戻る

娘と大きな鐘

小川未明




 あるれない、北国ほっこくむらに、あれはてたおてらがありました。そのおてらのあるところは、小高こだかくなった、さびしいところでありました。

 本堂ほんどうから、すこしはなれたところに、かねつきどうがありました。境内けいだいには、がたくさんしげっていました。はるになるとはなき、そして、新緑しんりょくにかわり、やがて、あきになると、木々きぎ黄色きいろく、あかく、いろづいてあめにほろほろとちるのであります。平生へいぜいは、あまりおまいりにゆくひともなく、すずめが、本堂ほんどう屋根やねや、またかねつきどうのまわりで、かしましくいているばかりです。

 けれど、たまたま真夏まなつになって、あめらないことがありました。そんなときは、むらの百しょうは、どんなにこまったでありましょう。

「もう、三十にちあめらない。まだこのうえ、ひでりがつづいたら、や、はたけ乾割ひわれてしまうだろう。」といって、一人ひとりは、歎息たんそくをしますと、

「ほんとうに、そうだ。あまごいをしなければなるまい。」と、ほかの百しょうは、そらあおぎながら、心配しんぱいそうなかおつきをしていうのでありました。

 あまごいをするのには、むらひとたちは、おとことなく、おんなとなく、おてらあつまって、供養くようをしなければなりません。そして、いままでの自分じぶんたちの先祖せんぞわるかったことを、真心まごころこめておわびをするのでありました。これについて、ここに、あわれなはなしがあるのであります。

 それは、いまから、ずっとむかしのことでありました。このおてらに、としとったおぼうさまと寺男てらおとこがいました。寺男てらおとこには、十三、四になったむすめがおりました。おぼうさまは、もう、毎朝まいあさ、おどうて、おきょうげるのがやっとのくらいでありました。

 寺男てらおとこは、また、朝早あさはやきて、かねつきどうへいって、かねをつきました。このてらかねは、このあたりにはきこえたほどのおおきなかねでありました。百しょうは、このかねるとをさましました。それから、めしべて、はたけや、かけるのであります。

 また、はたらいてつかれた時分じぶんひるごろになると、このかねりました。それをくと、百しょうは、

「さあおひるだ。うちかえってごはんにしよう。」と、かれらは、いえいそぎました。そして、骨休ほねやすみをして、それから、また、や、はたけへ、かけたのであります。

 また、がたになって、くもいろが、ばらいろがかるころになると、てらかねがきこえたのです。そして、ひろやかな野原のはらうえを、どこまでもひびいていったのであります。

「ああ、もう、日暮ひぐがたになった。また、あしたにしよう。」といって、かれらは、仕事しごとをきりあげて、れだって、野道のみちはなしながら、てんでにいえをさしてかえってゆくのでありました。

 しかるに、このかねが、二日ふつかも、三日みっからなかったことがありました。

今日きょうてらかねらないが、どうしたんだろう。」と、一人ひとり不平ふへいらしくいいました。

「このごろ、寺男てらおとこのやつめ、なまけやがるんだ。」と、ほかの一人ひとりがいいました。

「そんなはずはなかろう。病気びょうきじゃないのか。」と、また、あるものはいいました。

病気びょうきなら、ったり、らんだりするはずがねえ。昨日きのうは、ばかに、ちいさなおとであったが、たしかにるにはった。」といったものもあります。

 みんなは、かねらないことにたいして、不平ふへいでありました。

 ほんとうに、むら一人ひとりがいったように、このとき、寺男てらおとこは、病気びょうきでありました。幾日いくにちも、かねをつくことができないので、どんなにかをもんだでありましょう。

「おとうさん、わたしが、かわりについてきます。」といって、むすめは、かねつきどうほうへゆきました。

「とても、おまえのちからでは無理むりだ。」と、父親ちちおやは、まくらにあたまをつけながらいいました。

 むすめちからでは、ふといなわをいて、かねつきぼううごかすことが困難こんなんでした。そして、やっとちいさなおとしかたてることができなかったのであります。

 むらひとたちは、自分じぶんむらで、かねたないというのは、ほかのむらたいしても、のひけることのようにかんがえました。なぜなら、毎朝まいあさ、また毎晩まいばん、あちらのむらから、規律きりつただしくつ、ときかねが、ほがらかにきこえてきたからであります。

「あの寺男てらおとこているなら、ほかのものをわりにさせればいいのだ。このむらには、あそんでいるものが、幾人いくにんもあるはずだ。」といったものがあります。

おれおいは、びっこで、仕事しごとかないが、寺男てらおとこぐらいはつとまるから、おぼうさまにはなして、使つかってもらうべえ。」といったじいさんもありました。

 百しょうたちは、てらしかけてきました。

「ここの寺男てらおとこは、どうして、かねたないのだ? 病気びょうきてなけりゃ、ほかに、いくらでもつとめるものがある。おれたちのむらばかり、毎日まいにちえたようでは、ほかのむらたいしても、こんなおおきなかねちながらみっともねえし、だいいちあさきるにも、仕事しごとやすむにも不便ふべんこまっちまうだ。」と、わめくように、いいました。

「まことに、もうしわけがありません。きっと明日あすからかねをつきます。もう、今日きょうにちやすましてください。」と寺男てらおとこは、ながら、わして、おがまんばかりにして、みんなにたのみました。

「じゃ、今日きょうだけ我慢がまんしてやる。明日あすあさから、かねをつかねえようなら、きっと、ほかのおとこにおぼうさまにいってわってもらうから。」と、みんなはいってかえりました。

 そばで、このさまているむすめは、どうしたらいいかとおもいました。病気びょうき父親ちちおやが、どくでならなかったのです。もし、自分じぶんに、もっとちからがありさえすればいいものをと、うらめしくおもいました。また、自分じぶんたちが、このてらされたら、二人ふたりは、どこへいったらいいものかとをもんだのであります。むすめは、おぼうさまのところへやってまいりました。

「どうか、おしょうさま、わたしのおとうさんをいてください。たとえ、明日あす、みんながやってきましても、ほかのひと寺男てらおとこにしないようにおねがいします。」と、たのみました。多少たしょうみみとおくなったおぼうさまは、みみむすめほうへやるようにして、いていましたが、うんといわずに、あたまりながら、

「このおてらは、わしのものじゃない。みんなむらひとたちのものじゃ。むらひとのいけないということは、わしにどうすることもできない。」と、こたえたのです。

 むすめは、おぼうさまだけは、たすけてくださるとおもったのをおもいがけない返事へんじをきいて、まったくちからとしてしまいました。そして、きながら、

「どうしたら、わたしのおとうさんの病気びょうきが、よくなりましょうか。」と、うったえるように、もうしました。

 おぼうさまは前歯まえばけたくちをもぐもぐさしながら、

あかいすいれんのはなせんじてめば、たいていの病気びょうきはなおるものじゃ。」と、こたえました。

 むすめは、てらて、里川さとがわをたずねてあるきました。どこをても、あかいすいれんはいていませんでした。一つやまして、そこには、おおきないけがあります。大空おおぞらただよっている、なつくもが、しずかなみずおもてに、かげうつしていました。むすめはそのふちって、みずうえますと、そこに、あかいすいれんのはなが、二つ三つ、ちょうどほしのように、うつくしくいていたのであります。

「まあ、きれいだこと。これをっておとうさんのところへってゆこう。」と、むすめおもいました。

 むすめは、をさしのべて、あかはなろうとして、みずなかゆびをいれますと、どこからか銀光ぎんびかりのするしろいとのようなものが、くびにからまって、しっかりときつきました。そして、するするとむすめきずって、だんだんふかみへといれてしまいました。

「あれ!」といって、むすめは、こえをたてるひまもなく、姿すがたみずなかぼっしますと、そこに、それはそれはりっぱなおてらが、みずなかにあらわれて、いけそこほうから、かねひびいてきたのであります。

 ちょうど、それとおな時刻じこくに、てらかねつきどうにつるしてあるかねふとつなれて、かねは、ひびきをたててしたちたのでした。なんでもふるくなるとちからよわって、おもいものをささえることができないとみえます。

 むらひとたちは、みんなかねつきどうあつまってきました。そして、かねうごかそうとしましたけれど、どうしてもうごきませんでした。しかたなく、いくねんも、かねはそのままになっていました。

 そのうちに、この時分じぶん年寄としよりたちは、みんなんでしまいました。そして、わかひとたちの時代じだいになったとき、かねつきどう修繕しゅうぜんして、供養くようをし、おおぜいの人々ひとびとかねうごかしました。かねは、みんなのちからうごきました。ふたたび、おおきなかねはつるされたのであります。

 しかし、どういうものか、そのかねらしますと、いかに、いい天気てんきでも、たちまちのうちに、いけのあるほうの、あっちのやまいただき黒雲くろくもがわいてあめになったり、かぜいたりするのであります。それ以来いらい、このかねらすものがなくなりました。

 いつまた、あたまうえから、おおきなかねちるかわからないのと、なんとなく、気味悪きみわるいのとで、むら子供こどもらもこのかねつきどうあそびにきません。てらはこうして、れるにまかせていました。平生へいぜいは、だれも、このおてらへはまいりませんが、なつになって、ひでりがつづきますと、村人むらびとあつまって相談そうだんをするのでした。

「あのてらかねをつこうじゃないか。」と、こういうのです。あまごいのは、むらじゅうのおとこも、おんなも、仕事しごとやすんでおてらへおまいりをして、さかんな供養くようをしました。それから、おとこたちが、かねつきどうがって、かねをつくのです。やがて、陰気いんきかねは、とおくまでなみってひびいてゆくのでした。

 むかしむすめいけちてんだはなし由来ゆらいむらひとたちはっていますから、はばかって、おんな子供こどもかねつきどうへはけっして近寄ちかよせないことになっています。






底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社

   1977(昭和52)年2月10日第1刷発行

   1977(昭和52)年C第2刷発行

底本の親本:「ある夜の星だち」イデア書院

   1924(大正13)年11月

初出:「赤い鳥」

   1924(大正13)年7月

※表題は底本では、「むすめおおきなかね」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:へくしん

2020年9月28日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。





●表記について



●図書カード