ある
町の
呉服屋の
店頭に
立って
一人の
少女が、じっとそこに
飾られた
人形に
見いっていました。
人形は、
美しい
着物をきて、りっぱな
帯をしめて、
前を
通る
人たちを
誇らしげにながめていたのです。
「
私が、もしあのお
人形であったら、どんなにしあわせだろう
······。なんの
苦労もなしに、ああして、
平和に、
毎日暮らしていくことができる。そして、
前を
通る
男も、
女も、みんな
自分を
振りかえって、うらやましげに
見ていくであろうに
······。」と、
彼女は、ひとり
言をしていたのでした。
このようすを、さっきからながめていた、この
店の
主人は、
頭をかしげました。
「なんという
器量のいい
娘さんだろう
······。しかし、ようすを
見ると、あまり
豊かな
生活をしているとは
思われない。さっきから、ああして、
人形に
見とれているが、ものは
相談だ。あの
娘さんは、
雇われてきてくれないだろうか?」と、
主人は
考えたのでした。
「もし、もし。」といいながら、
彼女のかたわらへ
寄って、
主人は、
軽く、その
肩をたたきました。
少女は、びっくりして、
振り
向きますと、
主人が、にこにこした
笑い
顔をして
立っていました。
「おまえさんは、さっきから、なにを
考えておいでなさる?」と、
主人は、やさしく
問いかけました。
少女は、ちょっとはじらいましたが、
正直に、
「もし、
私が、このお
人形であったら、
世の
中の
苦労ということも
知らず、そのうえこんなに
美しい
顔をして、どんなにか
幸福だろうと
思っていたのです。
人間が、なんでも
思ったとおりになりさえすれば、この
世の
中に、
不幸というものはないと
考えていたのでした。」と、
答えました。
人のよさそうな
主人は、けたけたと
笑いました。
「お
嬢さん、あなたのお
顔は、この
人形よりはよっぽど、
美しゅうございますよ。もし、あなたさえ
聞いてくださるなら、この
人形の
着物をあなたにあげて、そのうえ
給金もさしあげますから、
明日から、
人形の
代わりになってくださいませんか?」と、
主人は、
少女に
向かっていいました。
「お
人形の
代わりにですって?」
「そうです。
生きた
人形となって、この
店さきにすわってくださるのです。」
「
私が、お
人形になるのでございますか?」と、
少女は、
黒い、うるおいのある
目を
大きくみはりました。
「そうしたら、どんなに、この
店の
評判となるでしょう。あなたは、たしかに、この
人形よりは、
幾倍美しいかしれない。」と、
主人はいいました。
少女は、じょうだんでなく、ほんとうに
主人が
相談をしましたので、
自分には、
願いのあることでもありますから、なにをして
働くのも
同じだと
考えて、とうとう
翌日から、この
店の
飾りをつとめる、
生きた
人形になることを
承諾しました。
生きた
人形が、
店飾りになったといううわさが四
方に
広まりますと、
町の
人々は、みんな、一
度それを
見ようと
前へやってきたので、この
呉服店の
前は、いつもにぎやかでありました。
「なかなか
美人じゃないか?」
「あの、
青っぽい
着物が、ばかに
似合っている。」
こんなように、そこに
立った
人々の
口から
交わされたのです。
「きっと、これから、
生きた
店飾りが
流行することだろう
······。」と、また
空想にふけりながらゆくものもありました。
いままで、
客を
前に
集めた
人形は、ただ
美しいばかりで、
笑うこともなければ、
動くこともなかった。どうせ、お
人形だというので、
見る
人たちも、それを
要求するものはなかったけれど、これが、
生きている
人間だとわかると、
中には、
美しい
少女に
向かって
話しかけるものもありました。けれど、
店の
飾りとなっているうえは、だれとても、みだりに
話してはいけないということになっていましたので、
少女は、
返事をしなかったのでありますが、あまりおかしいときには、ついにっこりと
笑うこともありました。そして、また
体も
動かさずにいられませんでした。
「なるほど、この
人形は
生きている!」といって、いまさらのように
感歎する
人もあったのです。
「やはり、
生きているほうが、
見ていても
張り
合いがあっていいな。
死んでいる
人形では、つまらない。よく、
考えついたものだな。」
こんなことをいって、ほめる
男もありました。こういうふうに、
昨日までの、ものをいわない
人形は、どこへか
隠されてしまって、
生きている
人形の
評判は、
日にまし
高くなりました。
少女は、
夜になってから、
店が
閉まると、
自分の
宿へ
帰りました。いろいろの
人が、
帰り
道に
声をかけました。しかし、
少女は、
心に
願いがあったので、
気がしまっていましたから、けっして、よけいな
言葉などはかわしません。さっさと
道を
歩いてゆきました。
ある
月夜の
晩のことです。
少女があるいてゆきますと、うしろから
自分を
呼びとめるものがあります。それは、いつにないやさしい
声であったから、ふと
立ちどまってふり
向きますと、おばあさんでありました。
「おまえさんには、
青い
色がよく
似合うこと。ほんとうに、
美しい
娘さんだ。しかし
生まれはこの
町の
人でないようだが、どうして、この
町へきましたか。
知った
人でもおありなさるのかね。」と、たずねました。
少女は、おばあさんなので
安心して、つい
自分の
身の
上を
語ったのです。
「いいえ、
私は、まったく
一人ぽっちなのでございます。お
母さんと
二人で、
家にいましたときは、どんなに
幸福でしたか
······。お
母さんは、
私をかわいがってくださいました。お
父さんのお
顔を
知りません。ごく
私の
小さいときになくなられたんですもの。そして、
兄さんがありましたけれど、
私の六つのときに、
家出をして、そののちたよりがないので、かわいそうなお
母さんは、
死ぬまで、
兄さんは、どこにどうしているだろうといっていなされました
······。」
おばあさんは、
少女の
話を
月の
下で、すこしも
聞きもらすまいと
耳を
傾けていました。
「それで、おまえさんは、
家なしになってしまったのですかい。」と、おばあさんはいった。
「
家なしに?」
少女は、なんというさびしい
言葉だろう? こういわれると、
胸がふさがるように
悲しかったのでした。なるほど、
考えれば、もうどこにも
自分の
帰る
家はない。ただこのうえは、ひとりの
兄をどうしてもさがさなければならぬという、
日ごろの
願いに、
気がひきたったのです。
「お
母さんがなくなられたので、
私は、
兄さんをさがしに、
故郷を
出ました。しかし、
旅をしている
間に、
持っているだけの
旅費を
使いはたしましたから、この
町で
働いて、また
旅をしようと
思っています。」と、
答えました。
「それは、
感心なことだ。けれど、あてもなく
歩いたって、
兄さんにめぐりあうことは、むずかしいもんだ。」と、おばあさんはいった。
これを
聞くと、
少女は、
月の
下で、
霜になやんだ
弱い
花のようにしおれてしまいました。
「おばあさん、どうしたら、
私はこの
世の
中で、ただ
一人の
兄さんにめぐりあうことができるでしょうか
······。」と、
訴えたのです。
白髪頭のおばあさんは、
考えていましたが、
「それは、
方々の
人の
出入りするところへいって、いろいろの
人に、おまえさんの
兄さんの
話をして
聞いてみなければ、わかりっこはないよ。
私がいいところへつれていってあげるから、
明日の
晩に、
町はずれの
橋の
上にいって
待っておいで
······。きっとだよ。
私は、おまえさんの
身の
上を
悪くとりはからわないから。」と、おばあさんはいいました。
少女は、しんせつなおばあさんだと
思って、その
夜は
別れて
帰りました。
翌日になると、
少女は、
人形のかわりになって、
店さきでつとめるのも
今日かぎりだと
思うと、
町の
景色を
見るにつけ、なんとなく、もの
悲しかったのであります。
呉服店の
主人というのは、
気軽なおもしろい
人でした。
少女は、
自分の
身の
上を
打ちあけて
話したのは、おばあさんと
主人の
二人ぎりでしたが、
主人はどうかして、
兄さんにあわしてやりたいと、
蔭ながら
心配していましたので、
新聞記者に
話したものとみえて、このことが
土地の
新聞に
載りました。すると、
生きた
人形の
身の
上話が、たちまち
町の
中にひろまったのでした。
ちょうど、その
日のことであります。
青年が、
呉服店へたずねてきました。
「
私が、
兄です。」といって、
少女に
面会を
求めました。けれど、
彼女は、
子供の
時分に
別れたので、
兄さんの
顔をおぼえていません。
「ほんとうに、お
兄さんでしょうか?」と、
少女は、
美しい
目で、じっと
青年を
見つめていました。
「なにしろ十
年もたったのだから、
忘れてしまったのに
無理はない。けれど、
僕には、
雪ちゃんの
小さな
時分のかわいらしい
姿が、ありありと
目に
残っているよ。」と、
青年はいって、
「
僕も、
覚悟をして
家を
出たのだから、りっぱな
画家にならなければ、
帰らないと
思っていたのだ
······。」と、
語りました。そして、ふところから、お
母さんの
写真を
出して、
妹に
見せたのであります。
「一
日だって、お
母さんのことを
思い
出さない
日とてなかった。」といって、
青年は
涙を
落としました。
少女は、いま、
彼をほんとうの
兄だと
信じて、
疑うことができない。一
時に、
喜びと
悲しみとで
胸がいっぱいになって、
張り
裂けるようでありました。
「
兄さん!
兄さん! ああ、
私は、とうとう
兄さんにめぐりあった。お
母さん
······なぜ
死になされたの、お
母さん
······。」と、
兄にすがりついたのでした。そして、もし、
今日兄さんにめぐりあわなければ、
晩には、あのおばあさんにつれられて、また
遠く、どこかへいってしまったであろう
······と
話しました。
「それは、
片目の
白髪のおばあさんじゃなかったかい?」と、
兄は
聞きました。
「
片目だったかもしれません。たいへんにしんせつな
······。」
すると、かたわらに、いっさいの
話を
聞いていた
主人も、また
兄もびっくりして、
「あのおばあさんに、
見こまれたら、どうしても
逃げられはしないということだ。
怖ろしいかどわかしのおばあさんなのだ!
仲間が、
幾人あるかもわからない。きっと
船着き
場の
町へ、おまえを
売るつもりだったろう。なんにしても、
早くこの
町から
逃げ
出さなければいけない。」といいました。
その
晩のことであります。あちらには、
港のあたりの
空をあかあかと
燈火の
光が
染めていました。そして、
汽笛の
音や、いろいろの
物音が、こちらの
町の
方まで
流れてきました。また一
方は、はるかに、
青黒い
山脈が、よく
晴れた
月の
明るい
空の
下に、えんえんと
連なっていました。その
広野を
青い
着物をきて、
頭に
淡紅色の
布をかけて、
顔を
隠し、
白い
馬に
乗って
馬子に
引かれながら、とぼとぼと
山の
方を
指してゆく
女がありました。
馬はだまっていました。
乗っている
人もだまっていました。そして、
馬を
引いてゆく
人もだまっていました。ただ
月の
光に、あたりはぼうっと
夢のようにかすんで、はてしもない
広い
野原に、これらの
人たちは、
絵のごとく
浮いて
見えたのです。
このとき、
黒い
人影が、その
後を
追ってきました。
二人、三
人、めいめい
手に
棒を
持ってわめいてきました。とうとう
彼らは、
馬に
追いつくと、
行く
手をさえぎって、
「
青い
着物をきている。この
女だ。もうけっして
逃がしはしないぞ。」と、
追ってきたものどもはいいました。
馬子は、たまげて、その
人たちのようすをながめました。
「おい、この
女をどこへつれてゆくつもりだ?」と、
一人は、たずねました。
「この
方は、おしでございます。そして、
今夜の
中に、あの
山のいただきのお
寺までおつれもうしますので。
夜が
明けると
尼さんにおなりなさるのだそうでございます
······。」と、
馬子は、
答えました。
「まあ、いいから、ここから、
馬を
町までもどせ!」と、
追っ
手はせまりました。
ふたたび、
月の
明るい
野原を
歩いて、一
行は、
町はずれの
橋の
上までまいりますと、
白髪のおばあさんがそこに
立って
待っていました。
「よく、
私にだまって
逃げたな。」と、おばあさんは、
怒って、
馬から
女を
引き
下ろして、
女のかぶっていた
布を
取りのけて、
怖ろしい
目で、
顔をにらみました。
「え、これは、ほんとうの
人形だ。
私は、
生きている
人形をつれてこいといったのだ!」と、おばあさんは
叫びました。みんなも、あっけにとられて、
人形を
見ました。
こうしている
間に、ほんとうの
少女は、もう
兄さんといずくへか、この
町から
去った
時分であります。