それは、
寒い
日でありました。
指のさきも、
鼻の
頭も、
赤くなるような
寒い
日でありました。
吉雄は、いつものように、
朝早くから
起きました。
「お
母さん、
寒い
日ですね。」と、ごあいさつをして
震えていました。
「
火鉢に、
火がとってあるから、おあたんなさい。」と、お
母さんは、もう、
朝のご
飯の
支度をしながらいわれました。
吉雄は、
火鉢の
前にいって、すわって
手を
暖めました。
家の
外には、
風が
吹いていました。そして
雪の
上は
凍っていました。
「いま、
熱いお
汁でご
飯を
食べると、
体があたたかくなりますよ。」と、お
母さんは、いわれました。
そのうちに、ご
飯になって、
吉雄は、お
膳に
向かい、あたたかなご
飯とお
汁で、
朝飯を
食べたのであります。
「
番茶がよく
出たから、
熱いお
茶を
飲んでいらっしゃい。
体が、あたたかになるから。」と、お
母さんは、
吉雄の、ご
飯が
終わるころにいわれました。
吉雄は、お
母さんのいわれたように、いたしました。すると、ちょうど、
汽車の
汽罐車に
石炭をいれたように、
体じゅうがあたたまって、
急に
元気が
出てきたのであります。
吉雄は、
学校へゆく
前には、かならず、かわいがって
飼っておいたやまがらに、
餌をやり、
水をやることを
怠りませんでした。
夜の
中は、
寒いので、
毎晩、やまがらのかごには、
上からふろしきをかけてやりました。そして、
学校へゆく
時分に、そのふろしきを
取ってやったのです。
その
日も、
吉雄は、いつものごとくふろしきを
除けて、かごを
出してやりました。そして、
餌をやり、
水を
換えてやってから、
鳥かごを、
戸口の
柱にかけてやりました。
太陽が、いちばん
早く、ここにかけてある
鳥かごにさしたからであります。けれども、あまり
寒いので、
鳥は、すくんで、
体をふくらましていました。やがて、
太陽が、かごの
上をさす
時分には、
元気を
出して、あちらに
止まり、こちらに
止まって、そして、もんどり
打ってよくさえずるでありましょうが、いまは、そんなようすも
見られませんでした。
しかし、
鳥がそうする
時分は、
吉雄は、
学校へいってしまって、
教室にはいって、
先生から、お
修身や、
算術を
教わっているころなのでありました。
どこか、
遠いところで、
凧のうなる
音が
聞こえていました。そして、
風が、すさまじく、すぎの
木の
頂を
吹いています。その
風は、また、かごの
中のやまがらの
頭の
細い
小さな
毛をも
波立てました。すると、やまがらは、ますますまりのように、
体をふくらませたのであります。
吉雄は、こうしている
間に、
餌ちょくの
水が
凍ってしまったのを
見ました。
彼は、また
新しい
水を
換えてやりました。
凍ってしまっては、やまがらが、
水を
飲むのに、
困るだろうと
思ったからです。
このとき、ふと、
吉雄は、さっきお
母さんがおいいなされたことから、
「やまがらにも、あたたかなお
湯をいれてやったら、
体があたたまって、
元気が
出るだろう。」と、
思いつきました。そこで、
彼は、こんど
餌ちょくの
中に、お
湯をいれてきてやりました。
「さあ、お
湯をのむと、
体があたたかになるよ。」と、
吉雄は、やまがらに
向かっていいました。
やまがらは、くびをかしげて、
不思議そうに、
餌ちょくから
立ちのぼる
湯気をながめていました。そして、
吉雄が、そこに
見ている
間は、まだお
湯をば
飲みませんでした。
吉雄は、
学校へゆくのが、おくれてはならないと
思って、やがて、かばんを
肩にかけ、
弁当を
下げて
出かけました。
吉雄は、
学校へいってから、
友だちといろいろ
話したときに、
自分は
今日くる
前に、やまがらにお
湯をやってきたということを
話しました。
すると、その
友だちは、たまげた
顔つきをして、
「
君、やまがらはお
湯など、
飲ませると、
死んでしまうぞ。」といいました。
「だって、
寒いじゃないか。お
湯を
飲むと、
体があたたまっていいのだよ。」と、
吉雄はいいました。
「お
湯なんかやれば
死んでしまう。
君、
金魚だって、お
湯の
中へいれれば
死んでしまうだろう?」と、
相手の
少年は、いいました。
吉雄は、なるほどと
思いました。いくら
寒くたって、
金魚をお
湯の
中にいれることはできない。そのかわり、たとえ
水がこおっても、
金魚は、
生きていることを、
思ったのであります。
吉雄は、たいへんなことをしたと
思いました。
大事にして、かわいがっていたやまがらを、
自分の
考え
違いから、
殺してしまっては
取りかえしがつかないと
思いました。けれど、どうしてもやまがらにお
湯をやったことを、まだ、まったく、
悪いことをしたとは
思われませんでした。なんとなく、
金魚の
場合とは、
異ったような
気もして、
疑われましたので、
先生に
聞いてみることにいたしました。
吉雄は、一
年生で、もうじき二
年になるのでした。
彼は、
先生のいなさるところへゆきました。
「
先生、やまがらにお
湯をやっても、
死にませんでしょうか!」といって、
吉雄は
先生に
聞きました。
「
小鳥に、お
湯なんかやるものはない。」と、
受け
持ちの
先生はいわれました。
すると、このとき、
受け
持ちの
先生の
隣に、
腰をかけていた、やさしそうな、やはり
男の
先生がありました。
吉雄は、その
先生をなんという
先生だか
知りませんでした。
やさしそうな
先生は
吉雄の
顔を
見て、
笑っていられました。そして、
「やまがらにお
湯をやったんですか? どうしてお
湯をやったのです。」と
聞かれました。
「あまり、
寒いものですから、お
湯を
飲んで
体があたたかになるように、やったのです。」と、
吉雄はきまり
悪げに
答えました。
「おもしろい。」といって、やさしそうな
先生は、
受け
持ちの
先生と
顔を
合わして
笑われました。
吉雄には、どうしておもしろいのか、その
意味がわかりませんでした。
「
小鳥は、
人間とちがって、お
湯を
飲んだからって、
体があたたまるものではない。」と、
受け
持ちの
先生はいわれました。
吉雄は、どうして、
人間と
小鳥とは、そう
異うのだろう。やはりその
意味がわかりませんでした。
このとき、やさしそうな
先生は、
吉雄の
方を
向いて、
「
小鳥は、
山の
中や、
谷や、
林の
間にすんでいるのです。そして、どんな
寒いときでも、
外に
眠っています。
生まれたときから、お
湯を
飲むように
育てられてはいません。ですから、
寒いことも、
水を
飲むことも
平気です。
寒い
国に
生まれた
小鳥は、もう
子供の
時分から、
寒さに
慣れています。あなたの
心配なさるように、
寒さに
驚きはしません。」といわれました。
吉雄は、なるほどと
心に、うなずきました。
また、
先生は、
「
鳥や、
獣は、
火でものを
焼いたり、
水を
沸かしたりすることは、
知っていません。
火でものを
煮たり、
水を
沸かしたりするものは、
人間ばかりでありますよ。」といわれました。
吉雄は、なにもかもよくわかったような
気がしました。そして、
先生たちのいなさる
室から
出ました。けれど、やはり
頭の
中に、
心配がありました。
「やまがらが、いま
時分湯を
飲んで、
舌を
焼いてしまわないか。」と、
彼は
思いました。
もし、
舌を
焼いてしまったら、きっといまごろは、やまがらは、
苦しんで、
死んでしまったかもしれない。こう
思うと、
彼は、
気が
気でなかったのであります。
吉雄は
不安のうちに、
修身の
時間を、一
時間過ごしました。そして、
休み
時間になったときに、
彼は、いつも、はっきりと
先生に、
問われたことを
答える、
小田に
向かって、
「やまがらに、
僕は、お
湯をやったんだよ。」と、
吉雄はいいました。
「お
湯をやったのかい。」と、
小田は、
目を
円くして
問いました。
「やまがらが、お
湯を
飲んだら、
舌を
焼くだろうかね。」と、
吉雄は、
小田にたずねました。
「お
湯を
飲めば、
舌を
焼くさ。」
「
死ぬだろうね?」
「ああ、
死ぬかもしれないよ。」
吉雄は、もう、じっとしていることができませんでした。さっそく、
教室へはいって、
荷物を
持って
帰り
支度をしました。
「
君、
家へ
帰るの?」と、
小田が、そばにきてたずねました。
「ああ、
僕、
家へ
帰って、やまがらにお
湯をやったのを、
水に
換えてくるよ。しかし、もう
飲んでしまったら、たいへんだね。」と、
吉雄は、いいました。
すると、りこうそうな、
目のぱっちりした
小田は、
吉雄を
慰めるように、
「
君、もう
飲んでしまったらしかたがない。そして、いま
時分は、お
湯は、こんなに
寒いんだもの、
水になっているよ。
帰ってもしかたがないだろう。」といいました。
吉雄は、なるほどと
思いました。そして、
帰るのをやめました。
この
話を、だれか
受け
持ちの
先生に、したものがあります。すると、
先生は、みんなの
前で、
「
小田のいうことはよくわかる。
頭がいいからだ。そして、いつまでもお
湯が、あついと
思ったり、やまがらに、お
湯をやるようなものは、
頭がよくないからだ。」といわれました。
このとき、
吉雄は、
顔を
真っ
赤にして、どんなにか
恥ずかしい
思いをしなければなりませんでした。
しかし、
受け
持ちの
先生のいったことは、かならずしも
正しくなかったことは、ずっと
後になってから、
吉雄が
有名なすぐれた
学者になったのでわかりました。