづりの
短くて。
氷張る
河のうへ、
ぴしりうつ
とりどりに
子らは行く、
むら消えの
雪を、田を。
ちちら、ちち
空のこゑ、
まだ
春は来ず、
匂ひだつ
また、
冬の日の、
つきほなさ、
ひとみの黒さ。
氷にも
寄り添ふ身の。
老いてなほ、うつくしき
飾り
たのめなき
さむざむし池の
行けば行き、
とめぐればただめぐりて。
すべはなし、
水かきや、
ちらら見せて。
つれづれと、
さわさわと
音響けば、
鶏は羽ばたきぬ。はたはた、ああ、はたはた、
かがやく
眼の
尾羽、
岩根の、白羽蟻の
吹雪と舞ふ柱を。
力よ、
飛び
光の、
凄まじ、身は重し、
朱の古りし鶏よ。はたはた、ああ、はたはた、
すべなし、飛び羽うつと
いくばくも飛ばず落ちぬ。
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ねむれよ、やすらかに、
冬のあひだ、
まどろめよ、
ねむれよ、おだやかに、
蛇よ、かはづ、
まどろめよ、おのが肉
ねむれよ、このもしく、
夢も
まどろめよ、
塗りとざして。
ねむれよ、息の緒の
あるかなしに、
まどろめよ、ゆるぎなく
酔ひほうけて。
ねむれよ、やはらかに、
日ももとめず、
まどろめよ、こごり
地をいとひて。
ねむれよ、神ごころ、
冬のあひだ、
まどろめよ、ほろと、ただ、
ああ、とろみて。
そのもみぢも、
こもごもに、日のひかり
さしかひつつ。
そのにほひも。
ほのぼのと。靄と雨
なづさひつつ。
そのこずゑも。
さむざむと、雀など。
かい寄りつつ。
その

ほきほきと、ゐろり火に
折りくべつつ。
靄かとも、
しろい雪の
枯枝に
露とむすんで。
庭石に
ぬれて、にじんで。
たほたほと
空に見えても。
ちらちらと
雨にしみても。
つもるでも、
ひかるでもなし。
あかるでも、
暮るるでもなし。
にほひのみ、
しろい夕かげ。
もの
泣けもせぬ雪。
よいや、ほう。
よいや、ほう。
ながめあかるきをりをりを
ほそりと影は通るなり。
なにかわびしき
物の穂などもはかなさよ。
しづかさよ、
なにかしら
かがやきの
影までも、
浮彫の
飛ぶ虫の
をりふしの目に宿れば、
思ふこと
皆親し、
かかる日の
世のつねの
花にはあらず。
この匂
寂びてこよなし。
しかもなほ、
ゆめに、うつつに
いまだ見ぬ
花は多かる。
われ
壺のまろみの
幽かなる
いぶしねずみに。
よく
いよよながめむ。
花ひとつ
しろく
飛びちらふ
落葉もあらず、
庭は早や、
か広くなりぬ。
残んの日かげ、
かさりとも
移る音なし。
いとせめて、
沙羅のほづえに、
霜と咲け、
白き吾が冬。
石の
ほのとぬくみて。
菊の香や、
保つ日向や。
こよなくも
冬はなごむを。
なにか倦む
浪の音だ。まさしく、
ざざんさと寄せてる。
ねむれよ、ねむれよと。
ねむれよ、息づかひも、
毛帽子のをさな児、
耳たぶの
深めよ、日のまぼろし、
冬はただ寂びるを、
また、風よ光よと。
ああ、それに月の蟹、
茶の花も白かつたに、
父と子とが観てたに。
潮ぐもりの
さむざむと満ちる、これから、
蜆いろの沖にも。
過ぎたよ、星の座に、
照りはえた火の渦、
ねむれよ、
ちひさな毛のくつした、
腕椅子の揺り床。
浪の音だ。まさしく、
ざざんさと寄せてる。
ねむれよ、ねむれよと。
註 西の国にては、月面の影をば蟹と観る習俗あり。
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角の月
黄にしめる横雲のうへ、
燦爛とうちあがる
花火なり、
また
ほど近し、みづみづし、溶けちりつつ。
闇はよし、
しばしばも目に
梟と
まこと見よ、
かの森と、丘の
かがやきの
透かせ、また、
窓ちかき
夜空なり、
うつくしき、かがやきやすき、
明けやすき光なり、この真夏の。
聴けよ、ただ、
歎け、はた、あざやけき色の
角の月
黄にしめる横雲のうへ、
燦爛とうちあがる青きぬがさ。
黄にしめる横雲のうへ、
燦爛とうちあがる青きぬがさ。
雲はいま
白孔雀、
月をはらみぬ。
耀やかし、卵なすもの、
影は透く、
雛の孔雀の。
かうかうと照るものは
うるはしきかな。
尾羽ひろげ、
雲はいま、
羽ばたきにけり。
夜の
すずしき秋の
(月こそ神よ、
まどかにて。)
ひまらや杉の葉は
とすればそよぐそのこずゑ。
(月こそ神よ、
まどかにて。)
青みやすらふ
(月こそ神よ、
まどかにて。)
みながら
(月こそ神よ、
まどかにて。)
降るかにすだくやはらぎを。
(月こそ神よ、
まどかにて。)
湧き来る狭霧、むらさきの
地球はかをる、
(月こそ神よ、
まどかにて。)
かの
豊けき秋の
(月こそ神よ、
まどかにて。)
紫の
靄と雲、
月はあり、ありかのみ。
ほのぼのと
また開く、
雨あとや、吾がとぼそ。
見え来つつ、
また消ゆる
声と色、影と
この夜ごろ。
あはあはし、
花と葉と、花うるし。
月の光は椎の葉と
山いもの葉に宿るなり。
思へ、幽かにかかる夜を
眼にもつかねど咲く花を。
夕立つ雲の雨ふらで
土に蒸し来るしづけさや。
ちろめく
木の間がくりに
いゆきもとほる腰の蓑、
霞はわびし、金の
隠れて赤き月ゆゑに
光は立ちぬ、雲のうへ。
食めよ、白鷺、沼のぬし、
かのさざなみの揺り波を。
すなどりびとはまづしくて、
むなしく水になげかひぬ。
月のひかりはそよかぜの
月のひかりはさざなみに
さらに満しぬ、金の亀。
放て、心を、へうべうと、
空と水とのなまめきに。
はかなかれども雲に鳥、
鶴は啼くなり、土のうへ。
水に揺れあふ風のかげ、
花はこもらふひつじぐさ。
にほひをさなき
色のあひさにまじらへば、
蒼き夜ごろは貴くて、
ほのかなるものみな
流らふ風は朴の葉の
炎を洗ふごとくなり。
幽かにあをき川海苔よ、
岩のぬめりを越す水よ。
歎け、河鹿よ。爽やかに
青きひと夜の物さびを。
動きてやまぬむら雲に
月のひかりは噴きいでぬ。
月にかがやくひと束は
紫うすき根の
群れよ、白鷺、この空の
霜の夜あけの濃き青を。
なにか貧しき、いよいよに
心ととのふ世の母よ。
白き野菜も籠ながら
燃えて豊かに息づきぬ。
雲のさざなみ、月しろの
流と移るすみやかさ。
黄の鈴懸のこずゑにも
風はそよげり、あきらかに。
豹の児のごと燃えたてど、
すべなや、父は眼も冴えて、
鮎のうるかをはかなみぬ。
匂ひだちつつ、うつつには
揺れしづまらぬ靄のいろ。
月のありかは見えながら
おぼめきまろし、水のうへ。
童女よ、坐れ、むらさきの
まつげにやどる露ならば。
はかなけれども、ほのぼのと
地球も燃えて行きめぐる。
われは見き、さざめ雪かと、
人蔘の花の月夜を。
うゑはてし人の倒れて、
道の幅いとど照りしを。
湧きのぼる沖べの煙
むらさきに消えもやらずて、
神のごと美しきもの
鉄塔のうへに
わしは観た、月のおもてに
げつそりと痩せた笑を。
尖帽のしろい人かげ、
夜はふけて池をまはるを。
リンデンの枝は枯れ、
冬はまた貧しくなるを。
光れ、鶴、
雪が軋つた。

雲の
行きながれぬ。
釣舟の漕ぎいづる
入り江ちかく、
さざなみの
光るなし、かげるなし、
夕満ち汐、
うらもなし、うつつなし、
膝、くるぶし。
夕暮よ、黄金虫
うなり過ぎて、
さんごじゆの花の
蒸しにほひぬ。
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質素なり、この
放射線||
6と9と
3と2と8。
誰か知らむ、口にかゆきを。
6と9と
3と2と8。
うらがなし、待つも待たずも。
小さき鐘軒につるして、
撞木あり。||かうとうつなり。
6と9と
3と2と8。
洗へ妻、
吹く風は緑に煙り、
「時」はよし、照り移るなり。
6と9と
3と2と8。
神は
息づきぬ、野に
何かまた、えならぬかをり
咲き満ちぬ、あざやけき黄と白とに。
言問はむ、ウインネツケよ、
月のごと大きなる、その
思へみな、遥かなる慈悲。
貧しきは
田にはいま、声あはすもの
うち
美しき
すべてよし、陽炎は行く、
鉄橋の朱を桁を靡かしつつ。
真昼なり、夏は
日に焼くるあはれのみにほひ満ちぬ。
鉄工は鉄をうつ。
かんかんとうつ。
光なり。
樹木なり。
朱なり、明るき
橋材なり。
斜面なり。いきれたつ
雑草なり。
蛙なり、
盆地に
聴けよ、この
満ち満つ熱を。
聴けよ、ただ
こらゆる息を。
一つなり、
憤るもの。
鉄工は強くうつ。
かんかんとうつ。
晴天の喇叭卒、
栗の木の花は
鮮かに緑はそよぐ。
平凡な、善いたましひ。
なんと豊かな肩胛骨、
色めく翼のつけね。
流るる
真にかがやく世界の良心をもつて。
貧しく、しかも真率なる。
ああ、この童話の赤屋根を超えて。
かの乱擾は何から来る。
光は氾濫する。
栗の木の花は
鮮かに緑はそよぐ。
この俺も街頭に立つ、
昂然と
悪と闘ふ。
木木は
すずやかに、
風は光を
そよがする。
またさらに、
朝は
眼に匂ふ。
明れ、煙よ、
うちゆらぐ。
白き猫枝にかがやき、
ゆりの木の
梢にはいささかの風、
光線はいつか秋なり。
飛べよ、子よ、大き窓より、
硝子戸はとく押しあげぬ。
軽気球向うにあがる。
しかも、黄のドレスは歩む。
電柱は
菜園の斜面よ、阪よ、
風景は近く動けり。
草の
道を
風景は
絶えず流れる。
白い家
窓をあけてる。
鵲は
木の上に居る。
照つてる。
満ちて澄む
草の香は
はずみ、
子供らは
子供らと来る。
空は高まる。
おそろしく
美しくなる。
光は曲ぐる
水には光る水の影。
夏は来れり、
強く寂しくわれ居らむ。
風を祭る、
太陽の光に祭る。
風を祭る、
草と木の緑に祭る。
風を祭る、
風を祭る、
風を祭る、
川と洲の魚鱗に祭る。
風を祭る、
菜園の斜面に祭る。
風を祭る、
海港のブイに祭る。
風を祭る、
浴泉のフラフに祭る。
風を祭る、
鉄工の
風を祭る、
風を祭る、
ありとある花に祭る。
神は在る、鉄塔の碍子に在る。
神は在る、起重機の斜線に在る。
神は在る、鉄柱の頂点に在る。
神は在る、鉄橋の弧線に在る。
神は在る、晴天と共に在る。
神は在る、鋼鉄の光に在る。
神は在る、近代の風景と在る。
神は在る、鉄板の響と在る。
神は在る、怪奇な汽鑵に在る。
神は在る、モオタアと廻転する。
神は在る、
神は在る、砲弾と炸裂する。
神は在る、円形の利刃に在る。
截音は空をも削る。
神は在る、ダイナモの霊音に在る。
神は在る、一瞬に電光を放つ。
神は在る、鉄筋の劇場に在る。
神は在る、鉄工のメーデーに在る。
神は在る、車輪のわだちに在る。
轣音は野菜を
神は在る、はてしなき軌道に在る。
神は在る、雷雲に反響する。
神は在る、立体の、キュビズムに在る。
表現派は都市を彎曲する。
神は在る、颯爽と牽引する。
神は在る、鮮麗に磁気を生む。
神は在る、天体は鉄鉱である。
神は在る、炎炎と
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古風の
微塵の花のさみどりよ、
此処は
散れよ、
白藤垂りたり、
短く。
谷中の天王寺、
十八。
まだ住みつかね、
吾が妻。
五月よ、塔の
早や干す、白き
子の
青い月夜の
影が持つてる、紺のかげ。
ああ、ひたすら、
珠数のたま磨る響がする。
空に息づむ稚わか葉。
白う幅だつ墓地の露路。
ああ、かすかに、
珠数のたま磨る
ああ、ひとすぢ、
珠数のたま磨る窓あかり。
飛ぶは蝙蝠、金の
月は
ああ、ひたすら、
珠数のたま磨る人が居る。
日かげは椎の
ああ、その下を父と母。
五月なかばの
湿りにあかる日の
ああ、
谷中は墓地の石だたみ、
ああ、うちけぶる藍の
父は
かかる安けき地をこそと。
ああ、墓石や、そのふたつ。
母も笑ましぬ、よき父よ、
まこと
ああ、よき鳩や、
父の
母はいや増す鬢の霜。
ああ、ねもごろや、
桐の紫、また更に
ああ、暮あひや、父と母。
朴の木の濃き影見れば、
弦月の黄に明るなり。
花過ぎて、啼くや、幾夜さ、
ほととぎす、
薄墨の鳥。
小石川の植物園にて
睡蓮の
葉を、水の
池に満ちて。
ひろびろと照る日や。
ああ、はつはつ、
華か、白き。
昼
夏はいま、
空のいろ
つやつやし
映れよ、
蛙のこゑも、
黄に、緑に、
うつつなきレンズや。
子は父の
おもざし、
なにか
安らけき笑ひや。
朱に円き
朴の木の月、
墓の
湿る夜露や。
売卜者
算木をさめて、
昼顔の
安けかれ、
十字路の霧、
亡き
知るも知らぬも。
めでよ、足音、
息の緒の
すこやけき揺り。
紫の
汽車の煙も
日暮里の
朴の木に白き花群れ、
塔はあり、ひむがしの方。
月落ちて、吹きはらふもの、
まさしくも風は夏なり。
波だつや、空の朝涼、
抛物線、小鳥飛ぶ、飛ぶ。
刈りそめてなんぞすがしき。
露はあり、石に音して、
しかもこは
愚かなり、死にし、幽けき。
げに、
朴の木に白き花群れ、
鐘が鳴る。鐘が鳴るなり。
われかかはらず、朝なさな、
ひとり

夏は花樫、樟わか葉、
命
われをとがめそ、朝なさな、
見る目すがしき鉄の柵、
ひとつふたつと
日に
墓地は
また、思ひ出の樫の森。
墓地は
また、
墓地は
また、あひびきの青葉垣。
墓地はそよ風しめじめと、
また、透き明る日のこぼれ。
墓地は幽けき花だまり、
また、むら鳥の木のたむろ。
墓地は薄黄の石だたみ、
また、奥ふかき朴の門。
墓地は銀杏の片かげり、
また、白毫の濡れ仏。
墓地は香華の色の海、
また、
墓地は無縁の草いきれ、
また、ねもごろの水かげろふ。
墓地に光るは虫のはね、
また、手相見の天眼鏡。
墓地の迷ひ
また、横の柵、裏の道。
墓地の遊歩は爽やかに、
また、行きつまる石の寂。
墓地にも目だつ世の
また、消えのこる江戸のふり。
墓地を通ふは女靴、
また、ゆきずりの製図工。
墓地の円屋根、納骨堂、
また、
墓地は息づく靄の胎、
また、たましひの巣のしじま。
墓地は欠けゆく月の道、
また、太陽の眼のやどり。
墓地は乳屋の朝の時、
また、ちゃるめらの暮の時。
墓地はよき森、よき廊下、
また、なぐさめの

墓地はよき庭、わが門べ、
わが
風にながるる
白の蝶、
紫や。
揺れてかがよふ
白の蝶、
花の
すれすれに。
つかず、はなれず、
白の蝶、
飛ぶは無縁の
墓の
匂ひ明れよ。
白の蝶、
そぞろ吹きたつ
涼しさを。
飛べよ、たよらに、
白の蝶、
保て、
藍微塵。
黄ろい月、
花は
蝶蝶だ、まるで、奴らは。
宵だ、まだ、
墓地を抜けると、
下町は
見ろ、屋根を、
雲も、星座も、
アンテナで包囲されてる。
やあ、あれだ、
ラヂオ風景、
ばびぶべぼ、おなじ小唄だ。
どこの子も耳のお化けだ。
ちぇ、やめろ、
J・O・A・K。
蝶蝶がジヤズでお飛びだ。
蕚の花雨に浮きたり。
呼びそめぬ、ラヂオのニュース、
フラン落ち、巴里暴動す、
ポアンカレーまた世に出でむ。
子らよ、よし、
実山椒は
蕚の花暮るるに
涼し、涼し、庭の夕立。
青春老い易し、さきの日の歓会いづくにかある
さ緑の
まろき波、
みな、蓮の葉。
鮮かに
暮れのこる
こは不忍。
みな、涼し、
朱の楼も、
安けさや。
この空や、
来て眺めて。
ほのけさよ、
かすけさよ、
かの鵠の羽。
早やむなし、
ただ遠し、
また求めず。
さ緑の
まろき波、
みな、蓮の葉。
雲は、白く、
飄飄と飛ぶ。
梢には
ほのぼのと
呼びける風、
電波だけそれに触れてる。
悪神よ、
月が出るのだ。
止せよ、おい、
赤いネクタイ。
だから、君は夢遊病者だ。
聴け、音が
しきりと揺れる。
何と、また
動く夜空だ。
ほう、青いサァチライトだ。
雲は、ぢき、
曙になる。
梢から待つものがある。
星だ、あ、
星だ、あ、
や、飛行機だ、
や、一台だ、二台だ。三台、四台、五台。
囂囂音、囂囂音、囂囂音、囂囂音。
ほれ、と、わが
菩提樹よ、闇の葉よ、
覆輪の金の椎、
花よ、木よ、朴よ、漆よ。
孔雀羽根、
鬱蒼と、陰陰と、
ああ、見える、見える、見える、さうして
なんとぼやけた黄の弦月、水蒸気。
香海の爆音。
コトリともせぬ、また、
水盤の金魚である。
煤がふります、
朝のタオルに、籐椅子に。
煤がふります、庭石に、
桜落葉の霜じみに。
煤がふります、硝子戸に、
燃えてしなへた葉鶏頭に。
煤がふります、雉子馬に、
睫毛擦る子がまろい眼に。
煤がふります、つんとして
妻が物干す鼻のうへ。
煤がふります、パン皿に、
紅茶茶碗に、樽柿に。
煤がふります、巻煙草
のべつまさぐる朱の鉢に。
煤がふります、原稿紙に、
銅銭のやうな赤い煤。
煤がふります、月の夜も、
隕石のやうに、黒い煤。
煤がふります、
こほろぎのやうに
煤がふります、脳味噌に、
マグネシユームの燃え
煤がふります、昼も夜も、
絶えぬお客の黒ソフト。
煤がふります、桃いろの
扁桃腺に、肺の腑に。
ああ、ああ、いやだ。おい、酒だ。
酒にも黒い蠅の煤。
まざあ・ぐうすのお婆さん、
天の煤掃き、それ、頼む。
日の光漣なして
椎の葉を越ゆるに似たり。
早や来る春らしきもの
魚のごと喜びあそぶ。
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月から観た地球は、
紫の光であつた、
深いにほひの。
わたしは立つてゐた、海の渚に。
地球こそは夜空に
をさなかつた、生れたばかりで。
大きく、のぼつてゐた、地球は。
その肩に空気が燃えた。
雲が別れた。
潮鳴を、わたしは、草木と
火を噴く山の地動を聴いた。
人の呼吸を。
わたしは夢見てゐたのか、
紫のその光を、
わが東に。
いや、すでに知つてゐたのだ。地球人が
早くも神を求めてゐたのを、
また
呼んでゐた、雪は雪を、幽かに。
紫の空であつた||曇つた。
わたしはさがしてゐた。日の
日は円くぼやけてゐた、あどけなかつた。
わたしせつないわ、と、女が言つた。
こんなコルセット、子供のぢやなくつて。
僕も困るよ、こんな帽子は、
こんな
新しかつた、雪は雪と、匂つて、
ちかちかと、光つたり、消えたりして。
みんなまだ、ねんねえなのだ、立春の沼に、
大きな黄色の月、
童話の中の月、
おお、浜辺へ出て、手をあげて呼ぶのは誰だ。
吠えてる、吠えてる。
おお、をどつてる。
をさない愛着、白いけもの。
おお、あの空だ。海の向うの向うだ。
煙がひとすぢあがつてゐる。
ほんの濃い、向うの靄で。
ぼうわう、ぼうわう、
あ、なにかしろく吠えてる。
水芋のてらてらの葉の
その前を、音はしてたが、
ぼうわう、ぼうわう。
お、誰か、ひきかへしてる。
美しい
怖がるでない、怖がるでない。
ぼうわう、ぼうわう、
あれはただ吠えるだけだよ。
月がまた雲を呼ぶのだ、
ぼうとした紫なのだ。
ぼうわう、ぼうわう、
小さい蛾までが輝くのだ。
な、みんなが思ひ出すのだ、かうした晩は、
美しい
ぼうわう、ぼうわう、
匂やかであつた、世界は。ふじぎぬのやうな
光と空気とに織られてゐた。
ぼうわう、ぼうわう、
ああした夜靄にも吠えてゐた何かだつたよ。
驚いた、大きい月に。
汐がさし、汐がさしてた。
葦の葉が緑に燃えた。
よしきりがぎょぎょしと鳴いた。
うゑはてて、わたしは噛んだ。
声がした。舟がとほつた。
ちやうど夏、宵の
湧きのぼる、湧きのぼる霞、
中空で光となつた。
紫の鋏の蟹も
生きてゐて泡をふいてた。
幻の月夜なり、
方丈の、
ありとある
紫に
かぎりなき貴さの
鮎のごと揺りあそぶを。
煌として光る顔、
我や
ああ、母よ、我は在り、
へうへうとうち
われは筑後の国に生れぬ
ふるさとの合歓の木かげを
ながれゆく水の音なり。
鵲のしろき下羽根、
月の夜と移る空なり。
おぎろなし、おもほへば、そは
眉に立つかげろふのごと。
鵲と影をうしなふ。
飛ぶ
一羽、
子の鵲。
蓮の田の
脚ちぢめ
飛ぶゆゑに、
蓮のはな
白く見え、
露の音
白く見え、
ひたむきや、
まじろがず。
まだ、
黒鵲。
七夕の
この
三つ星の
光る星。
なかふくらみの
さざなみ立てそ、月夜には、
鳰のたまごの鳰のこゑ、
生れぬまへの息もする。
青鷺は
月に矢を
田の、田の田螺。
をとめ子は
影を知りそむ。
註 薤は傷痍にきく。月夜に青鷺が盗みに来て射られた話がある。
月は梢を光らせる。
月は
月は野末を煙らせる。
月に
月に
月は風より冴えてゐる。
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たうたうと波
ああ、げに、いにしへのアイヌ・モシリ、
言問へよ、今にして
夏よ、げに、声はあり、カムイ・ユカラ、
その声は風と満ち、照り響けり。
朗らかや、すがし葉の大広葉の
蕗の葉の下つ人、コロポックル、
呼べよ、げに、神はあり、オイナ・カムイ、
さながらに立つ影の
ここ過ぎて、神ながら身は新らし、
ここ過ぎて、我が
人よ、げに、ひたごころ
白雲の
たうたうと波
鮮やけし、
ああ、げに、いにしへのアイヌ・モシリ、
言問へよ、今にして
註 アイヌ・モシリ 蝦夷島(アイヌ語)
カムイ・ユカラ 神謡( 同 )
オイナ・カムイ 古伝神( 同 )
カムイ・ユカラ 神謡( 同 )
オイナ・カムイ 古伝神( 同 )
光なし、
日の
かがやかず、
オホーツク海の黒きさざなみ。
影は無し、
帆の綱が
眺めやり、うち見やるのみ、

寒しとし、暑しとし、ただ、
霧と風、
われは
酔はむとも、醒めむとも、まだ。
見はるかす
尾白鷲眼を放つ梢には
横雲の
ああ、蒼し、
いつの日か花咲かむ、
駅逓のフラフにも
霧は飛ぶ、霧は飛ぶ、山高きに
夏もなほ気流のみ冷えまさるを。
雲の
縹渺とふりあふぐ人いくらぞ。
凛として将た思ふ、カムイ・エカシ、
旅行けば我すらや
註 カムイ・エカシ。 神神の祖先(アイヌ語)
アイヌはよ、
老いしアイヌ、
神アヱオイナ、
アイヌ・ラクグル(アイヌの臭ひある人)の後、


土の
シネ・シツキ・プイコロクル(眼窩の人)
神神の髪の毛の人、彼こそはげに、
カムイ・オトプ・ウシユ・グルなれ。
彼アイヌ、眉毛かがやき、
白き髯胸にかき垂り、
さやさやと敷き、
マキリ持ち、研ぎ、あぐらゐ、
ふかぶかとその眼
彼アイヌ。
ほろびゆく生ける
夏の日を、
白き日射を、
うなぶし、ただに息のみにけり。
彼アイヌ、
さやら葉の青の長葉の、
アイサク・ピヤパ(髯なき稷)
フレ・ピヤパ(赤き稷)
チヤク・ピヤパ(はぜ稷)
ヤムライタ・ヨコアマム(藪虱に似し稷)、また、
脚高の
汗垂らし、拭ひもあへず。
彼アイヌ、
老いたる鷲、
古り皺み、
病み倦んずる者。
ましら髯、
マキリ持ち、研ぎ、あぐらゐ、
オンコ(水松)そぎ、心
彼アイヌ、
よく
念じ、かつ、しかく
彼、キム・ヲ・チパスクマ(山の教義)の徒、
チクニ・アコシラツキ・オルシユペ(樹の守護の教義)の徒、
地上の者、聖シランパの子、
黙想者、聖トボチの
彼はかく念ずらし。
アトニ・ウエンユク(悪楡)よ去れ。
ニ・アシユ・ランゲ・グル(をを、汝立木人よ)
キサラハ・ランゲ・シヌブル・カムイ(をを、汝木の皮の尊き鬼神よ)
オー・トイヤン・クツタリ(汝地上に拡張せる者よ)
総て善し、
ことごとく
オンコよ、吾が削る
オンコよ、しかく光らん。
彼アイヌ、
老いたる鷲。
ほろびゆく生ける
光り、かつ白き
彼アイヌ、眉毛かがやき、
白き髯胸にかき垂り、
マキリ持ち、研ぎ、あぐらゐ、
真夜なす
今は善し、オンコ削ると
そのオンコ、
たらりたらりと削りけるかも。
神こそはおそらくは
神殿は
風、そを祝ふ。
燦爛と木は笑ふ、
まだ、うつつに。
観よ、小さき
草は満ちて、
子らと猫うちさやぎ、
行き進むを。
聴けよ、また、
押し移る緬羊の
日にとろむを。
げに
響は若し。
貧しきはいとなみぬ、
空あふぎて。
この地平かぎりなし、
照りかすみて、
愚かしく、
野は笑ひぬ。
石狩にて
蜜蜂の
おとなひに
響く小池。
みぎはには
黄の一重、
とろろあふひ。
君が園
夏を、照りを。
はるけくも
来し北か、
ここは音江。
見ず知らず、
また会はず、
この日かぎり。
散る散らぬ、
まだ薄し、
林檎もみぢ。
トラピスト修道院
揺りいづる
夜はあけぬ、
露ながら、人はあり、
いのりつつ、野に刈りつつ。
しづけさや、よき寺や、
カトリコの
鷹のごと光るもの
山の気に吹きながれて、
美しき八月や、
こは
かはらははこ、
ここ過ぎて、
トラピスト
修道院なれ。
空ちかし、
かはらははこ。
修道士の
また、月に、
月夜であります。
月夜であります。
月夜である。
重い羽ばたき、梟だ。
七面鳥は朱に青に、
膨れかへつて
とても
雌蕋の花粉は唸つてる。
バタの
裸の子供のにほひもする。
さら、
さら、
さら、さら、さら、さら、唐黍だ。
誰か来ぬかと待つてゐる。
暑い、暑い、暑い、暑い、
へえほう。と
虫も啼いてる、草むらで。
かあん。
と、
月夜であります。
月夜であります。
月夜である。
「神父さん。」トントン。
「神父さん。」トントン。
「神父さん。」トントン。
「神父さん。」トントン。
「神父さん。」トントン。
「神父さん。」トントン。
「神父さん。」トントン。
「副院長さん。」トントントン。
「院長さん。」トン。
「しつ。」
「しつ。」
「しつ。」
「しつ。」
「しつ。」
「しつ。」
「しつ。」
さうした声がするやうで、
じつはしませぬ。
暗さは暗し、静かです。
腐れたにほひ、乳のにほひ、
ひつそりとうつ
草のちり屑、
尿のにほひ、
また食べかけの向日葵の
花も
眼。
眼。
眼。
眼。
眼。
眼。
眼。
月夜であります。
月夜であります。
月夜である。
「お乳が張つたあ。マリヤさま。」
トン。
「しつしつ。」
「しつ。」
牛舎です。
鴨だ。鴨だ。鴨が
すべりあがる。おお、
大きいうねりの
深い深い底の奥から、
もこりもこりと
そのうねりの阪へかかつた、揺り揺られて。
鴨の、なんと、
黄色い嘴だ、
横を向いて、
留る、と、高みきつたうねり波の峰が
はるばるとした世界が見える。
鴨はすべる。
すうつと落ちてゆく、大きいうねりの
風も無い穏かなうねりだ、尾羽根を立てて、
なんとまた、光つた
叡智の瞳。
鴨が、あつ、かくれた、
大きいうねり波に、さうして、
見えない向うの渓間にゐる
あの姿勢。||
わたしは直感する、
おそろしく
波の丘陵を
全くの静謐、
虔ましい
鴨がまた、揺られて、
見えて来る、あ、出た、出た、
大きい、すばらしいうねりに乗つて来る。
「おうおう。」とでも呼びかけたい。
いいかたちで、浮んで。
ブラボウ、万歳。
鴨はまかせる。
大きいうねりの意志に。
はてしもない韃靼海のただなかだ、
ぴつたりとつけた
燃えるやうな濃い青。
鴨は一羽だ。
北へゆくほど遠くなる日の光だ。
空の世界も寒いが、
雲は深いが、また、
波は光らぬ、
見わたすかぎり光らぬ波、
そのじつ、
大きく大きくうねつてゐるのだ、

鴨は啼かない。
まつたく黄色い嘴だ、さうして、
おお、おお、揺れてる、乗つてる、辷つてゐる、
小さい、整つた、
美しい、きつちりした
鴨の
箇の叡智、
ああ、一つの正しい存在。
あ、かくれた。向うへ落ちてゆく。
あ、出た出た。
ぴゆう||
指笛だ、俺のだ。
鴨はまかせる。
大きいうねりに坐つて
盛りあがる、盛りあがる、部厚な
底ぢからに揺られる。
鴨は
劫初からの海、韃靼の寒空、
しかも、夏、夏、夏、
どちら向いても、
うねりの
絶間もないうねりの、
おそろしく、また、穏かな、
波濤と波濤と波濤の連続。
ええ、ちきしょう、
鴨の
夜が来る。夜が来る。
白き熊、
極光を
人かとも、白き熊。
白き熊、
氷原にひとり在り。
見はるかし、白き影。
白き熊 飢迫れり。
荒天の雪に、ああ、
吹きつつむ白き雪。
白き熊 聴けり、今、
声の無き声のうち、
白き熊 まじろがず、
ひたと立ち、息つがず、
神去ると、白き息。
白き熊 輝けり。
氷原や、
夢は飛ぶ、白く飛ぶ。
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物は観て、うつつならぬか、
紋しろのてふてふか、
(ああ、
わが子や。)
日は
(ああ、
わが子や。)
まだ飽かず、虫よ花よと。
(ああ、
わが子や。)
おのづから催すか、また。
(ああ、
わが子や。)
ひとすぢに
木いちごは
花に現れ、
身がろく走り、
笹ごもり、
光りつぶやき、
蜂は巣を
営みそめぬ。
春や、この朝、
我がこころ
こよなく遊ぶ。
櫨の花
塗畦の
ぬめり青めば、
水田には籾も蒔かれぬ。
われや、はた、
うつつの蝶や。
まさしくも春はいぬるか、
首欠けし
なにならぬ
つぶやきよ、ああ、
篁の
靄のこもりや。
なにならぬ
つぶやきよ、ああ、
墨を磨る
こころゆらぎや。
なにならぬ
つぶやきよ、ああ、
昼
むらさきの地や。
なにならぬ
つぶやきよ、ああ、
春の蚊を
ふとし叩きぬ。
藤のはな軒ににほへり、
日の暮れて白き藤なみ。
松田にもほど近からし、
田舎馬車
まかで
草の香や、遊ぶ子どもや、
この
それすらや、さみし、このごろ。
うらがなし、
夜の
いづれよし、余光の微塵、
常無しや、為すなしや、ああ、
春はゆく、かかはらず、また。
日の暮れて白き藤なみ、
色、匂、またさま変へぬ。
葦の根に
ややにして

薄あかり、かがむ
なにかよき鮎の
年増づれ、眉根剃りたる、
足柄の山をくだりて、
いくばくも道はあらぬを。
ほのぼのと東へ行くと、
月しろの
身ははやも
心はや世のこころなし。
酒の仙、
我まさに唐の
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ひとりかくれた篁に
茗荷もしろく
酔うてほろりとする日でも
わしやさびしいぞ、青雀。
羽ばたきぬ、
頬の白きもの。
光りつつ、
風なき昼。
父よ、父、
呼ぶわらはべ。
竹のうへ、
また竹の葉。
羽ばたきぬ、
頬の白きもの。
空や空、
かたわれ月。
孟宗よ。
とうからわたしは思つてゐた。
このやうなことがあらうかと。
円月は黄色くなる。
影と影とは遊んでゐる。
孟宗よ。
ちやうどこのとほりだ。
この明るさだ。
竹と竹との透かし画だ。
蒼うなつた、蒼うなつた、
あの露を、
あの影を拾はうよ。
今朝はとなりの藪にさく
花朝顔のちひささよ。
貧しい庭の花なれば、
となりへ
まだ青いのは松笠、
こんこ小松のしたぐさ、
秋はただつかまへて見て、
日に透かすこほろぎの
母は子に乳房与ふと、
月輪の光を
子は母の
そのかうべ星の息づき保つなり。
ああ、秋よ、飾りなき野辺といふとも、
かかる日の
日かげには茗荷のしろき花咲きて、
虫の音に湧きいづる
母のまみ子のまみと会ふ。
ああ、今よ、
母は子に乳をふくますと
子の父のその母のこと思ふらむ。
はたや、子は母にすがると、
その母のをさな姿の早や現れぬ。
日の道のやや
秋は早やつくつくほうし鳴きいでぬ。
しかも、
いまは我が子の肩を越えたり。
ああ、妻よ、
常住むは幻ならず、
その
その
わたしが竹を愛するのは
幽かなは竹、
親しいも竹、
なにかそこらのちらちらが、
蓼や
竹はいい、
篁はいい、
奥ぶかいゆゑ、
冷えるゆゑ、
なにかそこらのちらちらが、
蝶や小蟻を明るくする。
わたしが竹を愛するのは
このちらちらがうれしいのだ。
竹に交りて幾秋ぞ。
竹のはやしにもとゐして、
竹にもたれて、日を浴びて、
空のはるけさ、まがなしさ、
見よや日なかの雲に鳥。
欠けそめて、
ほんの
とてもちひさく見えまする。
竹のそよぎも澄みまする。

雲に小鳥も翔けまする。
山住の秋も深むを、
すべもなや、かほよどりの、
けけっちょうよ、けけっちょう、
けけっちょうよ、けけっちょう、と、
時雨れこそせね、枯枇杷に
日がななにがなせはしさよ。
あてのない詩でも書かうよ。
渡鳥来る日和なら、

竹にじねんじよ、蔦のはな、
とりとめもない秋なれば。
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眉の毛深い白の蛾は
熊の翁を思はする。
月に舞うては、飛ぶものの
いつか
とすれば明る
朱の寂びがちの胸の
なうなう、留まれ、白の蛾よ、
秋はほのかなものながら。
観る目はうつつ、飛ぶは夢、
月も
秋はほのかに寝ざめして、
あはれと思ふ
とすれば白う吹きたちて、
月夜の風も消えゆけり。
春信の浮世絵のこころにて
涼しや涼しやと
女菅笠かたむけた。
涼しや涼しやと
磯のぬれ岩しぶきが立つた。
浪は浅葱のさざらなみ、
沖にほのぼの
また蛤がなげいたさうな、
よいにほひよと眺めて行つた。
涼しや涼しや涼しやのう、
その声ばかりが吹かれて行つた。
かかる人をわれ知れり。わがふるさとのあはれなり。
ほほゑましげの盲人よ。うたぬ鼓を手に据ゑて、
なにをかすかに聴いてやら、
ああ、秋よ、
ただ日あたりがよいのやら、
にほひばかりに
えいや、ほう、ぽん、
えいや、
こころばかりで敲つのやら。
花は白菊、ませの菊、
にほひばかりの秋じややら。
鵜匠の宗家長良川の山下幹司君に
篝火の朱にはゆる
君こそは鵜匠なれ。
濡れしづく腰蓑の、
折烏帽子古風にて。
すばやくも手にさばく
時の間よ、ゆく水の
かぎりなき
つぎつぎと目にうつりて。
ほうほうと呼ぶこゑの
誰ならず、夜を惜むなり。
わしは鷹匠、
微塵ゆるがぬ。
拳に据ゑた隼をひたと見守る。
かの一点をとらへよと。
さて、さうさうと松の風、
はらはらとうつ青松葉。
時はよし、
一期かけよと颯ッと放した。
飛びつつも飛ぶと知らぬか、
ただ飛べる秋のすがたよ。
舞ふ蝶のこのごろ小さしみな黄なり。
椎の木のかげにゐられる
あの
どなたさまかの、
ああ、なにか
月の光がさすわの。
鳥居清忠ゑがく
さて立膝の、細筆に
春の柳をかく女、
それを寝て観る男髷、
男磨る
手水がめにはおかめ笹、
冬の日和はもつやうで、
まだ薄墨の時雨ぐせ、
しよざいなささの、しんじつの、
ええ、
つれづれの小半日でありんす。
墨のいろよくうつるらし、
時雨月、かかるひと夜は
色鳥よ、
よろこべよ、このあした
ふくらむ花の
いろがきこえる。
おぢいさまとおばあさまとの、
ある日、林にまゐられた。
なにかといふと花のにほひぢや。
おぢいさまや。
おばあどのや。
ああ、おぢいさまや。
おばあどのや。
おばあどのや。
ああ、おぢいさまや。
おばあどのや。
春はどうにものびやかでの、
揺れてゐたといの。
月は翁の
鼓うてうておもしろく、
春はふたたび、
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靄のふかい朝、子供が
小舟を動かしてゐる。ああ、
ここは潮来の出はづれ、
沼から沼へとかよふ水路だ。
ほう、むぐっちょが鳴いている。
水面が明つて来る。
子供は聴いてゐる、一人は
一人は掻いてゐる、
うすら寒うてもよい
どこかに日の光もある。
柳のなびきも青うなつた。
低い田圃も犁かれて来た。
ほうつと、どこかで火を燃してる、
誰だか焼いてゐるのだ、葦の根を。
風が来た、いや、土のかをりが通つた。
おお、もう春が動いてゐるのだ。
彼等はいつしよにのめりかかつた。
とても大きなたんぽぽが咲いてる。
靄のふかい朝、むぐっちょが鳴き、
子供は小舟で取つ組んでる。
わたしは眺めてゆく、沼べりの葦のさびれを。
刈り残しの乏しい穂さきを。
わたしの小舟は帆を張つたが、また、
櫓に代へ棹に代へたりした。
雨は雨でもこぬかのしめりで、
風は風でも冬とはちがふ。
ざんざら真菰も青みそめてる。
ああ、旅だ、
時には心もひきしまるが、また、
笑に代へ、親しみに代へたりして。||
うつくしさ、さびさびしさ、
ああ、このしづけさ、
小舟はゆく、沼のおもてを、||
夕凪の安らかな乳金色。
小舟にはおつとりと、赤の雌牛が、
(なんといふよい画面)
おとなしく乗っけられてる、
うつぶした明るい姿。
むつまじさ、かざりなさ、
ああ、このしづけさ。
娘は棹をあげ、また、さしつぎ、
親たちはかがんでゐる、耕作のよい疲れで。
めづらしいよい日和だ、あるかなしに、
葦の穂さきに微塵が光つて、
沼のながめが広うなれば、
むぐっちょが鳴く。何かの芽立に
ものがなしさ、
ああ、このしづけさ。
春あさい大きな
遥かな、寂びた藁屋根、立枯れ楊。
すべてはよい照らしにある、雌牛の
安らかな深い眼つきに宿る。
ああ、この親しさ、かたじけなさ、
すべては明るい祈りにある。
水車のまはる樋口に

春はまだしか、芽麦に
はだら雪など光れり。
春雨けぶる小がはに
板橋わたす里かや。
この田かの田の下萠え、
簑笠つけて早や鋤く。
ひとむら萠えしなづなを
朝出て
沼の田べりはわづかに
降りつぐもののにほへり。
かはづの啼くはころころ、
田螺の啼くはころろよ、
ころころ、ころろ、ころころ、
萠え
蛙が啼くよ、沖田に
芽柳もなびくよ。
今朝あかあかと火を焚く。
春はまだ浅き水田の
根芹は馬に食まれぬ。
ゆきかへりつつ、鋤きつつ、
ひと日は雨に暮れたり。
ふたもと高い葉楊、
鍋底こする舟の子、
つん抜け土間の藁家は
燕の飛ぶにまかせぬ。
夜明けの靄にめざめて、
渡るは雁か、くぐひか、
早や
沖田あたりは晴れうよ。
耕作舟につむもの、
犂、鍬、黒の
朝靄がくり棹さす
娘のあかい細帯。
せんだんの実もさみしや。
蓆機織る藁家は、
日がな日ぐらし音して、
日がな日ぐらし雨ふる。
藁すぐる子の
沼のあかりがしむかよ。
ときたま鳴けよ、鳰鳥、
昼間の月も渡るよ。
前ゆく蝶のつばさに
土のしめりはながれぬ。
まことに春は田の面の
末より
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枯れはてて、おだやかな眺めの冬、
柔かな日あたりの冬、
冬はまだ渓の向うにある。
あの老いた胡桃のこずゑにある。
よく光る
枯山と枯野と、
ところどころの沢水と、
いまだに深くはぬくもらぬが、
なにかに酔はせるものがある。
安らかないい収まりが。
かうした
こころよい疲れ、
旅のおこたり、
棄てはてて、ほうとしたこころ。||
そのうちに春も来やうよ。
よい空気だ。
よい光線だ。
わたしは足をさすつてゐる。
縁側で膝をたたいてゐる。
かうした早春の空気をたべることは
とりもなほさず身の滋養だ。
わたしはまた朝の光を食べる。
蛙のこゑ、
若紫の薄むらさき、
揺れてゐる露、||
ひとつひとつに眺めて食べる。
菊子よ、いい朝めしだ。
新鮮な、いいお
わたしはおまへの息まで食べる、
魂の魂まで食べる。
柔かなは春さきの
ややかすむ洩れ陽のすぢ、
渓あひの枯草、
鉱泉をあたたむる人が薪割り、
午すぎの煙筒の煙。
わたしは疲れて帰つて来る、
いささか
それでも雪の浅間はよかつた、
鷹の飛ぶのも。
柔かなは春さきの
その金粉の靄。
きりさめかかるからまつの
もえぎのめだちついばむか。
うぶげのことりねもほそく、
みしらぬはるをみてなけり。
けふも胡桃をわりゐたり。
胡桃の
ねもごろなれやいつまでも。
月の夜の
よう枯れし
月の夜の翁ぐさかと触れてゐる。
からまつに
からまつのかげうつりたり。
月の夜ならし。
白樺のはやしのなかに
胡桃の木ひとり老いたり。
花の青さや。
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一音の言葉にも広大の宇宙がある。此の宇宙をわたくしは日夜に検鏡しつつ、人知れぬ驚喜と嗟嘆とに我が身内も顫へつつある。つまりは言霊の生命といつても眼に見えぬ微塵数の原子から発すること、かの細菌の作用と同一に、わたくしには空おそろしくさへ考へられる。
一語一音の本質、その連関、節奏の渾成に就き、常に繊細に味識し、熔鉱、濾化、鍛冶、創造等の諸程を常住の道とすべきは、言霊の使徒たる者の唯一最高の業でなくて何であらう。わたくしは蓬蓬として苦吟する。推敲に痩せる。然しながら、序に述べたごとく、好む道とて致方がないのである。その推敲の苦みこそは何にも替へがたい我が無上の楽みであり、我自らの風狂をまた如何ともしがたいのである。
一音の中の微塵数の原子の持つ生命力とは何か。この一原子ごとに宿る生命は詩人の気禀、思想、感情、感覚、及び心肉に氾濫する意力と感動の速度、調律の如何によつて、初めて種種雑多の形式に於て統合され、円融され、開顕されるのである。詩人の精神はその摂取する一語一音の中にあつて、既にかの花粉のごとく玉露のごとく、芬芬として離離として発光してゐるのである。
であるから、単に言葉と感覚との享楽的二重奏とのみ観て、白秋に思想無しなどといふ認識不足の言に対しては、わたくしはただ微笑してゐればいいと思へる。わたくしは之を憤るほどの未練な世界に最早や住してゐないつもりである。
わたくしの最近の詩の傾向に就いては、本集の『古代新頌』の諸篇、或は『白い[#「白い」はママ]花鳥図』の「老鶏」、『海豹と雲』の「汐首岬」「樺太の山中にて」「曇り日のオホーツク海」「老いしアイヌの歌」等、『風を祭る』の「真昼」「架橋風景」、更に「鋼鉄風景」に於ける近代神の認識に到る、日本古神道の精神を此の近代に新に再造するにある。わたくしはかの古事記、日本紀、風土記、祝詞等を渺遠にして漠漠たる風雲の上より呼び戻して、切に古代神の復活を言霊の力に祈り、之に近代の照明と整斉とを熱求しつつある。わたくしは日本民族の一人として、容易にかの泰西流行の思想に同ずることを潔しとせぬ。
また思ふに、古代の胆を捉へることはあながち古語死語を漁ることではない。生生躍動した古代感情のリズムをこそ素手に捉へることである。わたくしは漸くに些か之を会得したかのやうに思へる。
一方、わたくしは近代の幽玄体を月光と花鳥と古俗との間に、密かに薫醸しようとした。『白い[#「白い」はママ]花鳥図』『月光の谿』『童話の月』『花楮』等の諸篇の中にさうしたものがある。
わたくしはまた、覊旅、或は日常生活の中にわたくしとしての詩材を拾ひ、詩境を修めようとした。『金粉の靄』『水郷の早春』『月夜孟宗の図』『春の蚊』『海豹と雲』『珠数工の夜』、その他の諸章の中にも之等は混色し、散在してゐる。
わたくしは交



詩の表現に就いては、わたくしは気息さながらの流露を最上としてゐる。形ありて形なく、色ありて現なく、匂あつて捉へるところなき声なき声を、さながら心の声としてゐる。わたくしは偏奇な、又は虚構的な文学の使用を忌む。何となれば、詩の表現の重大は文字に非ずして音にあるからである。声に出しては消えも失せぬべき声なき音のゆらぎにある。至上の技巧は至純にして、些の雑音をも、その舌に微細なる一粒の小石をも厭ふ。疎放と衒耀とを最も厭ふ。
わたくしは一語一音の玄微を探ることにわたくし自らを常に推敲の絞木に架けつつある。然しながら、決してまた繊細性の語韻のみを調味して、大局の表現を忘れる軟弱は思はれない。音に微にして、心は太く、時には古代的樸茂と素朴であるべく、奔放自在でもあるべきであるを思ふ。詩材と感動の如何によるのである。
ただ、わたくしはかうは願つてゐる。然しながらわたくしの詩技そのものが、一に之が証左たるべき完成作として考へる自負は持ち合せない。寧ろわたくしは自らの今日の未熟を知り過ぎてゐる。その一一の詩に就いてもあまりにその欠所を微細に知り過ぎるが故に他の人の十倍の苦みをも敢て辞さうとは思はないのである。
本集には『水墨集』後の凡そ八年間の詩作品を蒐めた。竹林に恵れた小田原の山荘に於ける震災前後の生活から、珠数工に隣り住んだ谷中天王寺十八番地の仮寓時代、大森は馬込の月光の谿を瞰望した丘の上の一年が此の間に推移した。此の長日月の間にわたくし自身に第一義の詩集とすべきものの一巻をも公刊するに躊躇されたのは、此の自身の未完成に就いて知ることのあまりに深かつたからである。わたくしは自らを愛惜することにあまりに傾き過ぎたとも思はない。良心が許さなかつたのである。
なほ、本集の装幀に当つて、かの『篁』『月と胡桃』の時と同じく中山省三郎君の共力を得た事を感謝する。(世田ヶ谷若林にて)