「お
母さんは、
太陽だ。」ということが、
私にはどうしてもわかりませんでした。そうしたら、よくもののわかった、やさしいおじいさんが、つぎのようなお
話をしてくださいました。
* * * * *
わしは、
子供の
時分、おおぜいの
兄弟がありました。そして、みんなが、お
母さんを
大好きでした。みんなは、
朝起きると、
眠るときまで、
楽しいことがあったといい、
悲しいことがあったといい、「お
母さん、お
母さん
······。」といいました。そして、お
母さんの
後ろについたものです。
昼間がそうあったばかりでなしに、
夜になって
寝るときも、みんなは、お
母さんのそばに
寝たいといって、その
場所を
争いました。それで、お
母さんを
真ん
中にして、四
人の
子供らが
左右・
前後に、
輪になって
休みました。みんなは、いずれも、お
母さんの
方に
顔を
向けて
休んだのです。それは、ちょうど、
草が、
太陽の
方を
向いて
花を
開くのと
同じかったのです。
だれでもそうであるが、
私たち
兄弟・
姉妹は、
大きくなってから、いつまでもお
母さんのそばにいっしょにいることができなかった。
わしも、なつかしい、やさしいお
母さんのそばを
離れて、
旅へ
出るようになった。そうすると、
子供のときのように、お
母さんのそばで
楽しく、
平和に
寝たように、
眠ることができなかった。けれど、お
母さんを
慕う
情はすこしも
変わらなかったのです。
「もう一
度、ああした
子供の
時分に
帰りたい。」と、
思わないことがなかった。
そしてまれに
故郷へ
帰って、お
母さんを
見ることは、どんなに
楽しかったかしれません。
遠く
故郷を
離れて、
他国にいるときでも、いつもやさしいお
母さんの
幻を
目に
描いて、お
母さんのそばにいるときのように、なつかしく
思ったのでした。ちょうど、
太陽が、
雲に
隠れていて
見えなくても、
花は、その
方を
向いて、
太陽のありかを
知ると
同じようなものでありました。
いま、わしの
母は、もうこの
地上には、どこを
探しても
見いだすことができない。そして、
母はあの、
夜というもののない
天国へいって、じっと、
自分の
子供たちがどうして
暮らしているかと
見ていなさることと
思っている。それで、わしは、この
年寄りになっても、
西の
夕空を
見るたびに、なつかしいお
母さんの
顔を
目に
思い
浮かべるのです。
これは、
一人、わしばかり
考えることでなく、わしの
兄弟・
姉妹が、みんな
同じようなことを
思っている
······。お
母さんが
太陽だということは、これでもわかるでありましょう。
* * * * *
これが、ものわかりのいい、
人のいいおじいさんのお
話でした。
私にはよくその
意味がわかった。また、みなさんが、
草や、
花なら、お
母さんは、まさしく
太陽であるといえるでありましょう。
||一九二六・一二作||