小さなすみれは、
山の
蔭につつましやかに
咲いていました。そして、いい
香りを
放っていました。
すみれは、そこでも、
安心をしていることは、できなかったのです。なぜなら、そのすみれをたずねてくるものは、ひとり、
美しいちょうや、かわいらしいみつばちばかりではなかったからです。
「ここにも、すみれが
咲いていた。とって
香りをかいでごらんなさい。いい
香りがするから。」と、
山に
遊びにきた、
子供たちはいったのです。
すみれは、
自分ほど、
不幸なものは、この
世の
中に、ないと
思いました。
小さな
体で、しかも、ものの
蔭に、つつましく
咲いているのを、それすら
安心ができなかったからです。
「ああ、わたしほど、
不しあわせなものはない。」と、すみれは、ため
息をしました。
そのとき、そばから、
名もない
草がいいました。
「すみれさん、あなたは、あんまり
美しく
生まれてこられたからです。そして、いい
香りをもっていなさるからです。
私のように、
粗末に
生まれてきたものは、ちょうや、はちなどというきれいなものに、
振り
向かれないかわり、まあ、
無事といえばいえるのです。どちらがいいかわかったものでありません。そう、
歎くにはおよびませんよ。」と、
皮肉のようになぐさめるように、いったのでした。
これを
聞くと、すみれは、
寒い
風に、
小さな
頭を
振りながら、
「いいえ、わたしは、
自分の
不安な
生活のことを
考えると、もう、ちょうにも、みつばちにもきてもらわなくてもいいのです。どうか、あなたのように、
安心した
生活を
送りたいものです。」と
答えました。
しかし、
名もない
草は、もうあきらめているというふうで、
「そういったって、しかたのないことです。」といったきり、
黙ってしまいました。
このとき、どこからか、一
羽のうぐいすが
飛んできて、そばの
木の
枝に
止まりました。そして、いい
声でさえずりました。
この
声をきくと、すみれは、なんといういい
声だろうと
感心しました。
「なぜ、わたしは、
鳥になって
生まれてこなかったろう。そして、ああしたいい
声で
鳴くことができたら、どんなにうれしいであろう。」と
思いました。
うぐいすは、しばらく
枝に
止まっていました。そのうち
地面に
降りてきました。うぐいすは、
小さなすみれの
花を
見つけました。
「かわいらしい
花だこと。」といって、すみれのすぐそばにやってきました。
「すみれさん、あなたは、しあわせものですね。」と、うぐいすはいいました。
これを
聞くと、すみれは、うぐいすが
自分をからかうのだと
思いました。そして、うぐいすをいい
声だと
感心したことなどは
忘れてしまって、すみれは、
腹をたてずにはいられませんでした。
「わたしほど、
不しあわせなものが、
世の
中にありましょうか。」と、すみれは、かなしい、
細い
声でいいました。
すると、うぐいすは、
頭をかしげながら、じっとすみれを
見つめていました。
「すみれさん、それは、
私のいうことです。
私ほど
不幸のものはないと
思います。」と、うぐいすはいいました。
こんどは、すみれが、それを
聞いて、がっかりしたような
顔つきをしました。
「あなたの
声は、あんなにいいではありませんか。いま、わたしは、あなたのさえずりなさる
声をきいて、うっとりとしました。あなたの
声を
聞くものは、ひとり、わたしばかりではありません。みんな
感心します。あなたは、だれからもかわいがられます。なんで、あなたが
不幸なことがありましょう。」と、すみれはいいました。
うぐいすは、これをきいて、しばし
黙っていましたが、やがて
頭を
上げて、
「すみれさん、あなたが、そうお
思いなさるのは
無理のないことです。しかし、
私は、この
声のために、どんなに
苦しんでいるかしれません。からすや、わしや、たかなどは、みんな
私を
憎みます。
私を
憎むというよりは、
私の
声を
憎むあまり、
私の
姿を
見ると
殺そうとしているのです。それがために、
私は、
安心して
木の
枝に
止まって
眠ることができません。
昼間は、こうして、
彼らに
見えないように、やぶから、
林を
伝って
鳴いていますが、
夜は、どこかの
木の
枝に
止まって
眠らなければなりません。しかし、
私の
定まった
宿というものはないのです。
私は、あなたのように、
地の
上にしっかりとした、
安らかな
生活をなさる
姿を
見るとうらやましくてなりません。
私ほど
不幸なものがありましょうか。」と、うぐいすは、すみれに
向かっていいました。
すみれは、これを
聞くと、うぐいすのいったことは、
自分をからかうためではなかったということを
知りました。そして、うぐいすにも、やはり
自分と
同じような、なやみのあることを
知ったのであります。
そこで、すみれは、
自分が、この
美しい
色と、
香いのあるために、
安心した
生活が
送られないことを、うぐいすに
語らずにはいられませんでした。
うぐいすは、やさしいすみれのいうことを、
同情して
聞いていました。そして、どうして、この
二人は、たがいに、
不しあわせに
生まれてきたのだろうと
憫れみ
合ったのです。
空の
上で、
太陽は、このすみれとうぐいすの
話をきいていました。
「ふたりは、
同じような
不平をいっているのだな。」と、
太陽は、にこやかに、
下を
向いていいました。
すみれも、うぐいすも、びっくりして
上を
仰ぎました。そして、
自分たちのお
父さんであり、お
母さんである
太陽でありましたから、ふたりは、たがいに、いま
話し
合っていたことを
訴えたのであります。
すると、
太陽は、しばらく
考えていましたが、まず
最初に、すみれに
向かって、
「
昔、おまえさんの
先祖は、ちょうど、それと
反対なことをいったものだ。あまり
小さいので、だれの
目にもとまらない。いつもものの
蔭に
小さくなって
咲いていなければならぬ。また、たまたま
広々とした
野原に
咲こうものなら、
馬の
脚や、
人間の
足の
下に
踏まれて、はかなく
散ってしまわなければならない。ちょうもこなければ、みつばちもやってこない。どうか、わたしたちを
目につくように、そして、
美しいちょうや、きれいなとんぼや、またかわいらしいみつばちのくるようにしてくださいと
頼んだものだ。それで、
俺は
考えたすえに、いい
香いを
与えたのだ。それからは、みんなの
目にとまるようになった。
人間はおまえさんたちを
愛した。ちょうも、みつばちも、みんなおまえさんたちを
慕って、
遠くから
飛んでくるようになった。それから、
長い
間、おまえさんたちは、
幸福であった。それが、いま、かえって
不平の
種になろうとは
考えなかった。」と、
太陽はいいました。
すみれは、
太陽のいうことを
聞いていましたが、
太陽が、いい
終わると、
「なんて、わたしたちの
先祖は、ばかだったのでしょう。わたしは、だれに
知られなくてもいいから、
平和に
暮らしたいのでございます。」と、すみれはいいました。
太陽は、つぎに、うぐいすに
向かって、
「おまえさんの
先祖も、やぶや、
林の
中で、
赤い
実をつついて
飛んでいたものだ。そして、いつも
声の
悪いのを
歎いたものだ。ほかの
小鳥は
木の
枝に
止まって
誇り
顔に、いい
声で
鳴いているのに、なぜ
自分たちは、こんなに、
声がかすれているのだろうかとうらんだものだ。そのとき、
俺は、もし、
声がよかったら、ほかの
鳥にそねまれたり、
人間にねらわれたりして、
安心した
生活が
送られないといった。すると、おまえさんの
先祖は、どんなに
短い
生涯でもいいから
華やかに
送りたいものだといった。それで、
俺は、いちばんいい
声を
与えたのだ。するとおまえさんの
先祖たちは、どんなに
喜んだろう。
鳥の
中の
王さまになったといってありがたがった。それを、おまえさんは、かえって、
不平に
思うとは、どういうことだ。」といいました。
うぐいすは、
太陽のいうことを
静かに、
頭を
傾けて、
聞いていましたが、
「ああ、なんという
自分たちの
先祖たちは、
虚栄心が
強かったでしょう。
私は、
名もない、つまらない
鳥になりたいものです。そうしたら、
不安なしに、一
生を
送られるでありましょう。」と、うぐいすはいいました。
そこで、
太陽は、このふたりの
願いをきいてやりました。そのすみれからは、
香気を
抜き
去りました。そして、そのうぐいすからは、いい
声を
奪ってしまいました。
「さあ、ふたりとも、これでいいだろう。」と、
太陽はいって、また、
昔のごとく、まじめな
顔つきに
返って、
大空で
輝きました。
その
後、このすみれのところへは、うぐいすもやってこなければ、みつばちもまた
飛んではきませんでした。
うぐいすは、やぶの
中を
飛びまわって、かすれた
声で、しきりと
鳴いていましたが、ふたたび、ふり
向くものはありませんでした。こうして、
長い
月日がたちました。
あるとき、すみれは、そばのやぶの
中で、かすれたうぐいすの
鳴く
声をききました。そして、
思いました。なんという、いやな
声だろう、あんな
声で
鳴いているのでは、むしろ、おしになってしまったほうがいい。そう
思いながら、
「うぐいすさん。その
後は、どうでございますか。」と、すみれはききました。うぐいすは、
不憫そうに、すみれを
見ながら、
「
私は、しごく
平和に
日を
暮らしています。それにつけても、あなたは、
香いをなくしてしまって
惜しいことをしたものですね。」といいました。すると、すみれは
小さな
頭を
振って、
「わたしは、しあわせな
日を
送っています。
今年は、お
蔭でたくさん
実を
結びました。」と
答えたのです。