独りものの
平三は、
正直な
人間でありましたが、
働きがなく、それに、いたって
無欲でありましたから、
世間の
人々からは、あほうものに
見られていました。
「あれは、あほうだ。」と、いわれると、それをうち
消すもののないかぎり、いつしか、そのものは、まったくあほうものにされてしまうばかりでなく、
当人も、
自分で
自分をあほうと
思いこんでしまうようになるものです。
平三も、その
一人でありました。
夏のはじめのころであります。
往来を
歩いていると、
日ごろ、
顔を
知っている、
村に
住む
若夫婦が
旅じたくをしてきかかるのに
出あいました。
男は、なにか
大きな
荷を
背負っています。
後から、やさしい
若い
女房が、
手ぬぐいを
頭にかぶって、わらじをはいてついてきました。
「どこへいくんだな。」と、
平三は、びっくりした
顔をしてたずねました。
「
旅へ
出かけるだよ。この
村にいたっていいことはない。
旅へいってうんと
働いてくるだ。
平さんも、いかないか。」
「いつ、この
村へ
帰るだ。」
「それは、わからない。」
「
旅って、どこだな。そこへさえいけばどんないいことがあるけい。」
「それは、
広いだ。どこって、おちつく
先は、わからないが、たんといいことがあると
聞いているから
出かけるだよ。」
「その
広い
土地を
掘ったら、
金か、
銀でも
出てくるか
······。そんなら、おれもいって、
精を
出して
掘るべい。」
「
金も、
銀も、なんでも
出てくるだ。おれたちがいって、よかったら、たよりをするだよ。そうしたら、おまえも、
出かけてきべい。そんだら、
達者で
暮らしなよ。」
「そんだら、
二人も、
道中気をつけていきなよ。」
平三は、いつまでも
道の
上に
立って、
二人の
姿の
消えてゆくのを
見送っていました。
それから、
日がたちました。
彼は、
村はずれの
丘のふもとで、ひなたぼっこをして、ぼんやりと
空想にふけっていました。おりおり
思い
出したように、
初夏の
風が、ため
息をつくように
吹いて、
彼のほおをなでて
過ぎました。
そのとき、三十五、六の
女が、
頭髪を
乱して、ぶつぶつとつぶやきながら、せわしそうな
足どりで、なにかざるにいれて、
小わきに
抱えながら、
平三の
前を
通り
過ぎようとしました。
平三の
腰を
下ろしているうしろには、こんもりとした
野ばらのやぶがあって、
真っ
白な
花のさかりでした。それには、
無数のみつばちが
集まっています。しかし、そんなことには、ここを
通りかかる
女も、また
平三すらも
気づいていないようすでした。
彼は
足音を
聞いて、ふと
顔を
上げると、やはり
見知りの
村の
女でしたから、
「こんにちは、どこへいかっしゃる
······。」と、
声をかけました。
女は、びっくりして、こちらを
向きました。その
目の
中は
涙にぬれていたのです。
「かわいい、
大事な
坊やが
死んでしまって、おもちゃがあると
思い
出していけないから、みんな
河に
流してしまおうと
思って、
捨てにいくところだよ。」
「ほんとうに、かわいそうなことをしたな。おれに、よく
悪口をいったり、
石を
投げたり、からかったが、あの
子は、かわいい、いい
子だった。おれ、ちっとも
憎いと
思ったことがなかったよ。」
「ほんに、おまえさんに、よくいたずらしたっけが、
後生だから、
悪く
思って、くんなさんなよ。ちっとも
悪気はなかったのだから
······。」と、
母親は、
思い
出して
新しく
出る
涙をぬぐいました。
「おれ、
坊やのおもちゃもらっておくだ。
坊やのと
思って、
大事にするだ。おくんなせい。」
「そんだら、
河さ
流さんで、おまえさんにくれべいかな。」
母親は、
子供のおもちゃを
平三に
与えたのでありました。
彼は、それを
自分の
小屋へ
持って
帰った。それらのおもちゃは、びっこの
女の
子のお
人形や、セルロイド
製のサンタクロースに
似たおじいさんや、
馬や、こわれかかった
汽車や、そのほか
絵本などでありました。
平三は、
壁のきわにそれをならべて、
死んだ
子供の
顔を
思い
出していたのであります。
村の
子供たちは、
平三の
留守の
間に、
小屋の
中へ
入ってきました。そして、
彼が
大事にしているおもちゃを
外へ
持ち
出して、いつのまにか、どこへかなくしてしまったのもありました。
「また、いたずら
子が、
留守にはいって、
大事にしているおもちゃをどこかへ
持ち
出してしまったな。」と、
帰ってきた
平三は、ひとりでどなり
声を
出して、
家の
外へ
出て、どこかに
落ちていないかとおもちゃをさがしました。
もはや、
夕闇は、
路の
上にせまってきて、あたりのものが、はっきりとわかりません。
彼は
悲しくなって、おもちゃを
持っていた、
死んだ
坊やにすまないことをしたような
気がして、
涙ぐみましたが、また
考えてみると、
同じような
子供が、どこかへ
持っていって
遊んだのなら、けっして、
罪にもならないと
思ったりしたのです。
木の
葉の
落ちる
秋となり、そして、やがて
冬がきました。
雪は、ちらちらと
降りはじめました。
田や
畠に、
餌がなくなると、からすは、ひもじいとみえて、カアカア
鳴いて、
人家のある
方へ
飛んできました。
「こんな
雪の
日には、
困るのは、だれも
同じこった。そら、おまえにもくれてやろう。」と、
平三は
自分の
食物をわけて、からすに
投げてやりました。
からすという
鳥は、
黒い
陰気な
鳥で、
人間にはきらわれますが、なかなかりこうな
鳥でした。さかしそうな
目つきをして、
木の
枝にとまって、
平三の
方を
見ましたが、じきに
飛んできて、それを
食べました。それから
後は、いつでも
平三の
小屋の
近くにいて、
遠くへいっても、また、このあたりの
木に
帰ってきました。
雪のないうちは、
手助けにやとわれたりして、どうにか
暮らしてゆきましたが、
雪が
降ってからは、
外の
仕事もなくなってしまい、
平三をやとうようなものもなかったのです。
「
平三は、どうしたろうな。」
「せんだって、
往来を
通っていたら、からすが
屋根にとまって、アホウ、アホウと
鳴いていたぞ。」と、
戯談をいったものがあります。
「
無欲な、
正直な
人間だ。そんな
悪口をいうもんでねえ。
雪が
降って、
仕事がなくなって
困っているだろうから、
私は、
明日にも、ちょっといってのぞいてみるつもりだ。みんなも、なにかよけいなものがあったら、くれてやるがいいだ。」と、
老人が、
口をいれました。
こんなに、かげで、
村の
人から
同情されているとも
知らずに、
平三は
小屋の
中で、
一人で
雪ぐつをつくっていました。
「カア、カア。」と、からすが、
外のかきの
枝にとまって、しきりに
鳴いています。
「なにかくれてやりたいが、
今夜は、
一つぶの
飯もねえだ。
我慢をしろよ。このくつを
持って、
明日は、
早く
売りにいってくる。そして、
帰りに
食べるものを
買ってくるからな。」と、
小屋の
中で、
聞こえるはずもないのに、からすにはなしをしていました。
ちょうど、そのころのことであります。ほどへだたった
町の
酒屋に、
嫁入りがありました。その
評判は、この
村でもたいしたものでありました。
「三
国一の
嫁御というこった。あんな
器量よしは、まあ、
金のわらじをはいて、さがしても、ほかには
二人とないという
話だ。」
こんなうわさは、
端から、
端にまでひろまりました。
平三はそれを
聞くと、
「どんな、
嫁御だろうな。」といって、ぼんやりと
考えこんだのです。
村で、
町へいって、その
嫁御を
見てきたものは、
帰ると、その
美しいことを、ほこり
顔に
語ったのでありました。
平三は
自分も、どうかして、その
嫁御を
見たいと
思いました。しかし、そんな
手づるはどこにもありません。
考えたすえに、
彼は
酒を
買いにいったら、あるいは
見えまいものでもないと
思ったのでした。
あわれな
平三は、
夜の
目も
眠らずに、わらをあんで、
雪ぐつをつくりました。そして、
翌日は、それを
持って、
村から
村へ、
売って
歩きました。
晩方、
家に
帰ると、
小さな
徳利をさげて、
町の
酒屋へ
酒を
買いに
出かけたのです。
彼は、
毎日毎日、
晩方になると、
徳利をさげて、
酒を
買いにゆきました。しかし、三
国一の
花嫁は、
家の
奥深くはいっているとみえて、一
度も、その
顔を
見ることができなかった。いつも、
頭のはげあがった
番頭が、
上目を
使って、じろりと
平三の
顔をにらむように
見て、一
合ますに
酒をはかっていれて
渡しました。
彼は、
毎日毎日失望して、
家へ
帰ってきたのであります。
「あほうの
平三は、いつから、あんなに
飲み
助になりおったか。」といって、
村の
人たちは、
彼が、ちらちらと
雪の
降る
中を
町の
方へ
徳利をさげてゆく、さびしそうな
姿を
見送ったのでした。
平三は、あまり、
酒が
好きでなかったから、
飲み
残しを、
大きな
徳利にうつしておきました。そして、だんだんそれがたまって、
酒は
大きな
徳利いっぱいになろうとしました。
ある
日、
彼は、
今日こそ
美しい
嫁御を
見たいものだと
思って、
酒を
買いにゆきましたが、やはり
見られなかったばかりでなく、
番頭から、
冷淡にされて、
悲しんで
家へ
帰ると、
徳利の
酒を
茶わんにうつして、かなしみを
忘れようとして
飲みほしました。いつになく、
量をすごして
酔ってしまうと、
彼はごろりと
横になって、
眠ってしまったのです。
この
村にいても、おもしろくないので、
平三もいよいよ
旅へ
出かけたのでした。こわれかかったような、
小さな
汽車に
乗って、
野原の
中を
走っています。
石くれがごろごろとして、
短い
草が
風になびき、
向こうの
方には、さびしい
丘がつづいていました。そのさきは、
海になっているらしく、しろい
雲が、ちぎれて
飛んでいます。
ピョーと、
汽笛が
高くひびいて、
汽車がとまると、
彼はおりなければならなかった。
「ここは、どこだろう
······。」
彼は、
足の
向くままに
歩いてゆくと、
「どこへいくんだい。」と、ふいに
声をかけた
子供があった。ふり
向くと、あの
死んだ
坊やでありました。
「おお、
坊や。おまえは、こんなところにきているのか、
母さんが、
泣いていたぞ。そして、おまえは、
死んだのではなかったのか。」
「まだ、たくさんあちらにいるよ。つれていってやろう。」
子供は、
先にたって、
平三を
丘の
上へ
案内しました。いつしか、
子供の
姿は
見えなくなって、
彼は、
赤いガラスでつくられた
宮殿の
前に
立っていました。
頭のとがった、三
角形の
赤いガラスの
建物は
傾斜した
丘の
上にあって、かたむいていました。そして、この
建物には、ふしぎに
入り
口がついていませんでした。
赤いガラスをとおして、
内部をのぞくと、いくつか、
影が
動いています。じっと
見るとおじいさんが、
腰かけていました。また、いつか、
旅へ
出かけた
若もの
夫婦がいました。
女房は、にこにことして、なにか
盆にのせて、あちらへ
運んでいました。こちらには、びっこの
娘が、さびしそうにして
立っている。そればかりでない、
犬も、
子馬も、みんないっしょにむつまじく
暮らしていました。おじいさんは、なにかいっているとみえて、
口だけは
動いていたが、ガラスの
内部でいっているので、
声がすこしも
聞こえてきませんでした。
平三は、なんだか、そのおじいさんも、
娘も、みんなどこかで、一
度見たことのあるような
気がして、
考えていました。が、それらは、すべて、
自分の
持っていたおもちゃであったことに
気がつかなかったのです。
「もし、もし、おれも、
仲間にいれてくんなされ。もし、もし。」と、
平三は、
叫んだけれど、あらしが
強くて、その
声を
吹き
消したのでした。
青々とすみわたった
空の
下で、すさまじいあらしが、
吹いていました。たちまち、どっと、おそって、この
赤いガラスの
宮殿にぶっつかったかと
思うと、さながら
氷をくだいたようなひびきをたて、みごとな
建物は、さんらんとして、
空中に、
飛び
散ってしまいました。
夢からさめた
平三は、ぼんやりとして、
外をながめました。めずらしく、よく
空は
晴れて、
夕焼けが
赤々と
雪の
平野をそめていました。そして、なにかいいことのある
知らせのように、からすが
鳴いていました。
「こんどこそ、
魂をいれかえて
働くだ。」
彼は、
生まれ
変わったように、さとりました。たまたま
遠い、
浜の
方へ
帰ってゆく、からのそりがありました。
浜へゆけば、
冬でも
仕事があると
聞いていました。
彼は
大きな
徳利の
酒を
男にやって、
浜の
方まで、そのそりに
乗せてもらうことにしました。
彼は、
永久に、その
村から
去ったのです。からすだけが、
彼との
別れを
惜しんで
鳴いていました。