孝ちゃんの、
近所に
住んでいる
自動車屋の
主人は、
変わった
人でした。ぼろ
自動車を一
台しか
持っていません。それを
自分が、
毎日運転して、
町の
中を
走っているのでした。
この
自動車も、もとは、りっぱなものでした。
主人の
清さんが、
若い
時分、
金持ちの
運転手を
長くつとめていて、やめるときに、
金持ちが、その
自動車をくれたのでした。それから、
何年たったでしょう。
欲のない
清さんは、
金をためるということをしませんでした。
自動車は、だんだん
古くなり、
破れてきたけれど、
新しいのを
買うお
金はなかったのでした。
この
清さんには、いろいろなおかしい
話があります。ある
日のこと、ひまで
困っていました。そこへ
美しいモダンガールがやってきました。
「
汚い、
自動車なのね。いいわ、すぐにやってちょうだい。」と、
女はいいました。
「お
嬢さん、
走るのに、かわりはありません。」と、
清さんはにくたれ
口をききました。
自動車が
走っている
間に、
美しいお
嬢さんは、
真っ
赤な
手さげをあけて、
香水のびんを
出しました。
その
香水の
匂いが、たいへんに、いい
香いだったとみえて
清さんは、
運転しながら、
夢を
見るような
気持ちになって、どこを
走っているのだか、ぼんやりしました。そのうちに、くぎででもさしたか、ひどい
音がして、タイヤがパンクしました。
清さんは、おどろいて
車から
降りて、まごまごして、やっと
直して
動き
出そうとして
見ると、いつのまにか、
女は
消えて
見えなかったのです。
「まるで、きつねにつままれたようだった。」と、
思い
出すたびに、
清さんは
笑いました。
そうかと
思うと、あるときはみすぼらしいふうをした、おじいさんが、はいってきて、
「すこし、
遠方だが、これだけの
金でいってくださらんか。
孫が、
急病だと
知らしてきたのだが
······。」と、
頼みました。
「まいりましょう。」と、
気持ちよくいって、
清さんは、おじいさんを
乗せていってやりました。
清さんは、
働いたお
金で、みんなお
酒を
飲みました。
酔っているときには、だれにでも、おもしろい
話をしました。しかし、それが、みんなほんとうであると、
思えないようなのもありました。
子供が
好きでしたから、
近所の
子供たちがよく
遊びにやってきました。
「
小父さん、
僕を
自動車に
乗せておくれよ。」
子供たちは、わがままをいいました。
「こんど、みんないっしょに
乗せて
山へでも
連れていってやろう。」
「いつ
連れていってくれる?」
「それはわからん、
秋がいいかな。」
こんなことをいって、
子供たちを
喜ばせたりしました。
そのころ、
学校の
子供たちの
間に、
日月ボールがはやりました。こんな
遊びは、たとえば
独楽にせよ、ピストルにせよ、はやったかと
思うと、すたれ、すたれたかと
思うと、はやり
出すというふうでありました。
ある
日、
孝ちゃんは、
学校から
帰ると、
日月ボールを
持って
外へ
出ました。そして、
自動車屋の
前へきました。ちょうど、
清さんはいました。
「うまく、やれるかな。」
孝ちゃんを
見て、こういって、
清さんは
笑いました。
「ほかのはできるけど、
突っ
剣はなかなかできないよ。」
「なにかな、つっけんて、
棒に
球を
通すのかな。」
「そう、やってみようか
······。」
孝ちゃんは、
熱心に、
糸の
先についている
木の
球を
飛ばして、
棒のとがった
先に
刺そうとしました。
「
穴へいれるのは、やれるかな。」
「うん、それなら、ぞうさないさ。」
孝ちゃんはうまくやってみせました。すると、
清さんは、
孝ちゃんに、これについて、つぎのようなおもしろい
話をして
聞かせました。
清さんが、まだ
若いときのこと、あちらの
山を
越したことがありました。いいお
天気の
日で、
空はよく
晴れて
雲の
影もありませんでした。
山や、
谷の
木の
葉は、きらきらと
日に
輝いていました。ちょうど
高い
山の
頂にさしかかると、
一人の
男が、
石に
腰をかけて、なにか、しきりにやっています。
見ると、
金光りのする、
日月ボールでけいこをしているのでした。こんなところで、どうしたのだろうかと
思うと、きちがいででもあるような
気がして、
怖ろしくなって
急いで、
山を
下ったというのであります。
「
小父さん、どうして、そんな
山の
上で、
日月ボールをしていたんだろうね。」
「だから、きちがいかと
思ったのさ。」
「きちがいでなかった?」
「それは、わからない。」
「どうして、そのボールは、
金光りをしていたんでしょうね。」
「きっと、
金粉を
塗ったのだろう。そうでなかったら、
重くて、けいこなんか、できやしない。」
「
不思議だな。」
「ああ、それからは、
小父さんは、
夜になって、あちらの
空で、
星が、ぴかぴか
光るのを
見ると、あの
男が、いまでも、あの
高い
山の
上で
石に
腰をかけて、
日月ボールをやっているように
思うのさ
······。」
清さんは、こんな
話をしました。
孝ちゃんは、たとい、きちがいにしても、どうして、
一人で、そんなところへいったのだろう? そしてそれから、その
人は、どうしたろう
······と、
考えずにいられませんでした。
「
小父さん、きちがいにちがいないね。」
「いや、そうでないかもしれぬ。」
「そうでないのなら
······。」
「ほんとうに、
孝坊のように、だれも、ゆかない
山ん
中で、一
心に、
日月ボールをうまくなろうとけいこしていたのかもわからないじゃないか。」と、
清さんは、
笑いました。
「だって、そんな
人は、ないだろう。」と、
孝ちゃんは、いいました。
清さんは、また、その
後、その
男に
似た
男を
見たというのです。それは、ある
小さな
町の
祭りの
日でした。
神社の
境内に、
見せものや、
食い
物店が
出ました
中にまじって、いいかげんに
年とった
男が、
日月ボールを
売っていたというのであります。
その
男は、
赤い
日月ボールを
手に
持って、
上手に、ポン、ポン、
受けていました。
「さあ、だれでも、じきにうまくなれますよ。こういうように、一
度も、
落とさずにうまくやれたら、ここに
並べてある、
外国の
切手でも
貨幣でも、また
水晶・さんご、なんでも、
欲しいと
思うものをあげます。はやく、
日月ボールを
買ってけいこをなさい。じきにうまく、それは、おもしろいようにできますよ。」
男は、
横を
向きながら、また、
話をしながら、
上手に
日月ボールを
落とさずに、ポン、ポン、やっていました。
子供たちは、その
男を
取り
巻いて、
感心して
見ていました。そして
箱の
中に、
並べてある
珍しいものにも
見とれていました。
清さんは、その
男が、
山の
上で、
日月ボールをやっていた
男に
似ていたというのでした。
「
日月ボール一
本二十
銭、
買わずにやってみようというなら五
銭、うまくやれば、
外国の
古い
切手でも、
貨幣でも、
紫水晶でも、なんでもあげます
······。」
その
男は
熱心にしゃべっていたのです。
「その
男は、
子供をだます、
悪い
男だったが、そのとき
持っていたのは、
金光りでなく、
赤い
日月ボールだった。」と、
清さんはいいました。
「ほんとうのこと?」と、
孝ちゃんは、
清さんの
顔を
見上げました。
「ああ、ほんとうにあったことさ。」
清さんは、まじめに
答えました。
清さんのぼろ
自動車にも、ときどき、お
客がありました。
清さんは、
人間がいいから、
近所の
人々は、しぜん
乗るようになったのでした。このときも、ちょうどお
客があって、
清さんは、
出かけてゆきました。