汽車のやうな郊外電車が、勢ひよくゴッゴッゴッゴッと走つて来て、すぐそばの
いろんなものを拾ひ集めて、その名を覚えたり、それできれいな博物の標本をつくつたり、それを遠い街の子供会へ贈つてやることは、子供たちにはとてもうれしかつたのです。
「工場のある街の方の子供会でも、今日は天気がいいので、みんな元気にやつてるだらうな······」
子供たちはそんなことを考へたり、これから、自分たちの集めた草や花や虫や石の
ポカポカと小春日が照りつけ、銀色に光る
この「ムサシノ子供会」は、この町の消費組合員の子供を中心に出来た子供会で、その世話役は、みんな組合員の中の子供の教育に熱心な人たちです。今日の世話役は、もと女学校の先生だつた、若いをばさんの「
水野さんは、体が弱くて女学校の先生をやめたほどの人で、箱に入つた三十センチメートルばかりの
「このあたりはどうでせう?」
水野さんが顕微鏡を据ゑる場所を見つけると、吉田さんは平つたい大きな石を抱へて来て、そこにドスンと据ゑました。あたりは芝生になつてゐて、いい場所でした。
「まあ、すみません。有難う。」
水野さんが白いハンケチを出して、それを石の上に敷き、顕微鏡を据ゑたばかりの時、ふと、向ふの叢の中から、
「誰でせう? どうしたんでせう?」
水野さんが
「どうしたんだい?
吉田さんが大声で叫ぶと、向ふから口々に叫びました。
「松男君が毛虫にさされたんだア!」
「名誉の戦死||いや負傷だい!」
「花を取らうとしたら、花にくツついてたんです||」
その声に、叢の中の者もみんな出て来て、われ勝ちに、ガヤ/\と駈け寄つて来ました。
「毛虫か? よしツ! なんでもないぞ||泣くんぢやない! 水野さん、アンモニア水はありましたかしら?」
「ええ、あります。私がいたしませう。」
水野さんが、子供会の小さい
「すぐ治ります。もう治つたでせう?」
みんな笑ひました。八つの松男君は、みんなが笑ふので泣き笑ひしました。
「どんな毛虫でした? 大きなのですか、ちつちやいの? どんな毛色?」
水野さんはいろ/\にききます。けれど松男君はチクリとさされると、びつくりしてすぐ泣けて来たので、どんな毛虫だつたかよく覚えてゐないのです。
「毛虫だつたことだけは、たしかなのね?」
松男君は泣きやめて、
「で、松男さんは、毛虫にさされた時、こいつ悪いやつだ、殺してやれツ······と思はなかつて? どう思ひました?」
松男君は、そんなこともちよつと頭に
松男君が黙つてゐるので、水野さんは、グルツと
「もし、あなた方がさされたとしたら、あなた方は毛虫をどうしますか?」
すぐさま、林のやうに手が挙がりました。
「はい、
「僕なら、すぐ殺します。毛虫は悪いことをする虫だし、僕をさした憎いやつですから!」
「よろしい。文子さん||」
「わたしも殺します。毛虫は木の芽や草の葉ばかり食べて、それから
みんな一度に笑ひました。
「どちらの答も、大体によいと思ひます。けれど今の答の中には、自分をさした悪い毛虫だから殺してもよい、なんにもしない毛虫だつたら、わざ/\殺さなくもよい······といふ風の考へ方が、それとなく現はれてゐたやうに思ひましたが、さうではなかつたでせうか? 欣一さんはどう思ひます?」
十一になる欣一君は、すぐさま
「それはさうです。僕も、毛虫だつて生物ですから、何もしなければ、わざ/\見つけ出して殺さなくつてもいいと思ふんです!」
水野さんはそれを聞くと、頭をふつて考へるやうにして、ニヤリと笑ひました。欣一君は、自分の答が間違ひかな?······どこがいけないんだらう?······と、やつぱり頭をふつて考へました。
「では······文子さんはどう思ひます?」
「わたしも欣一さんと同じやうに思ふわ。生物をむやみに殺すことは悪いことです。毛虫だつて、さしたりなんかしなければ、わざ/\殺さなくつてもいいんだと思ひます。木の芽や草の葉を食べるのは悪いことですが、毛虫はなんにも知らないのですし、それに生れつきなんですから······」
水野さんは困つたやうな顔をして、暫く黙つてみんなの顔を見廻してゐましたが、やがてハンケチで口をおさへて一つ
「みんなよく聞いて下さい。そしてみんなでよく考へようぢやありませんか? 今、欣一さんと文子さんとは、かういふことを云はれたんです。毛虫だつて自分をさしたりなんかしなければ、むやみに殺してはいけない。なぜかと云ふと、第一||生物だから、第二||何も知らないで悪いことをしてゐるのだから、第三||悪いことをするのは生れつきなんだから。この三つが、毛虫をむやみに殺してはいけない······といふことになつてゐるのですが、これは、ほんとうに正しいことかどうか? みんなよく考へて見て下さい。」
みんな黙りこんで、四方から水野さんを見つめました。
水野さんは、また続けました。
「では一つづつ、みんなで考へて行くことにしませう。第一番目の『生物だから』······むやみに殺してはいけないといふことは、どう思ひます? 誰か、自分の思ふことを、間違つてゐてもいいから、元気に云つて見ませんか?」
すぐ脊の高い、尋常五年の男の子が手を挙げました。
「はい、時光さん。」
「生物をむやみに殺すことは、僕もよくないことだと思ひます。けれど、毛虫は悪いことしかしない虫です。だからそれを殺すことは、生物をむやみに殺すことではないと思ひます。」
今度は女のコドモ委員の、
「高田好子さん。」
「わたしは、むやみにだつて、悪い虫なら殺した方がいいんだと思ひます。
「イギナシ!」
二三人の男の子や女の子が、すぐ、さんせいしました。
水野さんは満足さうに、かう云ひました。
「今の答は、ハツキリしてゐたと思ひますが、みんなよくわかつたでせうか? つまり、悪い虫なら、いくら殺したつてよいといふ意見です。生物をむやみに殺していけないといふことは、その生物が人間に、ためになる、よいことをする生物の場合だけに云へることなんです。たとへば、いつか顕微鏡で見た『てんたう虫』ですね、あれは悪い虫を
すると、さつきの文子さんが、すぐ手を挙げました。文子さんは尋常五年生で、お父さんは雑誌のさし絵をかく画家でした。
「はい、文子さん。」
「わたし、さつきの考へはまちがつてゐましたから、みんな取消します。今のバイキンの話で、わたしよくわかりました。毛虫もバイキンと同じやうなもので、人間に少しも益になることをしない、悪い虫です。だから、毛虫自身は何も知らないでしてゐることでも、また悪いことをするのは生れつきであつても、やつぱり赤痢やコレラのバイキンと同じことだと思ひます。好子さんの云はれたやうに、わたしも悪い虫なら、むやみにだつて······いいえ、一匹も残らないやうに殺してしまつた方がいいんだと思ひます。」
水野さんは感心して、二度も三度も頷きました。それから欣一君にかう云ひました。
「欣一さんはどう思ひます?」
欣一君は「気をつけエ」の姿勢をして、
「僕も、一匹も残らないやうに、みな殺しにした方がいいんだと思ひます。」
水野さんは満足さうに頷きました。それからかう云ひました。
「みんなよく考へました。さうです! そのとほりですわ。わたしたちは、この世の中を、みんな仲よく働いて、みんなの住みよい場所にしたいのです。そのためには、たとひ小さい一匹の毛虫だつて、見つけしだい殺さなければいけないのです。自分がさされなくたつて、他の誰がさされるかわからないのです。この世の中を住みよくするといふことは、だから結局、人間の働きの邪魔をするものとか、害になるものとかを見つけしだい、どんな小さいものでも、一つでも半分でも居なくしてしまふ······といふこと以外に、どんなよい方法もないのです。わかりましたね?······」
それから水野さんは、みんなを芝生の上に
||むかし、
頭は二つが重つてゐることもあれば、右と左に
けれど、後に有名な学者となつたほどの人ですから、ふと、子供ながら考へたのです。もしこの蛇を生かしておいたなら、これから先、いく人の人がこいつを見て死ぬかも知れぬ。よし、これはいつそ殺してしまつて、二度と人の
そこで大急ぎに石を拾つて打ち殺し、深い穴を掘つて蛇を
するとお母さんは大そう喜んで、お前は大へんよいことをしたのです。その心がけさへなくさなければ、きつと立派な人になれるでせう······と、ほめましたが、そのとほり、後に名高い学者になつたといふことです||
話が終つた時、突然、デブさんの友一君が立ち上りました。そして大根のやうな短い腕をふり/\、元気にかう云ひました。
「おい、みんな。おれたちもみんなでおしかけて行つて、松男君をさした毛虫の野郎を、一匹だつて殺して来ようや! ひよつと、おれたちの中にだつて、今聞いた支那の学者みたいな人間の卵がゐるかも知れんのだぞ。それに一匹殺せば、一匹だけ毛虫が少くなることだけは間違ひのねえこつたから······」
「デブさん、うまいぞツ!」
「異議なアし||さんせいだア!」
みんなパチ/\と手を
コドモ委員の一人が立ち上つて、水野さんにかうききました。
「みんなが、毛虫退治に行きたいと云つてゐますから、十分ばかり行かして下さい。」
水野さんはニコ/\して答へました。
「どうぞ。行つてらつしやい。ぢや、みんなの集めてるものは、すつかりここへ置いて行つて下さい。あなた方の帰つて来るまでに、ちやんと分類して、顕微鏡もすぐ
みんな躍り上りました。そして、さつき泣いて帰つた松男君を先頭にして、ワーツと喚声を挙げながら、バラ/\と向ふの叢をさして走つて行くのでした。
|昭和七年一〇月二四日作|