(この童話はとくに大人のものとして書きました。)
昔、
京都に、
利助という
陶器を
造る
名人がありましたが、この
人の
名は、あまり
伝わらなかったのであります。一
代を
通じて
寡作でありましたうえに、
名利というようなことは、すこしも
考えなかった
人でしたから、べつに
交際をした
人も
少なく、いい
作品ができたときは、ただ
自分ひとりで
満足しているというふうでありました。
しかし、
世間というものは、
評判が
高くなければ、その
人の
作ったものを
重んずるものでありません。
一人や、
二人は、まれに、
目をとめて
見ることはあっても、
問題にしなければ、
永久に、それだけで
忘れられてしまうのです。
落ち
葉にうずもれた、きのこのように、
利助の
作品は、
世に
表れませんでした。そしてうす
青い、
遠山ほどの
印象すらもその
時代の
人たちには
残さずに、さびしく
利助は
去ってしまいました。
それから、
幾十
年もの
間、
惜しげもなく、
彼の
作った
陶器は、
心ない
人たちの
手に
取り
扱われたのでありましょう。がらくたの
間に
混じっていました。
利助の
陶器の
特徴は、その
繊細な
美妙な
感じにありました。
彼は
薄手な、
純白な
陶器に
藍と
金粉とで、
花鳥や、
動物を
精細に
描くのに
長じていたのであります。
瓦のような
厚い、
不細工な
焼き
物の
間に、この
紙のようにうすい、しかも
高貴な
陶器がいっしょになっているということは、なんという
心ないことでありましょう?
しかも
心ない
人たちは、それをいっしょにして、
手あらく
取り
扱ったのであります。こうして
作数の
少なかった
利助の
作品は、
時代をへるとともに、いつしかなくなってゆきました。
空に
輝く
星が、一つ、一つ、
消え
失せるように、それはさびしいことでした。そして
砕けた
作品は、
砂礫といっしょに、
溝や、
土の
上に
捨てられて、
目から
去ってゆくのでした。
しかし、また、
人間のほんとうの
努力というものが、けっしてむなしくはならないように、
真の
芸術というものが、
永久に、その
光の
認められないはずがないのであります。
ひとたび
土中にうずもれた
金塊は、かならず、いつか
土の
下から
光を
放つときがあるように、
利助の
作品が、また、
芸術を
愛好する
人たちから
騒がれるときがきたのでした。
けれど、その
時分には、
少ない
品数は、ますます
少なくなって、
完全なものとては、だれか、
利助の
作品を
愛していたごく
少数の
人の
家庭に
残されたものか、また、
偶然のことで
戸だなのすみにほかの
陶器と
重なり
合って、
不思議に、
破れずにいたものだけであったのです。
「
利助というような
名人があったのに、どうしていままで
知られなかったろう。」と、
陶器の
愛好家の
一人がいいますと、
「ほんとうの
名人というものは、みんな
後になってからわかるのだ、
見識が
高かったとでもいうのだろう。」と、その
話の
相手はさながら、
名人が、その
時代では、
不遇であったのを
怪しまぬように
答えました。
「
私は、
利助の
作がたまらなく
好きだ。まあ、この
藍色の
冴えていてみごとなこと。
金粉の
色もその
時分とすこしも
変わらない。
上等のものを
使っていたとみえる。」
「
貧乏な
暮らしをしたということだが、
芸術のうえでは、なかなかの
貴族主義だった。」
「
私は、
利助の
作った
完全なさらがあるなら、どれほどの
金を
出しても、一
枚ほしいものだ。」
「その
考えは、ぜいたくだろう。なにしろ、あの
薄手では、
大事にして、しまっておいても
保存は、
容易ではない。」
「なぜ、あんなに、
薄手に
焼いたものだろうか。」
「あの
薄手がいいのだ。あれでなければあの
純白の
色は
出せないのだ。」
「もっとも、
利助ほどの
天才は、
自分のものが
長く
保存されるためとか、どうとかいうような
俗な
考えはもたなかったろう。ただ、
気品の
高いものを
作り
上げたいと
思っていたにちがいない。」
「そのとおりだ。」
陶器の
愛好家によって、こんな
話がかわされたのは、すでに、
利助が
死んでから、百
年近くたってから
後のことであった。
ここに、
一人の
陶器の
好きな
男がありました。ちょうど
江戸末期のころで、ある
日、
日本橋辺を
歩いていまして、ふとかたわらにあった
骨董店に
立ち
寄って、いろいろなものを
見ているうちに、
台の
上に
置いてあったさかずきに
目がとまりました。
男は、それを
手に
取ってみますと、
思いがけない、
利助の
作ったさかずきでした。しかも
無傷で
藍の
色もよく、また
描いてある
絵の
趣も
申し
分のないものでありました。
「ほう、めずらしいさかずきだな。」
と、
彼は、
心で
思いました。
さだめし
高価のものであろうと
思いながら
聞いてみますと、はたして
相当な
値でした。しかし、ほしいと
思ったものは、
無理をしても
手にいれなければ、
気のすまないのが、こうした
好事家の
常であります。
男は、それを
求めて、
家に
帰りました。
彼は、どんなに、その一つのさかずきを
手に
入れたことを、うれしく
思ったでしょう。
「どうして、このうすいさかずきが、こわれずに、
今日まで
残っていてくれたろう。そして、ほかの
人の
目にとまらずに、
俺の
目にとまってくれたろう?
不思議にも、また、ありがたいことだ。きっと、
世間の
人は、
利助という
名人をまだ
知らないからだろう。これに
描いてあるねずみの
絵はどうだ? この
藍の
冴えていて、いまにも
匂いそうなこと、
金色の
||ちょうの
翅を
彩った、ただ一
点ではあるが、
||溶けそうに、
赤みのある
光を
含んでいること、ほんとうに、
驚くばかりだ。」
彼は、さかずきを
手に
取ったまま、ぼんやりとしていました。
街の
暮れ
方となりました。さまざまの
物売りの
呼び
声がきこえてきたり、また
人々の
往来の
足音がしげくなって、あたりは一
時はざわめいてきました。こうして、やがては、しっとりとした、
静かな
夜にうつるのでした。
彼は、この
黄昏方に、じっとさかずきを
手に
取って、
見入りながら、
利助というような
名人が百
年前の
昔、この
世の
中に
存在していたことについて、とりとめのない
空想から、
夢を
見るような
気持ちがしたのです。
彼は、うれしさをとおりこして、あるさびしさをすら
感じました。そして、
夜、
燈火の
下に
膳を
据えて、
毎晩のように
酌む
徳利の
酒を、その
夜は、
利助のさかずきに、うつしてみたのです。
「まあ、これを
見い。ねずみが
浮いて、いまにも
飛び
出しそうだ。」
彼は、
家内のものを
呼んで、
利助の
作ったさかずきの
中をのぞかせました。
みんなは、
陶器について、
見分けるだけの
鑑識はなかったけれど、そういわれてのぞきますと、さすがに
名人の
作だという
気が
起こりました。
「ねずみの
下にある、
実のなっています
草は、なんでございましょうか?」と、
女房はきいた。
「これは、やぶこうじだ。なんといいではないか。」と、
彼は、こう
答えて
見とれました。
「ようございますこと。」
「ここが、
名人じゃ、
自然の
趣きが、こんな
小さなさかずきの
中にあふれている
感じがする。」
「しかし、よく、こんなさかずきが、
見つかりましたものでございますこと。」
「
世の
中には、ほんとうの
目あきというものは
少ないのだ。」
「いくら、
名人が
出ましても、ほんとうにわかる
人がなければ、
知られずにしまうのでございましょうね。」
「そうだ。」
彼は、こんな
話をして、
当座は、
名人の
作ったさかずきが、
手にはいったことを
喜んでいました。
「このさかずきだけは、わらないようにしてくれ。」と、
彼は、
家内のものに、よくいいきかせました。
女房をはじめ、
家内のものは、そのさかずきを
取り
扱うことが
怖ろしいような
気がしました。
「どうか、このさかずきは、
箱にいれて、しまっておいてくださいませんか。わるとたいへんでございますから。」と、
女房は、あるとき、
彼に
向かっていったのでした。
彼は、しばらく、
黙って
考えていました。そして、
頭を
上げて、おだやかな
顔つきをして
女房を
見ました。
「
注意をして、それでわったときはしかたがない。なるほど、このさかずきもたいせつな
品には
相違ないが、
人間は、もっとたいせつなものをどうすることもできないのだ。こうして、このさかずきを
愛撫する
私どもも、いつまでもこの
世の
中に
生きてはいられるのでない。さかずきも
大事だが、だれの
力でもそれより
大事な
自分の
命をどうすることもできないのだ。そのことを
思えば、なにものにも
万全を
期することはかなわないだろう。」と、
彼はいいました。
長い
間の
江戸時代の
泰平の
夢も
破れるときがきました。
江戸の
街々が
戦乱の
巷となりましたときに、この一
家の
人々も、ずっと
遠い、
田舎の
方へ
逃れてきました。そして、そこで、
余生を
送ったのであります。
江戸から、
田舎へのがれてくる
時分に、みんないろいろなものを
捨てて、
着の
身着のままで
逃げなければなりませんでした。
女は、
平常たいせつにしていた、くしとか、
笄とか、
荷物にならぬものだけを
持ち、
男は、
羽織、はかまというように、ほかのものを
持っては、
長い
道中はできなかったのです。
しかし、
彼は、
利助のさかずきを
持ってゆくことを
忘れませんでした。
田舎の
人となりましてからも、
彼は、
利助のさかずきを
取り
出してながめることによって、さびしさをなぐさめられたのであります。
こうして、
彼は、
晩年を
送りました。そして、
高齢でこの
世の
中から
去ったのであります。
彼が、なくなっても、そのさかずきだけは、
完全の
姿で
後まで
残りました。
彼の
女房は、いまおばあさんとなりました。そして、
彼女が、
生きながらえている
間は、
毎晩のように、
利助のさかずきに
酒をついで、これを
亡父の
御霊の
祭ってある
仏壇の
前に
供えました。
「お
父さんは、このさかずきがお
好きで、
毎晩このさかずきでお
酒をめしあがられたのだ。」と、
彼女は、いいながら、
線香を
立てて、かねをたたきました。
そのそばで、
老母のするのを
見ていた
子供らは、
「そのさかずきは、いいさかずきなんですか。」と、ききました。
「ああ、なんでもいいさかずきだと、お
父さんはいっていられた。これをわらないように
大事になさいよ。これだけが、この
家の
宝だと、いってもいいんだから。」と、
老母はいいました。
子供らは、うなずきました。そして、そのさかずきを
大事にしました。
やがて
女房も、この
世から
去るときがきました。
子供らは、
母の
御霊をも
亡父のそれといっしょに
仏壇の
中に
祭ったのであります。そして、
母が
生前、
毎晩のように、
酒をさかずきについであげたのを
見ていて、
母の
亡き
後も、やはり
仏壇に
酒をさかずきについであげました。
あるときは、
仏壇に、
赤くなった
南天の
実が
徳利にさされて
上がっていることもありました。そして、その
青い
葉と
赤い
実のささった
下に
利助のさかずきは、なみなみとこはく
色の
酒をたたえて
供えられていました。
あるときは、
清らかな、
響きの
澄んだ、
磬の
音が、ちょうどさかずきの
酒の
上を
渡って、その
酒の
池がひじょうに
広いもののように
感じられることもありました。そして、ろうそくの
火影がちらちらとさかずきの
縁や、
酒の
上に
映るのを
見て、そこには、この
現実とはちがった
世界があり、いまその
世界が、
夕焼けの
中にまどろむごとく
思われたこともありました。
子供らは「
仏さまのさかずき」だといって、そのさかずきをたいせつにしていました。そのさかずきをみだりに
手に
取ってみることも、
汚れるからといってはばかりました。
さかずきは、
仏壇のひきだしの
中に、いつもていねいにしまわれてありました。そして、
晩方になると
取り
出されて
酒をついで
上げられました。やがて、ろうそくの
火がともりつくした
時分に、
磬をたたいて、さかずきの
酒は、
別のさかずきの
中に
移されました。
「おじいさんのめしあがった
後の
酒は、
味がうすくなった。」といって、
息子は、その
酒を
自分で
飲みました。
大事なさかずきだからというので、
息子が、そのさかずきに
酒をついで
上げたり、また、
下ろさなかったときは、
彼の
女房がいたしました。
女房は、
真の
父、
母の
子供ではなかったけれど、もっともよく
息子の
心持ちを
理解していたからです。そして、いつしか、
彼と
同じように、
先祖の
霊に
対して、それをなぐさむることを
怠らなかったからです。
しかし、たとえ、いかように、
心づくしをしても、もう、
死んでしまった
人は、
永久にものをいわなければ、こたえもしない。
仏壇に、ささげられたさかずきの
酒は、ほんとうに一
滴も
減じはしなかったのです。
「
好きな
酒を
上げても、お
父さんは、めしあがらなければ、お
菓子を
上げても、お
母さんは、お
好きだったのに、めしあがりはなさらない。」と、
息子は、あるときは、
仏壇の
前に
立って、
涙ぐんでしみじみといったことがありました。
田舎は、
変化が
乏しいうちに
月日はたちました。
冬の
寒い
朝、
仏壇に、
燈火がついているときに、
外の
方では、
子供らが、
雪の
上で
凧を
揚げている、
籐のうなり
声がきこえてくることがありました。
雪が
凍って、
子供らは、
自由に、あちらこちら
飛んで
歩きました。
それと、
仏壇の
燈火とは、なんの
縁がないようなものの、やはり
燈火はかすかな
輝きを
放って、その
輝きの
一筋に、
凧のうなっている、
青い
大空の
果てと、
相通ずるところがあることを
思わせたのです。
夜は、
暗い
外に、
木枯らしがすさまじく
叫んでいました。そんなとき、たたく
仏壇の
磬の
音は、この
家からはなれて、いつまでも
頼りなく、
荒野の
中をさまよっていました。
いつしか、
孫の
時代となりました。
彼は、
古びた、
朱塗りの
仏壇の
前に
立っても、なんのことも
感じなくなりました。
ある
日、
仏壇のひきだしを
開けてみますと、
小さな
箱の
中に
利助のさかずきがはいっていました。
彼は、これを
取り
出してみましたけれど、それがいいさかずきであるか、そうでないかということは、
彼にはわかりませんでした。
けれど、
孫は、
先祖から
大事にしていたさかずきであるということだけは
知っていましたので、これをだれかに、
鑑定してもらいたいと
思いました。
近所に、
一人のおじいさんがありました。この
人は、なんでも、いまどきのものより、
昔のものがいいときめていました。
書物に
書いてあることも、
昔のほうのが、
義が
固くていいといっていました。
暦も、
新暦よりは、
旧暦のほうが
季節の
移り
変わりによく
合っているといっていました。それで、
時計すら、
数字の
刻んであるものよりは、
日時計のほうが、
正確だといって、
船の
形をした、
日時計を
日当たりに
出して、
帆柱のような、まっすぐな
棒から
落ちる
黒い
影によって
時刻をはかるのでした。
孫は、そのおじいさんのところへ、さかずきを
持ってまいりました。
「おじいさん。どうか、このさかずきを
見てくださいまし。」と、
彼は
頼みました。
きれい
好きな、おとこやもめのおじいさんは、
家の
内をちりひとつないように
清めていました。おじいさんは、なにをたずねられても、
知らぬといったことはありません。で、
村での
物知りでありました。さっそく、
大きな
眼鏡をかけて、
「どれ、そのさかずきかい。」といって、
手に
取って
子細にながめました。
「たぬきかな? いや、ねずみかな、そうだ、ねずみらしい。
絵は、あまりうまくないな。けれどこの
藍の
色がなかなかいい。いまどきのものに、こうした、
藍の
冴えた
色は
見られないな。まあ、いい
品だろう。」といいました。
「だれが、
造ったのでしょうか。」と、
孫はたずねました。
おじいさんは、また、さかずきを
手に
取りあげて、ながめました。
「そうだ、
利助と
書いてある。
聞いたことのない
名だな。」
結局、たいした
品ではないが、まあ
古いさかずきだから、いまどきのものとくらべると
悪いことはないというのでした。
孫は、
家へ
帰りました。
彼は、さかずきをまた
紙に
包んで、
仏壇のひきだしにいれておきました。
寒い、
雪の
降る
国に、
孫はいたくはありませんでした。
彼は、いつからともなくにぎやかな
東京の
街に
憧れていました。そして、いつかは、
東京に
出て、なにか
仕事をして、かたわら、
勉強でもしようという
望みを
抱いていました。
とうとう、
彼は、
家のことを
姉や、
弟とに
頼んで、
自分は
東京へ
出ることになりました。そのとき、
彼は、
昔から
家にあった
掛け
物や、
金銀の
小さな
細工物や、また、
長く
仏さまに
酒を
上げるさかずきになっていた、ひきだしの
中にしまってあった
利助のさかずきなどをひとまとめにして、それを
荷物の
中にいれました。
彼は、
東京へ
出てから、なにかたしになるであろうと、
思ったのでした。
彼は、
東京へきてから、ある
素人家の二
階に
間借りをしました。そして、
昼間は
役所へつとめて、
夜は、
夜学に
通ったのであります。あるとき、
彼は、
書物を
買うのに、すこし
余分の
金が
入用でありました。そのとき、ふと、
国を
出る
時分に、
荷物の
中へ
入れて
持ってきた
金銀の
細工物とさかずきのまだ、
売らずにあったことを
思いつきました。
「どうせ、あのたばこ
入れの
飾りや、
帯止めの
銀の
金具は、たいした
値にもならないだろうが、もしあのさかずきが、いいさかずきであったなら、
値になるかもしれない。しかし、いつかおじいさんに
見せたら、あまりほめていなかった。それでも、みんな
一まとめにして
売ったら、いくらかの
金になるだろう。」と、
彼は
思いました。
孫は、
東京へ
出ると、じきに
掛け
物は
売ってしまったのです。
「いくら、
本物でも、
作のできがよくなければ、
値になるものではありません。これは、
作のできがよくありません。このほうは、
汚れていますからだめです。これですか、こいつは、
私に、
鑑定がつきません
······。」
そんなふうに、
骨董屋から、まことしやかにいわれて、
掛け
物は、
安い
値で
手放してしまいました。
それで、
彼は、こんどは、
正直な
人間に
売らなければならぬと
思いました。
「りっぱな
店を
張っている
骨董屋のほうが、かえって、
人柄がよくないかもしれない。だれか
正直そうな
古道具屋を
呼んできて
見せよう。」
彼は、そう
思いました。
彼は、
出かけてゆきました。そして、
耳のすこし
遠い、
声のすこし
鼻にかかる、
脊の
曲がった
男を
連れてきました。
男は、
無造作に、
毎日、ぼろくずや、
古鉄などをいじっている
荒くれた
手で、
彼の
出した、
金銀細工の
飾りとさかずきとを、かわるがわる
取ってながめていました。
「こちらの
飾りだけを×××××でいただきましょう。このさかずきは、どうでもよろしゅうございます。」と、
古道具屋はいいました。
彼には、このとき、ふたたび
田舎にいる
時分、
近所の
物知りのおじいさんが、「これは、たいしたものではない、ただ
古いからいいのだ。」といった、その
言葉が
思い
出されたのです。
文明のこの
社会に
生まれながら、
昔のものなぞをありがたがるのは、じつにくだらないことだと、
彼は
簡単に
考えたのであります。
「このさかずきも、つけてやろう。」と、
彼はいってしまいました。
古道具屋は、それを
格別、ありがたいとも
思わぬようすで、
金銀細工の
飾りといっしょに
持ってゆきました。
このさかずきのことが
忘れられた
時分、
彼は、ある
日なにかの
書物で、
利助という、あまり
人に
知られなかった
陶工の
名人が、
昔、
京都にあったということを
読みました。そして、
強く
胸を
突かれました。なぜなら、
彼の
家に
昔からあった、あのさかずきには、たしかに
利助という
名がはいっていたからです。
「そうだ、あのさかずきには、
利助と
名がしるしてあった。また、
本には、ねずみや、
花や、
鳥の
絵などをよく
描いたとあるが、たしかに、あのさかずきの
絵はねずみであった。」と、
彼は
思ったのでした。
彼は、ほんとうに、とりかえしのつかないことをしたと
知ったのです。それにつけて、
近所の
物知りのおじいさんが、そのじつ、なにも
知っていないのを、
知るもののごとく
信じていたのをうらめしく、
愚かしく
思いました。
「なぜ、
村の
人たちは、あのおじいさんのいったことを
信じたろう。そうでなかったら、
自分も
信ずるのでなかったのだ。」と、
後悔をしました。
また、「なぜ、
自分は、さかずきを、あんなもののよくわからない、
古道具屋などに
見せたろう? もっといい
骨董屋にいって
見せたら、あるいは、
利助という
名工を
知っていたかもしれない。」と、
彼はそのときとは、まったく
反対のことを
考えました。
彼は、こうなっては、だれを
憎むこともできなく、
自らを
憎みました。
彼は、また、「
自分の
祖父は、よほど、
趣味の
深い、
目ききであった。」と
思いました。そして、
彼は、そう
思うと、いままで
感じなかった、なつかしさを、
祖父に
対して
感ずるようになったのです。
世にも、その
数の
少ない
利助の
作を、
祖父が
手にいれて、それを
愛したこと、そのさかずきは
長い
間、
我が
家の
古びた
仏壇のひきだしの
中に
入れてあったのを、
自分が、むざむざ
持ち
出して
捨てるように、この
東京のつまらない
古道具屋にやってしまったと
考えると、
彼はなんとなくすまないような、またとりかえしのつかないようなくやしさを
感じたのです。そして、どうかして、それを
探し
出さなければならないと
思いました。
孫は、さっそく、いつか
自分の
宿に
呼んできた
古道具屋へたずねてゆきました。そして、二、三か
月前にやった、さかずきは、まだ
店に
置いてないかと、あたりに
古道具がならべてあるのを
見まわしてからききました。
「あれは、すぐ
売れてしまいました。」と、
耳の
遠い、
脊の
曲がった
男は、とがった
顔つきをして
答えました。
「だれが、
買っていったか、わからないでしょうか?」と、
彼は、なんとなく、あきらめかねるので
聞きました。
「あなた、この
広い
東京ですもの
······。」といって、
男は、きつねのような
顔つきをして、
皮肉な
笑い
方をしたのです。
彼は、それに
対して、このときだけは、
怒る
勇気すらありませんでした。
「なるほどそうだ。」と
思いました。
東京の
街は、
広いのでした。
大海に、
石を
投げたようなものです。
小さな、一つのさかずきはこの
繁華な、わくがように、どよめきの
起こる
都会のどこにいったかしれたものではありません。
そう
考えると、
彼は、
絶望を
感ずるより、ほかにはないのでした。
しかし、また、それは、どこかに
存在しなければならぬものでした。
そのさかずきを、
買った
人は、
日本橋の
裏通りに
住んでいる
骨董屋でありました。その
人は、まことに
思いがけない
掘り
出し
物をしたと
喜びました。そして、
店に
帰ってから、そのさかずきを
他の
細かな
美術品といっしょに、ガラス
張りのたなの
中に
収めて
陳列しました。
江戸時代のあの
時分から、
東京のこの
時代に
至るまで、また、
幾十
年をたちましたでしょう。
さかずきは、それでも、
無事に、ふたたび
江戸時代と
変わらない、
東京湾に
近い、
空の
色を、
街の
中からながめたのであります。そして、またここで、
日影のうすい、一
日をまどろむのでした。
さかずきにとって、
田舎へいったこと、
仏壇に
酒をついで
上げられたこと、
毎日、
毎日、
女房が
磬をたたいたこと、
箱に
収められてから、
暗い、ひきだしの
中にあったこと、それらは、ただいっぺんの
夢にしか
過ぎませんでした。
さかずきには、
家の
前をかごが
通ったことも、いま
人力車が
通り、
自動車が
通ることも、たいした
相違がないのだから、
無関心でした。
ただ、ある
日のこと、
太鼓の
音と、
笛の
音と、
御輿をかつぐ
若衆の
掛け
声をききましたので、しばらく
遠く
聞かなかった、なつかしい
声をふたたび
聞くものだと
思いました。
そして、
自分は、またどうして、
同じ
所へ
帰ってきたろうかと
疑いました。
はかない、
薄手のさかずきが、こんなに
完全に
保存されたのに、その
間に、この
街でも、この
世の
中でも、
幾たびか
時代の
変遷がありました。あるものは、
生まれました。またあるものは、
死んで
墓にゆきました。
それが、さかずきにとって、
芸術の
力でなくて、
偶然な
存在だと、なんでいうことができましょう。
この
街では、ちょうど
昔からの
氏神さまの
祭日に
当たるのでした。そして、いつも、
昔と
変わらない
催しをするのでした。
おりも、おり、
例の
孫は、この
日この
街を
通りかかりました。そして、
華やかな、
祭りの
光景を
見て、
自分の
家も
祖父までは、この
東京に
住んでいたのだなと
思いました。
御輿の
通る
前後に、いろいろな
飾り
物が
通りました。そのうちに、この
土地の
若い
芸妓連に
引かれて、
山車が
通りました。
山車の
上には、
顔を
真っ
赤にしたおじいさんが、
独り
他の
人物の
間に
立って、この
街の
中を
見下ろしていました。
彼は、この
山車の
上の、
顔を
赤くした、
人のよさそうなおじいさんを
見ているうちに、
自分のお
祖父さんのことなどを
思いました。
自分は、そのお
祖父さんの
顔を
知らなかったけれど、たいへんに
酒の
好きな
人で、いつも
赤い
顔をしていたということを
聞いていました。また
趣味の
深かった
人でもありました。
利助のさかずきは、そのお
祖父さんの
愛用したものだと
思い
出すにつけて、
彼は、なんとなくお
祖父さんをかぎりなくなつかしく
思いました。
「きっと、お
祖父さんも、あの
山車の
上に
立っているようなおじいさんであったろう。」と、
彼は
思いながら、
街を
過ぎる
山車をながめていました。
若い、
派手やかな
装いをした
女たちが、なまめかしいはやし
声で
山車を
引くと、
山車の
上の
自分のおじいさんは、ゆらゆらと
赤い
顔をして
揺られました。
おじいさんは、にこやかに、
街の
中のようすを
笑いながらながめていました。そして、
山車の
下を
通る
車や、
仰向いてゆく
人々に、いちいち
会釈をするように、くびを
振っていました。
山車の
上のおじいさんは、
両側の
店をのぞくように、そして、その
繁昌を
祝うように、にこにこして
見下ろしました。やがて、
山車は一
軒の
骨董店の
前を
通りました。その
店にはガラスだなの
中に、
利助のさかずきが、
他の
珍しい
物品といっしょに
陳列されているのでした。
山車の
上のおじいさんは、その
前にくると、一
段、くびを
前後に
振りましたが、やがて、
若い
女のはやし
声とともに、その
前をも
空しく
通り
越してしまいました。
後には、ただ、
永久に、
青い
空の
色が
澄んでいました。そして、たなの
中には、ねずみを
描いた、
金粉の
光の
淡い
利助のさかずきが、どんよりとした
光線の
中にまどろんでいるのでした。
こうして、たがいに
遇うたものは、また
永久に
別れてしまいました。いつまた、おじいさんと
利助のさかずきと
孫とが、
相見るときがあるでありましょうか。